第25話 メモリースキップ(二)
十月二十八日 火曜日 午後 放課後
周りが白く静かになると、外にいた。
学校の弓道場裏で、練習用の
着ている服が学生服に変わっていた。
――三回目のメモリー・スキップになっている。たしか、白咲から軽い弓矢の講義を受けたあとだったな。
よく日の放課後、麻衣を怒らせていなくなったから探していたときで、弓道場の右脇見学席から生徒たちの観戦の声が聞える。
『白咲って弓道部員? 忍は弓道部に入るのかしら』
――陽上高校の弓道部員で、成り行きで弓を引いたんだ。……あっ、白咲は、ほら、書店で挨拶した子だよ。
『本屋の女ね。巫女やってるって……で、どこ? いないけど』
――試合に出ていったよ。……書店で彼女はどうして麻由姉をすぐ理解したんだろう。
『うーん、よくわかんない。油断できない巫女だわ。気をつけたほうがいいかもね』
――白咲は、草上たちとは違うと思う。安曇野さんみたいに好意的なものを感じるよ。
『そう……安曇野ね。彼女とは占いのときに話してみたかったわ。そうだ、さっき話してた小出って言うジャーナリスト。連絡つけようよ』
――ああっ。名刺もらってたんだが、今はもらう前で意味なかった。連絡先……雑誌があれば、編集部の電話番号わかるんだけどね。
『ケータイは?』
――そうだ。ネットに繋げればわかるかも。
ポケットから携帯電話を取り出して検索してみる。
――ええっと……カテゴリ……雑誌と……社会で……「
弓道場裏から、ちょっと気を取られない場所に移動。
――何て話そうか?
『極秘のトレクル情報』
――何? トレクルって。
『略よ略、T-トレインサークルの』
――ふっ。ふふっ。
『あによーっ、鼻で笑うことないでしょ。もーっ。さっさと繋いで用件済ませて、次に打つ手を考えましょ』
――ごめん、トレクルが可愛くて……つい。
携帯電話の通信ボタンを押し、呼び出し音を聞く。
――あっ、実名でいいかな。
『なんなら、安曇野の名前だしたら』
『はい、「
女性の応答が返ってきた。
「あ、えっと、小出さん、いらっしゃいますか?」
『お名前とご用件は?』
「広瀬です、えっと、トレクルじゃなくて、T-トレインサークルの話でお電話しました」
『T-トレインですね。少々お待ちください」
しばらく、保留音の馴染みのクラシック曲が流れた後、小出さんが出た。
「あっ、あの、安曇野さんの知り合いの広瀬といいます」
『あーっ、安曇野ね! それで、T-トレインサークルって?』
「H大のT-トレインサークルのことで、重要なお話がしたくて」
『ほーっ、重要ってどんな?』
「二年前の高校生の自殺に関わることです」
『それは、浅間麻由さんのことか?』
「えっ、わかってるんですか?」
『ちょっとな……もしかして、掲示板にリークしたの君なのか?』
「あっ。はははっ、今はなんとも」
『屑ネタと思ってたが……そうか。詳しく聞きたいんだが、会えるかな?』
「ええ、そのつもりでしたから」
『わかった。じゃあ、明日は仕事入ってるから……明後日の木曜は空いてる?』
木曜日のメモリースキップの時間帯は昼間だ。
そこに合わせよう。
「こちらも、それでいいですが、午後一時ってのは?」
『うむ、了解した。場所は柳都駅内南口の喫茶店モンブラン、知ってるかな?』
「ええっ」
『じゃあ、そこで会おう』
携帯電話の通信を切って、ひと呼吸する。
――向こうも情報入ってて、やり易くてよかったよ。
『次は安曇野だね』
――番号はどう調べればいいんだ?
『自宅なら覚えてる……それで、彼女の携帯番号聞こうか?』
――おおっ、偉い。任せるわーっ。
麻由姉に交代して、実家に電話をしてもらい番号をゲット。
次に俺が安曇野さんにかけてみるとすぐつながった。
『はい?』
「えーっと、昨日コンパでお世話になった広瀬です」
『はっ? えっと……浅間さんのカレシさん?』
「そうです。明後日、雑誌「
『小出さんと?』
「はい。T-トレインサークルのことでお話をする予定なのです。そこに安曇野さんも出てもらえないでしょうか?」
『私は、ちょっと……』
「そこを何とか出ていただけませんか?」
『いえ……』
――無理かな?
