第15話 過去の断片(二)

 蝉がうるさく鳴く中、午後の日が陰り始めた頃。

 街に買い物に出かけた帰りバスを降りて住宅街に入ると、歩いている先にセーラー服の麻衣がバッグを担いでゆっくり歩いていた。

 何か違和感を覚えたので、声をかける前に後姿を観察する。

 どうやら足を引きずるような歩き方が原因のようだが、怪我でもしたのかな? 

 そういえば三日前に会ったときの彼女は、目に見えて元気がなかったけど……。

 そのときに足を痛めてた? 

 近づいて後ろから肩を叩いて振り向かせる。


「あっ。ビックリした。忍か」

「部活の帰りか?」

「う、うん……」

「足怪我でもしたの? 何かかばってる風だったから」

「ううん。ち、ちょっと疲れただけ」

「そう? ならいいけど」


 並んで歩き出したが、いきなり話につまづいた感じ。


「えっと。なんだ、そのーっ。昨日のドラマ見た?」


 俺の話題に言葉は返ってこない。


「んっ? 麻衣?」


 立ち止まり、彼女の顔をのぞきながら問う。


「聞いてた?」

「えっ? あーっ、はははっ。何?」


 笑顔でごまかす彼女。


「今日の麻衣、何か暗いなーっ」

「そ、そんなことないよ。えっと、忍は今日何してたの? 持っているのは本。参考書?」

「えっ、いや」

「あーっ、もしかして私の誕生日覚えててくれた?」


 そう言っておどけてみせる麻衣。


「そ、そうだったか?」

「なーんだ、違うのか。てっきり、あの携帯ストラップをプレゼントしてもらえると思ったのに」

「こ、これは俺が楽しみにしてた、コミックの新刊本だよ」

「そうなの? 忍らしいけど」


 明日が麻衣の誕生日で、そのプレゼントの買った帰りだったのに。

 おまけに内容も当てられたら、恥ずかしくて言えない。

 バレるのを恐れて隠すしかないだろ。

 まったくこの女は勘が鋭い。

 携帯ストラップというのは、着信で光って回るキャラクターグッズのことで、麻衣が欲しがってたグッズ。

 喜ぶの期待して買ってきたのに、落胆のため息が出る。


「なんか飲まないか? 暑くてかなわん」

「そうね、私ものど渇いた」






 公園の脇にあった自動販売機に、コインを入れて炭酸系ジュースを押す。

 彼女はスポーツドリンクだ。


「うめーっ。俺、炭酸ないと夏越せないな」

「炭酸ばかりだと、体なまっちゃうわよ」

「いいんだよ。美味いものはすべてを制するんだ」

「意味わかんない」


 俺たちは、木の日陰に入り涼み、並んで飲料水を飲む。

 公園は大量の蝉の合唱音が響くが、子供は一人も遊んでなく、暑い夏の午後の日差しだけが強く目に入る。


「昨日ラジオでさ、口づけは心のマッサージって言ってたけど」


 俺は何気なく話題を振ってみた。


「へーっ、面白いこと言うね」

「キスって、したことある?」

「な、ないけど」

「心のマッサージってのを試してみたくないか?」


 考えもしない言葉を、スムーズに話している自分に驚く。


「ええっと……試すの?」

「そおっ」

「う、ううんとね」


 そう言うと、彼女は人のいない周りを見渡して顔を伏せる。


「はははっ。冗談だよ、冗談」

「えっ? な、なんだぁ」

「あれ、がっかりした?」

「そんなことないわよ。ただ、ビックリしたけど。それだったら、忍クゥンはどうなの、したことあるの?」

「俺? へへへっ、ないわ」


 俺は間が開く時間を嫌って、手にしていた炭酸のペットボトルを口にする。


「なーんだ。じゃあ、誰かとしたかったんだ?」

「ち、違うって」

「あーっ、動揺してる?」

「し、してねえよ。だ、だから、俺は心のマッサージをだな、どんなものかと……」


 焦って手で額を摩ってたら、持ってた袋が破けて中身の箱がのぞいてた。

 やばっ、プレゼントの携帯ストラップ……見られてないよな?


