第53話 次世代の王
「王……って、僕が?」
「その通りです」
荷車の上に立つ女性は即答した。相変わらずの、満面の笑みで。
訳が分からず、ベイオは必死で状況を整理した。
……ついさっき、アルムが変な事を言い出したんだ。
吹き寄せた南風に鼻をひくつかせて、アルムは叫んだ。
「な、なんじゃこりゃあ!?」
そして、ゾエンの屋敷の庭を飛び出したのだ。
その後を追うジュルム。
「ベイオ、一体アルムはどうしたの?」
ファランが尋ねたが、ベイオは必死に首を振るしかなかった。
「わからない。僕にも、なにがなんだかわか――」
いきなり、ベイオはアルム父に抱き上げられた。
「ペイオ殿。急ぎ、我らも参りましょう!」
ジーヤにも声をかけられる。
「あ、え、何なの? どこへ?」
そのまま、三人は屋敷の門をくぐりアルムたちを追い、今に至る。
……それでいきなり、王?
目の前でにこやかに笑う女性。
敵意がないのは確かだ。でも、だからと言って安心は出来ない。
……アルムは何か感じ取ってるみたいだし。
「あの……あなたは誰なんですか?」
ベイオは、さっきのジュルムと同じことを問う。
すると、女性は名乗った。
「わたくしは、ミミガ・ヤノメと申します」
名前は分った。だが、それだけだ。
「それでヤノメさん……何で僕が王なんですか?」
ヤノメは答えた。
「この国の誰よりも強い運気を、あなたがまとっているからです」
……ウン〇?
麗国の言葉は時々、妙に日本語の単語と近い発音の場合がある。大抵は、意味は全く異なるのだが。
なので、ついこの間、便所の汲み取りを実体験したことは関係ないはずだった。
「その運気をディーボンで感じ取り、矢も楯もたまらず、海を越えてやって来た次第です」
「それは……ええと、……遠路はるばる、ようこそ」
すっかり混乱してしまったベイオは、もはや何を言ってるのか自分でもわからない。
「こうしてベイオ、念願かなってあなたに会うこともできました。今日はめでたき日」
そう言うと、ヤノメはボムジンに向き直って言った。
「ありがとうございます、ボムジンさん。この場は失礼して、旅の疲れを癒しにまいりましょう」
親し気に話しかけられて、ボムジンも笑顔で答えた。
「あ……ああ、そうだな。ベイオ、また後でな」
多少、頬のあたりが引きつっていたが。
ガラガラと荷車を引いて、ボムジンは都の大通りを上って行った。
「あの……降ろしてもらえます?」
ずっとお姫さま抱っこされているのは、どうにも気恥ずかしい。
アルム父は、そっとベイオを降ろしてくれた。
「結局、あのヤノメってお姉さん、何なんだろう?」
ディーボンから来た女性。当然、髪型や服装が違うのは、文化の違いに過ぎない。
むしろ、言葉が通じていることに気づくべきだったが、ベイオにそんな余裕は無かった。
「すごく、変なニオイだった」
アルムが、答えるでもなくつぶやいた。
「変って、どんな風に?」
あらためて問いかけるが、アルムは首を振るばかり。おかっぱの赤毛が、わさわさと揺れる。
「わかんない。わかんないだよ……」
アルムにも答えようがないらしい。
すると、ベイオの後ろに立っていたアルム父が、ベイオの正面に回り込んでひざまずいた。
「え、……今度は何?」
ベイオはジーヤの方に目を向けたが、彼はうなずくだけだった。
仕方なく、目の前のアルム父に向って話した。
「もしかして……名前が欲しいとか? ヒト族向けの」
すると、アルム父は答えた。
ベイオが初めて聞く、アルム父の麗国語だ。
「名前はいりません。今までどおり、アルムの父で結構です」
「じゃあ、一体――」
言いかけた途端、アルム父はひれ伏した。
「どうか、王となって下さい」
まただ、とベイオは心の中でつぶやいた。
「王って、今いる国王は?」
「運気があなたに付いている以上、やがて倒れるでしょう」
どうしても日本語の「ウ〇チ」に聴こえてしまうベイオだった。
さらに、人通りの多い南大門のそばだ。道行く人が振り返っていた。
目立ってる。めっちゃ目立ってる。
「えーと、うん、そう。わかった」
本当はさっぱりわからないが、わからないと言う事がわかった。
無知の知だ。ソクラテス。……たしか。
「あともう一つ、お願いが」
「なに……かな?」
ベイオは早く終わりにしたい一心だった。
「アルムのことを、よろしくお願いします」
「……うん」
お願いされるまでもなく、アルムは大事だ。母親の次くらいに。
幼さを考えると、一番かもしれない。