『ちょっと、私に代わって』
麻由姉が、俺の口に割り込んで話しだした。
「もしもーしっ」
『あっ、はい』
「安曇野さん、聞きたいこともあるけど、知って欲しいこともあるのよ」
麻由姉が俺の口で話した。
『はあっ……?』
「もしかして、草上とつきあってるの?」
『そ、そんなこと絶対ないです』
「なら、ぜひとも来て欲しいわ。麻由って子に負い目を感じているなら」
『あなたは一体』
「バッグのDVDはどうなっちゃったの?」
『ま、麻由ちゃん? のわけ……ない』
「来てくれるわよね」
しばらく無音になり、躊躇っているようだ。
「来るよね!」
『ええっ……わかった』
「じゃあ、明後日一時に駅内南口の喫茶店モンブランに」
そう言って携帯電話の通信を切った。
――来るかな。
『来るよ。……ところでこの放課後、麻衣ッチと一緒じゃないのね』
――このときは麻衣と喧嘩別れした後で、謝ろうと探してたんだ。
『麻衣ッチと喧嘩……それで巫女と会ってたの?』
――白咲は試合の応援に行くって言ってたから……俺もう少し麻衣を探すよ。一箇所心当たりができたんだ。
回帰の世界で麻衣の幽霊さんになってたとき、校舎裏で小石を投げつけられていた。
上手くいけば、校舎裏で会えるかもしれない。
『ご勝手に』
少し冷たい麻由姉。
弓道場を離れて庭を少し歩くと、周りは静かになり生徒も見えなくなった。
そこで彼女から話しかけられる。
『ねえ。この後は、どのくらいなわけ? 三回目の時間』
――ああっ。夜の九時頃までだったようだな。
「そう、なら余裕ね。ふふふっ。……私、紅茶飲みたいな』
――じゃあ、缶ジュース飲む?
『嫌よ。缶なんて粗悪な。お家でゆっくり熱したティーカップで飲みたい。オレンジティーとか、ハーブティーなんかいいな』
――贅沢。家には紅茶はない。
『それじゃあ、買って』
――何で?
『飲むに決まってるでしょ。お願い、買って』
――ああっ。しかたないな、わかったよ。
『そうなると、紅茶用のカップとかはあるかな?』
――ない。
『えっ……じゃあ、それも買ってほしいな』
――簡単に言うなよ。
『紅茶用のちゃんとした可愛いカップで味わって飲みたいな。飲みたいな』
――だから、誰が金出すんだよ。
『一人暮らしってことは、もちろん仕送りしてくれてる忍の両親』
――うっ。考えてたかってるな。
『人聞きの悪い。会ったら挨拶しとくから。いや、それは麻衣ッチがこれからやってくれるかな』
――おい、恥ずかしいこと言うなよ。
『そお? 照れちゃって可愛い。……だから、ね。私にもちょっと贅沢味合わせて、ね』
――贅沢は敵。
『買って、買って、買ってってば』
――うわわわーっ。麻由姉が子供になった。
『買って、買いなさい、絶対買って、必ず買って、買わないと酷いよ』
――わかった、わかったよ!! ……麻衣より強力だ。
『ふん、姉ですもの。当たり前じゃない』
――威張るな。姉妹というより双子の姉だな。
校舎裏を見に行ったが、麻衣はもういなかった。
時間が合わなかったのか、当てが外れてがっかりすると麻由姉に笑われる。
仕方なく他を探すが見つからず、玄関へ行き麻衣の下駄箱をのぞくと、外履きが運動靴に変わっていた。
***
『ねえっ、結局このあと、麻衣ッチと仲直りしたんでしょ? 探すのに意味あったのかしら?』
――それは、俺の気持ちが収まらないんだ。自分の不甲斐無さに。それに……麻衣に会いたい。
『はあっ、ごちそうさま』
探し疲れた足に靴を履き替えて、玄関を出ると外は夕闇に変わって暗くなっていた。
校門を抜けようとしたところ、見知らぬ素行不良の男子生徒二人に呼び止められた。
「広瀬クゥーンだね」
「待ってたよ。へへへっ」
『何なのコイツら。知り合い?』
――全然。隣のクラスで見かけたぐらい。
「先輩の女に手を出して、まずいことしてくれたね。ああん。責任取ってもらうぞ」
一人がDQNらしい肩の怒らせ方をして脅迫してきた。
――先輩の女? 何のことだ?
