第48話 柳都超心理学研究室
四月九日木曜日
その日は快晴。
学校で昼食の後に、麻衣から“検査終了。退院した”とメールが届き少し安堵していると、教室の後部出口で雅治が俺を呼んでいる。
近づくと他の生徒と話しているのがわかった。
「浅間に伝言が来てんだけど」
「休んでるだろ?」
「えっと、絶対来てくれとのことなんです」
廊下に立つ背の低い生徒が困ったように言う。
昨日の背の低い一年だが今回は直人はいない。
「この一年が同じクラブの二年に、浅間に屋上へ来てくれと頼まれたそうだ」
雅治が付け足す。
「クラブの二年?」
麻衣のクラブで二年と言えば、今村だろうと推測。
彼女がまだ休んでるのを知らずに一年に使いを頼んだのか。
直人には、俺と知り合いだと思って頼まなかったようだな。
それもまた屋上に呼び出しかよ。
無視したいけど、そうするとあとあと面倒になると予想がつくので代わりに会うことにした。
「知っているから、俺が行くよ」
二人に話して、重くなった足を前に出して屋上に向かう。
時間を知るため携帯電話を出すと、まだ昼休みの時間は沢山あったので時間を潰して遅く行こうかと思案していると、またメールが入ってきた。
のぞくと麻衣からで、“昨日話していた柳都超心理学研究室にすぐに行きたいからつきあって”と打ち込まれている。
研究室へは尋ねたい旨のメールで送って、“いつでもどうぞ”との返信は受け取っていた。
携帯電話で研究室の連絡先にかけ、今日の夕方行きたい旨を話すと、『お待ちしています』と若い男性から良好な返事をもらう。
了解を得たメールの返信を麻衣に送ったところで、屋上に行くことを思い出してウンザリする。
が、あまり不安感が起きない。
これは零の聖域をまた少しずつ使うようになったからだろうか。
屋上に出ると数人の学生がところどころで、床に座りしゃべっているて、それを眺めていると横から声がかかった。
「あなたを呼んだ覚えがないんですが?」
案の定、今村が塔屋の壁にもたれ掛かっている。
まだ額に大きな絆創膏を張ったままだ。
タンク男はどこか見渡すと、奥の金網の前に座って携帯電話をいじってパンを食べていた。
「あっ、ははっ。治ったんだな。階段落ちしたときはびっくりしたぞ」
「また狂った柴犬とか連れてきたら、灘太君と一緒に半殺しにして職員に通報しますよ」
やはり凶暴な犬の幻覚に追われて落ちたってことか。
ドーベルマンとか土佐犬とかに追われたのかと思ってたが、柴犬だったのか。
一瞬、雨の日のリハビリセンターの犬が連想された。
しかし、半殺しって、こいつ物騒だ。
灘太君ってのは、あのタンク男か。
「はて、狂った柴犬ってなんのことだろう?」
「はあっ……あんたと会話したいんじゃないんです。麻衣さんは? 本人はどうしたんですか?」
「知らないのか? 今日も休みだから代わりに来たんじゃないか」
「あっ? 休み? 本当に? 隠してませんか?」
俺は両腕を上げて本当だと話しながら、相手の顔を観察していると、俺の胸ぐらをつかんで首を締め上げてきた。
すぐ首元に痛みが入ってきたが、昨日と同じ展開じゃないか。
相手が違うが。
そこで白咲に言われた、
『自分を大事にしてください』
を実行してみることにした。
先ほどの今村が言ってた、狂った柴犬に襲われると念じる。
「わっ」
相手が声を上げ、その勢いで押し倒される。
今村は一人で空中に足を何度も蹴り始めたので、この前の犬が現れたことが確実になった。
成功したようだ。
次は
すぐ目の前で狂った柴犬が激しく吠えて、体に噛みつこうとしている映像が現れる。
今村視点で
じゃあ、この
――って何も聞いてなかった。
「このぉ」
今村はまた二、三度空を足蹴りした後、右腕を激しく払って狼狽しだす。
「またっ、こいつ」
周りの生徒も今村の状態に気づき、タンク男の灘太も立ち上がり、こちらをただ呆けて眺めているだけだった。
