第112話 道場炎上(四)窮地
「ばかやろーっ」
道場主が走り消火器を持ってきてピンを引っ張り、白い泡状の薬剤を撒くが、炎の勢いは止まることなく退散せざるを得なくなる。
高田さんと森永さんは捕らえた運転手を、燃えるタンク車から引き離していたが、犯人は笑って状況を見ていた。
「消防車を!」
「連絡しました。すぐ来てくれるでしょう」
当主と要が会話しているところへ、二階から人がゆっくり下りてきた。
黒い煙で道場がもやった様子を見やり、散らばった幹部を見渡したその男性は見知った人物。
喫茶店カフェショコラの店長だ。
「向かいの喫茶店
彩水が呆けていると要が答えた。
「裏のおばさんや森本記者と同じで、近場で目をつけられて、寝ているときに
二階からも炎の明かりが見えて、上もやられたと悟る。
カフェショコラの店長は、俺たちの間をゾンビのようにのっそりと歩いて、腕をうしろへ縛って確保したウォーム灯油の男に近づくと話しだす。
「あら、捕まったままなの?」
「仕事は終わり、あとは燃えるのを見物しているだけだぜ」
「このやり方は、案外容易かったわね。あっちでも使えるね」
「そうだな。だが中東はまだ片付いてないのに、俺たち呼び出すって、芝たちはどんだけ無能なんだ?」
「殺人が耐えがたく、薬物に手を出して中毒化してしまったせいでしょ? 所詮、私たちとレベルが違うのよ」
俺は聞いていた二人の会話から、誰だが想像がついて、お姉言葉をする店長の前に出た。
「
「おや、正解だ。広瀬さん。新規の異能力試しとしては、いい舞台だったと思ってたけど、それを
床に寝転んだままのウォーム灯油の男を操る美濃は、小ばかにした笑いをする。
「分類分けじゃなくて、これは強力な性能アップだよ。広瀬さん、ふへへっ」
「こんな深夜に、性能の試とかご苦労なことだな」
「はあっ? ご苦労はあなたたちでしょう。道場の人間の意識映像に、入り込めない遮断障壁を置いてよく言いますね。おかげで、イメージしていた性能を実践投入する羽目になったんですから」
「何のことだ?」
俺が眉を顰めるが、ウォーム灯油の男の口は続けて動いた。
「えっと、それと残念ですが僕たちはロスでしてね。今は朝食を終えてコーヒータイムを満喫中なのですよ」
「やはりロスからか? 天羽もか」
俺の言葉に反応して、カフェショコラの店長は無感情に振り向いた。
突然、腕に持っていた細い棒を二つに分けると、刃物が光りこちらへ振りかざしてくる。
だが、鈍い動きだったので、俺は上手く回避できたが冷や汗をかく。
店長は初めて笑いを見せて、刃物を持った手を振り上げ、こちらに向けて投てきをしようとした。
「やっ、止めろ」
俺は両手を前に掲げて叫ぶのと同時に、うしろから近づいていた高田さんが
「離せ。こいつに一太刀浴びせないと」
「……はあっ」
東京出張の時に、主任の岡島幻覚に銃で胸を撃たせたことを根に持たれてる? あれは痛み分けだったが。
「広瀬さん、恨まれてますね。僕のいないところで
「何ふざけたことを」
俺は不安になったせいか、倒されひもで腕を巻かれたカフェショコラの店長を見ると、取りついた天羽の不気味な顔に見えてくるので、一回大きく首を振って彼女の顔を消す。
「前の借りは、返す」
「いらん」
天羽の言葉に俺は速攻で否定した。
そこへ奥へ引っ込んだままの要が、鈴と共に段ボール箱を両手に携えて戻ってきた。
「投てき型消火用具よ。消火能力は水の十倍。八十個程あります。これを使い切って延焼を少しでも防いでください」
「おおっ、これはいい」
要は道場炎上に備えて、消火用具を大量に取り寄せていたようだ。
信者たちが集まりボトル型消火剤を持ち出して、それぞれが煙を避けるように腰を低くして口に手を押えながら、炎の中に投げ込み火力を弱めていく。
俺や道場主も熱風に当てられながら、タンク車の周りの炎を上げる壁や床、天井に投げつけて少しづつ消していく。
彩水は両手にいくつも持ち、曽我部を連れ立って、階段を上がりながら二階へ
高田さんと森永さんは、捕まえて横になった侵入者たちを、炎から遠ざけるため移動させる。
動かされながら、それを眺めていた
「はっはっ、無駄なことを」
「無理よ、無理。ほら、もう道場の半分まで燃え広がってきてるし」
だが遠くから、甲高く響き渡る警報音と合わせて金の音が聞こえだすと、舌打ちをする。
「サイレンの音だ」
「これですぐ鎮火だ」
「もう少しだ。がんばれ」
「ええっ」
炎の前で呼びかけ合うメンバー。
二階から降りてきた彩水たちが、声を上げて報告。
