第22話 囚われた魂

『手間取るな』


 暗闇から声が聞こえると、夜の街が現れだした。

 前方に車のドアが開いてあり、車内照明が漏れて座席には青いシートが敷かれていた。

 さっきまでの激しい痛みはなく、車に向かってゆっくり歩いている。

 隣にもう一人いて、そいつと一緒に何かを持って運んでいるようだ。


「ちっ、重いですね。あっ、またついちまった」

『まったくだ』


 見ている俺が勝手に話している。

 おかしい。

 これ……俺の意思でないし、話してない。

 誰かの記憶を視ているのか? 

 フラメモが続いている? 

 車まで来ると相手の人影が現れた。

 そいつは……覚えてる。

 松野の運転してたワゴンの助手席に乗っていた小太りの男。

 石田だ。

 その石田が車の後部座席に運んできた物を押し込んだ。


「ううっ……」


 押し込められたモノが音を上げる。

 うめいてる?

 その低い声を出している男の服に、ところどころ汚れがついていて血痕のように見えた。

 馴染みのジャケットを着ていて、鏡で見ている俺の顔にそっくりで……。

 えっ? 


 ――お、俺? 


 俺だって! 

 まさか……いやっ、そう、まさに俺じゃねえか!? 

 じゃあ、今それを見てるこの俺は……誰? 

 何者なんだ? 

 俺が俺を見てる? 

 頬から耳にかけて、赤いものがついているが、血か? 

 後頭部から出血している。

 目線は俺から離れてドアを閉め、車の助手席に乗り込んで前方を見た。


「草上さん? どうします」

『予定通りだ。いいぞ、出せ』

「はあっ」


 草上? 

 石田は俺を見て言ったぞ。

 俺が草上? 

 どうなってる? 

 俺は麻衣のバッグから情報を得て……彼女を助けに行かなきゃならないのに。


 ――そうだ麻衣。


 麻衣を助けなきゃ! 

 こんなところでグズグスしてたら、麻衣の身に何か起きてしまう。






 えっ? 

 場面が変わった。

 暗がりの歩道から、明るい室内へ。

 視野が低い……座ってるのか? 

 ここは部室のようだが、古い机が並んで……事務所? 

 いや、整理されてない古い机だけで物がなさ過ぎる。

 また別の人間の目線を見ているのか? 

 なんで変わったんだ? 

 古い部屋だからリフォーム中? 

 オフィス机の倉庫? 

 倒産した事務所? 

 何にせよ人が立ち寄らない部屋そうだ。


「ふっへへへ」


 松野が顔を出した。

 他に二人いる。

 一人は高校の仲間で、コンパにも来ていたな。

 もう一人は暗くてわからないが大柄のリーゼント……中条だ。


「騒ぐなよ、でないと……また拳が腹に食い込むよ、麻衣ちゃん」

『ううっ』


 麻衣って? 

 待てよ……俺は誰だ? 

 この目線の主が麻衣? 

 麻衣だって?


「いい加減にこの女、処分しちまおうぜ……気味悪くて」


 松野が嫌そうにこっちを見ている。


「そうっすよ」

「お前らあんぱん・・・・のし過ぎだっての」


 中条が腕を組んで松野たちに言った。


「はあっ……」

「さてと……へへへっ」


 中条は、皮のブルゾンのポケットから白い生地を取り出した。

 手拭か、ハンカチだろうか。

 麻衣目線で目の下へ持ってきて押し込みだした。


『ふっ、ググウ』


 麻衣の声がこもる。


「しばらくそのハンカチ噛んでな」


 松野が中条の横に来て、目線の下を指でねじ込んできた。


『ふうグウウッ』

「余計なことしてるから、こんな目に合うんだぜ」

『ううっ、ううっ、うううっ』


 目線が左右に揺れる。


「このーっ、暴れんな」


 中条が腕を突っ込んでくる。

 目線が大きく揺れる。

 腹を殴られた?


『うぐっ。ごほっ……ぐふっ』

「ハンカチ吐くなよ」と立ち上がりあざける中条。

『うっ、うっ、ううっ……うっ……うぐぅっ』


 ――やめろっ! 


 くそっ、中条よくも!






