第47話 白咲の部屋

 道場の入り口は閉まっていて、小さな照明がついてるだけだった。

 彩水が先頭になった四人は、前に来たように裏の勝手口から台所を通り、応接室らしい十二畳ほどの洋間に入る。


「お茶入れます」


 直人がそう言って台所に戻ると、白咲はいなくなっていた。

 戸棚からバームクーヘンの入った袋菓子を取り出し、テーブルに置いた彩水は、一人掛けソファーに腰を下ろす。


「この時間帯になるとお腹空くからね」


 小さく個別包装になったバームクーヘンの一つを、開け口に放り込む。


「夕食食えなくなるぞ」

「何言ってんの! 夕食までのつなぎよ、つなぎ」

「って言うか、勝手に食っていいのか?」

「ここの巫女だからいいの……ボーと立ってないで座ったら」


 仕方なしに反対の二人掛けのソファーに腰を降ろす。


「ねーっ。いいもの見せようか?」


 彩水が意味ありげな薄笑いを浮かべていたので、眉をひそめてしまう。


「何だ? 暇だから聞いてやろう」

「見たらその減らず口も叩けなくなるぞ。いいか、秘密だから、他に話すなよ」

「見てからな」

「ふふーん」


 笑みを絶やさず、両腕を二度叩いて俺を凝視してきた。

 突然、目の前に小さな炎が燃え出したので体を引く。


「うわっ、これは」

「ほーら、忍くぅんの減らず口が止まった」


 俺は腕を出して炎をさわろうとしたが、熱があり止めた。

 実際、顔が温かく感じてきている。


「部屋を燃やす気か?」

「大丈夫。そんなヘマしないよ。これはメラ! 今開発中で武器にできそうなのよ」

「メラファイヤー」


 彩水が元気よく言うが、炎は少し前進して消滅した。

 それを見てまやかしイミテーションだと確信した。


「メラって、どこのロールプレイングだよ」

「こんなのできるの魔法士ぐらいじゃない。だからメラ」

「それこそ、かんなぎ様だから。神道から言葉引っ張ってこいよ」

「ごちやごちやうるさいのよ、だいたい感想はそれなの? 驚きもしないで、がっかりだわ」

「いや、十分驚いているんだが」

「それなら、もっと私を崇めなさい」

「いや、崇めるには本人知っているからな。うん、かんなぎ様として努力しよう」

「もーっ、つまらないよ、忍くぅん」


 肩をすくめる彩水は、またバームクーヘンを取り出して口に入れる。


「次には、はむ、はむ、もっと驚くこと、はむ、はむ、してやるわよ」


 口をもぐもぐさせて、次回予告を言ってくるのはいつもどおりである。


「そういえば白咲は?」

「ふっ、気になるんだ」


 下卑た笑いを浮かべる彩水は無視する。


「いいや。……さっきの元記者だけど、教祖の同室者が死んだのって本当かな?」

「知らないし聞かされていないわ」


 彩水は関心なさそうに、携帯電話を取り出して操作しだす。


「教祖ってどんな人?」

「謎ね。私らが来る前に引退しちゃってて、会ったことないのよ」


 携帯電話の画面を指でなぞりゲームをやり出した彩水。

 昔のことは興味ないらしい。


「引退って?」                      

「足が悪くて車椅子の生活だとかで、面倒になったとちゃうの? 何でって言われれば、脳の神経の病気だそうで、原因までは知らないね。でも私は能力の使い過ぎじゃないかと思う」

「それって、俺たちにとってヤバイ話じゃないか。彩水は足とか大丈夫か?」

「何にもないわよ。あの女医が簡単に使うなってうるさいから、大して使ってはいないけどね」


 そりゃ、ついさっきも簡単に使ってたやつには注意するよな。


「女医……そういえば竹宮女医はいるの? 当主とか」

「女医? 日曜日だけの出勤、この前は一日ずれただけよ」


 そういえば、本人がそんなこと言ってたな。


「要のおっチャンはいなさそうだから、たぶん“ダスゼ”に行ってるかな」


 パチンコ? 

