第2話 水晶

 あそこは苦手な場所。

 だが面倒でも、これから出向かないと駄目だ。

 彼女の携帯電話の番号は知らないのだから。

 でも、水晶を持っているのだろうか? 

 尋ねていって、そんな物はありませんだったら……代案を考えないと。

 余計な考えが頭を過ぎると、歩みが遅くなる。

 考えを止めて現実に目が向くと、暗闇を凝視していることに気づく。

 バスから降り人気のない裏路地を歩いていたが、街灯の光が届かない場所はすべて闇に覆われている。

 何か得体の知れない物が、こちらを見ているような気がして薄ら寒くなる。

 見つめていた暗闇から、地面を何かこする音がして一瞬顔が強張る。


「広瀬さん?」


 暗がりから声がかかった。

 灯火の中心に立ち止まると、闇の中から少女がゆっくり歩き出る。

 その敏捷な動きに、後頭部に束ねた髪が左右に揺れていた。


「白咲か」


 突然の登場で驚いたが、安堵の溜息を吐きながら彼女へ近づく。


「どうも……こんばんは。どうしたんですか? 難しい顔してますけど」

「そ、そうか? 何でもないぞ。帰りか?」


 しかし、なんと奇遇な。

 と言うよりラッキー?

 彼女は白咲しろさきかなめ、高校は違うが一歳下のご近所さん。

 黒のタートルネックのセーターで胸のささやかな膨らみが際立ち、白いジーンズのミニスカートで足の細さが目立つ。

 俺の疲れたブレザー学生服が霞んでくる。

 ポニーテールに束ねた大きなリボンが似合っていて、小さいときに夢中で見たアニメ番組のヒロインに似ていて高ポイントである。


「はい、用事があって遅くなりました」

「用事って?」

「えっと、ちょっと」


 右手で後ろに束ねた髪をさする。

 寂しいことだが、この反応はきっと男だな。 


「カレシだ」

「はい?」


 彼女は俺を凝視したあと、しかめっ面をする。


「おかしいな。どうしてそうなるんですか?」


 白咲に抗議されたので、なぜか安堵して答える。


「あっ、はははっ、いや……じゃあ男友達だった?」

「はあーっ、そう言うことにしときます」


 ため息をつく彼女に、顔をそらされてしまう。

 面倒な用事だったのか機嫌が悪い。

 だが、怒った風でもなく、腰に手を当てて俺に顔を戻す。


「広瀬さんは学園祭の準備で遅くなったんですか?」

「ああっ、そうなんだけど、白咲に聞きたいことがあるんだ」


 忘れかけてた懸案を口にする。


「何でしょうか?」


 首を傾げてポニーテールを揺らす彼女。


「その……道場に貸し出しできる水晶とかないかな?」


 ゆっくりと探るように聞いてみた。


「ありますよ。必要なんですか?」


 即効で返事が返ってきて驚く。


「えっ? ホント? 助かった。じゃなくて、その水晶借りられないかな?」

「広瀬さんの学園祭で必要になりましたか?」

「クラスが占いの館でね。それで調達できずに困ってたんだ」

「はい、いいですよ」


 満面の笑顔を向けてくる白咲。


「ごめん、いきなりで。うちのグループの麻衣ってのが水晶の調達忘れてて」

「麻衣さん?」


 先ほどの笑顔が、困惑の表情に変わった。


「普段はしっかりしてるんだが、あいつたまに忘れて失敗するんだよな」

「んーっ。どうしようかな」


 彼女は悩んだように後ろへ振り返り、ポニーテールを俺に向けて揺らす。


「無料で貸すのも何かもったいないですね」


 おやっ、交渉しにきてる?