 瞬間、世界が一変する。

 低く見上げる視野から、上から見下ろす視野に変わって……麻衣が下にいた。

 腕を後ろにロープで巻かれ座っている。

 口に白い生地を詰め込まれて涙目の麻衣だ。

 あごに赤い染みがついている。

 くっそーっ、こいつら何したんだ。


「ふうううううううっ」

『大人しくしろっての』


 中条の声と一緒に目線から腕が、麻衣に伸びてストライプのブラウスを握り上げる。

 生地の破ける音とブラウスが胸まで引きちぎれた。


「ふあうううっ」

「ブラが見えてるぜ。ふへへへっ」


 隣の松野が嫌らしく笑う。


「ふあふてーっ……お願い……やめて」

『ハンカチ吐くなといっただろう』


 目線からまた腕が伸びて麻衣のお腹に拳が入る。


「うっ! いったっ……ううっ……ごめんなさい……ごめんなさい」

『おもしれえ、何謝ってんだ?』

「うっ……ごめんなさい……すみません」

「へへへっ」


 松野が麻衣の足を蹴った。


「ううっ……ごめんなさい……ごめんなさい」


 ――止めろーっ! 


 もう見たくない。

 みんな消えろーっ! 






 暗闇。

 そして、世界は音もない暗闇に変化した。

 ……が、麻衣の謝っている声だけ頭に響いた。


 ――くそっ! 


 くそっ、くそっ。

 自分が何もできず悔しく、許せなかった。

 どうやって、ここから抜け出して麻衣を助ければいいんだ? 

 俺は何もできないのかよ。

 ここはどこなんだ? 

 俺は生霊にでもなったのか? 

 周りは暗闇、闇、闇。

 落ち着け。

 考えるんだ。

 この暗闇から抜け出すには……この状況を把握しないと。

 まずフラメモ中に、草上に殴打され倒れる。

 そのとき、痛みに耐えかねながら、やつへの悔しさと怒りがあった。

 暗闇が晴れると、草上目線で周りが視れるようになった。

 そして苦痛にうめく俺を見た。

 それから麻衣を思ったら……彼女に? 

 これはフラメモの応用みたいなモノなのか? 

 それも現在進行で視られる。

 そして麻衣から中条の目線に移り変わった。

 あのままじゃ、麻衣がやばい。

 中条のやつ、何度も麻衣の腹をサンドバッグにしやがってーっ。

 ああっ、また焦燥感に焼かれそうだ。


 ――中条!






 また唐突に暗闇が開けた。

 あっ、さっきの古びた事務所のような空間に戻ったんだ。

 足元に人がうつ伏せで倒れて……うっ? 

 麻衣? 

 麻衣……動かない……首に太い紐が巻きついて……目を見開いたまま。


『簡単に死んじまうな』

「ああっ」

『ちょぃと二人で綱引きしただけなのに』


 首に紐かけて綱引き? 

 そんなことしたら酸欠、血管破裂で死ぬに決まってるだろ。

 し、死ぬに……。

 あっ……死んだ?

 嘘だ……でも、見開いた目の横顔にうつ伏せの状態で動かない。

 麻衣? 

 動いてない?

 動かない?

 し? 

 死? 

 死んだ?

 ……まさか、嘘だろ。

 麻衣。

 嘘だ……。

 嘘。

 うおおおおおおっ!


「ま、麻衣が悪いんだ。逃げようとするから」

『ふん、この女にはいい気味さ。もっと遊びたかったが、予定通りに行くか』

「はあ……成仏しろよ」

「好きだったんだろ? 目ぐらい閉じらせろよ」

「うるせー。もうこいつはキモいからさわりたくもねえよ」

「はあ。また埋めます? ……山に」

『ああっ、明け方までの予定だったから、時間がたっぷり余っちまったな』

「そうですね。今回は俺も早く処分したいですよ」

『待て! 音だ。サイレンじゃないか?』

「あっ、そうだ」と松野とその仲間が慌てだす。

「まずいっすよ。誰かにチクられたか?」

『チッ』


 パトカーのサイレン音が、次第に大きく聞こえてきた。

 その音は重い気分に拍車をかけてきて、その場から逃げ出したい気分になった。






 事務所や床が暗く見えなくなり、動かない麻衣も最後に暗闇に沈んでいった。

 一人闇の中で気持ちは沈んでいく。

 どうしたらいいんだ? 

 麻衣を……麻衣を早く助けなければ……麻衣を。

 あれ? 