 また、ずいぶん庶民的なことをする当主だな。


「当主って白咲の叔父さんだよな? じゃあ、ここって彼女の自宅ってわけじゃないのかな」

「要の家はここでしょ? 両親が海外に行ってるけどね」

「海外に?」

「仕事でカナダかどこかって聞いたわ」

「へーっ、国際的家族だ」

「二階だよ」


 彩水が二つ目のバームクーヘンを頬張り、携帯電話をいじりながら言った。


「事務所の隣が彼女の部屋よ」


 事務所があるのに驚くが、宗教やってるんだから普通の家じゃないとすぐ納得。


「へーっ、白咲の部屋ってどんな?」


 うっかり尋ねてしまったが、生真面目な白咲だけど部屋はいがいと個性的? 

 あるいはピンクの部屋とかイメージしてしまう。


「ふふっ、やっぱり知りたいんだ?」

「べっ、べつに、俺の部屋広いって言ってたから、彼女の部屋は何畳くらいかと思っただけだよ」

「典型的な言い訳」

「違う」

「私も入ったことないけど、たぶん普通の部屋でしょ。あるいは少し地味めな部屋とかね」

「少し地味? そっ、そうかな。ピンクの部屋とか」

「そんなに見たければ、案内しますよ」


 後ろから声がかかり振り向くと、私服に着替えた白咲が立っていた。


「どうぞ見ていってください」

「そんな。べっ、別に深い意味はないから、うん」

「私も広瀬さんの部屋を見学できましたから」

「見学?」


 遠隔視オブザーバーでのプライベートは守っているってことか。


「あっ、いいえ。その、お邪魔したから……お邪魔しにきてください」

「おうっ、お邪魔しようか」

「ぷふふふっ、あんたら馬鹿っぽいよ。二人して意識しすぎ」


 携帯電話を置いた彩水が吹き出した。


「いっ、いっ、行きましょ」


 ポニーテールを揺らして方向転換する白咲に、彩水が笑いだす。


「ふははっ、要の焦ったところ始めて見たーっ。おもしれーっ」

「あの中坊」


 俺は毒づいて白咲のあとをついて行く。


「ほっとけばいいです」


 白咲のあとに続いて廊下に出ると、直人が戻ってきた。


「お茶入りましたよ」

「ありがとう、忍さんのはテーブルに置いておいて」

「お前もたいへんだな。あんなパートナーで」

「えっ? えっ?」


 ちょっと意味が解らず困った笑顔を向ける直人。


「聞こえてるわよ。バカ忍ーっ。それに私は高一!」


 部屋から甲高い怒声が届く。

 あいつの耳はダンボ耳か。






 白咲に遅れて階段を上がっていくと、部屋のドアが開いてありスチール製のデスクが四台ほどあるのが見える。

 本棚もあり厚い本が詰まっていた。

 事務所って言ってたところだろう。

 だが少し前にもここを見た覚えがある。

 いつかの学園祭の占いで、白咲を見たときに記憶にあった部屋だ。

 棚には医学関係のタイトルが目につくが、保持者関係での資料か、竹宮女医の持ち物だろう。

 廊下の奥に行くと閉まってるドアが一つある。

 白咲はいつの間にか中へ入ったようだ。


「広瀬さん、来てください」


 白咲の声が部屋から聞こえる。

 ドアの取っ手をつかみ開けると、部屋の中に彼女がベッドに所在なさげに座っていた。

 引き出しのないシンプルなデスクと、細長い本棚にベッドがある六畳のさっぱりした室内だ。

 壁に収納してあるタンス。

 窓を半分隠しているピンクのカーテン。

 入ると妙に懐かしさが込み上げてきた。

 何故だろう。


「どうしました。広瀬さん?」

「ああっ、ごめん。何か前にも来たような感じがして……初めてだよな」


 少し考えるが来た覚えはないので、思考は止めて周りを見渡す。


「俺の部屋より全然整っている。片付けが上手いんだ。余計なものはすぐ捨てられるんだな」

「ものは言いようですね。物に執着が無いだけで、シンプルが好きだから、親にセッティングしてもらった頃のままです」

「そう?……じゃあ、執着がありそうなもの。たとえば、机の上に彼氏の写真とか置いてない?」


 そう言いながら学習机の前に移動する。


「もうーっ。そんなのありませんから」


 ベッドに座っている白咲は少しふてくされる。

 やはり、この部屋どこかで見た覚えがある。何を覚えているのか? 

 木製のシングルベッド、ピンクの姿見の鏡、クリーム色の壁紙、オレンジボックス、学習机や椅子のデザイン……。

 記憶が想起するが、学園祭の占いで白咲からフラメモで見たものではない。

 そうだ。

 今日の昼に思い出していたじゃないか。 

 学校のパソコンで。

 栞という髪の長い少女。


 ――谷崎栞。


 そう彼女の部屋に似ているんだ。

 偶然? 

 デジャヴュ? 

 だが彼女は死んだ……。

 そして泣いた。

 しかし記憶が曖昧。

 俺は葬式に出たのか? 

 いやっ、葬式はあったのか? 

 覚えがない。

 その頃の思い出がない。

 何かひどくあやふや。

 髪の長い少女の記憶は鮮明に思い出したのに。

 彼女が死んだのは本当なのか? 

 なぜ覚えがない。

 重要なことがあった気がするが思い出せない。

 あるいはそう思うだけで大した事柄ではないから、記憶が浮かんでこないのかもしれない。

 他人の記憶を視れるのに、自分の過去が思い出せないって……若年性健忘症? 

