第68話 麻衣と栞(二)

 誰かのささやき声がして目が覚めると、胸元には麻衣が裸体のまま寝息を立てている。

 ベッドの周りには、俺と彼女の制服や下着が散乱して少し恥ずかしい。

 麻衣の寝顔を見ていると、エロスが俺への恐怖を克服したってことでいいのかと思う。

 すぐまた小さく声がして、意識がハッキリしてくる。

 ベッドから声の聞こえた方を見ると、ベランダの窓から入る夕日の光が人影にかかっていた。

 そこに立っている人影は、ポニーテールを揺らす少女だったので驚いて上半身を上げる。


 ――えっ、ええええっ、要? なななっ、何で?


『目が覚めましたか、忍君』

 ――あっ、は、はい。


 俺は麻衣を抱えたまま、隠すように布団を深くかぶって立ち尽くす要を見やる。


『忍君。私宣言します。今日から、プライベートも見に来ますから。いいですね?』

 ――おっ、俺にプライベートがなくなるのか?

『はい。今日でなくなりました。その代わり、麻衣さんと居てもかまいませんよ』

 ――ははっ、それは怖いんですが……で、でも随分余裕ですね、要ちゃん。

 少し憂い顔になったあと、笑顔になった彼女は言う。

『忍君は、私のモノって決まっていますから』

 ――それって、未来視かな?

『ふふっ、想像に任せますが、ちょっとしてから栞と交代しますので、そのときに何が起きるか期待してください』

 ――なななっ、何? し、栞が?


 俺が驚いているうちに要は消える。

 道場に向いてる要に、俺に向いてる栞がここで大きな差として出た気がする。

 念話で話したのも、俺たちを気遣ってか?

 栞が視ていたらと……考えまい。

 そこへ麻衣が起きだした。


「あっ、もう夕方なの? 帰んなきゃ」


 俺が腑抜けの状態のまま、麻衣に引っ張られてベッドを抜け出て、一緒にシャワーを浴びた。

 麻衣の裸体にシャワーをかけている内に、要の不吉ともとれる発言は忘れ、バスタブで二人でキャッキャウフフ状態になる。

 着替えたあとは、壊れかけの折りたたみ自転車の二人乗りで麻衣を家に送り返した。

 その帰り途中に麻衣から質問される。


「ねえ、私も希教道に入れないかしら?」

「……えっと、本気か?」

「忍は持っている能力で、希教道と関わりざる終えないのはわかっているの。それなら私も一緒にいれば知らないこともなくなるかなって。どうかしら、能力持ってなくても参加できない?」

「うん。能力持ってなくても好意的なら参加できるよ。手伝ってくれる人は居るからね」

「ほんと? よし、じゃあ、入っちゃおうかしら」


 いや、仮に入ったとしても……。

 まあ、でもいいのか、純子と同じ立ち位置なら危ないことに首を突っ込むこともないだろうし。


「言っとくが、俺の希教道の立ち位置は、末端信者だ。ただ栞……白咲要の補佐役ではある」

「補佐? 白咲さんの? それって、能力の関係?」

「まあ、そうだな」


 麻衣は、荷台に乗って俺の肩に置いてた手に、力を入れて爪を立ててきた。


「いて、ててっ」

「ますます入らなきゃ」

 後ろで独り言をつぶやいた。



 ***



 帰りに牛丼屋で夕食をしてからマンションに戻ると、駐輪場にポニーテールの少女が立っていた。


「こんばんは、忍君」

「えっと、もしかして栞?」

「おめでとうございます。当たりです。でも何も出ませんよ」

「あはっ、えっと、要から引き継いでいるんだよな」

「えっ、引き継ぎ? 何のことですか」


 微笑む要が怖くなり、俺は思わず一歩下がってしまった。


「忍君。どうしましたか? それで、私はいま道場に居ますので、来ていただけます? 直接話がしたいんです」


 わっ、何かきたー。


 ――俺いじめられる?