「糞ハゲヤロー!!」
もう一人がストレートに毒づいた。
『ねえねえ、もしかして、からまれてる?』
――気楽にいうなよ。おまけに糞ハゲとか、脅しにもなってない。同学年だとは信じられん。
「松野さんには恩があるんでね。しっかり償いはさせてもらうからな。ちょっと面かしな」
威圧する態度を示して校舎裏に顔を振り歩き出す。
さすがについていく気はないので、立ち止まったまま会話する。
「冗談? それに何か勘違いされてるよ」
「何ーッ?」
一人が胸ぐらをつかんだので、片手で払いのけて一歩下がる。
意外と恐怖心がないが、打つ手もない。
「チッ、裏に来いってんだよ」
相手の男は俺の前で、目をひんむいて威圧する。
――さすが松野の後輩らしい。すぐ手が出る。
『松野って先輩の女に手を出したの?』
――いいえ、松野は麻衣のストーカーで、こいつらはその一味。
『なるほど。どうするの? 二人だよ。それに問題起こすとまずくない?』
――走って逃げるしかないかな。
また近寄ってきた男が、驚きの声を上げた。
気づくと、もう一人が尻餅をついて右側を見ている。
その先の木の根元に、弓矢が刺さっていた。
振り返ると対校試合を終えた陽上高校の弓道部一行から、一人抜け出て弓を持っている人物がいた。
――白咲だ。彼女が射たのか?
『えっ? 白咲ってあの巫女? 見えないけ……あっ、いた』
「バカヤローッ! 殺す気か」
尻餅をついた男が、白咲に怒鳴った。
するとそれに応えて、持っている弓に矢をつがえて二人それぞれに射る。
眩い光を発してその矢は、上下に揺れながらシュンと音を立てて一人の太ももをかすり、地面に突き刺さった。
二矢目は、もう一人の腕にかすって後ろの樹木に刺さる。
「いてーッ」
「マジか、糞女が」
二人とも驚いて、慌てだす。
『何? 本当に当てたの?』
――かすっただけだと思う。
太ももを押さえ痛みをこらえてる男の、破れたスラックスから血が滲んでいた。
腕を押さえた男も体を抱えてうめいている。
白咲を見ると先ほど持っていた弓は手にしてなく、こちらにやってくるところだった。
今は弓道着ではなく、陽上高校の制服に着替えていて、肩に白にピンクの混じったエナメルバッグとピンクの長い矢筒をかけていた。
「広瀬さん、お帰りですか?」
「そ、そうだけど。白咲はずいぶん大胆なことを」
「くっ、おい糞女よくも当ててくれたな。ただじゃすまねえぞ」
座って痛みをたえてる男が、語気を強めて脅してきた。
「はっ? 何の話ですか」白咲は臆せず平然と言った。
「何とぼけている。ふざけるのもいい加減にしろ」
「おおいっ、見ろあれっ。矢が……」
もう一人が驚き、言葉をなくした。
地面に突き刺さっていた矢はなくなり、もう一本の矢も同じく消失していた。
「どういうことだ? ……怪我したのに」
「あれっ、破けたスラックスが、元に戻ってる。だけど、痛みはまだ、いたたっ。くそっ、どうなってるんだ」
陽上高校の弓道部員が、俺たちの前を騒がしく通り抜けていく。
笑いを忍ばせて。
「何あれ?」
「演劇部の練習?」
「チャラ男?」
「はははっ」
因縁つけてきた二人は、それぞれの怪我した場所をしきりに気にしながら、校舎の暗がりに急いで消えていった。
弓道部一行の失笑で、いたたまれなくなったらしい。
