第14話 宣戦布告
ひと月はあっという間に経った。その間に雨季が始まって終わり、夏が訪れた。
そして、手桶百個の納期も。
全く同じ作り、同じサイズの手桶がそれだけ並べられるのは、なかなかの壮観だった。
それを積み上げて紐で縛り、何人もの下男が背負う。これらを手土産として、代官は都へ上るのだという。
毎年、代官は晩秋に上京する。秋の収穫物を税として納めるのが目的で、そのまま冬を向こうで過ごして春に戻るのだ。しかし、なぜか今年に限っては夏の初めに上京し、秋口に戻るという。晩秋の納税とは別に、だ。
通常なら、税として村から搾り取った品の上物を賄賂や土産とするのだが、それが出来ないからベイオの手桶に目を付けたわけだ。
異例ではあるが、ベイオにとってはどうでもいいことだ。それより、残りの紙を全紙でもらう方が重要だ。来春ではなく来月なら、なおさら有り難い。
すでに頭の中には、その紙の上に引きたい設計図のアイディアが、渦を巻いているのだから。
よほど土産の手桶が待ち遠しかったのか、そのまま代官は出立するという。何とも慌ただしいが、おかげでベイオは、この国では珍しい物を見ることができた。
……車だ。初めて見た。
そう、車だ。代官が長旅のために乗った物には、確かに車が付いていた。
一輪車ではあるが。
二本の棒を四人で担ぎ、その上に代官が座る椅子が載せてある。その椅子の下から伸びた一本足の先に、車が付いていた。
直径五十センチほどの小さな車が一輪のみ。
一輪車なのは、同じ大きさの車輪が作れないからだろう。サイズが小さいのは、木材の加工技術が低く、一枚板から削りだすしかないからだ。そして、このあたりの樹木は、精々それくらいの太さしかない。
そんな小さな車輪では、舗装もされていない街道で泥にはまれば動けなくなる。
だから、「輿」なのだろう。普段は下男が担ぐ。停まったり整地された所を進むときだけ、車輪で支えるのだろう。
実際、その車輪は代官屋敷の門を出た途端、小さな窪みに嵌った。それでバランスを崩し、輿はよろけた。
そのおかげと言ってはなんだが、ベイオはもう一つ、この世界ならではの物を目撃した。
怒りに顔を真っ赤にした代官が、手にした釈を下男の一人、よろけてうずくまった者に向けると、何事かつぶやいた。
「……雷撃!」
釈の先から光球が放たれ、その下男に命中した。
悲鳴を上げて下男は倒れ、輿は先ほどよりも大きく揺れた。後ろ側の下男二人が必死に踏ん張らなければ、輿は転倒したはずだ。
そして、すぐに他の下男が交替して、輿は村の出口に向かっていった。ベイオの作った手桶など、荷物を担いだ下男たちがあとに続く。
……魔法だ!
心の中でベイオは叫んだ。正確には「呪法」で、母から聞いたことはあったが、どこか昔話のようで現実味が無かった。
しかし、確かに存在するし、使われもするのだ。
倒れて動かなくなった下男は、門の脇に放置されていた。
心配になったベイオは、そばに寄って声をかけた。
「あの……お兄さん、大丈夫?」
返事の代わりに、低いうめき声が返って来た。
……まだ息がある。助けないと!
うつ伏せに倒れた下男は、まだ十代に見えるくらいの年齢だった。白い着物の背中は黒く焼け焦げていて、酷い怪我になっていないか心配だった。
襟首から覗いてみると、思った通り、火傷になっていた。早く冷やさないと、治りが遅くなる。化膿なんてしたら、命に係わるかもしれない。
周りを見回すが、誰も近寄らないし、目を合わそうともしない。
代官に睨まれたというだけで、この青年はもう、村から見捨てられてしまうのか。
……お母さん!
