第24話 夢

 すぐにファランは気づいた。

 これは、例の夢だと。


 やけに鮮明な夢だ。目の前にあるのは巨木。苔むした樹皮に覆われていて、まとわりつく甲虫や蟻たちが樹液を吸うさまも克明に見てとれる。

 小さなシマリスが、素早く幹を駆け上がっていった。視点が勝手に上を向き、樹上に広がる枝々で生活を営む、小鳥や小動物たちが見てとれた。

 それは平和で、美しい光景だった。

 

 それなのに、不安が募る。


 情景はそこまで鮮明なのに、彼女は自由に動けない。歩くどころか、目の前の大樹に触れることもできず、声もあげられない。

 不意に、視点が移動し始めた。そこに彼女の意思は関わらない。祖先の御霊か鬼神なのか、誰かはわからない。何者かか有無を言わさず、一方的に強制的に見せるのが、この夢の特徴だ。


 そして。

 見せるのは、悲惨な結末だ。例外なく。


 視点は、大樹の幹を回り込むように移動した。

 反対側は、まるで違う光景だった。


 破壊と荒廃。その中心に位置するそれは、巨大な獣だった。しかし、そこだけがぼやけて姿がはっきりしない。強靭な四肢を振るい、固い樹皮を剥いで樹液を啜る。真っ赤な、血潮のような液体を。

 その荒々しさは、餓え渇きというよりも、破壊衝動のままであるように感じさせる。


 やめて! やめて!


 ファランの叫びは声にならない。

 ついに獣の破壊は巨大な幹を突き破り、巨木は轟音を立てて倒れた。

 逃げ惑い飛び去る鳥たち。逃げ切れず潰される小さな命。


 不意に、獣はこちらを向いて咆哮した。無数の顔が重なって判別つかないが、それは確かに人間の顔だった。


 声にならぬ叫びを上げ、ファランは跳び起きた。


 寝室は、まだ暗い。

 季節はそろそろ冬。それなのに、寝汗で寝間着は絞れそうなほど湿っていた。

 寒さに震えていると、女官の一人が入ってきた。着替えを頼んで暖かい白湯をもらう。

 一息ついたら、女官に言伝てする。


「ゾエン殿に伝えて。夢を見ました」


 未明にもかかわらず、ゾエンは正装してファランを迎えた。老師の講義を聞く部屋で、普段はベイオの席となる辺りに座る。

 やがてファランも正装して現れ、壇上の上座につく。


 深くひと呼吸して、ゾエンは口を開いた。


「姫様。例の夢に間違いありませんか?」

「はい」


 例の夢。はっきりとした特徴のある夢だ。

 最初から夢だとわかっていること。

 自分は夢の中の出来事に何一つ関われないこと。

 ……そして、悲惨な結末となること。

 

