第119話 置手紙

 夢は正夢に変わっていた。

 朝起きると、机に突っ伏して座ったまま寝ていた。

 ノートが開かれて、夢で見ていた文字が目に映る。

『私は、白咲要。どうしてか、忍君の体にいます』

 呆けながら、見ているうちにめが覚めて頭がはっきりしてきた。


『栞と同じような状態です。でもなぜ?』


 紙に書かれた文字は、何度か見た、栞、要の執筆文字だ。


『この体は忍君で、いいのでしょうか?』


 ノートを持ち上げた俺の手は震えだす。


『なんだが眠くなってきました。返事を期待していいでしょうか』


 ノートが涙で歪んでいく。

 要がいたなら、栞もいないのか?

 呼べば出てくるのか?


 ――どうすればいい?


 この多重人格……解離性何とかの症状で一番理解があるのは、竹宮女医だ。

 すぐ携帯電話を取り出して、彼女にアポを取った。

 まだ七時過ぎだったので、女医も驚いていたが、何も聞かずに二つ返事ですぐ会ってもらうことになった。




 着替えて外に出ると、鈴がサンドイッチを食べながら、廊下に立っていた。


「夢香、朝食、上手い」


 俺は気分が上がっていて、からかいの言葉が出た。


「俺の監視を口実に、夢香さんから朝食をたかっているのか」

「広瀬、失礼。夢香、優しい。その、行為だ」


 鈴が憤慨すると、空いてる手から炎が現れた。


「わっ、待て待て、冗談だ」


 その瞬間、『肩を撫でて褒めるといいかも』と言葉が頭に広がった。


「鈴は、朝から俺を待って立っているなんて律儀だな。尊敬するぞ」


 そういって、肩に手を置いて摩ってみた。


「うん。広瀬、たまに良いこと、言う」

「たまにかよ」


 落ち着いた鈴に、女医のセンターへ行くことを告げると、当たり前のようについてきた。

 別の意見が頭に広がるって……これも……要?

 また気分が高揚していった。



 ***



「本当なんです」


 俺の説明に応接室のソファに体を沈めて目を丸くする女医。


「栞ではなく、要なのね?」

「はい、栞もまだ眠っているかもしれませんが……」

「要が広瀬君の心に移動していた、ってことになるの? うーん」


 持ってきた要の書いた文字を彼女に見せる。


「まったく……信じがたいことをいつもやってくれるわね」

 その文字を見ても首を振る女医。

「私、要、わからない。でも、広瀬、魂二つもっている。それ、事実」


 俺の後ろに立っていた鈴が援護する。


「でも、広瀬君が彼女の死のショックで、自分の中に希望を見出した幻と言うこともあるのよ」

「幻とは……違います」

「そうね。多重人格かどうかは、調べてからの結論ね」


 ソファから立ち上がった竹宮女医は、ローテーブルを退かしてから、俺の前にひざを折って目を見つめてきた。


「要がいるなら、変わるように催促してみて。心の中でゆっくりと交代と唱えてみなさい。いーい。ゆっくりと唱えるように」


 彼女の言葉通りに、意識の中に呼び掛けていく。

 ゆっくりと……。

 すると、俺の意識が眠ったような状態に落ちていった。


『おはようございます、竹宮先生。鈴もおはよう。そして忍君、おはよう』


 夢を見ているような感覚で、自分が女医に話しかけて、後ろの鈴に挨拶、俺にも挨拶してきて、何かがこみ上げてきそうになる。


『忍君が起きたら、私も起きて状況を見ていました……えっと』

「うん、続けて」


 女医は少し離れて、俺の顔を立体的に見ながら表情を観察する。


『私は要だと思うんですけど……何かしっくりきません。忍君の声に忍君の恰好です』

「君は広瀬君だよ」

『うーん。そうでしょうか?』

「本当に要と言うなら、何か情報が知りたいわね。広瀬君の知らないこととか」

『ええっーっ。そんなのあるかな? ……そうですね。私はバードに撃たれるとき、栞と交代して最後を務めたはずだったのですが』

「ちょっと待って。交代とは?」

『栞と私は、決めていたんです。時空移フライトの最後が道場炎上で、その先へ行けず、すぐに死が訪れるのだと確信していました。そのことは、私や栞の手紙に書き記しています。あっ、私の手紙は不必要になりましたから、消去をお願いします』