「……ねえ」

「んっ? な、なんだ」

「いいよ。してみようか?」

「えっ、ええっ!?」


 期待してなかったので驚いてしまう。


「ば、ばか、自分から言っておいて、何驚いてるの?」


 麻衣も自分の発言に焦りだす。


「あっ、おおっ、そうだな。じ、じゃあ、するか? そ、その、いいんだな?」


 黙って首を縦に振る彼女は、ショルダーバッグを床に置く。

 そこへ俺も買い物袋を置いて、太い樹木を背にした麻衣に近付く。

 体中が心臓になったかのように、大きく鼓動しだしているのに気づく。

 彼女はペットボトルを胸に当てて、直立の姿勢で目を閉じあごを少し上げてくれた。

 俺は重心を保つため右手を樹木に乗せて、上から覆うように顔も傾ける。

 彼女の体に手をふれないようにして、樹木に置いた右手に力が入る。

 俺の唇が彼女の唇にあたる。

 一瞬離れるが、また触れ合い、時間が止まった。

 彼女の柔らかさを体感し、ゆっくり体を戻すと張り詰めた緊張が和らぐ。

 麻衣も目を開けて、無言で俺を見つめる。

 目と目が合い、口をついて言葉が出た。


「チ、チュウってこんなもんかな」

「うっ、うん。そうかな」


 お互い赤面して沈黙。

 何か言わなきゃと少し焦る。


「お、おまえ顔メチャクチャ赤いぞ」


 麻衣は目を大きく見開いて、火照った顔が耳まで一気に赤くなり憤怒の形相に変わった。


「さっ、さっ、さいてーっ。ばかーっ!!」


 最後のばかを俺に投げつけるように怒鳴って、その場から駆け去った。

 ああっ、やっちまった。

 ……麻衣、おおいっ、ごめんよ。

 しばらく茫然自失の後、彼女の走った後を追ってみたが見当たるはずもなく道路上で立ち尽くす。

 はあっ、麻衣。

 やっぱり速い、もう見失ったよ。

 はあっ、そりゃあ怒るよな。

 俺ってバカ? 

 これじゃ明日ますますプレゼント渡しずらくなった。

 公園の周りをうろうろした後、元の木陰の下に戻って帰ることにした。

 チュウのドキドキ感もどこかに吹き飛んでしまった。

 うん? 

 あれ? 

 このショルダーバッグは麻衣の……。

 そっか、持ち物も忘れて帰っちまったのか? 

 取りに戻ってくる? 

 待ってれば来るかな? 

 だけど、この暑い中、いつ戻るかわからないし、俺を避けるかも? 

 ……持って帰るか? 

 そうだな、明日このバッグを家まで返しに行ってプレゼント渡せるじゃん。

 これで行こう。

 よっしゃ! 

 決まり! 

 じゃ、持って帰ろう。

 公園を出ようとして、この先の神社の裏から抜け出る近道があったのを思い出し、そちらに足を向ける。

 ええっと。

 ここからだと、林から出れば通りに出れたよな。

 この下だ。

 おっと、ここに出るのか。

 段になっているところを飛び降りると小道に出られた。

 だが、その細い路地の奥からスピードを上げてワゴンが突進してきていた。

 もしかしてやばくね?

 車。

 そのフロントガラスから、男の笑みを含んだ面長顔が一瞬見えた気がした。

 体に強い衝撃を受けて、痛みで息が無理やり止められたような状態になると目の前が真っ暗になった。






 暗闇!? 

 どこだ? 

 うっ、いた……いたたたっ。

 万力に押し潰されそうな痛みが体じゅうから巻き起こっている状態で、そのまま意識は途絶える。






 また、気がつくと真っ暗……。

 いやっ、少し周りが明るくなったような。

 何か気配がする。

 人か? 

 暗くてわからないけど、何か人のようなものを感じる。


『いたい……よ』


 えっ? 今若い女性の声が聞こえた。


『ううう……』


 まさか麻衣? 

 暗がりから声の主の風貌が、薄っすらと浮かんできた。

 それは麻衣の姿になって目の前に現れた。

 いや髪が短い。

 今のセミロングじゃない。

 細部までは暗くてわからないけど、麻衣じゃない? 

 いや、髪を切ったのかもしれない。

 じゃあ、いつの話だ?