目立っているな。
人前でやるのはまずかったと後悔。
右腕を重そうにそのまま塔屋に走りこんでいくと、鈍い転げ落ちる音が耳に入ってくる。
ゆっくり立ち上がり塔屋に入って階段をのぞくと、踊り場で今村が倒れていた。
デジャヴュを感じた一瞬である。
「こいつ病気じゃね?」
「明らかにおかしかったぞ」
タンクの灘太や、生徒も集まり、後ろから話し声が聞こえてきた。
俺はタンクの灘太に目を向け話す。
「養護教諭呼んでくる」
やつは驚いて離れるが、かまわず階段を一人下りていく。
感づいたのはタンクの灘太ぐらいで、他の生徒は今村本人がおかしくなったと思ったようだ。
保健室の山本先生に、今村が階段落ちで頭を抱え唸っていたと報告をして、あとは任せることにした。
教室に戻ると椎名、雅治の二人が椅子に座って話しこんでいるのが目に入った。
会話に割り込んで麻衣と行くことになった“柳都超心理学研究室”の話を聞かせ、一緒に行くかと尋ねると断られる。
「彼女がつきあってと言ったんでしょ? 野暮はしないわ」
午後も授業を滞りなくすませ放課後になると、麻衣からメールが入っていて、“散歩に出ているからショコラで合流しよう”とのこと。
早急にマンションに戻り着替えてから一階の喫茶店ショコラに入る。
カウンター席で上下のジーンズ姿の麻衣を見つけ、
「来たわね。時間ないから、すぐ行こう。じゃあ、
「おっ? 出るのか」
麻衣は、カウンター奥へ挨拶して外に出るので追っかける。
「それで検査って、どうなったんだ?」
歩きながら、入院中のことを心配して聞いてみる。
「もう大丈夫。基本身体は異常なしだったけど、ただ、いっぱい薬もらっちゃってゲンナリしてるとこ。そうなるとこれから行く研究室だけど、期待できるかしら?」
「行ってみないとなんともね」
道路沿いから手を振って、通りがかりのタクシーを止める。
「タクシーで?」
「バスだと遅くなるだろ?」
そう言って麻衣を先に後部座席に押し込む。
車内に入ると、十番街、柳都大橋渡った先の十字路付近と、中年の運転手に行き先を告げる。
車が走り出すと、麻衣が小声で俺にささやく。
「タクシー代金割り勘でいいよね?」
「じゃあ、あとで徴収な」
目的地に着きタクシーを降りる。
昨夜プリントアウトした地図を頼りに、目当ての場所に進む。
研究室は十番街ハイツという一階が薬局店の店舗が入っているマンションで、302号室に構えていた。
呼出ボタンを押してしばらくすると、呼出スピーカーから返事がくる。
『広瀬さんですね? どうぞ。鍵は開いてます』
誘われるままドアを開けて中に入ると、暗がりの廊下に絨毯が敷かれていて運動靴のまま奥へ進む。 両面にドアがあるが構わず進んで行くと、その先は14畳ほどの大きな部屋で奥に防音室らしい四角い小部屋が陣取っていた。
液晶モニターが置かれている机が3台壁に並んで、その一つの液晶画面を男性が見てキーボードを叩いている。
俺と麻衣が入ってきたのに気づいて若い男が顔を上げる。
「失礼、僕も来たばかりで、大学の書類を仕上げてすぐ送らないといけないので、ちょっとね」
片手を折りたたみ椅子がいくつか壁に並んでいる方向を指差す。
「忙しい中、すみません」
折りたたみ椅子を開いて麻衣と一緒に腰掛ける。
「ええっと、僕は三竹です」
モニターを見ながら話しかけてくる。
「おっ、俺は広瀬。隣が浅間です」
「今は教授が出張不在で、助手の私が受けることになります。それで幻覚を見ているってのは彼女の方だよね?」
「はあっ、そうです」
麻衣の方を見ると黙って頭を下げている。
助手と聞いて不安にでもなったか。
「ん。もうこれでいいか――よっしゃあ、終わり」
そう言って液晶画面から顔を上げる三竹さんは、黒縁メガネをかけたショートヘアーの男だった。
大学の書類とか言ってたから学生?