「何かもめてたんですか?」
ポニーテールを揺らしながら、真面目に聞いてくる白咲。
「そうだけど、白咲の矢が消えちゃったよ」
『まずは、お礼を言わないと』
麻由姉が念話で言ってきた。
「ああっ、そうだった。白咲、面倒にならずに助かったよ。ありがとう」
「いえ。ちょっと待っててください」
俺の謝礼に微笑んだ白咲は、前に進む弓道部のグループを追っていった。
部長の男に白咲は何か話をしてから、挨拶するとまた駆け戻る。
部長の隣にいた、マネージャーらしきショートヘアの女生徒がこちらをにらんでいたが、すぐ数人の部員たちを引き連れて停車しているマイクロバスに乗り込んだ。
「現地解散なんです。だから広瀬さんと帰り道同じなので、一緒でいいですか?」
「ああ、それなら一緒に帰ろう」
***
俺は白咲と校門を出て、人のまばらな歩道を歩く。
夜になった街の街灯は、周辺だけ照らしだしていた。
さっきの素行不良の二人がついてきていないか振り返るが、サラリーマン風の男が歩いているだけで少し安心する。
「弓道の団体戦の試合、どうだったの?」
「見てくれなかったんですか」
白咲は目を細めて、少し不満声を上げる。
「ごめん。ちょっと用があったから」
「そうですか。試合の方は集中力持続アップで私は六射までいけました。広瀬さんの力です」
――そういえば、精神安定剤代わりにされたんだっけ。よかったけど。
『何の話よ? あまり耳障りのよくない話に聞えるわ』
「今は二人になってるんですね」
白咲がまた俺たちを見透かした発言をした。
「初めは、二人分聞こえてきて幻聴かと混乱しましたけど、
「だっ、ダブル? 何のことかな?」
立ち止まる白咲を見てから、頭をかいて知らない振りをした。
「駄目ですよ。そんなごまかし効きません」
『さっきの矢を見えてたでしょ? この女は危険。気をつけて』
――あの矢? あの消えた矢はやっぱり。
麻由姉の警告から、俺は白咲に慎重に語りかけてみた。
「よくわからないことがあるんで、俺から聞くよ。……さっきの矢、白咲が弓を引いたのかい?」
「はい、一部の方限定です」
「それは、どういうこと?」
「あれ? 女と同棲してるから、少しは理解してると思ったんですけど」
白咲は不服そうな話し方で、俺を鋭く見据える。
「ど、同棲? ……じゃなくて理解って何?」
「それより、あんた。何で私のこと知ってるのよ」
――ああっ、麻由姉。
また俺の口使っちゃった。
「大丈夫です。混乱しますが、お二人の心の会話は聞き取ってます」
「ええっ、本当に?」
『聞こえてるって?』
俺と麻由姉が同時に驚く。
「盗み聞きになりますね。ごめんなさい。でも相手のプライベート時間での使用は緊急以外は使わないと決めてますから、安心してください」
俺への目線をそらして、ポニーテールをこちらに向けて揺らす。
「白咲が言うなら信じる。いや、そこじゃなくて、そんな能力があることに驚いてるぞ」
「すんなり信じてもらえることでないから、時期が来るまで黙ってました」
『へーっ、それなら手っ取り早くていいや。今の口に出さない私の言葉聞き取れるのね? じゃあ、名前を言ってみてよ』
麻由姉が心内で俺に語るように質問した。
「私は、白咲要です。あなたは?」
『私は、浅間麻由よ。聞えてるわね』
――会話を交わせるのかよ!!