 いや、目の前で起きた事故がショックで思い出したくないのかもしれない。


「あっ、何か話して……ください」


 ベッドに腰を下ろしたままの白咲が、顔をうつむきがちに言った。


「ああっ、うん、何話そう」


 つい思いに浸ってしまった俺は、彼女の前に戻る。


「じゃあ、その、あの、私から質問……です。何が見たかったんですか?」

「えっ? それは部屋の雰囲気はどうなのかなーっと」

「嘘です。私わかるんですよ。言ってください」


 強い口調で白咲が俺を見上げてくる。

 しばらく沈黙の時間を作ってしまって怒らせたかなと思い、白咲の前に腰をかがめて片ひざをつき話す。


「嘘じゃないよ。たとえば……小さいときの白咲の写真が見たいとか。そう、小、中学生の頃のアルバムとか」

「しょ、小、中学のアルバム?」


 なぜか焦っている白咲だが、見られたくないのか。


「可愛い写真ないの? お土産に持って帰りたくなるような」

「ここにはアルバム置いてないの。ええっと、両親が仕事先に持って行ってないんです」

「えーっ、両親が?」


 海外に行ってるとか彩水が言ってたな。


「それにあっても、恥ずかしいから見せないと思います」

「なんでーっ。じゃあ最近のは? 写メとか友達と画像送り合ってない?」

「写真写り良くないから、撮ってないです……何でそんなに見たいんです?」

「えーと、白咲のことを写真集アルバムから知ってみたいからかな」


 照れて顔を伏せるが、白咲の反応を見たくて見上げると胸に目が止まってしまい鼓動が上がる。


「私のことを? 何でですか?」


 首を傾けてポニーテールを揺らす仕草は愛くるしい。


「えーっ、それは……気になるから」


 また照れて頭をかく仕草をしてしまうが、その手を取って白咲は真剣に聞いてくる。


「何が気になるんですか?」


 彼女の柔らかな手の温もりは、俺を何度も助けてくれたことを感謝とともに思い起こさせる。

 いつだって献身的な少女。

 それがなぜだかは考えないようにしていた。

 麻衣が好きだから……。

 でも隠していた気持ちもその眼差しで揺れてくる。


「えっと……しっ、白咲が、友達以上になっているかも」


 もう一人の俺が、ここで流されたら良くないとささやく。

 あとが酷く厄介になるぞ。

 二股は、両方とも逃がすことになりかねないと言ってくる。

 でも白咲に見つめられると、そのささやきも遠のいて異性として受け止めたい気になってくる。


「それってどう言うことです? 何が以上になったんですか?」


 柔らかな感触と眼差しは、何かの言葉を待つように語っていた。

 胸が圧迫されるような心地よい重苦しさを感じて、俺の胸に彼女が熱く棲息しはじめていく。


「んっ……」


 立ち上がって彼女にキスをしたくなる……いや、こんなシチュエーションを昔にしていた。

