第19話 監察使
小屋には、ベイオが作った仕掛けが三つ並んでいた。それらを動かすのは、小屋の隅を貫く一本の横軸で、今はまだ止まっている。
軸は小川に面する壁まで延び、そこに歯車が付いていた。その上にも歯車があり、壁の縦長の窓から突き出た水車の軸に取り付けられていた。しかし、二つの歯車は離れていて、噛み合っていない。
「よし、動かすよ」
そう告げると、ベイオは傍らにあるハンドルを回した。水車の軸が下がり、羽車が流れをとらえて回りだす。そこで一旦ハンドルを止め、歯車の噛み合うタイミングに合わせて一気に下げた。
ガシャッ、と音を立てて歯車が噛み合い、長い横軸が回りだす。
「成功だ!」
ベイオは跳び上がって手を叩いた。アルムもピョンピョン跳び跳ねてたが、残りの仕掛けが止まったままなのに気づく。
「ベイオ、こっちは動いてないだよ?」
「ああ、そっちはね、勝手に動き出すと危ないからだよ」
ベイオは水車に一番近い仕掛けの前に立った。アルムも知っているものだ。
「これ、おらの小屋の前にあった仕掛けだ」
「そう、旋盤だよ。これで、他の人に回してもらわなくても、一人で使える」
足下のペダルを踏むと、旋盤の軸が横軸と繋がり、回りだした。
「これを踏む力加減で、回る力が調節できるんだ」
いわゆるクラッチだ。他の仕掛けも、この部分は同じ仕組みになっている。
ペダルから足を離すと、旋盤は止まった。
「こっちは穿孔盤。真っ直ぐな穴を開ける仕掛けだよ」
前世ではボール盤と呼ばれていた装置だ。
横軸から歯車を介して垂直に軸が延び、天井近くでまた歯車を介して、別な軸が台の上まで降りてきていた。軸の下端は伸縮するようになっていて、錐が取り付けられていた。
「ちょっと試してみよう」
そばにあった木片を台に置き、ペダルを踏む。錐が回りだし、レバーを下げると木片に穴を穿っていく。
位置をずらして三つ穴を開けた。見ようによっては顔に見えなくもない。
「これが一番苦労した。動力鋸だよ」
一番水車から遠い台は、端に開けられたスリットから鋸の刃が垂直に突き出している。ペダルを踏むと、その刃が上下に動き出した。
台の下にはクランクがあり、回転運動を上下運動に変えている。苦労したのはこの部分。
ちなみに、取り付けられている刃は、ベイオが目立ての練習台にした、折れた刃だった。何かに使えると思っていたが、ようやく役に立った。
ベイオは穴を開けた木片を動力鋸の刃にあてがい、角を落としていった。上の方だけ内側に切れ込みをいれて、その間をノミで割り取る。
大雑把だが、狼の頭になった。
「はい、あげるよ」
「ありがと!」
気に入ってくれたみたいだ。
「おらも、何か作ってみたいだ!」
アルムの瞳が輝いてる。
「いいよ、ただ気を付けてね。危ないと思ったら、この板から足を離すこと」
動力工具や工作機械の扱いは、学校でも特に厳しく教えられた。ここでもそれは必要だ。
……アルムの指が無くなったりしたら大変だからね。
最初は手取り足取り教えよう。
そう、ベイオは心に決めた。
夏の間、ベイオは新しい量産品の開発に取り組んだ。今度作るのは桶だ。手桶より大きなサイズなので、曲げ木で作るには板材の幅が足りない。だから、幅の狭い板を円筒状に並べ、たがをはめて固定する作り方になる。
同じサイズの板を大量に切り出す必要があるので、今までは人手がかかりすぎて無理だった。しかし、動力鋸があれば話が違う。使い方さえ飲み込めば、誰にでもできる。
ちょうど今、アルムが夢中で木片を切り刻んでるように。
「できた!」
掲げて見せたのは、粗削りな人形だった。
最近は暇さえあればこうして何かを作ってる。木片を刻んだ人形とか、水車ろくろで作った器とか。
試しに市に出してみたら結構な人気で、食料などに交換された。意外と、工芸の才能があるのかもしれない。
市といえば、ベイオの手桶は既にこの村の特産品扱いとなっていた。行商人が仕入れて、周囲の村でもさばいているらしい。
さらに、それらを運ぶため、荷車を求める商人も出てきた。これも、量産できさえすれば、一気に普及するだろう。
そして、大きな桶。それができたら、樽だ。なんといっても、この国は液体の運搬が絶望的に貧弱なのだ。
軸受けに使う油を行商人から仕入れたときのこと。あの升のような箱に入っていたので予想はしてたが、ふたを開けたら半分近くに減っていたのだ。
担いで運ぶうちに、隙間から漏れてしまったのだろう。
きちんと密閉できる樽なら、こんなこともなくなるはずだ。そして、軽いから運ぶのも楽になる。