「
さらりと言う白咲に、俺はあっけにとられる。
『私は、姉だよ』
麻由姉は、順応性の高さをアピールするように平気で答えた。
「さきほど会ったときはいませんでしたけど、どちらかお出かけに?」
『んっ。それは私には説明できない……というか、知らないの』
「白咲は何で、麻由姉を知ったの?」
白咲は、俺たちの心内と口頭の会話を交えながら、ゆっくり歩道を歩き出した。
「お二人を本屋で見かけたときから、あまりにも特殊なので観察していました。それでようやく理解できました」
「ええっ? 今まで観察?」
「悪いと思っていたのですが、デート帰りのときと、ワゴン車にぶつかりそうになったときは見てました」
――デート? あっ、麻衣と一緒のときか。
『ワゴン車のときに聞いた声は、あなただったの?』
「はい、ついうっかり思念を送っちゃいました」
「そっか、あれは助かったよ」
「それで広瀬さんには、打ち明けて教えるべきだと先ほど決断したんです。私の能力は持ち合わせてないようなので、広瀬さんが自身を守ってもらうためにです」
『特殊異能の自己申告って、決まりがいいね』
「んっ……そうなりますね」
俺を見ていた白咲は、顔を背けて答える。
『ふーん』
だが麻由姉は、不審そうに返事を返した。
「さっきのあの消える矢は、白咲の能力かい?」
『あの能力は何?』
俺と麻由姉が期待して聞いた。
「えっと、それじゃ理解してもらうため、一回お見せします」
彼女は笑みを浮かべて、顔にかかったポニーテールの髪を手で払うと、左手を目の前に差し出した。
「言葉でもいいので必要なイメージを思い浮かべて、それを確認した人物に投影します」
左手とその空間が光り始める。
光に左手を入れて引き出すと、鎖が緩く巻きついた日本刀を持ち出していた。
両手に持って鞘から抜き身の刀を引き出すと、一振りしてから先端を俺の鼻先に突きつける。
『ふあーっ』
驚く麻由姉だが、俺は声も出せずに呆気にとられた。
「こんな具合です」
白咲は刀を横に振り、前に突き出したりして舞うように構えてポーズした。
「もちろん私自身もビジョンは見えますので、刀と同期できるんです」
手から刀の柄を離すと、街灯に光った日本刃は空中に止まり、自動で動き出して鎖の巻きついた鞘に収まってしまうと消失した。
『これって魔法じゃん。イメージが呪文の現代魔法。それも無詠唱魔法ってやつ。攻撃できそう』
「私はイミテーションと呼んでます」
「白咲。そんな簡単にどうしたらできるんだ?」
「私、巫女ですからできるんです」
「答えになってねえよ」
「答え? 必要ありません。広瀬さんたち自身がもう回答してるじゃないですか。違います?」
「そんなこと言われてもなぁ」
俺は腕を組んで考えるが、何も思い浮かばない。
「普通この能力は使うどころか、理解も難しいでしょう。でもわかるはずです。死に直面した経験があるなら」
――死。
その言葉で脳裏に、あの暗闇の世界がよみがえった。
「これは手に入れてる力、あるいは使えるはずの能力です」
白咲が俺の瞳を、ゆっくり見すえてから言った。
――俺の意識が時間移動したことも、麻由姉と意識の共有をしいてるのも、その力を知らずに使ったってことか。
『回帰だね! 私と忍が出会ったところ。回帰の世界を知ってるのね?」
「回帰の世界ですか、素敵な表現ですね。回帰とは、無や死の概念ではなく、合流みたいなことですね?」
『うん、そうよ』
「そこは他の生命との交流もできる聖域です。人の観念を超越してますから、私は“
俺は心内で唱えると、麻由姉も重複して言った。
『零の聖域……ね』
「広瀬さんたちが、そのような状態にどのように至ったかはわかりませんが、零の聖域を通ったなら納得できます」
「そこをもっと詳しく聞きたいかな」
「えっと、じゃあ唯識思想からなら入りやすいかな。……その思想の中に
――えっ、荒い屋敷?