「上は鎮火。ペットボトルに灯油を入れて床に巻いただけだったので、延焼を押えられたわ」
笑顔で答えていたが、彼女の手には小さな箱を携えていた。
栞が作った玉手箱、御神体だ。
女医のセンターへは、大事な物として送り出さなかったようだ。
事務室に作られた神棚に上げてたから、そう簡単に持ち出せないか。
危険と思って自ら持ち出した玉手箱を左手に携えながら、残りの消火剤をタンク車付近の炎へ投げ入れだす彩水。
けたたましいサイレンと一緒に消防車が到着して、場の窓から消防士が顔を出すと、「すぐ家から出てください」と非難誘導を始めた。
道場内は黒い煙で周りが見えなくなり、消火剤も使い切ったので窓から全員外へ移動した。
侵入者の四人も、連れ立って外へ運び出すと、消防士たちがひもで縛られた者を見て何やら騒ぎだす。
地面に下されたカフェショコラの店長は気を失っていて、天羽
もう一人の
パトカーのサイレンも聞こえ、野次馬も集まり外が騒がしくなってきていた。
道場当主が、消防士たちにひもで縛られた者は侵入者で、タンク灯油車をバックにして突っ込んできたと説明している。
表に回るとタンク車と道場の天井の炎へ、放水が開始されていて、少し安堵した。
だが、それは一瞬の束の間になる。
「バックドラフトだ!」
「伏せろ」
俺は驚いて振り返っるとホースを投げ捨てた消防士たちが地面に倒れ込み、駐車場側にいた人々は逃げるように道路側に下がっていった。
「うおおっ」
倒れた二人は、地面に転げまわって苦しんでおり、駆け寄った消防士たちは肩をつかんで現場から遠ざかる。
「炎をかぶった彼らに早く水を」
「熱くて近寄れない」
「また爆発しそうだ」
俺は道場の炎を見ながら、バックドラフトの爆発など起きてないことを確認。
放水が中断した状態で何が起きているのが認識し、すぐウォーム灯油の男を見た。
笑っていた男は、もう黙っていて、そこに立っていた要がこちらに走り寄る。
「幻覚です」
「消防士たちにか? まさか、美濃?」
「そうかと。美濃がいなくなってます。あるいは天羽かと」
彩水もやってきて、ホースを投げ捨てた消防士に怒り出す。
「消防隊は何やっているのよ。何が起きたの?」
「今、幻覚消去を送りましたが……」
要の言葉で、俺は消防士たちを見るが倒れてる二人は依然苦しみ、他の消防士たちも倒れて苦しみだした。
「うおおっ、大火災だ」
「あっ、熱い」
幻覚が消えない? それどころか悪化している。
「あれ、おかしい。どうなっている?」
鈴もやってきて、要に聞く。
「
「またか。あいつら余計なことを」
「どうしても消防を止めさせたいらしいですが、今は
「そうだな」
消防士たちだけでなく、警察官や近くにいた野次馬も何人か苦しんでたり、倒れてうなっているのを見ると一筋縄にいかないと思ったので、彩水の腕を取った。
「なっ、何よ」
「彩水も手伝ってくれ。倒れている人たちの意識の刈り取りを。女医が来た時に話したからわかるだろ」
彩水が睨むように、道場の中のタンク車の炎を見ながら言った。
「ええっ。でも、今だに燃え上がっている火事はどうするつもり」
憤まんやるかたない感じで、俺を凝視する彩水だが、要がすぐ対応を話した。
「信者たちはホースを持たせて、何とか鎮火を試みてください」
うしろで聞いていた信者の一人がうなずいて、他のメンバーを引き連れて消防士たちの変わりを始めた。
すぐ道場主も一緒になって放水を再開させる。
「私たち三人で、美濃たちの放った
「わかった」
腕を組んでうなずく鈴。
彩水が、少し不安そうに倒れてうなっている人々を見ていた。
幻覚でも、その中で人を殺める展開は俺もビクついたが、彼女もそれを感じているようだ。
「やれそうか?」
「やっ、やれるわよ。私を誰だと思っているの」
俺が彩水に声をかけると、鼻を鳴らしてぞんざいに返してきたので大丈夫そうだ。
「そういえば、あの二人、俺たちに
疑問ができて、美濃たちに攻撃を仕掛けられるんじゃないかと心配になり要に聞いてみた。
「たぶん、能力が効かないんですよ」
「どういうこと」
「忍君が信者たち全員にかけたじゃないですか」
「まさか、
「かけたメンバーの、その中では問題はなかったからですよ。成功していたんです。天羽と美濃が少し話していましたし」
「ほお。それならいいが」
少し安堵していると、そこへ作務衣のポケットから大きな古時計の着信音メロディが流れて、携帯電話を取り出すと有田純子の名が液晶に映っていて不安がよぎる。
深夜になぜ彼女から?