 さっき麻衣は動かなくなっていたけど……あれ。

 もう死んでた? 

 嘘だ……妄想だ……みんな幻覚なんだ。

 今まで視てきたのが本当のことって、証明などできないじゃないか。

 何とか戻らないと……戻って助けないと……。

 あれ? 

 戻るって? 

 殴られる時間の前か? 

 過去の出来事なら変えられないじゃないか。

 時間もどうなっちまったんだ? 

 わけがわからない。

 それに……自分も実感できない。

 ここはどこ? 

 俺は、一体どこの誰だよ? 

 さっきの他人の目線から世界を視ていたわけは? 

 もしかしてフラメモで残留思念を深く追い過ぎたんじゃないか? 

 じゃあ、今の麻衣のリンチはなんだ? 

 残留思念じゃなくて現実のもの? 

 ここは、この闇はどこなんだ?

 まずい。

 麻衣を助けるどころか……俺も今の状況を理解できないところに来ているじゃないか。   

 俺……死んでないよな? 

 草上目線で見ていた倒れた俺は、うなってたから、生きているはずだよな? 

 あれからまた時間がたった気もするし、楽観はできない。

 俺はどうしちまったんだ? 

 もう戻れないのか? 

 どうすれば戻れる? 

 戻り方は? 

 きっと、さっきの視線移動にヒントがあるハズ。

 それから戻ってからは? 

 もちろん麻衣を助ける……だが、もう死んでしまった。

 いや、それでも……絶対救う! 


 ――絶対に麻衣を。麻衣を救うんだ!! 


 あきらめるなんてできない。






 また暗闇が開けた。

 現実に戻ったような感覚で、周りに物質の世界が現れた。

 そこは狭い車内……夜の道を走っている。

 すぐ横に松野だ。

 これは? 

 松野が近づき抱きつかれ押し倒される。


『やめて』


 麻衣の声だ。

 これって、彼女が拉致されたときの映像じゃないか? 


『いやっ、いやっ』


 嫌がる声が聞こえると、耳をふさいで逃げ出したくなる。

 助けてやれないから見たくない。

 俺は助けたいんだ。






 すると場面が車内から夜の暗い場所に変わった。

 女性の呼吸音に街灯の光がゆっくり横切っていく。

 知っている。

 ここはマンション近くの坂道を走ってるんだ。

 この雰囲気覚えてる……昨日の夜俺たちが草上たちに追われていた状態に近い。


『どうしよう。忍は大丈夫かしら』


 麻衣の声で独り言をつぶやいた。

 ではこの目線は彼女自身? 

 坂道を下りて路地裏に入ると上から声が聞こえる。


「見つけた。下だ」


 瞬間に麻衣が物を投げられた場所だと思い当たる。


 ――気をつけろ。


 上から鉢植えが降ってくるぞ。


 どう知らせていいかわからず、心でゼスチャーを繰り返すと、目の前に薄ぼんやりと青白い俺の全体像が現れて俺を見ている。

 麻衣の目線の空間に俺もどきの足まである実物大幽霊が現れていた。

 その俺は止まるようなゼスチャーで、腕を動かしている。

 考えたイメージが映像になっている?


『きゃっ』


 麻衣は空間に浮かぶ俺の幽霊に驚いて立ち止まると、足元に鉢植えが投げつけられて音を響かせながら割れた。


『はうっ』

「おーい、そこ動くな!」


 頭上から松野の怒声。

 顔を上げると、三階ほどの上りの道路から知っている連中がこちらをのぞいている。

 連中が近くに置いてあった物を投げたようだ。

 今の俺は、麻衣となって……いや、麻衣の視点で俺が俺を見ていたってことだ。

 それに彼女はその俺を認識していた。

 これって。

 彼女の夢? 

 記憶? 

 魂に触れた? 

 これはもっと視てみたい。

 彼女とコンタクトを取りたい。






 視ていた場面が唐突に変わり、光が照らして周りが開けた。

 そこは照明のついた室内で、淡いブラウンの壁や窓際の学習机などですぐ居場所を特定できた。

 二日前に行ったばかりの麻衣の部屋だ。


『わっ、出たな』


 麻衣の声。

 その後は空中に目線が固定された。

 空中に薄ぼんやりして青く幽霊のような俺っぽい者が現れていて、俺を見つめている状態。

 ーって言うか、麻衣の目が俺を見つけて見ている状態。

 彼女にも何かフラメモのような能力があって……。

 共鳴? 