『えっと、ゴホン。ここでボケるわけ?』
――わ、わりい。そう聞こえたもので……白咲もごめん、先続けて。
「はい。……人には口や目とかの五感があり、それを五識、意識を六識。その上の無意識を七識、そして次の八識が、生命存在の根本で阿頼耶識、と呼んでいます」
『ユングの無意識心理学と同じ観念だわ。……でも、それで全てなの?』
「九識に
暗闇の世界の謎が言葉で表され、少し状況が見えてきた気がした。
「その宇宙意識の手前が
「はい。人の無意識の底は、全ての生命と繋がっているようです」
「俺や白咲の意識の奥では、みんな繋がっているってことか」
『そっか、私たちその阿頼耶識の境界線上にいたんだね。危うく九識? に回帰しそうになったけどね』
「ヤバそうだったものな。うん、回帰の世界を少し理解できた」
「科学的な詳しい見解は、機会があるときにまたお話しますね」
俺がうなずくと、白咲が笑顔を返してきた。
『じゃあ、その零の聖域という特定の場所に行くには、どうしたらいいの?』
麻由姉が尋ねた。
「思いです」
『一言で済むものなの?』
「心が思うから、零の聖域が現れるんです。行くのではなく現れる。呼べば来るものです。生命を賭けて零の聖域へ行って戻ってきたから道が創造され、迷わず現れ出るのだと思います」
『生命を賭けたから……現れ出る』
「そして、零の聖域で思い描く人物はすぐやってくる。感覚でわかります。一体化して、こちらの行動のイメージを伝えるように思い描くわけです」
「そうやって能力を引き出しているのかい?」
「ええっ。広瀬さんたちも思い一つで、できるはずです」
俺は組んだ腕の手をあごに当てて、考え込むように白咲を見る。
彼女は終始笑顔を崩さず、俺を見返す。
――聞いていると簡単にできそうな気がしてきたけど、どうだろうか。
「目指す相手に意識の交流を行えば、容易に相手は投影してくれます」
「そうか、麻衣の幽霊さんもそうだ」
『何それ?』
麻由姉が即座に突っ込む。
まるで麻衣かと思った。
さすが姉妹だ。
「ごめん、ちょっと思い出しただけ。続けて」
白咲が不思議そうな顔をしたが、また話を始める。
「あとは、相手がこちらを思ってくれれば、今のように簡単に浅間麻由さんと会話はできるのです」
「それで麻由姉の言葉が、わかるようになるのか」
「二人分でも」
白咲が自信を持って言った。
『相手への意識の交流をどうするか。もっと具体的に聞きたいかな』
「そうですね。相手に同化して、今を見るんだと心がけると映像が見えてくるんです。ただ今のところ会話になると、零の聖域の道を知っている人でないと難しいようです」
――会話は無理なのか。
「ただ全て未知数なので、状況に合わせて試してみるのがいいと思います」
「やってみる価値はあると?」
俺は麻衣に試してみたい気になった。
『さっきの刀のような見せ方は、相手の意識へ瞬時に交流することができるの?』
「なれれば直ぐに、暗闇って言う重い扉を開けている感じですけど、やりすぎると気分が悪くなります。回数が多ければ睡魔に翻弄されますので注意が必要です。他は応用ですね。複数の人にも同時に投影させることもできます。前もって情報を送り込んで、何かをきっかけに見させることも」
「プログラムウイルスみたいだ」
俺は感嘆の声を吐く。
『どのくらい続けて見せられるの?』
「そうですね、こちらが消失イメージを送って取り除くまで投影してくれます」
『なんだか言葉遊びのようで、実感わかないな』
「そうですか。ではもう一回実践すると実感されませんか?」
白咲は右手を上げると、サバイバルナイフが握られていた。
持ったまま振り返リざま、後ろを歩いてる一人のサラリーマン風の青年に向かって、サバイバルナイフを重そうに投げだす。
通りには他に人はいず、サバイバルナイフは男の隣に立っていた街路樹に刺さっていた。
「わわわっ。何すんだよ」
青年が怒気を含んだ声を出す。
俺と麻由姉は、白咲はいったい何をしたんだ、と呆気に取られた。
「お、お嬢ちゃん……こんなの投げて危ないだろ」
投げつけられたナイフを指差して、男が怯えている。
「次は当てます」
白咲は男に真剣に答えたが、俺はまだ状況を理解できなかった。
「よせっ、マジかよ?」
サラリーマン男は一歩下がる。
「動かないでください」
気づくと街路樹に刺さっていたサバイバルナイフはなく、すでに彼女の右手に同じナイフが握られていた。
「白咲の何? 知り合い?」
俺は驚きながら聞いた。
「いいえ、広瀬さんのお知り合いでしょ?」
こともなげに返す白咲。
その男は三十前後のリーマン風、まったく見覚えはなかった。
『私たちをつけてきたのよ』
――つけてきたって? 麻由姉わかってたのか。
「さっきの不良二人組みと入れかわって、校門から尾行して来てました。そしてカバンが怪しいです」
白咲が投げた先を見ながら説明した。
『それに、意味もなくカバンいじってた、細工してあるんじゃない? 不審人物よ』
――同じ目線で見てたのに、麻由姉が気づいて俺が知りえなかったのは、油断してたな。それとも男女の意識の違いか?