 また何か声が聞こえてきた。


『さっきの、心停止だって』

『あの? 可愛そうに……』

『自殺……わ」


 何。

 自殺? 

 あっ、真っ暗……声も消えた。

 突然閃光がほとばしったように明るくなった。

 まぶしい。

 あっ。

 白い壁。

 天井。

 天井から落ちてきているカーテン。

 ここは? 

 頭に違和感が……。

 いててっ。

 目の前に白い服の大人の女性が、見下ろしている。


「あっ、先生。気がつきました」

「おっ、そうか?」


 三個の影が俺の周りにあり、それが声を出していた。


「心電図も正常です」

「もう大丈夫だな」

「君、頭部の痛みは?」

「は? あっ、少し……痛みます」

「うむ、きみは自分の名前言えるかな? フルネームで言ってみてくれないか」

「広瀬忍です……ここは?」

「病院だよ」

「広瀬君は、かれこれ二十四時間寝ていたんだ」


 二十四時間……まる一日寝てた?


「車にはねられて倒れたんだよ。そのときの衝撃と、道路上に叩きつけられてしまい意識不明だったんだ」


 ああっ、事故に遭ったのか、俺。

 それで意識が飛んで。

 だから病院のベッドの上。


「じゃあ、少ししたら精密検査始めるからね」

「はあ……」

「広瀬君は運が良かったよ。一時期、心停止状態があったりで大変だったからね」

「そう……なんですか」

「しばらくベッドから起きれないから、覚悟しておくのね」


 やばかったんだ俺。

 こわっ……。






 事故の後遺症で一時的な記憶障害があったが、その後は何もなく続いた。

 入院も一ヶ月続いたので、麻衣が二度ほど見舞いに来てくれた。

 明るく振舞ってたので、そのとき彼女に災難が降りかかってるなんて思いもしなかった。

それで、突然道に出た俺をはねた車は、逃走して見つからなかった。

 いきなりだったので、グレーのワゴンしか記憶になかった。

 俺が助かったせいか、警察は大して動かず犯人は未だにわからない。

 退院後学校に戻ると、麻衣が足の靭帯を痛めて悩んでたこと、家族に不幸があったことを知る。

 麻衣にそっくりで、何度か会ったことのあるお姉さんの死である。

 それに伴って家を売って借家に入っていたことも後で知った。

 彼女が辛かったとき、話相手の一人にもなってやれず、足を引っ張ることをやっていた自分がショックだった。

 あの夏休みのあの日、足の異常に気づいたときに聞いてやっていれば……。

 気まずい気分のまま受験勉強も手伝い、話す機会も作らず卒業。

 別々の高校に進学し疎遠になっていったのだが、俺が今の高校に転入し彼女と再開。

 それから足のことは、触れてはならない暗黙のルールができていた。

 ……なのに。



 ***



 白咲が四射目を外して引っ込んだので、俺は弓道場の見学席を出た。

 また麻衣を探して庭を歩いていると、弓道の練習用のまと巻藁まきわらが三個、木の台に設置してある側に出る。

 数人が練習していたが、白咲の陽上高校の部員ではなく道着が黒いので、うちの竜芽学園の部員のようだ。


「どうも……広瀬さん」


 後ろから声をかけられ振り向くと、先ほど射場に立っていた白咲がいた。


「あーっ、ははっ。言っただろ、来るって」

「そうですね。……でも広瀬さん、さっきと全然違いますね。元気がなくなってます」

「そ、そんなことないぞ。ほら、このパワー」


 両手を回してポーズを取ると、白咲は少し笑みを向けて首を傾ける。


「今度は空元気です」

「年上をからかうな。で、さっき見てたぞ、白咲の放つ矢はすごいね、的に吸いつくように射抜いてたよ」

「はい、まぐれです」

「いやいや、それで試合は終わったの?」

「個人戦が終わりましたが、団体戦が後にあります。だからしばらく休憩で、外に出れる許可もらいました」

「もしかして、優遇されてる?」

「はい、一年は先輩たちを正座で応援しないと行けないんですが、部長さんが期待の戦力だって」

「いいじゃないか」

「嘘です。守ってもらっているんです。私まだ一年ですから」

