第79話 実験炎上

「やはり、反皇帝派が動いていますか……」

 ル・セイロンからの報告に、ゾエンはこめかみに手を当て瞑目し、つぶやいた。

 定例の朝の朝議を終え、宰相の執務室に向かう途中、セイロンの方から声をかけて来たのだった。


「先日のジェ・デスカ失脚は、格好の口実を与えてしまいましたな」

 セイロンの言葉も苦々しい。上奏文の棄却による、官職剥奪。これが、皇帝ベイオへの悪評をもたらしてしまった。

 曰く、皇帝は幼くわがままである。政をないがしろにする。支持者であろうと構わず、戯れに官位を剥奪する。

 曰く、ディーボンの侵略も先日の台風も、皇帝に徳が無いためである。

「幼帝政治を許さない、と陰でわめきたてているようですな」

 まるでどこかの野党のようなスローガンだ。

 この国に郵便ポストはないが、きっと夕日が赤いのもベイオのせいなのだろう。


 こめかみに当てた指先に力を籠めながら、ゾエンは尋ねた。

「それで、具体的にはどんな?」

「まだ何も。あちこちで会合は開いているようですが、まとまりがないのはいつものことですから」

 この国の貴族や官僚では、三人集まれば五つの派閥が出来ると言われている。二人ずつの三組と、三人全員の派閥と、それに反対する派閥だ。

 親皇帝派でも同じなのだから、まさに魑魅魍魎の世界である。


「不平不満を口にしていればまだいい。突然の思い付きで動かれるのが、一番始末に困る」

 そう、ゾエンは嘆いた。セイロンもうなずく。

 武道家は素人との対戦を避けるという。合理性を欠いた動きは予測不能なので、余計なリスクを被るからだ。この場合が、まさにそれに当たる。

 そう言いつつも、ゾエンは既視感を禁じ得ない。

 前国王との謁見でベイオが学校教育を訴えた時だ。あの場で唐突にイル・サガンに糾弾されたのも、村の代官だったヤンドンの密告だった。

 後で調べたところ、都の安酒場でサガンとヤンドンが偶然隣り合わせたのがきっかけだったらしい。上級貴族のサガンが単身でそんな場所に行くとは奇異であるが、どうやら彼の特異な性的嗜好が絡んでいるようだ。


 ……どちらも、あまり関わりたくない奴だな。


 国王逃亡に伴う政変の死亡者一覧に、彼らの名前は無かった。今の彼らに何ができるか不明だが、要注意人物として監視を続けるよう、ゾエンはセイロンに伝えた。


* * *


「今日の講義は実験です」

 ベイオはそう宣言すると、生徒たちと老師たちを引き連れて、校舎を出て宮城の正門まで出て来た。

 護衛のジョルムと、実験助手としてアルムがベイオに付き従う。アルムが引く小さな荷車には、様々な機材が入っていた。


 宮城の主だった建物は焼けてしまったが、門そのものは無傷で残っていた。敷地内の残骸は片付けられたが、生憎、再建の目途は立っていない。当分、ゾエンの屋敷が皇帝の居城がわりだ。