 思いが繋がった? 

 それで俺が彼女の前に現れる? 

 いやっ、俺の今の意識が彼女の過去の記憶に共鳴している? 

 待てよ。

 今の俺は自我を保ったまま思考できて、その上相手の時間軸の上で見ている。

 先ほどの鉢植えがそうだ。

 魂に触れた上で、彼女のリアルを見てるーって方がありえる。

 彼女が俺を幽霊と思って見てることは。

 記憶や魂に触れて視てるんじゃなくて、今俺がリアルで体験していることを幽霊に変換して彼女が見ていることなんだ。

 存在しない俺を見ているのは、麻衣の中の俺の記憶が現れて見させているのが正しいだろう。

 現れたのは彼女が、幽霊の俺を意識したからか? 

 それなら、つじつまが合って出てこれるってことだが。

 総合すると時間や空間を超越して存在してるってことにならないか? 

 記憶を思い出すように麻衣が俺を俺の幽霊を思い起こすと瞬時に現れ出てるってことで合っているのかな。

 じゃあ、やはり存在しない俺って本当の幽霊になった?

 俺……俺も死んだのか? 

 それ以外に、この事態は理解できないじゃないか。死んでも自我は保つらしい。

 自覚が持てないが、これが魂っていうことなのかな? 

 ……ショックだ。

 どうすればいいんだ? 

 今は麻衣の前に幽霊として現れて、守護霊の役でもするのか? 

 話でもできればいいのだが……。


 ――彼女とコンタクトは取れないだろうか?



 ***



 麻衣の部屋から場面が突然、夕暮れに近い空と広い空き地に変わる。

 覚えのある場所だ。

 学校の裏庭。

 柱によりかかってるのか? 

 コンクリートの校舎を見ている。


『バカ……あんなやつ』


 麻衣の独り言だ。

 ストレス発散中かな。


『くやしい……なんでよ』

『もう……』


 声だけでも毒づいてる彼女は……怖い。

 麻衣目線に俺の幽霊風貌が、ショボショボと空間に浮かんで現れ出る。


『出たなバカ』


 えっ? 

 地面にひざを折り小石を持って……おいおい何をするつもりだ。


『えい』


 小石を投げつけた。

 幽霊風貌は俺の感情に合わせて回避する動きを取るが、石は通り抜けて地面に落ちた。 

 あっ! 

 俺に投げたってことか? 

 こっ、怖いよ。

 彼女は上着のポケットから携帯電話を取り出して操作する。

 誰かにかけるのかと思って見ると、俺の名前が液晶に映されて、下についてる着信拒否の文字のボタンを押している。

 あっ、これはひょっとして、喧嘩して放課後探し回っていたときの麻衣じゃないか?

 俺はジェスチャーの意識をだして幽霊を動かす。

 それは酷だから止めろと。


『ふん。今日はうるさく動くわね』


 小声で発しただけで無視された。






 場面が変わった。

 バスの中だ。

 人が少なく後ろの席に座っている。

 その目線に俺が現れ、見上げてきた麻衣と目が合う。

 無表情で俺を見続ける。

 ここは? 

 バスの窓に反射する彼女……この地味な服はサークルのコンパへ行くときだ。

 隣に俺がいるのを確認。

 彼女の世界を巻き戻っている!? 

 場所が切り替わるのは、やはり俺が呼ばれて興味が失うと次へ移動してるってことなのか?






 また、変化して周りが変わる。

 これは夕方のバス停前……スカートから出た足を摩っていて、太ももが見えてちょっとエロい。

 向かいに俺がいた。


『バス来たから。じゃあ、またね』


 立ち上がりやってきたバスに向かう。

 麻衣目線は、車両に乗り込んで立って窓を見ていると、そこに幽霊の俺が映っていた。

 だが目線は幽霊を見ず動き出したバスから、外の停留所に立っている俺を追っている。

 彼女が忘れていったハンドバッグを俺が持っているのが見えた。

 通り過ぎても背後の窓から、小さくなる俺を追い続ける。

 これは学園祭二日目の夕方だ。

 バスを見送ったつもりで、麻衣に見送られてたのか。

 ……やはり、彼女の時間を遡っている。






 すると、また別の風景。個室らしく、そこをオレンジ色の光が周りを照らしていた。


『うっ……うううっ』


 泣いてる自分がいる。

 正確には泣いてる彼女がいる。

 大きな鏡に向かって涙を拭いている。

 どこかの更衣室? 