「何冗談言ってるんですか。来てくれますよね?」

 優しい笑顔を俺に向けてくる要。

「ああっ、いくぞ。うっ、うん」


 折りたたみ自転車を置いて、要のあとをついて行った。

 道場の正面入り口から入ると、本道内で高田さんが一人座り、片手でモバイルパソコンを持ってキーを叩いていた。

 その横に柴犬が鎮座していて、俺に顔を向けるとすぐ興味なさそうに横を向く。

 高田さんに挨拶して、静かに廊下をすり抜け階段を上がった。

 事務所は明かりは灯っているが人は居なく、素通りして栞の部屋の前に来ると、要はドアを指差して体は消失する。


「入るぞ」


 一言言って中に入ると、部屋の中央で車椅子に座った栞が笑顔で待っていた。


「改めてこんばんは」


 学習机の照明が点いて本が置かれていたので、勉強でもしてたらしい。


「宿題?」

「そうですね」


 腕を組んで学習机を眺めていると、その椅子に座ってくれと勧められる。

 椅子に腰を下ろして、栞と向かい合い話しをうながした。


「それでもうすぐ、新規の保持者が道場経験のお試しでやって来ます」

「ああっ、六月始めの会合か」

「それについて私と忍君で、道場と幹部を警備しようと思います」

「えっ? 警備って?」

「保持能力を持っている人たちが来るんです。どんなことするか、わかりませんから」


 ヒャッハーする輩が出るかもって……面倒な。


「もしかして、谷崎会長と会談したときの変則的なことかい?」

「ええっ、今回は私は出ないで裏方に徹しようと思ってます」

まやかしイミテーションで出るってこと?」

「そうです、忍君には直接出て指示を仰いで欲しいのです」

「そっか。わかった」


 しばらく沈黙が落ちたので、何か話そうかと思ったら栞が先に言葉を出した。


「えーっと、ううんと……」


 また黙りこむ栞に、麻衣の話かと身構える。


「しっ、忍君。あのね」

「はい」

「えっとですね……その」

「はあっ」

「あの……あの……あれ、おかしいな」


 珍しく迷走する栞は、見ていて面白くなってきた。


「どうしたんだ?」

「ううん。そう、私のことどう思ってます」

「なっ?」

「あっ、そうじゃなくて……まずは、私が言わなくちゃね」


 栞は両手で頬一回叩いて、俺に向き直った。


「私は忍君が好きです」

「えっ? ええっ」 

「小さいときから、気になって……あの“はらいの剣”ごっこで接吻してもらってから、好きになってました}


 栞は下を向きながら告白タイムを始めた。

 嬉しいけど、麻衣のこと思うとまずい。


「えっと……俺は、その、つきあっているやつがいて」

「浅間さんとの関係は知ってます。だからと言ってあきらめませんし、浅間さんを排除しようなども思ってません。一緒にいるときだけ私を見ていて欲しいんです」

「それって……二号さんになることじゃ」


 彼女の潔さが逆に少し引っかかった。


「見ていてくれれば、愛人だって問題ないです。私は忍君が好きなんです」

「うん……嬉しいが」

「何度でも言います。私は忍君が好きです。私は忍君が好きです。好きです」


 車椅子から告白して顔を赤らめ見つめてくる彼女に、麻衣への思いの縛りは途切れ、栞 サイドに堕ちるように身を委ねた。


「もういい。何度も言わせてごめん。俺も栞が大好きだ。好きだよ」


 車椅子の前にひざまずいて栞を抱きしめると、腕が背中に回される。

 抱きついた彼女は、顔を俺に向けて目を閉じた。

 キスを求めている?

 あごを持ち上げて、顔を近づけ口付けをする。


「んっ、うっ、んん」


 栞と初めてのくちづけは、少し震えが伝わってきた。

 可愛くなって何度か吸ってみると、目を開けた栞が顔を離す。


「んとっ……何というか、なれてますね。ちょっと悔しいです。練習させてください」

「なぜ練習、うっ……」


 すぐ口をふさがれた。積極的な栞に嬉しい驚きを覚える。

 そのあと、栞は学校の話をするが途切れることが多く、俺も麻衣を抱いたあとなので背徳感のようなものを覚えて逃げるように帰ろうとしたら、別れ際に声をかけられた。


「私の誕生日、覚えてますか?」

「えっと、七月で……十七歳か。……祝おうな」

「はい」


 満面の笑顔をもらってその場をあとにした。


 

 ***



 暑い昼下がりの土曜日、その午後に希教道の応接室に出向く。

 麻衣の幹部面談で俺が補佐だ。

 そして、麻衣と車椅子の栞が向かい合って話している。

 面談官は栞。

 要ではなく、栞が直接赴いてきた。

 まあ、ここのボスは実質栞なのだが、麻衣の対応は誰にも任せられないってことか?

