第16話 爆走
「わーお! わーお!」
荷台の上でアルムが大はしゃぎだ。
その隣では、ジュルムが青い顔。
そして、ベイオは二人の乗った荷車を引いて、懸命に走ってる。
朝から新しい車軸と軸受けを作り、荷車を組み上げたのが昼頃。庭の中を引いて軸の具合を見ていると、例によってアルムが「乗りたい! 乗りたい!」と言い出したのだ。
とはいえ、荷台はスノコ状に縦横に板を組んだだけのもの。その真ん中の横板が左右で上に曲げられて、さらに外側に曲げられ、逆U字型になっている。そこに軸受が取り付けられ、車輪を逆U字が抱き込む形だ。
一番前と後ろの横板も左右が上に曲げられ、それらと車軸を支える逆U字部分が角材で繋がれている。その左右の角材が前に伸びたところで横木で繋がれ、これを掴んでベイオは車を引いているのだ。
つまり、荷台とは言うけれど、骨組みだけのスカスカだ。見た目以上に、もの凄く軽い。
軽いのは車輪もだ。手桶と同じ手順で直径一メートルほどの円形に曲げた板材に、十字型に組んで真ん中に四角い穴をあけた板材をはめ込み、細い板材をスポークにして補強したもの。その四角い穴に、車軸がはめ込まれている。
軽くて丈夫、その上幅の広い車輪だからこそ、重い物を載せても地面に深い
最初は狭い庭の中を行ったり来たりし、その場で旋回ができる扱いやすさの確認をしていた。
そして、そんなスカスカの荷台を気にせず、アムルは上機嫌で乗ってた。
しかし。
なぜか、アルムが突然ジュルムに「乗れ!」と命令したのだ。素直に乗るジュルムも大概だが、そこで飛び降りたアルムが、もの凄い力と勢いで、荷車を押し始めた。
庭の外、村の路地の方へ!
後ろから押されると、前が持ちあがる。バイクのウィリーみたいに。
「わっわわわっ!」
急に地面から足が離れてしまって、ベイオは横木にしがみつくことしかできなかった。
そのまま、代官屋敷の前の大通りに出る。そこでアルムは押すのをやめ、荷台に飛び乗った。
地面に足が付いたベイオ。しかし、勢いのついた荷車は止まらない。そのまま走り続けるしかない。
……そしてさらに。
「ベイオ、疲れた? 押すだか?」
ちょっと勢いが落ちると、アルムが聞いて来る。
「い、いいよ、大丈夫だよ!」
そんなわけで、ベイオは二人を載せた荷車を引いて、代官屋敷の正門から村はずれの広場まで、大通りを何往復も走る羽目になってしまった。
ベイオを信頼しきっているアルムはご機嫌だが、そうとも言えないジュルムは、いつ荷車がバラバラになるか不安でたまらなかった。
骨組みの間から見える、後方へ流れる地面も、もの凄くコワイ。そして……なんだか、もの凄く気持ちが悪い。
* * *
それは、平穏な村にとっては衝撃的な出来事だった。
獣人の娘が吠え猛り、彼女を載せた車を引いて、目を血走らせた少年が爆走したのだ。
そのあまりにも非日常的な光景に、子供たちは泣き出し、大人たちは凍り付き、お年寄りなどその場にひざまずいて鬼神に祈ってしまうほどだった。
もちろん、そんな影響など、ベイオに知る余裕は無かったのだが。
彼はと言うと、アルムの小屋の庭に戻ると、そのままぐったり倒れ伏した。
「ベイオどうした!?」
ヨンギョンが駆け寄ってきたが、ベイオは手で制した。
「走って疲れただけ。荷車を隅にかたずけて、ゴザかけておいて」
そう言って起き上がると、もう夏の盛りだから汗だくで、泥まみれだった。
「裏の小川で汗流してくるから」
ついでに洗濯だ。この暑さなら、日没までには乾くだろう。
すると、諸悪の根源が声を上げた。
「おらも行水するだ!」
そして、傍らのジュルムにもキツイ一発。
「おめぇも来るだ。くせぇだよ!」
庭の隅でゲロゲロ吐いたうえに、恐怖や緊張の脂汗の臭いだが、もの凄く同情的になってしまうベイオだった。
なお、三人の行水は所謂ラッキースケベになるのだが、ベイオの主観ではアンラッキーなので割愛。
* * *
本格的な変化は、翌朝の早朝に訪れた。
ベイオと母が、荷車に水瓶を載せて井戸端に現れたからだ。
「おはようございます」
にこやかに挨拶するベイオだが、水汲みの順番待ちをしている「お姉さんたち」はギョッとした。
「ベイオ君、それ……」
一人がおずおずと荷車を指さす。
「はい、僕が作りました」
ちょっと得意げなベイオ。
「あの……昨日、村中を走り回ってたのって」
別な一人の質問に、頭を掻いてテヘヘペロする。
「ようやく完成したので、つい嬉しくて」
ベイオより、アムルの方が盛り上がってしまったのだが。
そして、営業トークが始まる。
水瓶ごと運べば一回で水汲みが終ること。重い物でも簡単に運べること。荷台が低いので、積み下ろしが楽な事。
まずは空の水瓶を降ろしてみせた。車止めを挟んでおいて、荷台を少し後ろに傾ければ、後端が地面に接する。その状態で水瓶を傾けて転がせば、ベイオ一人でも簡単に降ろすことができた。
そうこうしているうちに順番が回ってきたので、早速水瓶を一杯にする。そして、降ろすときと同じように傾けて転がし、荷台の上へ。
「じゃあ、また明日」
そうにこやかに微笑むと、ベイオはその場で荷車をクルリと回し、母と共に帰って行った。
ベイオの母が何もしていなかったことに「お姉さんたち」が気づいたのは、その後だった。
((((((((ほ、欲しい!))))))))