「もしかして、妬まれてるのか?」

「そうですね。でも、大したことはないです」

「そう? それならいいけど」


 心配して見ていると、彼女は笑顔で善意の提案を持ち出した。


「そうだ、広瀬さん。やってみませんか? 弓引き」

「弓……俺が?」

「気を静めるためにも、いいですよ」

「そうなのか。でも、やったことないんだよ」

「基本は教えますから、やってみましょう」


 俺は彼女の行為に甘んじ、弓を引く動作の型をかじって見た。

 彼女から借り受けた弓を持つとずいぶん重い。


「こうかな」


 引き絞ってみると、かなり力がいる。


「そうです。で、次が かいです。矢を引き絞った状態で的に集中、押し引ききわまったならば、放ちます」

「ふむ、ふむ」

弓手ゆんで三分の二弦をし、妻手めて三分の一弓を引く」


 別の弓で彼女は見本を見せてくれた。


「何? スラーッと言ってるけど」

「射法の一部で、今の動作を語ってます。……しかして心をおされ和合なり」

「それけっこう難しくない?」

「いえ、心の隅に置いておく程度でいいんです」

「はあっ、わからなくなったときに思い出すってこと?」

「はい」

弓手ゆんで三分の二弦をし、妻手めて三分の一弓を引く」

しかして心をおされ和合なり。か」


 射法の動作を覚えながら、しばらく弓を絞る練習をやってみる。

 上着を脱いでコンクリートの段に置くと、いつの間にか生徒は俺と白咲だけになっていた。

 途中から矢を渡され、彼女が足の開きや腕の立て方など細かく見せてから簡単に射る。

 それで俺も弓に矢をつがえて型を注意されながら引き絞ると、かなり恐怖感がでてきた。

 練習用の巻藁で一メートルくらいから射てみた。

 放った瞬間、巻藁に刺さっている。


「思った以上に怖いわ」

「始めはそうです。だから緊張感を一つに集中するんです。無心です」


 矢がない状態で、弓だけで的を射る練習をしばらく続ける。

 これはエアー弓道だな。


「そろそろ射てみては?」


 白咲から矢を渡される。


「この矢で射てもいいのかな」

「私の矢ですから大丈夫。使って下さい」


 練習用の巻藁の隣は弓道場裏で、そこの奥に一つ布が垂れ下がり黒い丸が三重にかかれて設置してある。

 今度はこの的で本当の弓を射る。


「的って遠いんだな」

「二十八メートルあります」

「ひゅーっ。あの的にあたるかな」

「硬くならないで」


 白咲のアドバイスが、うしろから飛ぶ。


「ああっ。じゃあ、始めるよ」


 大きく呼吸をして集中、弓に矢をつがえて引き絞ると隣で白咲が唱える。


弓手ゆんで三分の二弦をし、妻手めて三分の一弓を引く。しかして心をおされ和合なり。然るしかのち、胸の中筋なかすじより左右に分かるるごとくこれを《はな》離つべし」


 彼女の


「《はな》離つべし」


 で、自然と矢が離れる。

 黒い的の中に矢が吸い込まれていった。


「すごい、的に中りです。もう一度やって見て下さい」


 彼女から受け取った矢を型にはめて、両肘で弓を矢束まで引く。

 周りの騒音が聞こえなくなる。

 気づくと矢は指から離れ、黒の中心付近の的を射ていた。


「また的の中です。これは驚きです。初めてって嘘じゃないんですか?」

「初めてだよ」

「もう一度やってください。見極めます」


 確認するように、また両肘で弓を矢束まで引く。

 時間が止まったような静けさを感じると、指から矢が放たれた。

 飛んだ矢が的を射る。


「ところどころ素人っぽいところあるのに……次四射目射ってください」


 周りの景色が消え、的だけが大きく目に写っている。

 当たり前のように引き絞った矢は放たれ、大きい的に吸い込まれる。


「すごいです、ど真ん中ですよ広瀬さん。四射ほぼ中央を射てます」

「あっ、あれ」


 気がつくと、顔からかなりの汗をかいていた。

 背中も濡れている。


「変だな、激しい運動はしてないのにやたら汗が出てる……呼吸だって普通なのに」

「それだけ集中してたんです」