 カフェショコラの洗面所のようだな。

 鏡に映る彼女の服は、夏服のウエイトレス姿。

 じゃあ、バイトの途中で泣いているのは、嫌な客にでも当たったのか?


『うっ?』


 そこをぼーっと眺める俺がいて、それを見つける麻衣目線で俺が見ている……なんか、ストーカー君になってるな。

 いいや、幽霊さんでいいじゃん。

 しばらく俺の幽霊を無言で見ていたあと、鏡に向かうと笑顔を作っている麻衣。

 顔を二度叩いて洗面所から離れる。






 場面が切り替わると目の前は本棚? 

 いや学習机に置かれた本棚でその前に座っているんだ。

 淡いブラウンの壁で彼女の部屋だとわかる……だが暗い。

 学習机の蛍光灯だけで、部屋の明かりをつけてないようだ。

 机の上で手に持っていじっているのは何だろう? 

 ああっ、携帯ストラップだ。

 そうだ、前に部屋で見かけてたっけ。

 彼女が顔を上げると空間に俺が映っていた。

 うう……暗いから薄気味悪いな。

 麻衣の目線は動かなく、しばらく俺を凝視してるようだ。

 顔を下げてまた携帯ストラップを見つめる。

 何かを確認している? 

 俺があぐらをかいて腕組みするポーズを思ってみると、幽霊もイメージどおりになっていく。

 それを見た彼女はクスクスと笑い声を漏らしている。

 始めの頃と比べて俺の幽霊、ぼんやり感がなくなってきている。

 俺の精神が安定して、このストーカーしている状態に馴染んできたからか? 






 場所が切り替わる。

 青空が見える高校の校庭だが、サッカー部がグラウンドで練習試合をやっている。

 放課後か? 

 サッカー部から離れた場所で陸上部が何人かで走っている。

 それを見ながら歩いているようだ。

 やはり陸上に未練があったのかな。

 だが俺はサッカー部のパスに目がいった。

 一人がボールを大きくそらせて飛ばしてきたからだ。


 ――麻衣止まれ!


 大きく毒づくと、目線にいきなり俺の幽霊が現れて前方をさえぎる。


『キャッ』


 それに驚いて声を上げ立ち止まる麻衣。

 ラインオーバーのサッカーボールが、麻衣目線の前を通り過ぎて後校舎の壁にぶつかる。

 危なく顔面に直撃するところだった。

 俺は守護霊だな……うん。

 彼女にとって頼りになる守護霊だ。

 これって、危険なことを察知して俺が出てないか? 

 何で? 

 今の俺は彼女を守りたい、助けたいと願っていた。

 ……いや、偶然に意味づけしてるだけだろ。

 彼女は死んで、助けられてないのだから……。


「大丈夫ですか?」

『平気ーっ』

「それならボールの返しをお願いします」

『ふん。えい、やっ』


 麻衣目線に細い右足が視界に入ったが、サッカーボールが……。


『あっ……』


 麻衣が蹴ったボールは、返却をお願いした彼から離れた右方向にゆっくり流れていった。


『ご、ごめんなさい』


 さすが麻衣……萌えたぞ。






 こんどは目線が変化してから、世界が変わる。

 また麻衣の部屋、だが明るい。

 制服を着て等身大のスタンドミラーの前に立ってる麻衣。

 ピカピカの制服だ。高校入学の頃か? 

 クルクル回転、ライトブルーに白いラインの入ったスカートがなびく。


『ふん、ふふん、ふん♪♪』


 おいおい、鼻歌まで歌ってるよ。

 ……で、何してんだ? 

 そこの鏡に俺がまた映る。

 一段と輪郭がクリアーになって俺だと認識されそうだ。

 そうなると自分など見たくない。


『わっ。わーっ、わっ』


 鏡越しに目を吊り上げて驚く麻衣を楽しく視聴。

 ゆっくり後退るがコケて倒れる。

 そのまま動かない麻衣。固まってしまったようだ。

 の頃はまだ見慣れてないのか……やっぱり怖いよな俺の幽霊。

 しかし、固まっているのはいいが、鏡にスカートの中が映ってるぞ。  






 目線から俺の幽霊は消えていくと、麻衣の部屋がゆっくり暗闇に閉じていき……赤が湧き出る。

 赤いランプだ。

 世界が現れる。車の中? 

