第5話 工作その2
松脂が固まってしっかりと接着された底板と「治具」を抱えて、二人は裏手のアルムの家へ向かった。
そう言えば、松崎先生、どうしてるかな……。
ベイオ……いや、前世の日野少年に松脂の使い方などを教えてくれた、母校の教師を思い浮かべる。木工部の顧問だった松崎教諭は、同姓同名の某タレントと同じくらいに日焼けした、アウトドア派だった。夏が来るたびに、「暑いからセンセイ、出張して」なんて生徒たちにイヂられてた。
おかげで、年に何度も合宿と称して野山に連れ出され、サバイバルっぽいことを仕込まれたのだが、これが今はもの凄く役立ってる。
……俺が死んじゃって、悲しませたかな。
そんな風にちょっとセンチになってると、アルムのツッコミが来た。
「ベイオ、お腹痛いのか? お腹すいたのか?」
お腹以外ないのかよ! とツッコミ返しそうになったが、ベイオは耐えた。太陽はそろそろ西に傾きだしている。日本なら昼飯時を逃した感じだが、このあたりでは朝夕の二食が普通だ。
「大丈夫だよ。次にやることを考えてたんだ」
とはいえ、やることは決まってる。
ベイオの家の裏手は村のはずれで、そこに立つ粗末な――ベイオの家よりも粗末な小屋が、アルムとその父の家だ。むしろ、そのさらに裏手、禿山の斜面に沿って築かれた焼き物の釜の方が、ずっと立派だった。
「こんにちは。アルムのお父さん、いますか?」
戸口にかけられた扉代わりの幕が
アルムと同じ赤毛を短く刈り上げ、同じ琥珀色の瞳に、狼の耳と尾を持つ偉丈夫。身にまとっているのは、野獣の毛皮のみ。おそらく、自分で倒した獲物のものだろう。
しかし、ただ一か所だけ、顔の造作でアルムと異なる部分があった。
明日は家にいる。そうアルムは言ったので、念のために声をかけたのだが。今日もいたようだ。
両手を見ると粘土まみれなので、明日焼く器などをこねていたのだろう。だとすると、都合が悪いかもしれない。
今、ベイオがやろうとしているのは、アルム父の
「アルムのお父さん、轆轤を今日使いますか?」
アルム父は、首を横に振った。そして喋り始めたが、残念ながらベイオには聞き取れない言葉だった。
アルムが通訳する。
「おとうがね、明日焼くのは土偶だから、轆轤は使わないって」
土偶とは、この国の魔法……呪法で占いなどに使う、素焼きの人形だ。それほど大きくなくても、複雑な文様を刻むので手間がかかるらしい。使うのは代官か、その上役だろう。
なるほど、それなら轆轤は空いてるな。
「じゃあ、轆轤を借りてもいいですか?」
ベイオの問いかけに頷くと、彼は小屋の中に戻った。
アルムの父親は、ベイオたち人間の言葉が喋れない。聞き取ることは出来るのだが。
理由は、その唇が左右に割れているからだ。人間にも口唇裂は稀に見られるが、彼の場合は犬や狼のように左右の唇が丸くなっている。
これが普通の獣人の特徴だという。そのため、いくつかの子音が発音できない。
アルムの唇が割れていないのは、母親が人間だからだ。その母親は、アルムを産むときに亡くなったと聞いている。
どれも、ベイオが産まれてすぐ、彼の母がここに住むようになったころのことだったという。
ベイオは父親を知らず、アルムは母親の顔を知らない。
……そういや、前世も父親はいなかったしな。
名前も、写真だけだが顔も知っている。しかし、記憶には一切存在しない父親。母親から夫との思い出を聞かされたことはあるが、実感が無い父親。日野少年が三歳の時に、交通事故で他界したという。
こっちの父親なんて、お母さんも何も言わないし。
少なからず、奇妙な事ではある。
……が、今はやることがあった。
アルム父が普段使っている轆轤も、やはり自作のものだと言う。平たく剥がれやすい粘板岩を丸く削り、軸の上で回転させるものだ。石が安定して、ぶれずに滑らかに回転するのは、かなり高度な技術のはず。
そして、これにさっき作った治具を組み合わせれば、簡易型の旋盤になるのだ。
治具は二つの部分からなっている。昨日拾ってきた小さな平たい板材に錐で穴をあけ、家にあった先端の折れた釘を打ち込んだものだ。先端は数ミリほど板から出ているだけで、丁寧にヤスリで丸めてある。
もう一枚は、長さ三十センチほどの板材だ。片方に切れ目を入れてある。丁度、小刀の背中がはまるくらいの切れ目だ。
そして、釘を刺した木片を挟むように、二枚の細い板を松脂で接着してある。木片はある程度の範囲を、自由にスライドさせられる。
早速、小屋の前に設置された轆轤を借りる。継ぎ合わせた底板をその上に載せ、その中央に張り付けた二枚の銅銭に、治具の軸となる釘の、丸めた先を突き立てた。
そして、治具の端の溝に、小刀を挟み込んだ。
「よし、じゃあアルム、これをしっかりと押さえていて」
「わかった!」
ベイオはゆっくりと轆轤を回し始めた。小刀の先端が、継ぎ合わせた板の角を削る。折り取ってささくれだった部分が切り飛ばされていく。小刀や治具には、そのたびに少なからず衝撃が走るが、そんなものはアルムの魔力で強化された握力が押さえつけてしまう。
「少しずつ、小刀のはまった板を、内側にずらして。そうそう」
回る板材が小刀に当たるたびに、だんだんと板は円形に整っていった。途中、切れ味の落ちた小刀を外し、何度か研ぎ直す。
刃物の研ぎ方は、実習で何度もやらされたから慣れている。
「ベイオ、これ以上、板が動かないだよ?」
「よし、じゃあ底板は完成だ」
治具を外してみる。綺麗な真円に削られた、手桶の底板が現れた。
「まん丸だ。お月さまみたいだ」
アルムは気に入ったみたいだ。
「そうだね。でも、これは後で剥がさないとな」
しっかりと張り付いている銅銭が二枚。温めれば松脂が融けて剥がせるはずだ。
穴の開いてない方の銅銭は、かなり真ん中が削れてしまったけど……大丈夫だよね?
気が付くと、もう日はすっかり傾いていた。そろそろベイオの母親が返ってくるころだ。
家の中を片づけておかないと。
そして、明日のための準備だ。
いよいよ、手桶作りの一番のハイライトだ。
多分、この国にはまだない技術なんじゃないだろうか?
……その前に、やっぱり叱られた。
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