第9話 商談
翌朝、夜明け前に起き出したベイオは、母親の水汲みについて行った。
「もう大きいから、水汲みもできるよ」
「ありがとう。ベイオは優しいのね」
ベイオくらいの歳になれば、子供が親の仕事を手伝うのは普通のことだった。アルムも、あれで結構手伝っている。
手桶を持って、母親に並んで歩く。
しかし、今日は手伝いだけではない。
「あら、ベイオ君じゃないの」
井戸端には既に何人か女たちがおり、声が上がった。
ベイオは丁寧にお辞儀した。営業スマイルで。
「おはようございます、お姉さんたち」
((((お、お姉さん))))
ズキュン、といくつもの心臓が射貫かれた。
ベイオからすれば、母親と同年代とは言え、全員二十代だ。オバサン呼ばわりは失礼だと思っただけだが。
「その手桶、お前が作ったんだって?」
「はい」
「あたしにも作ってくれないかねぇ」
「それなんですが」
ベイオは手桶を足元に置くと、懐から木の札を出した。「ベイオ 二日」の引換券だ。
「綺麗な札ね。でも、なんて書いてあるの?」
女性の中で年若い一人が、困ったように眉をひそめた。
この国では識字率が低い。女性は特に低い。
ベイオの母親が代官屋敷で働けるのは、珍しく読み書きができるからだ。
「僕が二日かければ作れるモノと、この札を交換します」
「二日で?」
「はい。たとえば、この手桶がそうです」
木材を一晩浸けて柔らかくし、桶の形に丸めて乾燥させるのにもう一晩。
「それいいね! あたしに一枚おくれ!」「あたしも!」「私も!」
大変な人気だ。
「でも、遊びで作るんじゃないので、この札も交換になります」
営業スマイルで商談を進める六歳児。
本人はまるで気が付いてないが、賢く礼儀正しいばかりか、結構これで容姿も整っている。
奥様達のハートをガッチリ掴んで、まさに「幼児版みの〇んた」だ。
「何となら交換してくれる?」
口々に尋ねる女性たち。
「そうですね。まず、木材を譲ってくれた木こりのオジサンにお礼したいので、お酒かお米を一合。あとは、魚とかお肉とか、お漬物とか」
具体的な品目を列挙する。
「魚の干物なら」「明日の市でお酒を」
あっという間に揃いそうだ。
「それから、工具も。今は借りてますが、毎日は無理なんで」
どんどんと欲しい物を伝えていく。
そっとベイオの足元から手桶を回収し、がら空きになった井戸で水を汲み終えると、母親は胸の内でつぶやくのだった。
ベイオ……恐ろしい子!
********
一気に忙しくなった。
その日の夕方には工具が届いた。流石に一軒の家では揃わなかったので、引換券が数枚はけた。
「うーん。ちょっと手入れがいるかな?」
どれも、しばらく使っていなかったのか、錆が浮いている。しかし、刃物は研げばいいだけだ。やり方は教わっている。
問題は鋸だ。
……アサリが潰れてる。僕に目立てが出来るかな?
鋸の胴の部分が木材とこすれると余計な力が必要だし、下手をすると挟まって動かなくなる。そのため、鋸の刃は互い違いで左右に角度が付けられている。これがアサリだ。
使い続けていると、このアサリの角度が潰れて平らになってしまうのだ。
目立てとは、刃を曲げてアサリの角度を付けることだ。しかし、全ての歯に同じ角度を付けるのは熟練を要する作業で、工業高校の教師でも出来るものは限られていた。
前世ではむしろ、鋸の刃は使い捨てに近かった。
工業化も、進みすぎると不便だな。
そうは言っても、替えの刃なんてない。ダメもとで挑戦するしかないだろう。
が、いきなり失敗しても困る。まずは、折れたりして使えなくなった鋸を探して、練習台にしよう。
翌朝、井戸端の「お姉さん」たちに相談する。
「折れた鋸? そんなの何に使うの?」
「手入れの練習に使うんです」
「ああ、それだったら、うちに何本かあるよ。最近、鋳掛屋が来なくてね」
壊れた金属製品を鋳つぶして、あれこれ作るのが鋳掛屋だ。
その「お姉さん」の旦那は、仕事があれば大工をやるそうだ。ここしばらくは仕事が続いていて、鋸を何本か潰すほど忙しかったらしい。
……木こりのオジサンも、その口かな?
どうやら、代官の屋敷で改築か増築をやっているようだ。しかし、人を集めて短期間に仕上げるより、のんびりと少人数でやっているらしい。
その日は、昨日持ち寄られた他の工具の手入れで一日が終った。アルムは小刀を研ぐのをしばらく見ていたが、退屈だったのか帰ってしまった。
しばらくして様子を見に行ったら、父親の仕事に使う粘土で、謎の泥人形を作ってた。
叱られなきゃいいんだが……。
翌朝の井戸端。大工の奥さんから、折れたり刃が欠けたりした鋸を数本、渡された。
よし、これで目立ての練習ができる!
朝食後、アルムがやって来た。
「ベイオ、今日は何して遊ぶ?」
しかし、ベイオは鋸の刃を見せて言った。
「ごめんよ、今日は遊べないんだ」
しょぼんとして帰る姿は可哀想だが、目立てもその練習も単調な作業だ。そばに居ても飽きてしまうだけだろう。
気を取り直して、練習を始める。
小さな、先のとがった金づちで、鋸の刃を一本ずつ、一つ置きに叩いて角度を付けていく。そして、ひっくり返しでまた一つ置きに叩く。
最初はアサリ角度がなかなかそろわなかったり、叩きすぎて刃が折れたりしたが、最後の一本は良い感じになった。
手元の方を布で巻き、試しに木切れを引いて見る。あまり力は入れられなかったのに、ズッズッと引くことができた。
これ、折れてるから柄は付けられないけど、使えるかも?
時刻は昼過ぎ。この感覚を活かせば、本番の鋸も今日中に目立てができそうだ。
そう思った時だった。
「ベイオ!」
突然、アルムが戸口から駆け込んで来て、ベイオに飛びついた。
「わぁ! 危ないよアルム、これ刃物なんだから――」
「ベイオ! 変なやつ!」
「え?」
アルムが指さす戸口を見ると、小さな人影があった。逆光で顔は良く見えないが、頭には半円形の耳がピンと立っている。腕を組んで仁王立ちし、腰からは細長い尻尾が伸び、大きく左右に振れている。
「オマエが、ペイオ、か」
逆光なのに、その瞳が金色に光った。
「オレと、しょうプ、しろ!」
ベイオは道具を置いて立ち上がると、アルムを連れて戸口へ進んだ。
「えっと……僕はベイオ。それと、勝負って言ったの?」
相手は、アルムより少し背が低い。そして、アルム父のように唇が分かれていて、頭髪は金と黒の縞模様。細長い尾も同じ、しましま。
「……し〇じろう!」
気が付くと、丸い耳をモフモフしてた。
「ヤメロ! さわるな!」
虎人族の少年……というより、幼児だが、彼は跳び下がって一声吠えた。……が、年相応なのか「にゃお!」としか聞こえなかった。
見た目も、幼児向けアニメのコスプレをした幼稚園児そのもの。
「しょうプ、しろ! アルムはオレのヨメ!」
幼い外見なのに、随分思い切った主張だ。
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