手桶どころではない激しい物欲の炎が、彼女らの心のなかで燎原の火のごとく燃え盛った。
* * *
帰宅して水瓶を降ろすと、ベイオは荷車を点検した。特に、荷重のかかる車軸と軸受、それを支える左右の逆Uの部分。そして車輪そのもの。
昨日、あれだけ激しく村中を走ったので、車輪の外側は傷だらけだった。
しかし、これは仕方がない。酷くすり減ってもいないし、ひび割れもないから、このまま様子を見よう。場合によっては、外側にもう一枚張り付けて補強するのも良いかもしれない。
ただ、荷台がスノコ状なのは意外と使いにくかった。水瓶を転がすときに、板の間にはまって動きが悪くなるのだ。これは、すぐにでも改修しておこう。
「ベイオ、朝ごはんよ」
母に呼ばれて、ベイオは腹ペコなことに気づいた。いつもの冷えた雑穀餅だが、何だか今朝は特に美味しい。自然とニンマリしてしまう。
「どうしたのベイオ?」
「うん、あのね。お母さん、もう水汲みしなくていいよ。僕一人でできるもん」
ずっと願ってたこと。母親を楽にしてやりたい。
それが、ようやく叶った。毎日の重労働の一つから解放して上げられたのだ。
「だからお母さん、明日からは……」
ベイオは言葉を失った。母の目から涙が溢れている。
「お母さん、どうしたの?」
母エイジャは、思わず涙ぐんでしまった。
嬉しい。もの凄く嬉しい。
だが、喜びだけではない。恐ろしかった。
ベイオは賢い。頭が良いだけでなく、考えたことをその手で形にし、この村の生活を変えていく力がある。もうこの村では、分厚くて重い手桶など使われない。誰もがベイオの手桶を使っている。
そしてあの荷車。
大人でも辛い重労働が、子供にでも出来るように変わってしまった。
「ベイオや。ありがとうね。お前が母さんを大事にしてくれるの、凄く嬉しい」
こんな不安、幼いベイオに分るだろうか?
そう思いつつも、エイジャは話さないではいられなかった。
「お前の作ってくれたものは、この村を変えていくでしょう。きっと、良い方向に」
しばし言いよどんで、母は続けた。
「でもね、ベイオ。世の中を変えると言うのは、恐ろしいことでもあるの。母さんは、それが心配」
昔の記憶がよみがえる。
「あなたのお父様も、私の父……ベイオのおじいさまね。どちらも、この国を良くしようと頑張ったけど……」
恐怖で胸が締め付けられる。
「……最後は殺されてしまったの」
沈黙。二人きりの小屋に、母の嗚咽だけが。響く。
「大丈夫だよ、お母さん」
それを打ち破ったのは、ベイオの明るい声だった。
「僕は、みんなに役立つものを作りたい。みんなに使ってもらいたい。みんなに喜んでもらいたいんだ。ただ、それだけだよ」
「代官さまだって、喜んでたじゃない」
それでも、心の中で付け加える。
……でも、お母さんが心配するの、よくわかるよ。だって……。
自分が作り上げた荷車を見て、ベイオは確信する。
……工業化ってつまり、「産業革命」だもの。
便利なものが増えれば、確かに世の中は変わって行く。
もう、革命は始まっているのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます