第118話 仇(二)
「止めてーっ」
城野内緋奈の悲鳴がまた響く。
うしろで三島さんが倒れていて、日傘が道路の真ん中に開いた状態で放置されている。
城野内の頭には銃が向けられていた。
「バード」
いろいろ騒がしくしていたから、とうに気付かれてうしろに回られていた。
やばい。
奇襲以外成功はないと思っていたから、知られたなら……終わりだ。
いやっ……考えろ。
拳銃の音がしなかったから、三島さんは気絶させられた?
人質を取ったことは、五部と思われている。
拳銃を所持してるとみられているのか。
「ソノ男、放セ!」
「ん、それはなぜ?」
俺は大声で返した。
やはり、そうだ。
俺が持っているスタンガンを銃とでも思っているらしい。
「殺人者の言い分を信じられるか。人質を放したら全員射殺だろ」
バードに言葉を返したあと、俺は矢代に銃らしく装い背にスタンガンを隠すようにあてて、小声で男に忠告する。
「人質は話に割り込まない。いい?」
「わっ、わかってる」
「私ハ雇ワレ者、殺戮者デハナイ。ソレニ雇イ主ガ変ワッタノデ、モウコノ土地ニ用モ、オ前タチヲ殺ス理由モナイ」
本当だろうか? ロイ・ダルトンは失脚したときいてはいた。
「では一つ聞く。なぜ彼女、白咲栞を必要に狙っていた」
俺に黒メガネを向けたまま、しばらく黙っていたのを待ってみると、片言の日本語で話し出した。
「製薬会社ヲ使ッテ、日本ヲ能力者ノ実験場ニスル予定ダッタ。ソノ能力者ノ間ニ絶対的ナ
実験場? ふざけるな。
「もう……わかった」
今は気持ちを静めて、なんとか城野内を助けなければ。
「では人質は、そちらが放せば応じる」
「歩イテ来イ。コチラモ出向ク。途中デ交換ダ」
「わかった」
鈴に待っていろと伝え、矢代を立たせ斜め後ろに並び歩きだす。
向かいから城野内を引き連れやってくるバードは、必要以上に大きく感じて不安を誘う。
そのバードが、彼女の頭に向けていた銃をこちらに向けてきた。
驚いて矢代のうしろに下がるが、人質への注意が反れてしまう。
前を歩いてた矢代は、俺の腹にうしろ蹴りをかましてきて、まともに受けてしまう。
「うぐっ」
バランスを失い倒れそうになる。
同時に人質の紐を放してしまい、矢代をバードのところへ走らせてしまった。
「ちっ、止まれーっ」
すぐ矢代の足場のコンクリートが崩れる幻覚を送る。
そこへいくつものスモーク玉が、目の前に煙を撒いて降ってきた。
うしろからの鈴の援護だ、助かる。
幻覚に足の安定性を惑わされて、倒れる矢代。
「バード。奴は銃など持ってないぞ」
倒れた状態のまま、矢代は、バードに声をかけた。
バレた。
煙幕の合間から、矢代が立ち上がるのと、バードが無表情のまま、城野内に再度銃を向けたのが見えた。
――城野内を第二の栞にする気か。
「止めろーっ。撃つな」
続けてバードの手から、銃の発射音が響いた。
城野内の顔に血痕がつく。
「バード。また撃ったなーっ!」
俺は二度目の屈辱を味わい、吠えた。
だが、バードは銃を落とした。
右手首を左手で押え、いまいましそうに体を揺すっている。
バードの右手が真っ赤に染まっていた。
破裂した?