 ファランは夢の内容を話した。

 聞き終えたゾエンは、腕を組んで考える。


「今回は、誰か特定の人物に関するものではなさそうですね」

 ファランはうなずいた。伯父の一人が亡くなるのを夢に見たときは、はっきりとその名を聞いた。あのときは、恐ろしさのあまり、何日も寝込んでしまったほどだ。

 しかし、今回のように抽象的な場合は、さらに不気味だ。


「これから冬ですから、寒波や豪雪かもしれません」

 自然災害なら避けようがないが、食料や燃料の備蓄で被害は減らせる。

「いえ、それはないと思います」

 ファランは異を唱えた。


「何かお気づきですか?」

 たずねるゾエンに、ファランは答えた。

「夢の情景は、春でした」

 緑の大樹、虫や小動物。生命力に溢れる、春の盛りだ。むしろ、初夏に近い。


 この国の春は穏やかで、嵐や洪水のような災害は滅多に起きない。


「となると、人災か……」

 政争から燃え広がる内紛。それが破壊を撒き散らした獣だとすれば、食い破られて倒れる大樹は、この国で間違いない。


 難問だ。そうゾエンは胸のなかでつぶやく。

 ファランの予知夢は、ごく限られた者しか知らない。特に具体的な内容の時は、扱いが難しいからだ。下手に漏れたら、殺害の計画と取られかねない。

 親族同士でも、陰湿で陰惨な陰謀が渦巻く。それがこの国の上層部の宿痾だ。

 そうした危険から遠ざけるため、わざわざこんな田舎の村に避難させたというのに、夢の方が追いかけてくるとは。


 しかも、事が国全体となると、流石に自分一人の手に余る。


「夜が明けたら、老師の意見をうかがおうと思います」

 ゾエンの言葉が気になったファラン。

「今日の講義は、どうなりますか?」

 国の命運は自分の手を離れた。王家につらなる身とはいえ、子供に過ぎない。

 今の彼女にとっては、ベイオと学ぶ一時が大事なのだ。

 しかし、ゾエンはそこまで考える余裕がない。

「休みとしましょう」

 あっさりとしたものだ。


 しかし、ファランは納得いかない。


* * *


 夜が明けて、いつものようにベイオは家を出た。もうかなり寒くなっていて、吐く息が白い。

 今日、母親は代官屋敷での仕事はない。家で野菜を漬物にしたり、籠やワラジなどを編む一日となる。


 そんなわけで、屋敷の門を一人でくぐると、ファランが待ち構えてた。白衣しろぎぬで腕組みし、仁王立ちだ。


「今日は老師さまの都合が悪いから、講義はなしなの」

「そうなんだ。残念だね」

 ベイオにしても、講義は楽しみにしていた。文字もそうだが、この世界のことを知るのは楽しい。


「じゃあ、僕は帰るよ。また明日」

 そう言ってきびすを返そうとしたら、腕を掴まれた。

「待って。わたくしも参ります」


 やっぱりそうなるの? と、ベイオは心中でつぶやいた。


 初めのうち、ファランが外出する度に大騒ぎしていた女官たちだが、何度も繰り返すうちに諦めたようだ。今では、お目付け役を一人つければ、村の中なら自由に出歩ける。

 老師やゾエンが「見聞を広めるのは良いこと」と後押ししたのも効いている。


 そのお目付け役は、少し離れて付いてくる。女官の若草色の衣を見かけると、村人が遠慮してしまうからだ。子供たちなど、逃げていく。

 向かう先は、小川のほとりにあるベイオの作業小屋だ。


「今日は何を作るの?」

「そうだなぁ。時間が出来たから、あれにしよう」

 小屋にはいると、棚の上から大きな筒を下ろした。手桶の代価にもらった紙を巻いたものだ。

 作業台の上に広げると、何かの設計図が描かれていた。

「これは……水車ね?」

「そう。水車小屋の雛型だよ」

 こちらの言葉には、「模型」という単語が見つからなかったので、「雛型」で代用している。

「水車なら、もうあるわよね?」

 ファランは、小屋の壁の向こうを指差す。


「もっと大きいものだよ。粉を引いたり、水を汲んだりするんだ」

 夏場の水やりや秋の収穫を手伝って、あらためて農作業の大変さを実感した。水車が役に立つのなら、活用したい。みんなを楽にしたい。

 そうすれば、余暇が生まれる。春先に五歳の子供が消えることもない。

 余裕があれば、色々なものを求め出すのが人間のさがだ。もっと便利なもの、もっと面白いものを。

 そうした思いこそが、この国を豊かにしてくれる。


 ……それが、あなたの夢なのね。


 熱心に語るベイオの言葉に、ファランはそう思った。

 同じ夢なのに、なぜこうも違うのだろう。

 自分が見る……いや、強制的に見せられる夢は、無惨なものばかり。


「わたくしだって、夢を見て良いはずよね」

 そうつぶやいたファランに、ベイオは満面の笑みで答えた。

「もちろんさ。夢を見るのは自由だよ。実現させるのは大変だけどさ」


 ……なんて、まぶしい笑顔なの。


 彼のひたむきで前向きな瞳が、心に突き刺さる。

 あの夢が指し示す災厄が何であろうと、ベイオが夢を実現するのを見たい。

 そう、それが自分の夢だ。誰かに見せられたものではなく、自分自身で掴み取った夢。

 絶対に、手離しはしない。


* * *


 ……老師と呼ばれるようになって、何年たつかのぅ。

 ゾエンから予知夢の話を聞いて、シェン・ロンは胸中でつぶやいた。

 積み重ねた知識と経験に、いかほどの価値があるのやら。明らかにこれは、国が滅ぶという警告だ。しかし、一体どんな手が打てるというのだろう?


「まずは、内乱を想定して策を練るしかないじゃろうな」


 思い浮かぶのは、当たり障りのないものばかり。なんとも、もどかしい。


「災害の線はありませんか」

 ゾエンの言葉は、質問というより確認だった。

「姫様は、獣の顔は多数の人の顔が重なっていた、ともうしたのじゃろ。なら、人が起こすものじゃな。それも、多数の……」


 言葉を切り、考え込む。


「老師、どうなされましたか?」

「……いや、なに」

 ゾエンの問いかけに、首を振りつつこたえた。

「国外から攻め込まれる可能性を考えておったのじゃ」

「まさか、そればかりは」

 ゾエンが戸惑うのも無理はない。ここ百年以上、北方の蛮族との小競り合いはあっても、半島の付け根を大国の中つ国が押さえている以上、この国に攻め込める敵はいなかったのだから。

 属国として、国の主権を差し出す代償として得た平和だ。中つ国が滅びでもない限り、この国に戦禍が及ぶことはない。


「しかし、そうなると都の様子が気がかりです。春になったら一度、陛下への報告もかねて、上京してみます」

 ゾエンの言葉にうなずきつつも、何か大事なことを見落としているような気がしてならない。

「わしも同行したいが、流石に姫様を女官どもに任せきりにはできんのでな」

 何より、ベイオから目が離せない。それが一番の理由なのは、流石にどうか。

 やや、自嘲気味になってしまう老師だった。


 ゾエンが部屋から退出したあと、シェン・ロンは暫く縁側の方をぼんやりと眺めていた。そろそろ昼に近い。


 ……長々と話しても、具体策はなにもなし。いつもこうなってしまうのぅ。


 と、庭の植え込みの影で、白い衣が日を浴びて明るく見えた。下女にしては白すぎると思ったら、案の定。


「姫様、そんなところで何をしておられますのじゃ?」

「あら、見つかってしまいましたわ」

 盗み見を悪びれもせず、ファラン姫が植木の影から現れた。


「ゾエン殿とのお話は終わりまして?」

「うむ、まあそうじゃな」

 その内容の乏しさにうんざりしていたところだが。


「なら、たまには屋敷から出てみては?」

 意外な誘いに、老師は少し驚いた。


「ほう。何か面白いものでも?」

 問われて、ファランは満面の笑みで答えた。


「ええ。ベイオがまた何か作ってます」

 姫の口調は楽しげだった。


「左様か。それは是非、見ておかないといけませんな!」

 心が浮き立つと、立ち上がる身のこなしも軽くなる。


 秋空の下、老師は弟子と連れだって屋敷の門を出た。

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