「的に中てるため、身・心・弓の和合が成立してたんですよ」

「そ、そうか?」

「やっぱり、初めては嘘ですね?」

「本当だって」

「すごいです広瀬さん、嫉妬します。もう、神が降りてきたってこういうことですね」

「小さいときからたまにあるんだよ……恐ろしいまぐれ中り」

「小さいときから?」

「そう、だから明日また矢を射ても中らなくなるよ」

「きっと集中力を自己で完璧にコントロールできる力、それを潜在的に持っているんです」

「そうなのかな」

「もったいないです。その能力磨いてください」

「駄目駄目、まぐれはまぐれ。さっきも言っただろ、まれに起きるだけで、能力なんてものじゃないから」


 そこへ弓道場から、陽上高校の制服を着た前髪ぱっつんショートヘアの女生徒が出て来て、白咲に声をかける。


「もうすぐだから、戻って準備しなさい!」

「はい。谷崎先輩」


 こちらをにらむように、いちべつして谷崎という先輩は戻っていった。

 マネージャーだろうか、ちょっと怖いな。


「ありがとう、お陰でごちゃごちゃしたことを忘れられてすっきりしたよ」

「いいえ、こちらこそ広瀬さんの一面が見れて楽しかったです」

「俺は勉強になったよ」


 持っていたハンカチで顔の汗を拭ってから、ブレザーを持って出ようとしたとき、呼び止められる。


「あっ、あの、ちょっといいですか。お願いしても」

「うん、いいよ。水晶の借りもあるし、何?」

「学園祭の水晶占いみたいにですけど、ちょっと握手してくれませんか?」

「占い? 握手?」


 瞬間フラメモを連想して腰が引けた。


「広瀬さんからの握手で、これから始まる試合に集中できそうなんです。先輩たちの中で、緊張しまくりなんですから」

「そっか、年下だと苦労があるって言ってたね。よし、俺でよければ」


 これは役得か?


「それじゃあ、広瀬さん!」


 彼女は俺の差出した手を握ると、顔に持ち上げて頬にすりよせる。


「えっ? 白咲」

「いいんですよね?」


 そう言って、腕を持ったまま押し返して密着してきた。

 腕を取られて抱きつかれた感じだ。


「い、いやっ、その。白咲……大胆」

「少しだけです」


 うっ、うれしいが俺にはよくない。

 すぐに頭痛と耳鳴りが始まった。

 あっ、やば。

 フラメモが発動。

 額の前あたりに、彼女の記憶映像がいくつも流れるように現れてきた。

 こ、これは意識してやってるわけじゃなくって……。

 つい映像に目が行くと、右のは何だろう? 

 つい意識してしまう。

 映像は大きくなって、俺は白咲の記憶映像に吸い寄せられる。

 少し遠くだが、歩道のない道路を一人の男が歩いてる。

 後ろからワゴンがすれすれに通っていったが、男は尻餅をついて倒れて腕を押さえていた。

 ワゴンに接触したようだ。

 だが良く視ると、服装に覚えがある。

 この映像は……俺だ。

 最近、車と接触した記憶などない。

 服装も昨日着ていたもの。

 もしかしてメモリースキップの知らない俺じゃないか?


「どうも」


 白咲が俺から離れて、腕を開放してくれた。

 そのとたん、映像も途切れた。

 今のは?


「うれしいです。これで集中力持続アップです。あっ、ごめんなさい」


 彼女は俺から離れると片手を頬に当て、もう片方は小さくガッツポーズをしていた。

 精神安定剤代わりにされたが、悪い気はしないかも。

 いや嬉しい。


「あっ、はははっ……うっ」


 笑ってたら、また頭痛がして頭を押さえる。


「広瀬さん? どうしました?」

「いや、何でもない」

「ホントですか?」

「ああっ、大丈夫」


 弓道場から今度は、先ほど麻衣とぶつかった部長が呼びに出てきた。


「おおーいっ、白咲くーん。そろそろだよ」

「あっ、部長だよ。団体戦が始まるんだな。がんばりな」

「じゃあ、行ってきます」


 耳鳴りとめまいに意識が白く混濁していった……。

 そして、三度めの記憶を喪失。






「あっ」


 ここは?