「今すぐとは言いません。将来、お妾にでもしてやってください」
「……え?」
何やら、とんでもないことをお願いされた気がする。
思わずアルムを見たが、きょとんとしている。「妾」という言葉が分からなかったのだろう。
「そして、お子を賜りたく存じます」
……それって、それってば。
頭の中がぐちゃぐちゃなベイオが固まってると、アルムが獣人語で父親に何か問いかけた。父親が答えると、一気にはしゃぎ出す。
「子ども! たくさん、子ども産むだよ! ベイオの子ども!」
ベイオの腕を掴んで、アルムはぴったりと寄り添った。その高い体温が伝わって、ベイオはじっとりと汗ばむ。
――が、その汗が冷たい。
はっとして傍らを見ると、燃え上がる金色の瞳がこちらを睨んでいた。
……ジュルム、頼むよ。僕、何にもしてないんだから。
「とにかく……屋敷に戻らない?」
必死で訴えるベイオに、ようやくアルム父は立ち上がってくれた。
そして、一同はゾエンの屋敷に戻ったのだが。
「なんで……ここにあなたが?」
まだ昼下がりだと言うのに、屋敷の庭では酒宴が盛り上がっていた。
いや、確かにボムジンがイロンと再会したのだから、昼夜を問わず酒宴となるのはわかる。良くわかる。凄くわかる。
庭の真ん中でたき火がされて、串に刺した干し肉や干物が立てられてるのも。旅が済んだから、酒の肴にするのだろう。
わからないのは、二人の間で盃を手にしている、ヤノメの存在だ。
「ああ、ベイオ。こんな目出度い時こそ、酒で祝わねばなりませぬ」
彼女はそう言うと、優雅に盃を飲み干し、新たに注いでベイオに差しだした。
「祝いの盃です。さあ、どうぞ」
「どうぞって、僕、まだ子どもです」
「いえいえ、いける口でございましょう」
「いけません!」
逃げ場を求めて庭を見回すと、屋敷の玄関口でこちらを眺めてたゾエンと目が合った。
「ゾエンさん、一体これは?」
「ああ……ベイオ。ついさっき、ボムジンが花嫁を連れてやってきたから、イロンが歓迎の宴をやりたいと言い出してな」
ゾエンも急な話で戸惑っているようだが、使用人たちへの指示は手早かった。
しかし。
「……花嫁?」
一緒に旅をしてきたらしいから、親しいのは確かだろう。だが、門のところでは、そんな感じはしなかった。
先日、村に帰って行ったヨンギョン&ミンジャ夫妻とはかなり違う。
「ディーボンの女性は初めて見ましたけど、
玄関から出て来たファランがつぶやいた。頬に両手を当てて、瞳を輝かせている。
彼女が伴って来た侍女たちは、酒宴の卓に料理の皿を並べ始めた。
自分の世界に浸ってしまったファランのことは
「ゾエンさん、聞きたいことがあるんですが」
「何だ? 何やら深刻そうだが」
祝いの宴に似つかわぬベイオの表情。
「中で聞いた方がよさそうだな」
ゾエンの言葉にうなずき、ベイオは屋敷の中に入った。
相変わらず彼に引っ付いたままのアルムを連れて。
「で、聞きたいこととは?」
広間では既に、夜に向けて本格的な宴の準備が始まっていた。
なので、ややこじんまりした客間に通された。
「あの……運気って、何なのでしょう?」
〇ンチではない。断じて。
「唐突だな」
訝しむゾエン。当然だ。
「えーと、さっきの女性、ヤノメさんが、この国の運気が変わったと言ったんです」
王、という言葉は伏せておく。
「呪教での定義なら、天と地と人を貫く五運と七気のことだが」
五行思想の火水木金土からなる五運。
これに陽と陰を表す日月を加えたのが一週間。
それに対応する慈愛仁義智礼信が、七正と呼ばれる徳目。
七気とは、積み上げた徳が世に滲み出て広がる様を言う。
「国の運気が変わるとなれば、まず、国王が変わると言う事だな。この戦況だから、不思議な事ではない」
そう言うゾエンだが、ベイオにとっては不思議なんてレベルではない。
まさしく、不可解。
「で、どうしたんだ? その様子じゃ、言葉の意味だけじゃなさそうだが」
ゾエンが本質を突いて来る。
「それで、その次世代の王ってのが、僕だと……」
「ほう……」
キラリ、とゾエンの瞳が輝いた。
「それは面白い。だが、どうするんだ?」
「……何を?」
ゾエンは、ベイオの傍らに居ながら自分の世界に酔いしれてる幼女を指さす。
「さすがに、獣人の娘を妃にするのは難しいぞ」
……ひょっとして、王になるのは決定?
やはり、汲み取り実体験は、やりすぎだったようだ。
あれでウンが付いたに違いない。
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