「そっか? じゃあ今度おごるぞ」

「そうですか。うーん、物足りないですね」


 なぜ悩む、と思ったらつり上げてきた。


「うむ、買い物とか行きたい場所あったら……つきあうぞ」


 一瞬麻衣の顔が浮かぶが、かまわず誘ってみた。

 俺の言葉に白咲は、軽く両腕を引いてポニーテールを揺らした。


『よし』


 彼女のつぶやくき声を耳が拾う。

 すぐ俺に振り返り、笑顔を見せて確認を取ってくる。


「本当ですね? 約束しました。忘れないでください」


 思わぬ食いつきにたじろいだが、交渉成立? 

 誘って正解だったか。


「わかった。返したときに要求してくれ、そのとき日付調整しよう」

「では、これから道場に取りに行きましょう」


 彼女は先に歩き出そうとしたので、不安を口にする。


「おうっ、助かる。あっ、でも、ほら、希教道の主さんは大丈夫かな?」

「叔父さん? 平気。気にしなくて大丈夫です」


 そこ一番気にしてほしいところなのだが、彼女は不思議そうに俺を見つめる。


「いいのか? じゃ行こう」


 白咲は首を縦に振って、俺の横に並んで歩きだす。



 ***



「科学を宗教にまで高めていませんか? 科学を否定して言ってるわけじゃありません。すべて判ったと言って、神秘主義を捨てることがいけないのです。この世にはわからないことは、まだまだ沢山あります」


 道場に入ると彼女は奥へ引っ込み、俺は長い廊下の一角で待機中。

 室内は集会をやっている最中らしく、道場当主の演説が耳に入ってきた。

 やっぱりここって宗教を開いてる場所だ。

 照明は全体に薄暗く赤みがかって、木造の廊下を照らし独特の雰囲気を演出している。

 道場の大きさは、学校の教室二つ合わせたぐらいの広さに見える。


「体の中のすべての老廃物は外に出て健康でいられます。だが、その老廃物が体に残れば病気になります。心もそうです、心の恐怖や不安は吐き出しましょう。霊だってどんどん見ていいんです。心の恐怖が吐き出した産物が実態として現れてるのですから、そのすべてを受け入れるのです。けっして科学で納得して排除してはいけません。心の不安は手始めに人に聞いてもらう、文字にする、絵で表現する、何でもいいんです。行動してみるのです」


 何か面白いこと言ってる。


「では、今日のおつとめを始めます、グループを組んで下さい」


 人々のざわめきが道場内部から廊下まで漏れてくる。


「今日はかんなぎ様に会えますか? 聞いてもらいたいんですが……」


 老婆の声。


「すみません。今はお休みで、日曜の集会なら会えますよ」


 それに当主が対応する。


「普段着のかわいらしく髪を左右に束ねた姿を見たかったんですが……そうですか。残念です」


 老婆の落胆の声が聞こえてきたが、ここのかんなぎ様はツインテールの子と判明。


「お待たせしました」


 突然、俺の横数センチ手前に白咲の笑顔があった。


「わっ。びっくりした」


 思わず一歩下がるが、彼女は先ほどと変わらないスタイルのまま戻って来て真横に立っていた。


「道場をのぞいてたのですか?」

「はははっ、見てはいないけど、話をね。ワリーッ」

「いいえ。興味ありますか?」


 もしや、勧誘?

 白咲は好きだけど、この手の分野には足を踏み込むのは遠慮したいかな。


「うーん。あるような、ないような……わからん」

「そうですか」


 少し寂しそうにつぶやく。

 ちょっと、あいまい過ぎたかな。

 ただ、フラメモのことで手がかりがあれば首を突っ込みたくなるが……今のところはなさそうだし。 

 それに俺のフラメモ能力のことを彼女に相談するわけにもいかない。


「置いてある場所わかりました。こっちに来てください」


 真っ直ぐ伸びた廊下の先端まで歩くと、彼女は立ち止まる。

 無言で俺の横の戸口に手を差し出す。

 その引戸を右に開くと暗がりの室内に廊下の光が入り、中の状況がわかる。

 六畳ほどの部屋には、座布団の山やテーブル類、間仕切りの衝立障子などが、所狭しと並べてある道具置き場だ。

 中に入ると、片側の六枚の戸口から人々の話声が溢れてくる。


「んっ? ここって集会場の裏だよな」


 うわーっ、前の襖を開けられたら、いい見世物になっちまう。

 そう思ったら、焦りを感じて廊下に出たくなった。


「そこの奥に置いてあるんです」

「ええっと暗くて……ああっ、奥に何かある」

 