城野内は顔に手を当てて、その手が赤いのに硬直したあと、その場に体を左右に揺らして倒れた。
「あれ、どうした、の?」
鈴がスモーク玉を携えて隣に来た。
「たぶん、銃の暴発だ」
「幸運」
「ああっ、そうだ。こちらにもチャンスが出てきた」
バードが後ろに下がると、左手でベルトに取り付けたバッグから、ワンタッチ式のジャックナイフを取り出した。
「鈴、ナイフを投てきされないように煙幕だ。もっとスモーク玉を投げつけるんだ」
俺のスモーク玉も渡すと、鈴は自家製炎をスモーク玉に点火させ放り出す。
煙がバードの周りに落ちていく。
中身は同じ人間だ。
やることは同じ、スタンガンで奴を倒す。
煙の中を走りだして、バードに迫る。
近づくと車のエンジンがかかる音がスモークの中から聞こえる。
あそこには、三島さんが運転していた車があった。
そのセダンが煙幕の中をかき分け出てきて、運転席に矢代。
助手席にはバード。
さっきのナイフは俺たちへの威嚇で、矢代の腕を巻いた紐を切って運転主に変えてたわけか。
鈴に隠れるように大声で指示する。
俺も盗難車両から、攻撃されないように乗ってきた軽自動車の陰に隠れて、やり過ごした。
すぐ城野内のところへ走って行くと、彼女は顔を両手で押えていた。
「大丈夫か?」
「どっ、どどうしよう……顔をううっ、撃たれた」
押えていた手をどけて、彼女が焦って俺に告げてくる。
撃たれてはいないが、暴発の衝撃は受けてしまって、一瞬だけ気を失って倒れていたようだ。
よく見ると、頬などにいくつも切り傷が付いているのが分かる。
痛みを軽減する幻覚を彼女に施していると、鈴が駆け付けてきた。
彼女に城野内と三島さんを任せて、俺は乗ってきた軽自動車に乗り込み、バードたちのあとを追おうとした。
その盗難車に衝突音。
フロントごしに前方を見ると、走り始めた矢代の盗難車に、道脇に止めてあった電気工事のワゴン車が急に動き出して後部にぶつかった。
金属が潰れる音が響き渡り、ワゴン車は道路上で半回転して止まる。
矢代たちが乗った盗難車は、勢い余って横転した。
工事用ワゴン車の運転席から、人が急いで飛び出すと、手に細長い棒を携えて矢代たち盗難車にゆっくり近づく。
あの人物の体系が、
「あれ?」
同時に久保さんの近くの民家の裏から、初老の背の高い男が銃を携えて走って躍り出た。
「森永さん?」
森永さん、久保さんが見ている先に、横倒しの上になった助手席からバードが割れた窓から出てきたが、「ホールドアップ」の命令で手を上げた。
「えっ? あの二人がどうして」
それにバードを簡単に捕まえた?
と思ったが、奴は、前に転げ落ちると、海側の歩道に走って木の柵を乗り越えた。
森永さんの銃がうなるが、足付近の路面に当たっただけで、段の下の砂地に降りられた。
奴はまだ逃げるか。
駆け出した森永さんたちの横で、横転した盗難車が爆音とともに破裂して炎を高く上げた。
俺が乗り込んだ車にも、衝撃の振動が伝わる。
身近にいた二人は爆風で吹き飛んで倒れてしまった。
何だ?
何かの特殊爆弾を車に仕掛けていったのか?
今の事故で、バードは矢代を見限って犠牲にしたのか?
爆風に巻き込まれて倒れた二人は動かない。
くそーっ、バード。
その場で、効くかわからないが、痛みの軽減幻覚を倒れた二人に送ってみる。
森永さんたちに自分ができるのは、これだけだ。
――生きていてください。
と祈る。
燃え上がる炎と倒れたままの二人を見ていると、体から力が抜けていく感じがしてきて、恐怖がぬくぬくと芽生えてくる。
それでも、車にエンジンをかけて、ゆっくり爆発場所の近くまで進ませる。
車から降りて森永さんに近づくと、うつむいていた体を自ら反転させて息をしていた。
もう一人の久保さんも横になり動き出した。
それを見て少し安堵すると、俺も柵をジャンプして砂地に降りた。
バードが走ったあたりを探していると海の桟橋から、モータ音。
奴の巨体の上半身が見えた。
今度は海から別のアジトに向かうのか?
これじゃあ、手も足も出ない。
またいいようにやられて逃げられるのか?