 あれは……谷崎栞。

 彼女にしたんだ。

 何かの再現で言葉の誓いのあとに口づけを。


「言ってください」


 白咲の言葉が合図のように、何かのイメージが突然頭に湧き上がる。

 “空と大……の未来を……剣にかけて…守る”先ほどの誓いの言葉の断片だ。

 何でこんなときに思い出すかと払拭したくなったが、これは重要だともう一人の俺が止める。

 言葉に意識を向けると、小声で自然と復唱していた。


「空と大地と……未来を清める……はらいの剣……君を守る」


 遠くから笛の音が合わさるように流れてきた。

 白咲が俺の手を離し、両手を口に抑えて反応する。


「それ……は?」

「ああっ、聞こえちゃった? ごめん」

「ううん、ちょっとドキッとしました。何ですか?」

「えっと、今、急に思い出してね……昔見たTVアニメのシーンだったかな。でも中二病って言わないでくれよ。小学校の思い出だから」

「好きなセリフですか?」

「好きってのじゃなくて、もっとそれ以上の何かだったと思う」

「随分あやふやですね」

「うん、確かに……」


 何でそんな思いを持っているんだろう。


「小声じゃなくて、普通に聞きたいです」

「えっ、やだよ。恥ずかしい」

「もう一度。気持ちを込めたのを私に聞かせてください」


 白咲はまた真面目に言い出すと、首を傾げポニーテールを揺らして俺を見つめる。


「んっ、じゃあ……もう一度だけ」


 俺はうなずき目を閉じて、言葉を思い浮かべる。


「空と大地とそなたの未来を清めるため、はらいの剣にかけて君を守る」


 言い終わると唇に柔らかい物が触れて、目を開けると彼女の人指し指が合わさって困惑する。

 その指は主の元に戻りそれを眺めてから、自らの唇に合わせて上下させた。


「これで契約完了。私を守ってくださいね」


 白咲は笑顔で俺に告げる。

 何の契約だったかより、麻衣から指キッスをされた事を白咲がまったく同じにしたことで焦った。


「ちっ、ちょっと、白咲。今のはなんだ?」


 指キッスが流行とも思わないから、遠隔視オブザーバーで麻衣との行動を視られてた可能性は拭いきれない。

 昼の屋上での一件もあるから……。


「私もそのセリフ知ってましたから、嬉しくって悪戯心が出て演じてみました」


 俺に顔を寄せて小悪魔的な微笑みで言われると、戸惑った気持ちを吹き飛ばすのに十分だった。


「あのアニメ番組見てたのか……。でも指キッスって、白咲にしては大胆だな」


 そう話すが、彼女は返事もなく思考しているように天井を見つめる。

 変に思って俺は立ち上がると、それに気づいて白咲もゆっくりベッドから立ち上がり、両腕を後ろに組み俺の前に歩み寄る。


「どうなるのか、見たくもありましたから」


 俺の反応を試しているのか? 


