第3話 ミズナラ
しばらく裏山を登って振り返ると、ベイオたちの住む村が一望できた。
貧しさを絵に書いたような光景だった。
ベイオと母の住む小屋もそうだが、ほとんどの家は
母が下女として働く代官の屋敷も、ただ横に広くなって、土塀に囲まれているだけの違いだ。
瓦は相当貴重なのだろう。
村の周囲には田畑が広がっているが、米はほとんど年貢として取られてしまい、ベイオのような庶民はほとんど口にすることはない。新年の祝いで、代官が村人たちに米の粥をふるまうくらいだ。
……今年、初めて食べて感動したんだっけ。
前世の記憶が戻る前のことだ。つい何ヶ月か前なのに、遥か昔のように思える。
「ベイオ、何見てるだか?」
アルムが不思議そうだ。当然だろう、毎日見慣れてる光景なのだから。
「何でもないよ、行こう」
前を向いて、再び登り出す。この裏山の樹木は、低いところはほとんど枯れるか伐採されてしまっていて、禿山に近い。焚き木に使ったり、冬の食糧難では木の皮を剥いで、茹でて食べたりした。
あれは不味かった。……死ぬかと思った。
今思うと、およそ人間が口にするものではないが、餓死したくなければ食べるしかない。それが、当たり前の国なのだ。
立ち止まって、傍らの立ち木に触れる。赤松だ。
さすがに、松脂たっぷりの固い樹皮はどうしようもなかったらしく、手つかずだった。
周りを見回すと、赤松だらけ。所々に、
建築科で学ぶ傍ら、部活動では木工部に所属していたので、木材の特徴や、その元になる樹木はかなり詳しい日野少年だった。その知識からすると、少なくともこの地方の植生は随分と単調なようだ。
「松は松脂のせいで、工具の刃が通りにくいんだよなぁ」
思わずぼやく。何か作ろうと思ったはいいが、手近な材料となれば木材だろう。で、どんな木が手に入るのかと思ったのだが。
そんなベイオとは別に、アルムはするすると木に上って、両手で枝にぶら下がった。
「ベイオも登るだよ! 楽しいだよ!」
無邪気に身体をブラブラと揺らすが、目のやり場に困る。
ベイオ自身もそうだが、このあたりの子供は下着を付けない。盛大にひらひらしている着物の裾からは、大事なところが丸見えだ。
「降りておいで。村に戻ろう」
声をかけると、アルムは数メートルの高さから飛び降りた。着地の瞬間に足を開くものだから、さらに見せつけられてしまった。
……羞恥心、ないのかよ。
本当に、昨日までは気にもしてなかったのに。中身が十八歳になったおかげで、気苦労が増えてしまったベイオだった。
獣人なんてファンタジーな種族がいるだけあって、この世界には魔法もある。東洋的なだけあって、地脈やら龍脈を流れる力らしい。六歳の子供でしかなかったベイオは、母親などから聞いてぼんやりと知ってるだけだ。
そもそも、魔法を使うためには、きちんとした教師に付いて、何年もかけて勉強しなければいけないという。そんな伝手もお金もないし、チートな才能もない。
しかし獣人族は例外だ。その力を生まれ付き体内に溜めこむことで、非常に高い身体能力を持つ。
幼いアルムも例にもれず、全力で走ればベイオは置き去りになるし、もし取っ組み合いのケンカなどしたら、ボコボコにされてしまうに違いない。
やったことはないけど。
そんなわけで、山を駆け下りるアルムを追いかけるのは、かなり大変だった。
********
村に戻って探したのは材木店。いくらなんでも、自分で木を伐採して製材するのは大変すぎる。材木店なら、木材の端切れくらいあるだろうし、タダでくれるかもしれない。
と、うっかり日本の常識で考えてしまったのだが……。
「お店、ないね」
村が貧しすぎるためか、まず「商店」というものが存在しない。ベイオとしての記憶を探っても、母に連れられて
「店」という単語があるくらいだから、大きな町に行けばあるのだろう……。
「お店って、なに?」
アルムが聞いて来るので、答えた。
「お金を払って、物を買うところだよ」
「お金って、なに?」
アルムの素朴な質問に、ベイオは頭を抱えた。
考えてみたら、ベイオとしての記憶に「貨幣」はほとんど登場しなかった。代官屋敷で働いた母が、何度か銅銭を給与としてもらったのを見たくらいだ。
それですら、市の行商人は受け取りを渋った。物々交換の方が、よほど信頼できるのだろう。
それはつまり、貨幣を発行しているはずの、この国の国王への信頼が乏しいということだ。
それはさておき、まず木材だ。
ベイオは、木材のありそうなところを必死に考えた。
「木こり。それしかないな」
商品が店頭になければ、いや、店そのものが無いのなら……直接、製造元に当たるしかない。
アルムの手を取って、ベイオは道を歩き出した。
しばらく村を歩き回って、またもや現実にぶつかる。
この村には「専業」を営む者がいない。
基本、全員が農夫だ。自分が使う日用品は自分で作り、余った分を物々交換に回す。なので、木こりだけをずっと続けている村人などいない。
小さな村だから、家の新築など滅多になく、家具は貴重だからどれも直しながら使い続ける。つまり、需要が無いのだ。
それでも、たまには木材が必要になる。そうなれば、力自慢の者に伐採を頼むのが普通だ。
その力自慢も、仕事が無くなればよその村に行ってしまう。専業の職人と言えるのは、そうして村から村へと移動するものしかいないのが、この国だ。
「ベイオ。おら、飽きただ」
アルムはつまらなそうだ。当然だろう。
「ごめんよアルム。でも、お母さんに何か作ってあげたいんだ」
「なにを?」
少し興味を持ってくれた。
しかし、困った。なにが作れるだろう? 碌な工具もない、六歳の子供に?
