第44話 経済

 ベイオがガフに連れられて都に入ると、ジュルムと「爺や」が出迎えてくれた。

 ちなみに、ガフは仕事が溜まっているらしく、出迎えたゾン・ギモトにそのまま引きずられて行った。


「ジュルム、久しぶりだね。元気にしてた?」


 屈託なく呼びかけるベイオだが、ジュルムは「お、おう」とそっけない。その視線はアルムにチラチラと泳ぐのだが、彼女はいつにもましてベイオにべったりで、全く視線を合わせてくれなかった。


 ……ジュルムは前途多難だなぁ。


 無責任にそんなことを考えながらも、あたりを見回す。


「ファランや老師さまは? ……あとゾエン」


 ジュルムはため息つくと答えた。


「向こうの建物で待ってる。都は今、治安が悪すぎる」


 確かに、あちこちに打ちこわしや略奪の後が見て取れた。

 さらに、ベイオは大変なことに気が付いた。


「あれ……宮城がない」


 都の南大門から続く大通りの先。そこにそびえているはずの宮城が消えていた。


「燃やされちまった。俺たちが着く前に」

「いったい誰が?」

「ここの住民だよ。あっちもこっちも」


 ジュルムが指さす先には、破壊のあとがあった。


 ……なんか、凄いことになってる。


 押し入ったディーボン軍が略奪行為を行ったのなら、まだ話が分かる。良く無い事だが、理屈として。


「一体、何があったの?」

「ベイオは何も聞いてないのか?」

「うん」


 そもそもベイオにとっては、戦の勝敗も政治も興味がない。ただ、大切な人たちが無事であってくれれば、それでいい。


「国王が逃げたんだよ」

「へえ……」


 日本で生まれ育った記憶を持つ彼にとって、それはあり得ない話だった。


「逃げだしたら、国王じゃないよね」

「だから、ここの住人らは怒り狂ったのさ」


 なるほどな、とベイオは納得した。同時に、そんな中に乗り込んで行ったファランのことが気になった。


「とにかく、みんなのところへ行こう」

「ああ。こっちだ」


 連れられて行ったのは、ゾエンの屋敷だ。

 ベイオとゾエンに死刑宣告が出た時に酷く荒らされていたが、逆にそのおかげで暴徒に襲われなかったようだ。

 最低限の家具や什器はギモトが部下に命じて揃えてくれたので、生活には困らない。


「ファラン! 老師さま!」


 ほんの一週間ほどしか離れていなかったはずだが、懐かしさがこみ上げる。


「ベイオ!」

 赤と白と黒の筋が目の前に飛び込んで来て、ベイオの身体にしがみついた。


「むぅ! はなれるだよ!」

 アルムがムキになって剥がそうとするが、獣人パワーでも無理そうだ。


 ジュルムの向こうでは、老師が両手を掲げた変なポーズで固まっている。ベイオが抱き着いて来ると思ったのだろう。


 まるで、グ〇コのあのポーズだ。


「ファラン……」

「ベイオ。ベイオ。わたくし……ようやくわかったの」


 そう言うと、ファランはベイオから身体を離した。

 すかさず、アルムがその間に割り込み、通せんぼのポーズ。


「何がわかったの? ファラン」


 ベイオの問いかけに、一瞬、間を置いて彼女は答えた。


「……この国を食い殺す、あの獣の正体よ」


 さらに口ごもる。それでも、意を決して告げた。


「あれは、この国の民衆。やり場のない怒りが、やがて内側からこの国を食いつくしてしまうわ」


 自分の両肩をかき抱いて、震えながら続ける。涙が頬を伝う。


「この国はずっと、顔のない暴君に支配されているの」


 あの、たくさんの顔が重なり合った獣。それはまさに、宮城を焼き尽くし、都で破壊の限りを行った、民衆そのものだった。


* * *


 ベイオの村を出た女官のイスルは、無事に都にたどり着いて、以前のようにファランの世話をしていた。

 先に逃げ出していた女官も、連絡のついたものはここで働いていた。逃げ出したことについては、ファランから咎めないとの通達があったので、水に流すことになった。


 その女官の一人が入れてくれたお茶……何かの木の根を炒って煎じたものを飲みながら、ベイオはファランの言葉を反芻していた。


「顔のない暴君、ですか……」


 目の前に座る老師に語るでもなしに、ベイオは呟いた。


「わしは、お前ばかりか姫さまにも置いて行かれた気分じゃな」

 自嘲気味に、老師は言った。


「お主らは、この老いぼれよりもよほど、この世界を良く見ておる」

「そんな……僕なんて、モノ作りが好きなだけで」

「何を言うか」


 老師は、やれやれと言うように首を振った。


「お主は、生産力こそが国を強くする、という真理に自力でたどり着いた。言い換えるなら、『富国強兵』じゃな」