「見るって言っても、俺にはいいご褒美だったぞ」

「広瀬さんにとって、この唇は商品になるんですね。じゃ私の価値はどれくらいです?」


 うれしそうに笑う白咲。


「いやいや、商品じゃないぞ。価値だってつけられない。昼間のまやかしイミテーションを起こした行動だけでも、俺には尊いものになる」

「尊いですか……本当の私を知ったらどうなるかしら……」


 途中から聞き取れない小声で言ったので、俺は聞き返すがまた笑うだけだった。






 間が持たなく、話を変えてみた。


「ちょっと昼の能力でわからないんだけど、まやかしイミテーションを使った相手って、知らない生徒だったろ? それでも遠隔視オブザーバーを通してやれるものなのか」

「何かしらの確認が取れれば大体はいけます」


 白咲は目を細めたあと、足元を見て考え込む。


「それは零の聖域を行使するから? いまいち理解してないんだよな。わかる範囲でいいからもう一度教えてほしい」

「はい……んっと、じゃあ粒子のからみ。聞いたことはありますか?」

「いや、量子物理学?」

「うん、アインシュタインが嫌っていた“非局所的”の話です」

「からまった粒子をほぐして別々の場所に移動させ、片方の形を変えさせると、離してあったもうひとつの粒子も瞬時に同じ形に変わる現象が量子にあるんです。何千キロ、何万キロ離しても同じで、その粒子のからみは時間や距離、空間の観念を超越して影響してしまいます」

「それは日本から地球の裏側のブラジル辺りに持って行っても、同時に変形してしまうってこと?」

「宇宙の果てに持って行っても同じ原理です。非局所的長距離相関とか言われてます」

「現実的じゃないね。不条理ってやつだ」

「普通の生活に慣れていると受け入れがたい、非現実的な物に見えるけど現実です。あの世・・・が最小の量子の世界に染み出していて、それを観測していると言う人もいますが……。その非局所性では、時空を超えてすべてが繋がっているから、宇宙全てが一種のホログラフィックの世界のようであると仮説が立ってくるんです」

「この世界がホログラフィック?」

「正確にはホロムーヴメントと言われてますが、この世界がバーチャルリアリティってわけではないです。異なった新しい解釈の現実の提示でしょうか? 知覚している私たちの宇宙を明在系と略して、その明在系すべてが影に隠れている暗在系宇宙に入っていると説明しています」

「物質も空間も?」

「時間も思考も記憶もすべてが同化しているんです」

「まったく同じ別次元世界か?」


 俺の頭の解釈だと、もうひとつの同じ多重世界、平行世界みたいなものか? 


「んん。どうでしょうか? いろんな解釈ができますが、すべてが同化して入っていることなので、仏教的な言い回しなら一個の塵に全宇宙が宿っているってことが一番しっくりくると思います」

「なっ、何? それだと、この世界すべてがホログラムとして世界に分布していると?」

「これもいろんな解釈ができますが、要するに、暗在系宇宙が零の聖域ってことです」


 それで言うと、零の聖域はどこにでもある? 

 呼べば現れるってこう言うことか。

 全てが一つであって、一つが全てであると?


「うむ……非局所性もホロムーヴメントも色即是空みたいで難しいな」

「言葉にしづらい現象を、言葉中の表現で把握してもらうしかないです。それを理解してもらうなら遠隔視オブザーバーが解けてきます。たとえば、暗在系の世界への筋道を意識が一端知ってしまえば、離れていてもインターネットにアクセスできるように他人の記憶、そして脳へ行き来ができてしまう。その受け答えのパイプが零の聖域になるんです」


 心の奥の無意識の底に零の聖域が、あの回帰の世界が横たわっている。

 そこは全てが超越していてこの世界の物事に繋がっている。

 他の人々の無意識とも繋がっていて例外がない。


「簡単にまとめると……暗在系世界の零の聖域はどこにでもあって、非局所的長距離相関の世界だから、場所や距離など関係なく、希望のイメージプログラムを意識して相手の無意識に送ると、脳がこのホログラフィック世界に投射。本人は現実に投射された幻覚をリアルに感じてしまう、いやっ、ほぼ現実と認識してしまうと」