 結局、記憶をなくし……気づくとマンションの自室の椅子に座って、制服がグレーのジャージにかわっていた。

 時間は夜九時三十分を指している。

 あああっ……。

 また、この数時間のことを忘れてる。

 白咲の映像を見た後すべてだ。

 はあっ。

 ……あの映像は何だったんだ? 

 俺がワゴン車に接触して、それを白咲が見ていた? 

 そうだ。

 見ていたんだ。

 彼女は! 

 昨日の夜に会ったとき言ってたぞ、


『怪我はなかったようですね』


 そうだ。

 これは聞いておかねば。

 ……だがもう夜は更けてる。

 ところで、俺は飯食ったのかな? 

 ローテーブルに置いてあった財布をチェックしてみる。

 おっ、今日のレシートが何枚か入っている。

 下のカフェショコラのがある。

 食ってるな。

 ちゃんと生活はしてるんだな。

 今のところ危険なく振舞ってくれてるようだ。

 この俺は。

 一安心。

 いやっ、肝心なことを終わらせてなかった。

 麻衣だ。

 どうなったんだ? 

 あああっ、すぐ携帯電話を取り出して、着信履歴を見るが彼女のはない。

 迷った末、通話ボタンを押して耳を傾けるが話中の音になっていた。

 ……はあっ。

 缶コーヒーでも買ってこようと、マンションの廊下へ出る。

 ドアを閉めると、廊下の奥から人影がこちらに歩いてきた。


「あら、こんな時間にまたどこへお出かけかしら」

「はあっ……夢香さんこそやっと帰宅ですか?」

「私は、コンビニに行ってたの」

「俺は、はあっ……缶コーヒーを買いに一階の自販機へ……はあっ」

「ため息覆いね。どうしたの?」

「えっ、いや……はあっ」


 もちろん夢香さんにも、一連のことは話せないけど。


「その、同級生の子とちょっと」

「麻衣ちゃんね? 彼女と何かあったのかな」

「喧嘩しちゃって」


 俺は頭をかきながら明かした。


「へーえ。仲が良いから喧嘩しちゃったんじゃない?」

「それならいいんですが」

「忍君、モテるから原因は彼女の嫉妬とか? んなわけないよね?」

「はあっ……」


 持ち上げたり落としたり、この人は。


「彼女のこと、好きなんだ?」

「ははは。そう……ですね」

「コクって、ないんでしょ?」

「ええ。でも麻衣……彼女は、どうなのか、もうわかんないです。傷つけちゃったから」

「ふーん」

「俺……駄目な男ですね」

「そうだ、ちょうどいいわ、少し待ってて」


 そう言って夢香さんは部屋に入っていき、何か紙を持って戻ってきた。


「これ、遊園地のチケットよ」

「遊園地の?」

「二枚あるから誘って行ってきなさい。ついでにコクってカノジョにしちゃう!」


 恋人? 

 カノジョ? 

 麻衣が? 

 なれれば嬉しいけど。


「えへっ、へへへへへへっ」

「何よ、変な笑い方して」

「な、何でもないです」

「どーお? 遊園地」

「でも、悪いですよ」

「いいの、もらい物だし、私一人じゃつまんないから」

「カレシは?」

「あの人は、遊園地興味ないから。だからいいの、心配しない!」

「そうですか。じゃあいただきますよ、いいんですね?」

「その代わり、報告する」

「あっ、ははは」






 もらった遊園地チケットをローテーブルに置いて、缶のコーヒーを飲みながら眺める。

 麻衣と二人で遊園地。

 考えたことなかったけど、これいいかも。

 携帯電話を持ち上げながら、謝ってから遊園地に誘う会話内容をイメージする。


「よし」


 一人で納得して通話ボタンを押す。

 だが、まだ話中である。

 ……着信拒否じゃないよな。

 すぐ計画は頓挫して、メールで『ごめん』と一言だけ送ることにした。

 メール送信した後、また不安になる。

メールも着信拒否だと、もう望みなしだよな。

 ベッドに倒れこみ、あお向けになる。

 胸が熱くて痛い。

 彼女との関係をはっきりさせてこなかったから、気持ちを伸ばしてきたツケがこれか。

 会ったら麻衣に謝ってそのままコクろうか? 

 傷付けてしまったから、断られる確立が高いわけだが? 