 脳内で漢字に変換すると、凄く聞いたことのあるスローガンだ。

 老師は続けた。


「そもそもこれは、『経世済民けいせいさいみん』の一例でもある」


 ……その言葉。社会科の「みやまさ」先生がよく口にしていたな。確か、「経済」という言葉の語源となった、中国の言葉。


 どうやら、こちらの中つ国でも、似たような思想が生れたようだ。


「世をおさめて民をすくう、ですね」


 先生の受け売りが口から出た。

 老師の眼が見開かれた。


「まったく、お主には度々驚かされるのう。どこでそれを学んだ?」

「えっと……」


 まさか、前世の日本の高校で、とは言えない。


「……あの、思い出せません。お母さんかな?」


 適当な言い訳だが、老師は「ふむ」と言ってうなずいた。


「お主の御母堂、元は高貴な産まれやもな」

「……まさか」


 とは言うものの、確かに女性で読み書きや算術ができる人は他に知らない。ファランに付いて来た女官たちは別として。


 ……いつか、お母さんとも話すべきかな?


 ベイオにしてみれば、生まれがどうだろうと構わない。それでも、この世界における顔も知らぬ父親がどんな人間だったのかは、知っておくべきなのかもしれない。

 生きていたなら、母親のエンジャと同様に、自分をいつくしんでくれたはずの人なのだから。


* * *


「そう言えば、ゾエンさんは?」


 あまりと言えばあんまりだが、その日の夕食になるまで、この屋敷の主であるゾエンのことを忘れ去っていたベイオだった。

 とは言うものの、着いてすぐにファランの涙の告白(非・恋愛)を聞かされ、老師の鋭い質問にドギマギしてたのだから、仕方がない。


「わしの言伝を持って、国王の下に向かっておる」


 老師の言葉に、ベイオの箸が止まった。


「言伝? どんな内容なんです?」

「ひとことで言うなら、『くたばっちまえ』じゃな」


 ブッとベイオはむせた。


「何……なんですか……それ」

「言葉の通りじゃよ。この事態は、国王が退位でもせんかぎり、収まらんと言うことじゃ」

「そうかもしれませんけど……」


 言われて「はいそうですか」と従うはずがない。


「それにしても、そろそろ戻るはずじゃがな」

「……まさか、捕まってたり」


 老師はまるで気にしていないようだが、ゾエンはベイオ共々、その国王から死刑宣告を受けた身だ。

 普通にふらっと現れたら、即刻捕まって死刑だろう。


「ありえんな。ディーボンを本気で怒らせるつもりなら別じゃが」

 ゾエンは結構、ガフにも気に入られているらしい。


「それに、ジュルムの『爺や』が一緒じゃからの」


 確かに、それは心強い。アルム父も強いけど、『爺や』の方は野武士と言うような雰囲気がある。その意味では、熊侍ガフにも通じる。


「……でも、帰りが遅いんですよね?」


 心配にならないのかな? と、逆にベイオは気になった。


「帰ってこれないのなら、何か事情があるのじゃろう」

 老師は本当に気にならないらしい。

「のっぴきならぬことがあれば、卦に出るじゃろ」


 ……老師が毎朝、易卦を占っているのは知っていたけど、それだったのか。


 なるほどな、とベイオは思った。


「ゾエンは、わたくしの思いを代弁しに行ったの」

 ポツリと、ファランが言った。

「ファランの言葉を?」

 ベイオの問いに、ファランは首を振った。

「言葉は老師さま。わたくしが気が付いた『顔のない暴君』が、農民の蜂起につながると」


 農民の蜂起は、前から懸念されていた。

 しかし、ファランが感じ取ったのは、それを引き起こす民衆の怒り。さらには、それを生み出す絶望の深さであり、権力にすがることでしか生きていけない、民衆の足元の弱さだった。


 箸を置いて、ファランは顔を覆った。


 ベイオと共に、老師の講義を聞いた初日、彼は言った。

 「春になると子供が消える」と。

 産まれて初めて知った、民草の生活の実態。


 そう。

 民草とは、草なのだ。風になびくしかない、儚い命。


 しかし、旱魃が続いたらどうなるか。

 乾ききった草に火がつけば、燎原の火となり燃え盛る。誰にも止められない。すべてを焼き尽くすまでは。


「ファラン? どうしたの?」


 ベイオが心配して、震えるその手に触れたとき、彼女はぐっと力を込めて握り返した。


「民を救わないと」

「え?」

「民を救わず放置すれば、国が滅んでしまいます」


 ベイオは答えた。


「世をおさめて民をすくう、経世済民だね」


 老師に向かって、彼は告げた。


「僕、やります」

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