第50話 錯乱
誰も入ってきた気配はなかったのに、いつもの黒のタートルネックセーターとミニスカートの白咲要が俺を見ていた。
『こんなこと予期してなかったです』
「白咲? 本当に?」
麻衣が俺の声に反応してこちらを見ている。ノイズが流れててもわかるらしいが、彼女には白咲が前に立っているのは見えてない。
『広瀬さんを彼女と離れさせる方向で行動するべきでした』
「やはり、白咲がやっていたことなのか?」
白咲はそれには答えず、麻衣を見る。
その麻衣の手が俺の手を強く握り始めた。
同時に防音室の点滅していた赤色灯が、真っ赤に点灯し白咲は消えていた。
異臭が立ち込めて生暖かくなると、赤い床や壁から巫女装束の腐った死体が、肉をちぎれ落として何体もはい出てきた。
「あっ、やだ!」
麻衣は驚いてゴーグルとヘッドセットマイクを外し、リラックスチェアの上に乗り飛び出す準備をする。
一回手は離れたが、すぐ握り直してきたので俺もよみがえりの死体を認識して慄然する。
「やっ、やっぱり止め。もういい。タンマ」
手から彼女の震えが伝わってくる。死人の顔はどす黒い鮮血に覆われて顔を背けたくなる。
「麻衣、幻覚だ。何もないんだ。嘘の世界だ」
そう言いながら違和感を覚えた。
大きな音とともに二体の腐った死体が麻衣に飛びかかってきた。
「いっ、嫌」
麻衣はリラックスチェアから飛び降りて俺の手から離れる。
接続が失われ、真っ赤な防音室から明るい蛍光灯の防音室に戻ると、ドアが開いて三竹さんと谷崎さんが入ってくるが呆然と立ってしまった。
防音室の隅に麻衣が倒れこんで、空中に壁に床に両手両足をぶつけて錯乱していた。
「ふうぐあーっ」
鋭く叫びだして、幻覚でも痛みは伴うんだと先ほどの違和感に思い当たる。
俺と他の二人も暴れ出す麻衣を急いで抑える。
だが先に抑えた谷崎さんは、手を放し突然立ち退いた。
保持者の彼女だから、フラメモ的な能力で取り付いている死霊を見たようだ。
俺も三竹さんと一緒に彼女を押さえつけると、またあの空間と死霊を垣間見る。
巫女装束のよみがえりの死体が、麻衣に何対も取り付いて腕や足に噛みついていた。
「いった、痛い。痛い。くああっ」
苦痛を訴える麻衣に何もしてやれない。
思わず片腕を伸ばして死霊の頭を掴むと、感触があり五感幻覚が働いていると自覚。
ぶどうのような柔らかなモノの感触が伝わり、死体の頭が崩れる。
同時に血しぶきが顔にかかり、熱さの幻痛を覚えひるむ。
血が何かの劇薬品みたいに変わっている?
五感幻覚の
彼女の胸に死体の血が大量に落ちて服と肌を焦がす。
麻衣の苦痛が、悲鳴にかわり暴れだす。
やはり無謀だった。
止めさせないと。
俺はどうすれば……。
「白咲。白咲。君なら止めてくれ!」
彼女に懇願していた。
「頼む。止めてくれ! 頼む」
懇願を続けると、死霊の一体が刀で刺され麻衣の上から崩れていく。
『広瀬さん』
「白咲!」
『これ以上嫌われれたくないんですけど』
上から見下ろしている白咲が話しかけていた。
「あんた。くそーっ。巫女ヤロー」
麻衣も白咲が見えてるようで、憎しみをぶつけてきた。
白咲の右手には抜き身の長刀が光っている。
「ま、まて。それは」
「彼女を失神させられないですか?」
麻衣の足を押さえていた三竹さんが提案してきた。
「失神? そうだ。当身か何かを」
だが、俺たちの話にかまわず白咲は、何も言わず彼女に刀をむける。
「白咲止めろ!」
俺が止める間もなく、刀は麻衣の腹に深く差し込まれた。
「うっ、ぐあはっ」
苦痛の声を絞り出す麻衣。
腹部から刀が抜き取られた後、血が吹き出てしゃくりあげた彼女は動作を停止させた。
麻衣の動きが止まると同時に、赤く染まった空間と死体たちが消え、白咲もいなくなった。
「気を失ったようです」
三竹さんが麻衣の口に手を当てて呼吸を確認すると、ため息をついた。
谷崎さんも驚きの眼差しで、動かなくなった麻衣を直視する。
俺も麻衣を見つめながら、白咲に今の理不尽な行動を問いただしたかった。
怒りが湧きながらも、
何も起きないので、
だが昨夜と同じで白咲の反応はない。
白咲自体
昨夜感じた思いがよぎる。
ならその操作者は誰か?
自分に問うと気づきが返ってくる。
――栞。
懐かしい名前が浮かぶ。
本当に彼女だろうか?
試してみる価値はある。
だが栞は小学校のときの残像だけだ。
それでもその頃の彼女を思い起こしてみると、当時の心象風景と一緒に黒髪の長い少女の姿をとらえる。
……額の前に反応があり、薄ぼんやりした映像が視え出した。
無我夢中でイメージを続けると白い部屋の風景が確認できるようになってきた。
窓が見える。
そこに映る人影。
音も聞こえ騒がしい。
目線が動き柴犬がいて吠えている。もとに戻るが周りと比べて位置が低い。
――椅子か? いや車椅子じゃ?