 いいさっ、気持ちの整理になるし玉砕覚悟。

 そう、今は問題を一つ一つ解決して行くのが一番だ。

 そうと覚悟を決めたら気持ちが晴れ晴れしてきた。

 それとともに胸の痛みが治まってきたら、突然眠気がさしてきた。

 強烈な睡魔は、翌朝の不安もかえりみずに意識をすぐ途切れさせた。






 十月二十九日 水曜日


 雨の日の朝。空の天気と同じく暗く曇って憂鬱だ。

 また悪夢を見てたらしい。

 等間隔で水滴がゆっくり落ちる音で目覚めた。

 バスルームで体を丸めて寝ていたようだ。

 だが、今日は断片的に覚えてる。

 霧のかかったような画像で階段が見えた。

 知らない階段だ。

 月曜日の朝の断片イメージと似ているようだった。

 薄暗い階段、夜だろうか? 

 ……でも、これだけ。

 しかし、これじゃあ何にも意味が解んねえよ。

 ため息しか出ない。






 学校に着いたら彼女に話そうと思っていた。

 だが、甘かった。

 始業前に麻衣と顔を合わせようとしたら、避けるようにどこかに行ってしまう。

 無理に話をつける勇気もなく机でうなだれると、雅治と椎名が状況を聞きにきた。


「おっ、忍。昨日あれからどうなった?」

「……どこへ行ったのやらっで、歩き回って散々だった」

「捕まえられなかったのか?」

「あっ、ああっ」


 たぶんな。


「まったく。頼りないわね」

「……そうだな」


 椎名の容赦ない言葉にも怒りが沸いてこない。


「ケータイかけなかったのか?」

「何度かかけたんだが、夜から話中の音しか鳴らなくなって……着信拒否っぼい」

「本当に怒らせたようね」


 腕を組んだ椎名が、麻衣の不在の机を眺めて言った。


「でも、浅間は何であんなに怒ったんだ?」

「んっ。それは……」


 俺が少し躊躇すると椎名が話だす。


「麻衣は中学のとき、ひざの靭帯痛めたのよ」

「えっ、そうなのか? 陸上部だったってのは聞いていたけど」

「スポーツ傷害で右膝の靭帯組織の断裂で……。医師に診てもらったけど芳しくなく、長期の休養を余儀なくされたって」

「それで文化系のミステリークラブに。……そんな経緯があったのか。知らなかった」


 椎名の話で雅治は、俺に呆けた顔を見せて頭をかく。


「それをこの男は、傷口に塩塗るようなこと平気で言っちゃったから」

「うっ」


 俺は机に伏せて小さくなる。


「そりゃあ、忍が悪いわ」

「広瀬に言われたから、かなりショックだったと思うわよ」

「はーっ、忍に言われたらへこむな」

「わーっ。これ以上、俺を陥れないでくれ」


 机に伏せたまま二人に抗議した。


「自業自得」

「ああっ、俺どうしよう?」

「もうわかったわ」

「そうだな、行こ行こ」

「おっ、おい、薄情な」

「バーカ、謝るしかないだろ」

「いい加減、素直になったら?」


 薄情にも二人とも、言うたげ言って退散した。

 そこに時間で戻ってきた麻衣は俺には目もくれず、椎名のいる女子の輪に入っていった。

 大勢の中では言葉をかけづらい。

 とにかく、謝らなければ始まらないので、授業後の休み時間に麻衣の机に向かうが……。

 椎名と連れ立って廊下に消えて行く。

 む、無視された。

 そして、その日は下校まで同じように避けられ続ける。

 ガーン、ショック。

 麻衣が無視してくるなんて……。

 ひどい子に育っている。

 辛いぞ。

 下校は一人寂しく校門を出るが……。

 朝よりもひどい雨。

 今日の雨は、俺の涙雨になった。

 マンションの自室で夕食をすませると、気分転換にパソコンを使って行きつけの掲示板やブログを見て回り夜を過ごした。

 シャワーを浴びてベッドに横になる。

 ここのところ異常なくらい早寝していることに思い当たる。

 やはりフラメモを使った弊害なのだろう。

 幸い今日は使うことがなかったから睡魔が来てないが、胸が痛くて寝付けない気もする。

 もう一つ、朝の無意識の行動も気になるが、もう普通に起きてほしいと祈るのみである。

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