 奥の暗がりの部分をのぞくと、いくつかの箱が見えた。


「えっと、この箱?」


 近くの木の作り箱を確認するように指してみる。


「そうです。それです。中に入ってるはずです」


 その箱の上部はふたになっていて簡単に持ち上がり、箱の中がひと目でわかった。

 そこには片手で持てる大きさだが、重さに手ごたえを感じる半透明な玉が丁寧に収納してある。


「本当だ。綺麗な紫の水晶」

「持っていって、いいですよ」

「いやっ……でも、これ立派な物じゃん。儀式とかに使わないのか?」

「使ってますよ。どうしてですか?」


 平気な顔で問い返す白咲。


「何て言うか。そのだな、奥の倉庫に閉まってあるような、そんな今必要でなくて大丈夫な物がいいな」

「道場の水晶はこれだけです」

「そ、そうなのか?」


 それを聞き、俺は腰が引けた。


「じゃあ、まずいだろ? 俺よすわ」

「何を遠慮してるんですか。明日使うんじゃないんですか?」


 俺の気後れに少し困惑する彼女。


「そうだけど……」

「これは、今日と明日は使いませんから、明後日返してくれればいいんです」

「いいのか?」

「はい。私が言うんですから、間違いありません」

「随分確信あるんだな……あっ、もしかして」

「誰だ?」


 突然、引戸一枚の道場からかけ声が入る。


「誰かいるのか?」


 道場当主の声である。


「こっち来てください。座布団の裏」


 白咲は引戸の影になる場所に移動して俺を呼ぶ。


「えっ、ええっ!」


 隠れるのか?


「一緒にかがんで、口閉じてください」


 急いでしゃがみ込んだ彼女の後ろに回り、ひざを曲げるとむこうずねに痛みが走った。

 焦って何か硬い置物にでもぶつけたようで、目から涙が出てきそうだ。


「おいっ」


 引戸が開く音と、道場当主の存在感を感じて萎縮。

 しばらく教徒の騒がしい話声だけ聞こえてくるが、道場当主の沈黙が戦慄させる。

 座布団越しに見られてる気分がして、冷や汗が出そうだ。


 入ってくるなよ。


 道場当主が見渡している気配を察するが、白咲の真後ろでこんなに密着していいのか? 

 役得だがあの能力が発動しそうで、二重に不安。


「んっ? おかしいな」

「かんなぎ様ですか?」


 先ほどの老婆の声。


「いや。何でもありませんよ」


 道場当主の声とともに引戸が閉まり、人々のざわめきも小さくなった。


「もういいですよ」


 苦笑いの白咲が立ち上がる。


「はあっ……やっぱ、まずいじゃんか」


 俺も立ち上がり、引戸と白咲を見比べる。


「そんなことないです」

「そうか?」


 俺は彼女の遊び感覚の態度に、首をひねる。


「ただ、この準備室に広瀬さんがいるのは、不自然だからです」

「俺は不法侵入者か?」

「いいえっ、言い訳が面倒なだけです」


 片手で前髪を無意識にいじる彼女だが、俺がここにいるのはどうも都合が悪そうだ。

 無理させたのか?


「じゃあ、退散するよ」


 俺が廊下に出ようと踵を返すと、彼女は慌てて声をかけてくる。


「広瀬さん、水晶はどうしたんです?」

「えっと……本当に借りていいのか?」

「そんな遠慮すると、叩きますよ」


 暗がりで直立の白咲は、右手を挙げると手に鞭が握られていた。

 鞭だ!