通話ボタンを押すと、純子の悲痛な声が聞こえてきた。
『広瀬さん、やばい。麻衣さんがおかしくなった!』
愕然としていると、何かがぶつかった音が大きく響いて聞こえ振り向くと、道路上で車が止まりその後ろの路面に消防士が倒れていた。
「はねられたぞ」
「誰か救急車、救急車」
また、一段と騒がしくなり、周りを見て状況の変化に戸惑ってしまう。
すぐ頭を振って、携帯電話を握りなおして通信先の純子に質問した。
「……もしもし。彼女が、麻衣がおかしいって、どういうこと!?」
尻上がりに声が自然と大きくなって、要に振り向かれてしまう。
『あっ、はい。カッターナイフを持ち出して、笑いながらこちらに切り付けたり、自分の腕を切ったりしているんです』
麻衣が自分の腕を切った?
即座に天羽が、麻衣を
美濃の言っていたショータイムはこのことか。
だか、移動して麻衣を動かしたにしては、早すぎる。
道場へ襲撃をかける前に、リハビリセンターにも事前に細工をしていたってことか? うかつだった。
「くっそーっ」
沸いてきた怒りを、腕に込めて思いっきり上から下へ振り下ろし外に出してしまう。
『それで広瀬さんを呼べって……。こっ、これって、彼女に何があったの?』
純子の震える声で我に戻って答える。
「それは、
『そっ、そうなの? あの連鎖自殺の犯人……』
「
俺が携帯電話で話している横で、要も状況を理解して眉をひそめ消防員たちのこちらへの動向を見守る。
『わっ、わかった……けど、あれって治るの?』
「乗り移ったのが出ていけば、元に戻る」
『そう……それで、そっちはどう? 騒がしいサイレンが凄く耳に入ってきているけど、何かあったの?』
「ああっ、タンク車が道場の玄関へ突っ込んできて炎上中だ。それも連中に仕組まれたもので、現在対応に追われているんだ」
『えーっ。火事になってるの! 道場も大変なんだ。わかった、麻衣さんは、こっちで何とかしてみる』
通信が切れて携帯電話を持ったまま、麻衣のところへ飛んで行きたい気持ちと目の前の道場の炎に、地面にうずくまって苦しんでいる消防士たちの処置に、いい答えが出ず、すぐ天羽を呪うことばかりが頭に浮かぶ。
その場で携帯電話を眺めて、立ち尽くしてしまう。
「すいません」
そんな俺を見た要が、やや顔を下げて言ってきた。
「忍君が不安で
「えっ?」
「行ってください。……呆けている人は足手まといです」
「あっ、ありがとう。じっ、じゃあ、こっちは頼む!」
俺は要をきつく抱きしめると、面食らった彼女を後にして、集中するため消防員や野次馬から離れて裏庭の暗がりに移動した。
途中で、鈴が「私にも、要、同じモノ」と何か言ってたが、「急いでる」と通り過ぎる。
近くに捕まえた四人の侵入者が転がっているのを見ると、森永さんが見てくれているようで、横になった彼らの中央で眺めながら携帯電話で誰かと話しをしていた。
「広瀬君、どうしたんだい?」
顔から携帯電話を外して、俺に話しかけてきたので、女医のセンターも攻撃されていることと、支援に行くことを話す。
「では、私は広瀬君が集中している、無防備な体を見ている役目だね」
「はい。何かあったら、話しかけて体を揺すってください」
「わかった」
ブロック塀を背に土の地面に座り、集中して麻衣へ
だが、暗闇から目線映像は開かない。
天羽が取りついているせいだろうか……と思って、今度は純子に
ここは、麻衣たちが臨時に寝泊まりするために借りた、体育館を小型にした広さを持つ運動療法室。
幻覚を照射されて、おかしくなっているかと思ったが、それはないようだ。
その部屋の中央に麻衣が立っていた。
薄目を開けて無表情で、ピンクのジャージ姿のまま、腕にカッターナイフを持って、それを振り回し、たどたどしく動いてくる。
彼女のジャージの左腕がいくつか裂け、血痕が付いていて痛々しい。
天羽のやつ、やってくれた。
周りに医療用パーティションや小型のテーブルなどが、倒れて散乱している。
奥の床に御座と布団が敷かれ、その上に向葵里や結菜ちゃんに女性信者たち数人が今だに寝たままだった。
「そっち回って」
「動き鈍いが、手が届くところまで出ないこと」
竹宮女医の指示が出て、夜勤准看護師と警備員に、純子や今村たち信者数人が麻衣の周りを囲んでいる。
だが警備員がうしろから近づくと、麻衣がカッターナイフを振り回して近寄れない。
俺は試しに、麻衣へ
やはり、ウォーム灯油の男のように、イメージは届かず霧散しているようだ。
入り込まれ
だが、相手からの幻覚攻撃がないのは、
『広瀬はまだ? 早く出しなさい』
「
麻衣の口を借りた天羽の要求に、今村が不快そうに答える。
『そこ、動かないの。じゃあ、またやるわよ?』
彼女のカッターナイフを持った手が、ごく普通に胸を左から右へ真横に動かした。
麻衣のピンクのジャージが、胸の部分から上下に分かれて露出した肌が、
「あっ」
純子と篠ノ井が口を押えて声を上げる。
『ふっ、へへへっ。早く来ないとショーが終わってしまうわよ』
麻衣が高らかに笑いだすと、周りが凍り付いた。
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