「はい。それを私たちは愛称をこめて“零をける”。使う人を零の翔者しょうしゃと呼んでます」

「零の翔者か、よい復習になったよ。やはり白咲詳しい」

「へへっ、知り合いの大学教授の受け売りです」


 うつむき加減で笑う白咲。


「でも広瀬さんは、行動派だからT-トレイン事件のときは使われてたじゃないですか」

「少しだけだけどな。あのときは必死だったし……だけど白咲も谷崎さんと対峙して危ないことしてないか?」

「ううん。大丈夫」

「でも、この間の歩道橋落ちのような無茶なことはしないでくれよ」

「うん、そうします」


 首をすくめる白咲。

 俺も谷崎さんには早く会わないとな。

 真相が知りたい。


「……さっきから、小鼓や笛の音が聞こえているけど、あれは何?」


 遠くから笛の音が流れてきている。素人が聞いてもわかる、かなりの上達者だ。


「直人の竜笛りゅうてき、彩水の舞で練習をしているのよ。道場へ行ってみます?」

「そうなんだ。上手いね。それなら、この前見れなかったし、見てみたい」


 俺が先に廊下に出ると、白咲が後ろから追いついてくる。


「あっ、広瀬さん。先ほどの誓いの言葉。ありがとうございます」

「それはもういいよ」

「また、聞かせてください」

「だから、恥ずかしいって」

「私は好きです。約束ですよ」

「そんなに喜んでくれるなら……いいけど」


 俺の肯定を聞いてしきりに喜ぶ白咲に、あの台詞が好きなんだと自覚させられる。






 道場への襖を開けて中に入ると、広い空間の中央に佐々岡直人が座り竜笛りゅうてきで柔らかな旋律を奏でている。

 その前に制服のままの阿賀彩水が神楽鈴を両手に持って、竜笛の旋律に合わせて舞っている。

 舞慣れているのか、少しの動きにも切れを感じて動作を見入ってしまう。


「彩水の別人がいるぞ」

「怒られますよ」


 受け答える白咲も隣で見入ってるようだ。


「上手いんだな。竜笛の旋律と舞がピッタリ合っている」

「この道場のためのオリジナルな舞だそうです」

「へーっ、二人で創作したのか、彩水のクセに熱心だな」

「神社の娘で小さいときから手伝ってたから、舞を含めて巫女の仕事が好きなんだそうです。でも接触感応能力保持者とわかってから、家族の絆にひびが入り揉めたようですが」


 神社の話題で、彩水が不機嫌になったことを思い出す。

 あいつのことだ、家族でもいろいろ記憶を視てふれ回ったのが想像つく。


「彼女は神社から隔離されて、一人暮らしを余儀なくされたんですけど、誰かさんとよく似てますね」


 俺の一人暮らしの原因、やっぱり知られてる。


「だっ、誰だろう。かわいそうだな」

「そこで、直人君です。一人暮らしの彼女を上手くフォローしてますよ。二人は近所の幼友達で、神楽は自然と受け持ちが踊りと音楽にわかれ、いつもペアーで式典に出て重宝されていたらしいです」