それでも、ベイオの母は近づいてきた。そして、青年を助け起こし、肩を貸して立たせた。
「うちに運びましょう。確か、薬の残りがあったはず」
母の後について歩くベイオ。屋敷の外で待っていたアルムとジュルムも駆け寄って来て、皆で家に向かう。
青年はヨンギョンと名乗った。ベイオの家で腹這いとなり、薬を縫った上から濡らした布で冷やし、何とか話せるくらいに回復したのだが。
……絶望しきった様子だった。
「もう……お屋敷では働けない。クビだ」
この村で代官に睨まれたら、もう人間扱いされない。賤民扱いだ。耕す田畑は与えられず、かといって代官屋敷で働くこともできない。
「でも、暮らしていけるよね」
そう言って、ベイオは傍らのアルムやジュルムを見る。
この国の厳格な身分制度では、賤民は最下層だ。そのかなりを占めるのはアルムたちのような獣人だが、ヒト族も少なくない。
上から、王族、貴族、上民、中民、下民、賤民。
上民までが「呪教」を学び、呪法を駆使し、「科挙」を受験して国の支配階級の上級官吏となれる。
中民は「呪教」の一部までしか学べず、下級官吏にしかなれない。
下民はそもそも、文字を学ぶことを許されず、農民や漁民として生産活動を支える階級だ。それでも、代官などに下男として使えることができれば、遥かに生活は安定する。
とはいえ、所詮はその程度。下民までは税を納める義務を背負うが、賤民はそれさえない。かわりに、耕す田畑は与えられず、開墾も許されない。職業や居住地の制約は厳しいが、ある意味、自由放任されている。
現に、ベイオなどはジュルムから聞いた放浪の旅に、ある種のロマンすら感じていたくらいだ。
とは言うものの、人にはそれぞれ事情がある。
「もう……ミンジャには会えない」
そう言って涙にくれるヨンギョン。
なるほどな、と納得するベイオ。
聞けば、ヨンギョンは天涯孤独の身だという。幼い時の飢饉で両親を亡くし、この村の親戚に引き取られた。そしてそこで出会った娘、ミンジャと恋仲になり、将来を誓い合った矢先だったと。
賤民に娘を嫁にやる家など、あるはずがない。
「じゃあ、僕と一緒に頑張ろうよ」
ベイオはヨンギョンに向かってそう言った。
自分の目的は、この国を工業化すること。それには貨幣経済こそが重要で、身分制度なんて邪魔なだけだ。
邪魔なら、壊しちゃうしかないよね?
自分でも、不穏な事を考えているという自覚はあった。
最初は、田舎で好きな工作に励んで、周りの人に喜んでもらえれば満足だった。手桶もそうだし、今作ろうとしているものもそうだ。
しかし、それではだめだ。不十分だ。
あの魔法……呪法を目の当たりにして、確信した。
この国……いや、この世界は歪すぎる。
雷って、電気だよね? 電気! 電気! 電気だよ!
そう、電気だ。この世界にも電気があり、電気を作り出せるのだ。なら、電動工具だって作れるはずだ。薄暗い灯明ではなく、電灯で夜を照らすこともできる。
この世界に生まれて、ずっと目にしてきた、体験してきた、味わってきた貧しさから、解放できる、されるはずなのだ。
それらの役立つ物、「資本」を活用出来さえすれば。
ベイオの技術、アルムたち獣人の膂力、そして呪教の魔力。これらを活用すれば、「富」が生れる。それをうまく分配できれば、みんなが潤う。
それこそが、本来の意味での「資本主義」だ。社会全体を豊かにする、という思想。
もう、絶対に嫌だ。煮込んだ木の皮で飢えを満たすなんて。身体の芯まで冷える寒さで、お母さんと身を寄せ合うしかない夜なんて。昨日まで一緒に遊んでいた子が、冷たくなってるなんて。
心の奥底から湧き上がってきたのは、忘れていたこの世界での六年間。幼いながらに、残酷なまでの貧しさが、その記憶に刻まれていた。
貧しさは人を殺す。だから悪。
僕は、悪を、許さない。
戦いだ。武具の代わりに工具を持ち、敵の屍ではなく価値ある生産品を積み上げ、飢餓と貧困という魔王を打ち倒す戦いだ。
絶対に勝たなければ。いや、勝てる。勝てるに決まってる。
僕は、あの世界で一番の工業国、日本の子なのだから。
父さんや母さん、お祖父さんやお婆さん、その先もずっと戦ってきた。戦争に負けても、この戦いには勝ち続けた。
あの運命の日。靖国神社で待ち合わせまでの時間に考えていたこと。あの時はただ、ぼんやりと考えていたに過ぎなかった。ご先祖様が頑張ってくれたから、今の自分がいるのだと。
今はもっと深く分る気がする。
どんなふうに、何を頑張ったのか。
絶望的な状況で、何を残そうとしたのか。
家も何も残らなかった焼け跡から、どうやって経済大国にまで上り詰めたのか。
僕にも出来るよね? だから僕、ここに生まれ変わったんだよね?
神か誰か分らないが、自分をここに送り込んだ存在に問いかけながら、ベイオはヨンギョンに向かって尋ねた。
「僕と一緒に、働いてくれますか?」
青年は、戸惑いながらも頷いた。
これが、ベイオの宣戦布告だった。
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