「いやー、待たせて悪いね。じゃあ、早速に話しをうかがおうか。えーと、浅間ちゃん?」
立ち上がると椅子を麻衣の前に引き寄せて座りなおす。
俺と麻衣はノリの良さに慌てながら、前に会ってたことを思い出した。
「もしかして、去年の秋にあったH大のトラベルサークルパーティで会いませんでした?」
俺の記憶が正しいのか聞いてみた。
「んっ? ……ああっ、そっか。君たちはあの幽霊見た子ちゃんたちか?」
「それへんな覚え方です」
麻衣が赤面して答えた。
「あのトラベルサークルは、事件起こして報道されたけど知ってる? 僕は警察に事情聴取されて迷惑受けたんだよ」
俺たちが事件に巻き込まれたのは知ってないようで、柳都の警察は横暴だとかしばらく聞かされた。
「君たちもあの手のサークルには気をつけた方がいいよ」
「ははっ、そうですね」
麻衣と一緒に俺は苦笑いした。
「話題が脱線したね。改めてここへ来た内容を聞かせてくれないかな」
話をふられたので、俺がことのあらましを伝える。
途中で立ち上がりインスタントコーヒーを出してから、麻衣に幻覚の内容などをいくつも質問して耳を傾けた。
「病院の先生と大違いですね。最後まで聞いてもらえるなんて」
麻衣はあらかた話し終わると嬉しそうに締めくくる。
しばらく考えてた三竹さんがゆっくり話しだした。
「存在しないモノが見える。でも脳は異常なかった。考えられるところからアプローチするなら……実例として、登山なんかで遭難したときに見ることが多いね。苦しいときに食べ物や人を見たり、家が見えたりとか、期待したものを現実の中に脳が防衛本能で見せると言われてる。麻衣さんの場合もその幻覚と同じものと過程できるかな」
三竹さんは腕組みをして思案する。
「ただそれで行くと、見たというのが幽霊や妖的な虫たちとなると……脳が恐怖を見せていることになるんだよな」
やはり研究所でも一般的な方法では解けない問題なんだ。
「幽霊とかオカルトは、興味はあるかな?」
「えっと。興味というか好き嫌いでなくて、見てしまったり関わって来るものには注意を向ける感じです。基本的には幽霊とかオカルトは苦手です」
「あれっ? 前に幽霊さんが好きとかで、その手のミステリークラブに入ったって言わなかったか?」
「あによそれ。知りたいとは言ったけど、怖いのが好きとか言ったことないと思う」
「あっ、ここ三階ですよね? 麻衣の後ろの窓から人の顔が見える」
それを聞いた麻衣は椅子から反対の廊下まで飛びすさぶ。
「ごめん。ジョーダンだよ」
「はははっ」
と三竹さんも笑う。
壁を背にして麻衣は、顔を真っ赤にして俺たちをにらむ。
椅子に戻る前に俺の頭にチョップを食らわせてから座る。
夢香さんに影響されているぞ。
「私、退院したばかりなの。少しはいたわりなさい」
「そうでした。ごめん、ごめん」
アヒル
「笑って失敬。今は神経質になっているからの反応だね。心の影響なんかもあるのかもしれないと思って聞いたんだけど、それなら空間としてはどうだろう。その起きた場所からの判断で、何かをきっかけになる出来事はなかった? それとストレス障害なんか持っているかな?」
「病院でも聞かれましたけど、心当たりはないです」
「じゃあ高電磁場とか、特殊なものを浴びたとか? たとえば、幽霊がよく目撃される場所とか、事故がよく起きる場所だったとか、よく人が怪我をする場所を通ってから幻覚を見たとかね」
俺と麻衣は顔を見合わせてみるが、顔をひねるだけだった。
「一回目のは自転車を降りてからだったし。んーっ、場所ではわかんないです」
「学校もいわくつきの場所はないですね」
「じゃあ体や心の状態は、幻覚を見る前はどんな感じだったかな? きっかけになってそうなこととか、あるいは予兆みたいなことでもいいかな」