「直人も能力者なんだよな。彼も何かあった?」

「彼が接触感応能力保持者とわかっても、家族がおおらかで揉めることはないらしいですね。性格も起因すると思いますし」

「そうだな、争わず穏やかで気が利くからな。ただ、彩水がそれに漬け込んで好き放題してるが」

「彩水もわかってますよ。彼の手のひらの上で踊っているって……みずから綺麗に見せようと舞っている風にさえ見えてきます」


 そんな殊勝なたまじゃないと思うが、女性から見るとそんな受け止め方もできるのか。


「白咲は、彩水の見方甘いと思うわ」

「そうですか? 彼女は直人君のためにも、二代目をかんなぎとしてよく頑張ってると思います」

「舞の頑張りはわかったけど、いかんせん彩水のあの高飛車な態度は平行する。白咲のようになれんのかな」

「これからいろいろな人たちが集ってくるから、その道場を引っ張って行くには、あのめげない性格が良いと思ってます」

「めげそうにないな。それは同意する」

「おい! そこ! さっきからウルサイ。集中できないじゃない!」


 彩水が神楽鈴をこちらに向けて怒っている。


「ご、ごめん」


 俺は右手を頭を後ろに置いて謝り、白咲もお辞儀をする。

 彼女はそのまま体を前に曲げ腰をかがめて床を見つめだす。

 不審な彼女に問いただすと、


「何でもない」


 と笑顔で答えた。

 だが、嬉しい吐息を発して向かいの壁を見ている。


「おいどうしたんだ?」

「何でもないです。ちょっと嬉しいことがあっただけ」


 微笑みながら立ち上がったが、まだ床を見ていた。

 俺に見えない何かを見ている風にも思えてきたが、彼女に触ってフラメモで確認するのも気が引ける。

 彼女にフラメモが使えるのか疑問でもあったし、問題ないと言っているので追求しないことにした。

 白咲への不思議ちゃんイメージを強くした俺は、舞を始めた彩水を横目に見ながらその場をあとにする。

 勝手口まで見送りにきた白咲から、また来て、と約束されて別れた。



 ***



 昨日の夕食は喫茶店“ショコラ”だったので、今日は自室で切り詰めてレトルトカレーに冷凍コロッケと寂しい夕飯にした。

 テレビを見ていると、パソコンを使った遠隔操作の犯罪のニュースをしていて、そこから元記者と外人の巨漢を連想する。

 廊下で巨漢の遠隔視オブザーバーできなかったのは、上手くアクセスできてなかったのだろうか。

 額に人差し指を当てて、悪戯心で白咲をイメージしてみる。

 集中してたら、壁に掛かった時計の針の音が随分大きく耳に入ってきていた。

 ……何も起こらず拍子抜けする。

 手じかにあった本を手にしてフラメモを実行する。

 すると額の前に映像が現れ意識すると、すぐホログラフィーが周囲に現れ記憶の立体化が起こる。

 聴覚の音もしっかり聞こえる。

 こちらは相変わらずだ。

 今度は麻衣で、もう一度イメージして遠隔視オブザーバーを試してみる。

 ……すると大して時間もかからず、自分の部屋から明るい病室のベッドに変わっていた。

 今日見舞いに行った病院の一室だ。

 ベッドから体を起こして小説を読んでいる。音楽も流れていて、携帯電話からイヤホンを通してJ-ポップを聞いてる。

 これは成功だ。

 驚きと興奮が体を覆う。

 浮かれて自然とガッツポーズを取っていたら、自分の部屋に戻ってしまった。

 戻ろうとしたが、いろいろ試みたくなって、ターゲットを変えて彩水にイメージしてみる。

 ……集中を続けていると周りがどこかの店内に変わる。

 テーブルの前には直人、ハンバーガーを食べている。

 ここはマクドナルドか? 

 近くのショッピングモールの店舗だな。

 そこで二人で夕食か。

 俺は一人でレトルトカレーだってのに……。

 そう思うと、マンションの部屋に戻っている。

 まだ不安定だが、遠隔視オブザーバーはやはりできる。

 では谷崎さんはどうかと遠隔視オブザーバーをしてみると、車の後部座席に座って前や横を向き、夜の街のライティング風景が流れていくのを見ている。

 会話もなく静かな室内をしばらくのぞいていると普通すぎて退屈になる。

 麻衣へイリュージョンを行使したのが彼女かと、疑問に思えてくる。

 少し休んでからもう一度。

 再度、白咲にイメージしてみる。

 何分か集中を続けたが、何も起こらない……。

 人によるのか、能力が不安定なのか、法則でもあるのか。

 あるいは寝てるとか、着信拒否とか……はないか。高揚した気分が下がっていく。

 しばらくして冷静になると不安とも恐怖ともつかない何かが心から湧き出す。

 これは前の高校で、無造作にフラメモを使った代償で味わった恐ろしさだろうか?  