 その宮城の正門から、ベイオは大通りの彼方、いらかの波間にそびえる南大門を指さした。

「あそこまでの距離がどれだけあるか、誰かわかりますか?」

 ベイオの問いかけに、生徒たちはざわつき、互いを見かわし、首を振った。

「では、どうやったら測れますか?」

 ざわつきの中から、ゴンゾが手を上げた。

「ええと、もの凄く長い巻き尺が要ります」

「そうですね、これくらいかな?」

 ベイオは、アルムが引いてきた荷車から巻き尺を取り出した。とはいえ、長さは十メートルほどしかない。

「これで尺取虫みたいに測りながら進んでも良いんですが、時間もかかるし、間に建物や谷間や川があったら無理ですよね」

 実際、南大門までの大通りは途中でカーブしており、門は街並みの上に姿を覗かせているだけだ。

 そこで、三角測量の実演だ。丁寧に方角を合わせ、算木盤で計算する。

「大体、千八百メートルですね」

 ふと、前に都で実演したときは殺されかけたんだよな、などと不吉なことを考えてしまった。


 ……ま、あの王様はもういないし。


 あれから半年しか経っていないというのが、何だか不思議だ。もう何年も前に思える。


 ベイオは生徒たちにも同じようにやらせた。原理については、明日の座学で詳しく教えることにして、今はモチベーションを高める段階だ。

 これから学ぶ内容が、どのような役に立つのか。何ができるようになるのか。昨日の講義では、今一つ飲み込めていなさそうだった。なら、直に体験させるのが一番だ。


 しばらくして生徒全員が測量を体験し終わると、口髭を蓄えた壮年の男がベイオの前に立った。

「私にもやらせて頂けますかな?」

「ええ、もちろんですよ、シスンさん」

 元水軍使のリウ・シスンだ。ちなみに、シェン老師とイロンは以前にやったことがあるので、一歩下がって彼を見ている。

 シスンは教えられた通りに角度の測定を終え、不馴れな手つきで算木盤を操作する。

「なるほど、これは天測で使う六分儀に似ておるな。こうして離れた場所から距離がわかれば……」

 彼方の南大門を睨みながらつぶやき、考え込んだ。

 その様子に、ベイオは言葉をついだ。

「海の上でも相手との距離がわかれば、色々役立ちますね」

 あえて「火砲で狙うとき」とは言わなかった。やはり、自分の作ったものが人を殺すところは想像したくない。甘かろうと、女々しかろうと、いたたまれないからだ。


 全員が体験し終わると、ベイオは器材を荷車に戻した。丁度そこで、昼の鐘が鳴った。

「午前の講義はここまで。明日の講義では、このやり方の仕組みを説明しますね」


 生徒や老師たちが食事と午後の講義のために校舎へ戻るのを見送って、ベイオはアルムとジュルムに告げた。

「次の実験の準備をしたいんだ。手伝ってくれる?」

 二人ともうなずいてくれたので、アルムに荷車を引いてもらって、ベイオは南大門へと歩き出した。その後にジュルムが護衛として付いていく。


 門に着くと、門衛に荷車を預けた。測量器はそのままで、アルムが別な荷物を下ろすと、ジュルムが持ってくれた。


 ……ジュルム、以外と紳士だな。


 ベイオは少し感心した。

 三人で門の楼閣へと上った。楼閣は石造りの門の上に築かれた二階建ての建物で、欄干から都を一望できた。

「わあ、いい眺めだね」

「風が気持ちいいだ!」

 ベイオとアルムが欄干から身をのりだして歓声を上げた。しかし、二人の後ろでジュルムは落ち着かない。

 どうも、アルムとの勝負で高い木の上から降りられなくなったのを引きずってるらしい。トラジマのトラウマだ。


「じゃ、お弁当にしよう」

 ベイオはジュルムが持つ荷物をほどくと、雑穀餅を三つ取り出して二人に配った。そして、欄干にもたれ掛かって腰を下ろし、三人並んで座った。

「いただきまーす」

 村にいたときは、よくこうして三人でものを食べていた。都に来てからは、ジュルムはジーヤだちと納屋で寝起きするようになったし、食べるのも白米になった。

 しかし、先日の朝議で穀物不足を知ってからは、エンジャに頼んで自分の分は雑穀にしてもらった。

 硬い雑穀も、よく噛めば味が出てくる。モグモグ噛みながら、ベイオは楼閣の天井を見上げた。


 ……こうして見ると凄いな、虹梁こうりょうの細工。


 虹梁とは、屋根を支える主柱から軒を支える向拝柱に張られる部材だ。屋根の傾きに沿って曲線を描くので、海老虹梁とも呼ばれる。

 この楼閣のものは特に幾重にも重なり、装飾を施され、緑を基調に塗装されていた。


 ……でも、やっぱりアカマツなんだな。


 何となく、このての建築物はヒノキという思い込みがあった。もちろん、アカマツも耐久性に優れた木材なのだが、木目の美しさではヒノキが一番だ。

 前世でそう言ったら、先生に「曰野清はヒノキ良しだな」と言われたのを思い出した。


 ……あ、ヤバイ。


 鼻の奥がツンとした。急いで最後の餅の欠片を飲み込むと、ベイオは立ち上がった。

「じゃ、実験を始めよう。アルム、下に降りてよく見てて」

「うん、いいだよ!」

 パッと駆け降りていく。

 すぐに、真下の辺りに走り出て、こちらに手を振ってきた。

「今から棒を落とすから、少し離れて!」

 そう伝えて、ベイオは荷物から長さ一メートルほどの二本の棒を取り出した。片方は鉄、もう片方は木の棒だ。太さも長さも同じ。

 やろうとしているのは、ガリレオの落下の実験だ。重い鉄も軽い木も、同じ速度で落ちるというもの。思い込みではなく、実際に確かめることの大切さを伝えたかった。

 ピサの斜塔ほどではないが、宮城が焼けてしまった今、この南大門の楼閣は都で一番高い建物だ。そして、玉ではなく棒にしたのは、空気抵抗を減らすため。

 二本の棒を手に、ベイオは欄干から身を乗り出した。その後ろで、ジュルムは護衛として周囲に目を凝らしていた。護衛のためなら、トラウマも気にならないらしい。

「行くよー!」

「いーだよー!」

 投下。思った通り、二本の棒はほとんど同時に地面に達した。鉄の方はそのまま刺さってしまったが。

「どっちが早かった?」

 ベイオの問いかけに、アルムは首をひねってから答えた。

「よくわかんなーい!」

 獣人の動体視力でも見分けがつかないと言うことだろうか。それならいいが、もっとハッキリと同時だとわかる方がいいだろう。

「アルム、もう一度やるから、棒を持って――」

「あプない!」

 ジュルムに欄干から乱暴に引き剥がされ、ベイオは床の上に尻餅をついた。その頭上を掠める、一条の炎!

「何? 何なの?」

 何本も、炎の矢が飛んできては背後の壁や柱に突き刺さり、至る所で燃え上がる。間違いない。呪法による攻撃だ。油脂分を多く含むアカマツは、ただでさえ燃えやすい。しかも、夏の間ずっと日照りが続いたため、火の回りが早かった。

「ペイオ! 逃げないと!」

 ジュルムが階段へと誘導するが、既にそこからも炎が吹き上げてきた。


 ……これって、暗殺!?

 

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