「自転車に乗っていて、何か人に見られている感じがありました。それに学校の講堂でも他の同級生たちと話してて、また何か人に見られている感じしてた。あっ、でも見られているってのは、今までにもあるんです」
「ほーっ、それって精神感応者としての受信能力が高いってことかもしれないね」
「それは?」
俺は質問を挟んだ。
「精神感応だよ。彼女は脳内の受信ネットワークを持っていて周波数の同調が起きたってこと」
麻衣側からは考えてみなかった。
「精神感応の能力を持っているのなら、うちの研究対象の一つです。協力をお願いしたいところですね」
俺と麻衣はまた顔を見合わせる。
「どんなことをやるんですか?」
「そこにある防音室に入ってゴーグルをかけ“ガンツフェルト”という感覚遮断した実験をやるんです。送信者が別室でイメージし、受信者が心に現れたイメージが同じかチェックします」
「では、ここで受信すれば相手がわかるとかできますか?」
「それは届いた内容から推測するまでだから、相手は難しいね」
三竹さんは無理言うなよって態度で、天井を向いて渋い顔をした。
ここまで来たが無駄足だったと思い始めるが、麻衣がこわごわと質問し始める。
「あの……精神感応ってのは、私が何かの恐怖的イメージを受け取っていることですか?」
「可能性はあるね。人の怨念的なイメージとか感覚的不快なイメージをね。んっ、この場合彼女も入るかな……」
「彼女?」
俺が三竹さんの小さくなった声に反応して聞いた。
「いや、こっちの話。それで、そうなると呪術とかにかかわって来るかもしれない。それもかなり強い」
「そんなことをする人、まだいるんですか?」
眉をひそめる麻衣の顔が硬い。
「いるよ。拝み屋として、この柳都にも何人かね」
拝み屋って呪詛もかけるのだろうか?
谷崎さん以外にも怪しい人々がいることか。
あるいは能力保持者系とか。
「拝み屋って? 神に拝む……祈祷師のことかしら」
「そう、祈禱師。占い事やまじない、そして呪術で恨みを晴らすとかね」
「えーっ。私恨まれることなんて……」
幻覚を呪いのようなものと見たのか、言葉を濁し足元を見つめる彼女。
「可能性の一つだよ、可能性の」
三竹さんが焦って両手を出しながらフォローするが、俺は突っ込んで聞いてみたくなった。
「その手の呪詛か、呪術から防御とかできますか?」
「もー、私が恨まれたことにしないでよ」
目を大きく開いて抗議する麻衣。
「対策とかあれば知っといて損はないだろ。聞けることは聞こう」
「うーっ。そうだけど」
「防御だと感覚遮断だけど、生活に支障がきたしてくるからね。直接、拝み屋自身に聞いてみるのが一番かな」
「拝み屋って知らないんですけど、どうしたら会えますか」
そう尋ねると三竹さんは、教授から優れた人材がいると聞いていると立ち上がった。
パソコンに向かって操作しだしたとき、玄関から物音が聞こえてくる。
他の先生か研究員が入ってきたようだ。
「教授が研究に何度か誘ってたんだけど、道場立ち上げて忙しいと断られたとかで、資料がまだ残ってたんだよ。そうそう、これだ。拝み屋としては若いのに車椅子なんで、僕もよく覚えていたんだ。今は高校生になっているのかな、でも足が不自由してて学校はどうなんだろう……あっ、あった。希教道って言う団体名で、谷崎栞さんって子だ」
パソコンから俺たちに顔を上げて話す三竹さんだが、その名前に心が乱された。
「谷崎栞?」
「その子の話、もっと聞きたいわ」
聞き覚えのある声が廊下から聞こえてきたので見上げると、前髪を一直線上に切りそろえたショートヘアの谷崎知美が立っていた。
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