そう思ったところへ、前方から人を軽く飲み込めそうな大蛇が、牙を見せて飛びかかってきた。
思わず目を背けるように、意識を防音室の自分に戻す。
だがそこは、夕日が沈みかけた暗い屋上。
別の空間になっていた。
「えっ?」
はるか下に道路が見え車が行き来していて、街の喧騒が下から風と共に吹き上がってくる。
そこはビルの屋上。
柵の外に出ており、角部分のコンクリート面に両手両足をつけた姿勢になっていた。
一歩でも進めば転落しそうな場所をゆっくり後退する。
だが後ろの柵は、コンクリートの壁に変わって戻れない状態になった。
――ありえない。
これは
だが、ここから落ちたら?
風が頬に当たり髪が乱れて足に震えが走る。
相手が俺のアクセスに気づいて 幻覚能力を送ってきているんだ。
ほどなく先ほどの部屋が見えだして、窓に車椅子の女性がぼんやり反射して映っていた。
このビジョンにデジャヴュを感じた。
どこでだろう。
占いだ。
学園祭で白咲の記憶から、窓の少女を思い出す。
ガラス越しの少女だ。
そうだここは病院なんだ。
窓の外の情景を暗く奥に赤い照明が点在して見えると感じたら、また犬の吠える声が響く。
病院の一室と思われた場所が、最近踏み入れたことのあるロビーに様変わりする。
ここはリハビリセンターの出口で誰もいない。
また
柴犬が通路から出てきて俺に近寄り唸りだす。
噛まれたらまずい、一歩下がると後ろは壁になっていた。
――何でもいい。
何か身を守る武器を!
鉄の棒とか。
瞬時に右手に棒がもたらされて冷たい感触と腕が重みで下がる。
柴犬は数歩下がって吠え出すので棒を振りまわす。
柴犬が離れたと思っていると、右手の付け根に痛みが走り棒を落としてしまう。
なにが起こったのか後ろを向くと、壁から刀の先端が飛び出て突きつけられていた。
驚いて下がるが倒れてしまう。
手は刀の背で打たれたようで、血とか出てはいなかった。
飛び出た抜き身の刀を持った少女が、壁から出てきた。
そしてポニーテールの彼女は俺に刃を向けてきた。
『驚きました。まさか……追ってくるとは思わなかったです』
「栞……なのか?」
その名前を聞いて口をつぐむ白咲。
「……栞は白咲なのだな?」
『私へのアクセスは無用です』
白咲は質問を無視し刀を押し出して脅してくるが、先ほどの暴挙を詰問したかった。
「止めたのに、何で麻衣に刀を使った!」
『今日は引いてください』
それだけ言って答えない白咲。
「話してくれ。なぜ麻衣にあんなことを……白咲はそんなことをする女性じゃないはずだ」
『ずいぶん持ち上げてくれますけど、私は悪になるって言いませんでしたか?』
「白咲はなりきれないね」
『……私のこと知ってないくせに』
「知ってる。白咲は栞だ」
それに答えない白咲にゆっくり話す。
「理由を聞かせてくれ」
『わかりました。でも、時間を置いてほしいです。広瀬さんは感情が高ぶってますから……今夜。部屋にうかがいます。そのときに』
「本当だな?」
『はい』
白咲は返事をして周りのロビーと一緒に消える。
防音室に一人片ひざついた状態に俺は戻っいていた。
「あっ、ああっ?」
ドア口に谷崎さんが立ってこちらを観賞している。
「ようやく正気に戻ったと思っていいのかしら?」
「あれ、俺何か言ってました?」
「奇奇怪怪な物言いを視聴させてもらったわ。独り言じゃなく、相手のいない一人芝居だったかしら」
現実に引き戻され、顔が赤面しだす。
「何を見ているのか障ってのぞこうとしたけど、大蛇が噛みついてくるイメージばかりで入れなかったけど」
「そんなイメージ、俺じゃできない……彼女、白咲がやったと思います」
「白咲ね。で、何が起こったのかしら?」
「あっ! 麻衣は?」
立ち上がり防音室にいないことに気づく。
谷崎さんはドアの外を指さす。
「三竹さんと二人で、外に連れ出して寝かせたわ」
防音室を出ると麻衣が床から体を半分起こして、三竹さんから渡された水を飲んでいた。
「大丈夫?」
「ええっ……」
鼻をすすりながら弱々しく返事をしてコップを返す。
「救急車呼ぼうかと算段してたら、咳きして起きだしたのよ」
後ろから谷崎さんが言う。
「大丈夫ですから、救急車はもう……いいです」
お腹を摩りながら立ち上がるが、すぐにひざが崩れて倒れるところを抱きとめる。
「いたっ、つつ」
「病院行った方がいいんじゃないか?」
「ごめん……大丈夫。幻覚でしょ? 今度も傷とかないけど、痛みが残って……肩貸して」
片手を首にまわし、脱力した体を預けてくるので肩を持ち上げる。
俺の肩に顔をうずめて、一呼吸する麻衣。
「……帰る」
「ああ、そうだな。送ってく」
「でも、忍にいろいろ聞きたい……けど、あっちこっち痛くて気分最悪だから。また今度」
「私も状況聞きたかったんだけど?」
谷崎さんが横から声をかけてくる。
「防音室では白咲と少し話しただけです。俺もまだ整理ついてないんで、次の機会にお願いします。迷惑かけてすみません。今日は帰ります」
「そうだね。体心配だから、戻ったほうがいいよ」
三竹さんも声をかけてくれる。
二人に見送られながら、麻衣を抱えてマンションの外へ出る。
暗くなった廊下で薄暗い照明の下を歩くが、どこか痛むらしく声がもれる。
エレベーターに乗り込んで、麻衣は外側を向きながら小声で話す。
「私、またぐちゃぐちゃ。顔も……だからあんまり見ないで」
タクシーを捕まえて乗り込むが、ほとんど会話もなく彼女を家に送り届けた。
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