『バードの罪は、俺の手で償わせる』
栞にそう誓ったんだ。
栞の惨劇が頭を駆け巡る。
暗がりの光。
栞が地面に倒れる。
バードの銃弾が続く。
栞の体が小さくバウンド。
何かが飛び散る。
目の前にポニーテールの要が両手を前に出すシーン。
足蹴りされても動かない栞。
赤く染まった顔。
赤く染まった胸。
視界に栞の惨劇のさまが生々しく浮かんでくると、激しい憎悪が湧き上がる。
――逃がさない。
奴を逃がしては駄目だ。
モーターボートは、沖に出始めた。
砂地から海を見ながら無意識に腕を上げて、小さくなるボートを手の平で握りしめた。
皮膚に爪が立って血が出るくらい、力任せに手を握る。
同時にボートからバードが空中に持ち上がり停止した。
首も腕も三百六十度回転して、肉体が空中に浮かんだまま真四角型に折り重なり、そのまま血液を飛ばす。
段ボールほどの大きさのどす黒い四角になると、また赤い液体が飛びでて形を小さく変える。
そして、何かに吸引されてでもいるように小さく縮んでいき、こちらからは見えなくなり空中で消失。
物質が粒子まで解体していき、すべてが波かエネルギーに変換されたかのようだ。
残るのは、
海上に飛び散った血も、全く何も残さず蒸発した。
ボートは運転する者がいなくなり、外海に出れずにテトラポットに衝突。
船体がテトラポットに乗り上げるとモーターの部分が接触、破裂して、小さい爆発と閃光が起きる。
ひっくり返ったボートは海に落ちて、そのまま沈没していく。
今の状況を呆然と見送ったあと……何が起きたのか、意味を見出そうとした。
今のは、幻覚ではなく……本当に起きた出来事。
俺は戦慄して先の言葉が途絶えた。
「勾玉使い」
うしろに鈴が来ていて、俺に向けて声を発したのがわかった。
俺が振り返ると彼女が棒立ちで俺を見ていたが、今になって初めて気づいたことがあった。
発光物。
何度か目撃した、あの光の点が、自らの周りを飛び交って消えていくのを。
***
弁護士の矢代家の前は、パトカーと救急車が何台も来て騒然としていた。
森永さんたちの容態は、軽度のやけどに脳震とうで済んでいた。
近くで爆発があって、大した怪我もないから、救急隊員は、「奇跡」と言っている。
俺はバードの最後を、警備第二課の永友に聞かれて悩んでしまう。
俺自身、まだ夢のように感じているぐらいなのだ。
バードを握りつぶしたとも言えず、モーターボートに乗って逃げていくが、テトラポットに乗り上げたことだけ告げた。
矢代の家からは、アジトの情報、十人の弁護士連中の情報が次々に上がっていた。
全員がアメリカを経由して来たアジア系の背乗りだとも聞こえている。
あとのことは、警察の仕事で俺の出る幕などない。
実際、森永さんが俺の情報を受けてすぐ行動に移っていたのに、俺自身の暴走かく乱で、対処が遅れたとの話。
小言をいくつも言われた。
確かに、危険で、城野内たちをも巻き込んでしまい、反省をする。
同時に、俺を止めなかった鈴にも、大量の小言が飛んでいた。
あとで詳しい事情聴取を取るが、今は開放されて、俺と鈴は、もう一組のところへ様子を見に足を運ぷ。
「そうよ、そこ。もっと強くしていいわ」
顔についていた、バードの血を拭き取ったら、ほとんど傷はないと救急隊員に太鼓判を押されて安心したのか、ストレッチャータンカーに座ったまま、失神していた三島さんに肩をもませていた。
精密検査を受けるため、この二人と森永さんたちは病院に向かう予定ではある。
「城野内も三島さんも、大丈夫そうでよかった」
「ええっ、おかげさまで」
「何言っているのかしら。私をまともに守れなかったくせに」
「それはないですよ、お嬢様。相手は暗殺者のプロなんですよ。私ごときでは、とてもとても。それよりも初動の私の忠告を無視したのがけちのつきはじめだと思います。少しは反省していただかないと」
「何ですって。私の行動がけちですって?」
鈴も言葉を挟む。
「そう、お嬢様。捕まりに来た、だけ」
「あーっ、言われてみれば、そうだな」
鈴に合わせて、俺も要らぬことを口走ってしまう。
「しっ、ししし失礼しちゃうわね。広瀬と鈴が心配して見にきて差し上げたのに、なんていい草かしら。だいたい、お祖父様が広瀬に何かしそうだと聞いて、忠告しに来たのに」
口を尖らせる城野内に笑って謝るが、気になる人物が出てきた。
「お祖父様って、ご隠居だろ? 何で俺に。どういうこと?」
腕組みして首をかしげる。