 その栞の車椅子に麻衣は首を傾げるが、何も聞かなかった。


「入るなんて……本気なのね?」

「来たのだから、当たり前ですよ」


 栞は笑みを見せて、テーブルの履歴書を手にとって軽く目を通したあと、希教道の運営を真面目に話し始める。

 淡々と説明するが、途中に俺とのパートナーの良好ぶりを挟んで話を脱線させると、途端に危険な言葉の応酬が繰り広げられた。


「……のときにも忍君に行動を共にしてます」

「私も参加する。渡さないから」

「……浅間さんのモノじゃないですよ」

「じゃあ、白咲さんに任せられない」

「私も同意見ですが、何か?」

「囲っておいて、凄い了見だわ」

「異なことを。独り占めは誰ですか? 許さないです」


 俺は聞きたくないので耳を塞いだが、そのあとどう行き着いて収めたのかは知らないまま、話が元に戻っていた。

 しばらく静かになると、麻衣と栞が笑顔で言いあう。


「忍君のパートナーとして」

「そうね、お互いパートナーとして」


 何か二人とも理解しあって、握手を交わしだす。


「では、浅間麻衣さんを希教道のメンバーと承認いたします」

「ありがとう。これからよろしく白咲さん」

「要でいいわ」

「じゃあ、私も麻衣で」


 一線は越えず何も起こらなかったので、安堵の溜息を吐いたが心臓に悪い。

 あーっ、怖かった。

 





 道場で麻衣が、幹部にボランティアの新メンバーとして紹介された。


「よろしくお願いします」



 みんなの前で頭を下げる麻衣。

「彼女のこと、純、お願いね」


 要の偽者イミテーションが有田純子に希教道の細かいことを任命する。

 イメージ中の喜怒哀楽は、そのまま要の偽者イミテーションの表情や行動にも現れているのだが、応接室での剣のんさはもう消えていた。


「ハイなーっ。て、この前の病院にいた、おっかないねーちゃんじゃん」

「そのときは、驚かせてごめんなさい」


 麻衣は純子に向かって頭をかきながら言った。


「大丈夫。もう、私たち仲直りできたから」


 要がフォローするように言ったあと、二人は向かい合う。


「それはもう」


 麻衣が言葉を返すと、二人とも俺に目を向け、また顔を戻してお互い笑いながら必要以上に見つめ合う。


「ふふふっ」


 二人の薄ら笑いは、場の空気を冷たくした気がして、俺は目をそらしてしまう。

 近くの純子もそれを感じたらしく、口に手を当てて俺に首を横に何度も振って怖がっていた。

 ピリピリした雰囲気を作ったのに頓着せづに、要は言葉を付け足した。


「それに、純と同じでノーマルだから、やりやすいと思うよ」


 栞に言ってなかったことを思い出して、言葉を割り込ませた。


「いやっ、多少だが麻衣にも霊感はあるようだったぞ。レベルCぐらいだが」

「あら、そうなの?」

「もーっ、やっぱり私だけノーマルなわけ?」


 ちょっといじけた純子だったが、道場の説明に麻衣を連れて出ていった。

 それを一部始終見ていた阿賀彩水は、目を逆三角形にして、今にも噴出しそうにして言った。


「まっ、なんだ。大変だな、忍ちゃんも、くっくくく」


 おっさんモードだった。

 隣の今村陽太も俺に一言。


「二股なんてサイテーだな」


 憎憎しげにささやいて顔を背ける。

 うん。

 そのとおりかもしれないが、お前が言うと嫉妬にしか聞こえん。

 女医や道場主も三角関係はお見通しのようで、見守るように笑みをこぼしている。

 首を傾げていたのが、佐々岡直人と浅丘結菜だった。

 まあ、二人は、うん、道場で一番純粋ないい子たちだ。

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