「とっても良いもの、だよ」
曖昧に誤魔化すしかなかった。
あちこちの村人に声をかけて、ようやく製材している最中の職人を探し当てたのは、もう昼過ぎだった。
場所は、さっき登っていた裏山の、村とは反対側の斜面だ。切り倒した丸太を村まで運ぶのは困難だから、その場で角材や板材にするわけだ。
「こんにちは」
六歳児の貧相なボキャブラリーで、出来るだけ丁寧に挨拶する。
「おう、なんだ坊主。ここは危ねぇぞ」
不愛想だが、人は良さそうなオジサンだった。一般の村人に比べると体格も良く、筋骨隆々。
「端切れがあったら、ください」
「あ? 木っ端か? 好きなだけ持っていけ」
一抱えほどもある丸太に手斧で切り込みを入れ、楔を打ち込んで縦に割っていく。鋸は使わないらしい。
もっと太い丸太なら、「前挽き」のような製材用鋸を使うのだろうか。いや、この裏山に生えてる木は、そこまで太くないか。
斜面を伐採して出来た作業場所には、製材した角材や板材の他に、大小さまざまな木片が落ちていた。
ベイオは丸太の割られた表面を見る。特徴的な、虎の縞模様のような木目だ。日本では
「ミズナラだね」
思わず口を突いて出た
「おう。ガキのくせに詳しいな」
オジサンの声が、少し和らいだ。
「ちょっと触っても良い?」
頷いてくれたので、念のため手を着物の腰のあたりで拭いてから、断面にそっと触れる。
少しだけ、しっとりとしていた。
「ミズナラ」というだけあって、その幹は水分を多く含んでいる。切り倒すと、断面から水が噴き出すとすら言われてるくらいだ。
「もう少し乾燥させないと、割れたり歪んだりしない?」
ベイオの言葉に、オジサンは笑った。
「面白れぇガキだな。一丁前の口利きやがる」
怒られなかったのは幸運だろう。
「大丈夫だって。細工物に使うんじゃねぇからな。柱にすんだから」
それでも、割れや歪みは大事だろうに……と思って、ここは日本ではないことを思い起こした。多少なら、柱が割れても強度は問題ない。歪んで隙間ができても、土壁ならすぐ直せる。
寸分の狂いもないのが当たり前の、技術大国とは違うのだ。
それに……ミズナラなら、作りたい物の一つ、
周囲に散らばった端切れを拾い集め、背負い籠に入れる。薪拾いに使っている奴だ。
加えて、丸太を角材にするために割りとられた、裏側が丸くなった板材を貰う。板材の方は長さが数メートルはあったので、アルムに頼んで真ん中あたりで折ってもらった。
獣人の怪力様々だが、オジサンは驚いたようだった。
長さ二メートルほどになった板材を八枚、剥いだ木の皮で縛って、二人で両端をもって山を下りた。
アルムは軽々と担いでるけど、ただの六歳児にはかなりきつかった。
村に戻ったらかなり日が暮れてしまって、母親が戸口に立っているのが見えた。
心配させてしまったのかと思うと、胸が締め付けられるような感じがした。
「ただいま、お母さん。遅くなってしまってごめんなさい」
「無事でよかったわ。アルムちゃんも、お父さんが心配してたわよ?」
頭ごなしに叱られるより、よっぽど堪えたベイオだった。
それでも、何とか材料は手に入った。まず明日から、作れるものを作って行こう。
まずは……目覚めてすぐに目にした、アレからだ。
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