確かに、つい先ほど、信じられないことが起きたが、まだ情報として行ってないはず。
「鈴の報告よ」
城野内が鈴に向いて言ったので、俺も彼女を見る。
「うん、私? もしかして、太陽の光、かな」
「何だ、太陽の光って?」
「ん、それは……」
鈴から驚愕の事実を聞かされる。
あの悲劇の夜、気を失った俺は、竹宮女医の判断でリハビリセンターに移動されていた。
一緒に移ってきた鈴や丸メガネの陣内も、同じ室内で寝ることになった。
他に避難組の純子たち信者は、パーティションを立てて奥で寝ている。
鈴は寝始めようとしたが、頭がまだ興奮状態で眠れず、目を開けるとうす暗かった運動療法室が太陽の光が差し込んでいるように明るくなっていたと言う。
起き上がって光の方向を見ると、寝ていた俺の体から発光していて、点の光が大量にあふれ返り空間をさまよっては消失していたらしい。
栞が、突風を吹かす前の状態に酷似していたと言う。
「俺が? 気をうしなったときに、栞と同じ光を発光してたってことか」
「そう、凄かった」
鈴が首を縦に振って肯定する。
「ライト、照明、体から光ってたよう。まるで、太陽の光、思わせる光景、だった」
本当なら……不吉なことだ。
「私、恐ろしくて、眠れず、うしろに下がって、見続けた。数時間、発光していた。その光、
夢の中でうすぼんやりと、何か呪いの言葉を唱えてたような気がしたことを思い出す。
発光が、栞の使ったような
「だから、森永、話して、ご隠居、報告、した」
「そうか……」
「広瀬、勾玉使い、私より、凄い」
「俺は勾玉使いになった覚えがないのだが……」
「勾玉、使いこなす者、幸魂と奇魂、二つの勾玉、巴を持つ和魂、その持ち主。広瀬、もう一つの魂、生まれた」
俺は、瞬間ひらめいたが……ありえないと首を振る。
「多重人格になった覚えも、記憶があいまいな時間とかもないな」
去年にそんな経験はあったが……もう麻由姉はいない。
「俺は知らないぞ。……勾玉使いなら、鈴は持っているのか?」
「彼女、たまにおかしくなるときあるよ」
話を聞いていた城野内が言葉を入れる。
「失敗したときや、ドラマ見て感情がゆさぶられたとき、出てきてたわよ」
ああ、希教道に来る前は東京と言ってたが、城野内のところにいたのか。
鈴が城野内に変顔を向ける。
「お嬢様、うるさい」
「初めて会ったときも、数珠腕輪が壊れて性格がおかしくなっていたが、あれは入れ替わってたのか?」
鈴があひる口になって、渋々首を縦に振る。
「私、もう一つ、魂、出てこない……壊れてる、へんな時だけ出る……だから、能力、半人前」
うなだれる鈴。
「道場炎上のとき、初めて炎を飛ばすとこ見たが、あれがもう一人の鈴なのか?」
「……そう。炎、初めて、飛ばせた……でも、うれしくない。要、死んだ」
「あっ……ああ」
城野内は頬に手を当てて、俺に問うてきた。
「広瀬は本当に知らないの?」
「……うーん」
鈴が、海のテトラポットを見ながらぽつりと言う。
「さっきの広瀬、勾玉使い、要なみ、凄かった。まるで、凶器」
「止めろ。……バードは意識してやったわけじゃない」
「仇、取れた。私、溜飲、下がった」
「そうだな」
怒りや悲しみから来る重苦しさはなくなった気はするが、また別の重いものを背負った気分だ。
***
そして、バードが消失したその夜。
俺が一人自室に戻ると、鈴はまた証拠にもなく、お隣の夢香さんの部屋にお邪魔しにいった。
部屋で一息つくと、栞の仇が取れて心が安らぎ、胸の苦しみから解放されたら、睡魔が襲ってきた。
俺はベッドに横になると、即効で意識が途絶える。
だが、何かを見ているような気がした。
それは、俺が勝手にベッドから起き上がり動きだしている、現実感のある何かだった。
そして俺は、部屋を回りながらよく見る光景を眺めている。
――これは夢?
俺が何やら、騒がしく声を上げて、バスタブの鏡を何度も見たりしている。
『私。忍君になっている?』
『あれ?』
『どうして?』
俺の声で栞のような、要のような、愛らしい話し方をしているのは……誰だ?
もう一人の俺は、机に座るとノートに質問状などと記し、文章を書き始めた。
しばらく文字を追っていったが、書いてる自身が『眠い』と言う。
やはり夢なのか、次第にノートが白くなっていく。
そこで意識が途切れた。
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