 そう思うとうつ病と対人恐怖になった日々が呼び覚まされる。

 だがもう余計な心配は無用だ。

 道場の竹宮女医や保持者たちがいる。 

 喉が渇いてきたので、台所に立ち水道の水をコップに入れ一気に飲み込み深呼吸をするが、先ほどの恐怖は払拭できない。

 フラメモの代償の恐怖ではない他の何かだ。

 よくわからないまま部屋に戻り、白咲をもう一度のぞこうと遠隔視オブザーバーの続きを始める。

 ……が、何も起こらない。

 視れないと気になってしまう。

 原因は何だろうと思ってると、白咲の前で唱えた誓いの言葉が頭に浮かんできた。

 彼女の部屋に入ったときの懐かしさが思い起させたのかもしれない。

 あのアニメキャラのフィギュアを買ってもらったけど、もう何年も見てない。

 持ってきたダンボールの中にしまってあれば見れるかと思い立ち、気分転換と懐かしさに駆られて押入れをのぞく。

 記憶を手繰りに、ダンボールの一つを取り出して開けてみる。

 パソコン関係のケーブル下に見覚えのない緑色の古いファイルがあって眉をひそめるが、その下に目的の品が埋もれているのを発見して取り出す。

 五年ぶりだが壊れてるところも無くローテーブルの上に置く。

 10cmほどで手に持てる小さな大きさでポニーテールのミニスカート、谷崎栞のお気に入りキャラでもあった。

 前も思ったことがあったが、不思議と白咲の着ているファッションにダブル。

 彼女もキャラの服装をベースにして? 

 まさかね……今度聞いてみるかな。

 髪型も同じに分けていて、ポニーテールを結ぶピンクのリボン。

 タートルネックのセーターに白いジーンズのミニスカート。

 まったく、そっくり過ぎだろ? 

 これじゃあ、私服のときはコスプレばかりしていることになる。

 いやっ、彼女の真面目な性格からしてそんなことはない。

 じゃあ、俺の好みに合わせて着ている? 

 それこそあり得ない。

 俺のイメージで着ているなんて馬鹿げて……。

 先ほどの不安だか恐怖がもやのように、また心に湧き上がってきた。

 今度は言葉も浮かんできた。

 俺の記憶だから……。

 まさか……。

 でも……。

 俺の記憶から作られたから……そっくりになっている? 

 そうなると……白咲自身が……。


 ――まやかしイミテーション


遠隔視オブザーバーで白咲目線が現れないのは……彼女が架空の偽者イミテーションだから? 

 零感応エアコネクトが繋がらなかったのも?

 ……彼女に引っかかる所は今まで何度もあったんだ。

 外で歩いているとき、突然現れたり消えたり……。

 水晶や緑のファイルを返すときも、彼女は持とうとしなかった。

 一緒のとき、彼女が閉まっているドアを先に空けたこともなかった。 

 先ほどの彼女の部屋に入ったときも……。

 じゃあ、偽者イミテーションなら、誰かが白咲の人格を俺や周りの者に送って演じていることになる……誰が?

 いやいや、まず彼女が俺の記憶の欠片フラメモなどではない。

 占いのときは手を握って残留思念抽出サルベージをした。

 パーティのときは食事を運んでいた。

 弓道の試合はどうだ?

 みんな見ていて声援も上げていた。

 谷崎さんの幻覚イリュージョン攻撃も受けている。

 彼女を背負って重量は感じてたし、太ももの柔らかさも、胸だって触って感触はあったぞ。

 だけど、まやかしイミテーション魔邪まやで痛みを起こさせている。

 いやいや、触覚や重量知覚とかも脳が再現させていたら現実体験レベルになる、ありえないだろ?

 ……そうさ、そんなはずない。

 彼女が俺の記憶の欠片フラメモなどありえない。

 思い当たった実情に困惑してベッドに横になると、突然の睡魔に意識が混濁してきた。

 また能力の使用で体が睡眠を要求してきて、それに逆らえず意識が途切れてしまった。

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