夏が終わり、畑が色づいてくると、誰の目にも、今年が豊作になるのがわかってきた。
夏の雨が少ない時期に、川で汲んだ水を荷車で畑に運んだのが効いたようだ。輸送が楽になれば、いくらでも用途は出てくる。
これも、素焼きの水瓶より軽くて丈夫な桶や樽なら、もっとはかどるはずだ。
そして、ベイオの新型の桶と樽の量産が軌道に乗ったある日。
すっかり色づいた田畑が借り入れを待つ頃に。
代官が都から戻ってきた。
ベイオのこれからの人生を大きく変えてしまう人物を連れて。
* * *
代官屋敷に呼び出されるのは二度目だが、今回は待遇がかなり違った。
……まさか、丸洗いされるとはな。
文字通り、頭のてっぺんから足の爪先まで、徹底的に洗われたのだ。それも、水ではなくお湯で。何人もの下女に取り巻かれて。
前世が風呂好きな日本人だけあって、本当はゆったり浸かりたかったのだが、そうもいかなかった。
そして、着替えが与えられた。いつものゴワゴワする麻ではなく、柔らかい木綿の着物だ。色はいつもと同じ白だが、輝くような純白だった。
そして、座るのは庭ではなく、床の上。薄手だが、座蒲団と呼べそうなものまで敷かれている。右手は縁側の廊下、左手も引き戸があるので廊下だろう。
しかも、新築だけあって、ほのかに木の香りも漂う。
そう、ここは春から建築が続いていた離れだ。ベイオの荷車が活躍したお陰で、夏の終わりまでに完成していたのだった。
……しかし、いつまでこうしてたらいいのかな?
目の前は床の間のように少し高くなっていて、畳に似たものが敷かれていた。そこにも座布団が出されているが、まだ誰も座っていない。
出されたお茶は飲んでしまった。お茶といっても緑茶ではなく、木の根などを乾燥させて煎じたものだ。
……そう言えば、こっちでは飲んだことないや。そもそも、まだ伝わってないのかも。
そんなことをぼんやり考えていたら、左手の廊下が何やら騒がしくなった。
「ゾエン殿! 奴めは下民の小
……この声は代官だな。増長なんてしないから、今すぐ帰らせてくれないかな。
「その子供の真価を見定めるのも、監察使たる私の務めです。そうではありませんかな、ヤンドン殿」
若さに溢れた、それでいて落ち着いた感じの男性の声。はじめて聞く声だ。
思えば、張りのある大人の声というものを、こちらに生まれ変わってから聞いたことがなかった。
誰だろう、と思う間もなく。
声の主がベイオのいる部屋に入ってきた。そして、ベイオの正面の席にどっかりと座った。男性にヤンドンと呼ばれた代官は、その右隣のやや後ろに、太めの身体を縮めてちんまりと座る。
そして、正面の男性は名乗った。
「俺はリウ・ゾエン。国王直属の監察使だ。君がベイオか? あの素晴らしい手桶を作ったという」
その言葉の通りなら、代官よりはるかに高い地位にあるはずだ。それなのに、ざっくばらんな口調。すごく新鮮だと、ベイオは感じた。
ベイオの母も含めて、大人たちは誰もが、どこか諦めの混じった疲れた声だ。子供は違う。屈託なく笑いながら、気がつくと居なくなるのだ。しかし、生き延びると疲れた大人の仲間入りをする。
ゾエンと名乗った男……見たところ、二十代後半。青年と言ってよいだろう。澄んだ瞳はまっすぐにベイオを見据えて揺るがない。なのに、畏怖よりも暖かさを感じた。
着ているのは青く染められた衣。それだけでも位の高さがわかる。
……色のついた布地を見たの、こっちに生まれてから初めてだ。
「はい。僕がベイオです。手桶など、色々作ってます」
出来るだけ丁寧な言葉を選んで答えた。
うむ、とうなずいて、ゾエンが再び口を開こうとした時。
何人かの女性の声を引き連れて、誰かが縁側をこちらに進んで来た。そして、赤と白と黒の筋が目の前をサッと横切り、ゾエンの左に座った。
「ゾエン殿、ご一緒させていただきますわよ?」
赤く染められた衣をまとう、白磁のような肌の顔立ち。その上に結い上げられた、烏の濡れ羽色の黒髪。
「わたくしも、このベイオという子供に興味がありますの」
ベイオと同い年か、若干年上に見える少女。
その子が、こちらをじっと見つめている。
前世も含めて、こんなに女の子から注目されたことはなかった。美少女、と呼ぶにはかなり幼いが、本来ならもっと心が浮き立ってしかるべきだと思う。
なのに、何故か「厄介なことになった」という気持ちしか湧かない。奇妙なことに。
もの凄く、いたたまれない気持ちになるベイオだった。
……ああ、早く帰りたい。
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