『触れればわかる。忍交代』
麻由姉が、俺の体を使って男に近寄る。
白咲もサバイバルナイフを手にしたまま後ろにつく。
「そのままよ」
麻由姉が男に命令する。
「な、何を……」
麻由姉は、戸惑ってる男の肩に触れる。
頭痛もなく目の前に映像があふれ出た。
触れた男から手を放したが、映像の一群は消えずに目の前を通って回っていた。
その一つをつまみ出すように広げると、すぐ映像が見えてカバンの中に小型カメラを仕込んでいるシーンを特定。
続けて、
事務所、机、興信所を明記した名刺の束、草上と書いたブルーファイルと確認できた。
「興信所の社員で、草上に頼まれたのね。でもこの社員新人かな? 尾行が初日でバレるなんて下手すぎ」
――お陰で、草上は俺たちのことを気にしてたのがわかったよ。
「さっきの二人組みとは、関係ないようね」
――そっか、松野の後輩は独自で来たってことか、余計な先輩思いの連中だ。
「それ以外は別になし」
麻由姉と俺が無言の会話をしていると、白咲が声をかけてきた。
「この人どうします?」
サバイバルナイフで指された男は、ありえないものを見たと固まっていた。
「もういいわ。ただ雇われただけだから」
「も、戻っていいのか?」
体を硬くしていた男が、震える声で聞いた。
「どうぞ、お引取りください」
サバイバルナイフを男の顔面にチラつかせて、白咲が微笑んだ。
男はそのまま、ゆっくり後ずさり、三メートルで脱兎のごとく走り去った。
「行っちゃいました」
白咲は手をブラブラさせているが、その手にはもうサバイバルナイフはなかった。
俺は麻由姉と交代して、口頭で白咲に質問した。
「今のナイフは人に使える? 刺したり切ったりとか」
「相手の気の持ちようで差は出ますが、何かしらのダメージは起きます。そうなると、しばらくありえない痛みを感じます。この痛みは
「
***
白咲と一緒にバスに乗る。
人が多く、つり革につかまって立ったままの彼女と会話ははずまながった。
「何か、妙なことに足を突っ込んでいるようですね」
下がったがったエナメルバッグを持ち上げた白咲が、心配顔で言った。
「いや、その……ちょっとね」
『日曜日の夜には、決着つくよ』
麻由姉が念話を入れた。
「日曜日? 今度の日曜の夜にですか」
目を細めて聞き返す白咲。
「いやっ、まあ、そんなところだ」
『どんなところよ』
麻由姉がまた突込みを入れる。
「気をつけてください」
バスを降りて歩道を歩いてると、気になることを麻由姉が白咲に聞いた。
『さっきのイミテーションだけど、日本刀やナイフはなんで? イメージで作れるなら手っ取り早く銃じゃ駄目なの?」
「銃はモデルガンかエアーガン位にしか思わない人が多くて、本物って説明するのが面倒なのです。その点これは鞘から引き抜いただけでインパクトを起こします」
『ふーん、確かに光った刃見せられれば……たじろぐか』
「俺からも一つ聞きたい。この間、じゃなくて一時間ほど前、白咲に教わった弓矢はもしかして」
白咲は顔を下に向け、体を縮こませた。
「すみません、あれもそうです。弓や的は本当ですが、矢は
「あーっ。じゃあ俺、一人で舞い上がっていた?」
俺は頭に手を当ててつぶやく。
『何? 私だけ話が見えてないんだけど』
「白咲に初めて弓道を教わって的を射て喜んでたんだ」
『ふーん、それが
「いえ、それは違います。矢は創りましたが、矢が中るなんてイメージしてません。広瀬さんの思考感覚がパーフェクトだったんです」
「じゃあ、俺のイメージが的を射たと?」
「ええっ、的に中ったのは目標達成のイメージ能力がそうさせているんです。実際にやっても似たことになってたはずです」
「嘘? そういうことなのか」
俺は立ち止まり白咲を凝視する。
「はい。広瀬さんの集中力は偉大です」
と白咲は体を軽く跳ねて力説した。
『優等生だったのね』
――茶化すなって。
「しかし、二つの心が交代で現れるんじゃなく、同居しているってのは」