 外から窓に赤いランプが差し込む。

 向かいに救急車が見える。

 バックミラーに彼女。

 夏のセーラー服でセミロング中学の麻衣だ。

 視線を落として手にしているものを見る。

 破けた紙袋と痛んでる携帯ストラップの箱、足元にはショルダーバッグ。

 これって……。

 ドアが開き警察官が話しかける。


「それで彼の自宅の電話番号はわかる?」

『あっ、はい』

「ちょっと待ってて」


 警察官は外に向けて声を上げた。


「わかるそうだ」

 

 救急車に戻る警官を窓から眺める麻衣。

 その窓に俺が映る。


『はっ! えっ。えっ』


 ビックリして携帯ストラップを落とす麻衣。

 拾い上げると俺の幽霊は見えなくなっていたが、窓の外を見て俺が驚いた。

 細く暗い路地に人々がまばらに立っているのが見え、動いている警察官たちを不安そうに眺めている。 ここは、あの中三の交通事故の現場だ。

 俺が麻衣と初めてチュウをしたあと、裏道を通ったばかりに事故に遭った場所。

 あーっ、そうだったのか。

 彼女が通報してくれてた? 

 公園で怒らせたけど、戻って来てたんだ。

 それで事故を知った。

 んっ? 

 周りが暗闇に変化して行き、赤いランプの点滅が真っ暗に飲み込まれていく。

 そして目線の世界が暗闇に変わる。






 麻衣の過去へかなりの数のシーンに、俺は登場していたようだ。

 ほとんどは何気ないシーンだったが、彼女の強い思いのときだったのでは? 

 でも彼女はもう……。

 その彼女を俺は、見ることも抱きしめることもできなくなったのだろうか? 

 本当に麻衣は死んで……。

 彼女はもう殺されてしまった。

 俺はそれを視てきた。

 いや、そうじゃない。

 視たから、見てしまったから、なんとかして変えて……。

 俺が変えて行かなければいけないんだ。

 麻衣の過去に戻ってばかりで、未来に幽霊として出て行けないのもやはり……くそっ!

 未来はひとつなら、運命は変えられない? 

 今俺が仮に彼女を助ければ、その後の未来が変わってしまうんじゃ? 

 だが、時間が修正するとか。

 途中を変えても結局、彼女は殺されてしまう? 

 これは漫画や映画の見すぎ?

 考えを変えてみよう。

 ……未来などない。

 あるのは今、今だけ、この考えている今だけ。

 彼女の死亡する未来は俺の空想が創り出した幻。

 確かに起こりうる事実、だが起こったわけじゃない。

 幻なら……。

 別の麻衣の未来だって。

 時間軸のない多重世界なら。

 ……駄目だこれもSF小説の読みすぎだ。

 駄目だ、駄目だ。

 いったい、どうすればいいんだ。

 力が欲しい、彼女を守る力。

 フラメモ。

 あの力って、いつからだった? 

 高校に入ってから意識しだしたが、その前兆は中学三年からあった。

 だが中学一、二年のときは感じたことはなかった。

 あっ!

 事故……さっき麻衣の目線でも見た、中三の夏の交通事故だ。

 あれが原因か? 

 まあ、今さら気づいても。

 ……はあっ。

 過去の彼女と時間を共有して、時間の中を行き来できる次元とか、多重世界とか。

 そんな中に俺は、踏み込んでる? 

 それなら、この世界から本当に抜け出るには、元に戻るように念じてみることからやるべきか。

 よし。


 ――元に戻る。


 戻る。

 戻る。

 戻れ。

 帰る。

 帰るぞーっ。

 駄目か。

 現れない。

 俺を現わすことはできないのか? 

 バッグで残留思念を思い浮かべたときを再現してみよう。

 すべてを無に、何も考えず、無に、心を落ち着かせ、無に。


 ――無、無、無、無。


 そして、自分が現れるべき場所を祈る。

 祈る……祈る。

 祈りを。

 すると暗闇に変化が起きた。

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