 危険を察知して一歩下がった。

 だが、次の瞬間には、彼女は手も上げてなく……勘違いだったと気付く。

 あれ?

 一瞬、そう見えたんだが……。 

 彼女の表情は見えず、スマイルだけが暗がりから浮き上がった気がした。

 今日彼女と会う前の、薄ら寒いものをまた感じた。

 でも、まあ暗くて見間違いだったのだろう。

 疲れているんだ、帰るか。


「じゃあ……これ、借りるよ」

「はい、どうぞ」

 

 彼女のやけに嬉しそうな返事と共に、先ほどの水晶箱を持ち上げる。

 それほど重みはないが、落とさないように両手に抱えて道具置き場から廊下に出る。


「サンクス」

「いいえ、お役に立てて嬉しいです」

「そういえば白咲って……」


 彼女の笑顔を見て、言いかけた言葉を飲み込む。


「いやっ、なんでもない」

 

 かんなぎ様って白咲なのかと思ってたんだが、先ほどの老婆の話でツインテールって言ってたし……深入りは禁物。

 彼女は巫女さんやっていたから、ここの水晶も簡単に貸し出せるってことなのか? 

 水晶は、彼女が道場で使っていた物だろうか? 

 巫女さんで信者を占っているとかなら、ここへ見に来たいかも。


「明日ですね」


 うしろから声がかかり振り返る。

 肩にかかったポニーテールを左手で払いなびかせ、笑みを浮かべる彼女。


「見に行っていいですか? 広瀬さんの占いの館」

「駄目」


 俺は即効で答えた。


「えーっ、そんなひどいこと言う人、嫌いです」


 唇を尖らせて俺をにらむ白咲は可愛い。


「冗談だよ。もちろんいいよ」

「そうですか。わかりました。行っちゃいます」


 ほこを収めた白咲は、笑顔で玄関まで来てくれた。

 俺は靴をはき、水晶のお礼を言って彼女と別れた。






 道場を背にして街灯が明るい大通りに出る。

 すぐ前に賃貸のマンションが見え、帰宅の足を速めた。

 明日の学園祭は仕事と割り切って、水晶玉を隠れみのでフラメモを操作するか?

 まてまて、俺はなんで転校したんだ? 

 フラメモを前の高校で使いまくって、気味悪がられ、怒りや恨みを買われて孤立。

 自業自得なのだが……。

 家族からも同様な状態になり孤立、転校と一人暮らしを強要されるハメに。

 やっと普段の俺に戻れたのに、あの頃の暗く辛いうつ状態の日々には戻りたくない。

 水晶の箱が重くなる。


 はあっ。


 やはり、フラメモは使わずそれらしく流すべきか。

 でも、へたな芝居うってボロだす可能性も。

 チュウどころか、麻衣たちから別の意味で孤立してしまうかも。

 それも嫌だ。

 あああっ、恐るべし学園祭。

 恐るべし占いの館。

 マンションのエレベーターに乗ったら、頭痛と耳鳴りがしてきた。

 この違和感、何だ? 


 あっ、この持っている水晶の箱か? 


 じゃあ、水晶が違和感の元?

 これもフラメモの力だと思うが……ちなみに人だけじゃなく、物からでもフラメモができる。

 集中して無理をすればの話だが。

 で、この水晶をのぞくのか? 

 いやっ、止めとこう。

 せっかく貸してくれた白咲に失礼だ。

 それにむやみに使わないように心がけないと。

 一度使い出すと、次から次へと使い続けて暴走してしまうからな。

 何より、水晶は借りることができたんだ。

 部屋に戻って水晶の箱をローテーブルに置き、麻衣に『水晶をゲットしたぞ』とメールを送る。

 今日は、麻衣と白咲に振り回されたような日だ。

 彼女たちに出会ったときも、今日みたいに立て続けだったけど、あれから三ヶ月か。

 少しは一人暮らしも慣れてきたけど……早いな。

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