俺を見ながら口に手を当てて思考する白咲。
「んっ? 二重人格の亜種ぐらいと思ってたけど?」
『非常識というか、ありえないわよね? 私も不思議』
「はい、つかの間の時間でなければいいと思って。ああっ、ご、ごめんなさい。不安をあおってしまいました」
「いいよ。事実だし」
『それは二つの心が同化してしまうってこと?』
「可能性の一つですが、何か役割があるから起きたことだと私は思います」
『それは上に、何かいる言い方ね』
麻由姉が不審そうに尋ねた。
「そう思わないと……こんな神力は使えないです」
『ふーん。その役割が私たちが許された時間なら』
――麻衣の救出。それしかない。
『でもさ、零の聖域の時間って一体どうなってるのかしら』
「零の聖域の時間は意識できる範囲内だけですけど、全てに通じる時間の次元と思ってます」
「よく理解できてないんだけど、どういうこと?」
「これはただの勘ですけど、本人が生きている間の時間軸のみってことだと思います」
『生きている時間の間での時間移動ってことね』
――許された時間か。だからタイムスキップ内で移動できてるのか。
「
白咲がなぜか寂しくつぶやいてた。
希教道の道場が見えたとき麻由姉が突然声を上げた。
『ちょっ、ちょっと。紅茶のお店この信号渡った奥でしょ? 渡らないと飲めなくなるわよ。それともお店なくなった?』
「あっ、何だ覚えてた?」
『もう、忘れませんよ』
「用があるようですね」
白咲が信号の先を見つめながら言った。
『ちょっと買い物ね』
「そうですか。じゃあ、私はここで」
「ああ、いろいろ長々と聞いてごめん。それに助かったよ。今日はありがとう」
「いいえ。お役に立てたなら私は満足です」
笑顔を残して白咲は、ポニーテールを揺らし希教道の家に帰っていた。
俺は見送ってから青になった信号機を渡っていく。
――白咲はいろいろやばいこと知っていて驚きだ。
『でも、彼女親切すぎ……使用法は切り売りすればいいのに、ふふっ、なぜかしらね?』
「白咲は裏表がない、優しい後輩だからね」
俺は胸を張って自慢する。
『これだよ。麻衣ッチの苦労が浮かぶわ』
「何でだよ? 気になるな」
『何でもない。はーい、紅茶お願いね』
夕食はカフェショコラですませて、夜八時にマンションに戻り、制服からグレーのジャージに着替える。
そして熱湯で暖めたティーカップを持つのは、俺と交代した麻由姉。
クオリア的感触の実感を味わっているらしい。
『ふーっ。この味よ。このひととき、生き返ったわ』
――そうなのか? 俺はよくわからないんだが、紅茶って。
『本当にありがとう。美味しいよ。うううーん。大げさに言ってるんじゃなくって、本当ならもう飲んで味わうことなど、なかったから。そう思うと口に出ちゃうの。おかわりって』
――家はセルフサービスです。
『もーっいいわ。……心もリフレッシュしたところで、白咲の能力、私たちも使えるようにしない?』
――うん、俺も思った。回帰の世界、彼女の言う零の聖域を使いこなすことだね。それで思い出したことがある。他人の目を通して……俺自身や麻衣を見れてたときがあったよ。
『なんだ、できるじゃないの』
――やはり思い、念、イメージなんだなって思った。
『そうね』
――回帰の世界を通して相手を特定しイメージの情報を送り……驚かす。そうすれば、麻衣をうまく助け出せる! やる、やれる、かならず。
『やり方しだいね。ガンバローッ』
――で、次だけど、小出さんたちと落ち合う日だったはず。
『時間が気になるけど、どのくらいなの?』
――4回目は、えーとっ……五時間だよ。
『一番多いね。ふーん』
何かを思って考え込む彼女。
麻由姉が飲んだティーカップの後始末を頼んで、次のシーンを思い浮かべる。
――次は何だっけ?
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