「うーん。わかったわ」


 ――手紙? 何のことだ。


 もう一人の俺、要は俺の知らないことを言い出した。


「なるほど、ではこの紙に文字を書いてみて、直接見たいから。そうね、手紙の内容を一言で書いてみて」


 ローテーブルに置いてあったメモ帳と、小型のボールペンを俺に、いや、彼女に渡した。

 すばやく書き記して彼女に渡すと、女医はうなずく。

 俺からは漢字が書かれたのが見えたが、さらさらと軽く書き終えるとメモ帳は女医に渡されて、内容まで確認が取れなかった。


「真実味が増してきたわ」


 メモ用紙を見ながら、次の質問を思い浮かべる女医。


「私が要を検査するのはいつかしら?」

『一週間ごとでしたが、時空移フライトを使って倒れてから三日に一度になりました」

「うん、あれはどうかな……」


 それから女医と要、栞しか知りえないことの質問と答えが数度続いて、二人が医師と患者として密度の深い関係だと知った。


「では要、あなたは栞から目覚めるのに数年の歳月があったわね。でも、今回は意識がすぐ出てきた。それはなぜかわかる?」

『えっと、私が時空移フライトした時間軸の人格辺りの成長した脳からじゃないと出てこれなかったと思ってます。忍君からすぐ出られたのは、健康な脳と体だったからと思いますが、体にストレスがあるとまるっきり出れない気がしました。その辺は栞と同じですね』

「栞の脳に腫瘍ができた関係なのかもしれないね。では何で広瀬君に、要の意識が混じったのかわかるかしら?」

『私も、死の瞬間、頭に耐え難い激痛のあと、すべてが無になったと思いました。でも、暗闇を感じて零の聖域だと認識している自分に気付き、意識が辛うじてあると自覚できたんです』

「それは、自然と目が覚めたってことかしら?」

『何か温かいものに呼ばれたような気がして、それに意識を向けたら、自己を見出した気がします。その温かいものが大きくなると交差していて、飲み込まれた気がしました。次に誰かの歩き回る状態を夢ごこちに見ている私を自覚しました。……私が忍君と一つになった理由は、わかりません。ただ、零の聖域の中、交差して吸収されたのは自覚してます』


 話を聞いていて、零の聖域のことを俺も思い出した。

 あれって、要の魂を取り込んでいたことだったのか?


「なるほどね。最後に、要の広瀬君をよく連呼した呼び方は?」

「えっ? あっ、ああっ、はい。浮気忍は一回死ね」

 ――うん?


 背中に寒いものが一瞬走った。

 竹宮女医は満面の笑顔で立ち上がり、向かいのソファに戻った。


「白咲要ちゃん。生還おめでとう」

『えっ? あ、ありがとうございます』

 ――そっ、それで決めるのかーっ?   

 

 俺の知らないところで、凄いことが起きていた気がしてきた……聞かなかったことにしよう。

 そうなると、やっぱり要でよかったんだ!!

 これはお祝いパーティだ。


「やっていけるのかしら?」

『栞が忍君に変わったようなもので問題ないと思います。ただ、栞と一緒の時もそうでしたが、この状態がいつまで続くかでしょうか』

「そうね。研究がまた必要になるね」

「あまり、要っぽく、ない」


 うしろに立っていた鈴が、横に来て要を見ていった。

『えっ、そうなの?』


 要が鈴を見ながら顔を傾けた。


「ほら、それ」


 鈴がそういうと、女医が口を押えて笑いを止めようとしている。


 ――むっ。


 言っている意味に気づくが、これは……どうしようもない。


「要、まるで、おかま」

 ――鈴っ!! お前はいつも一言多い。

『あっ、ははは……そうですね』


 鈴に向けて要は、女性のしなやかな手の仕草をしていた。


「親しくない人たちの前では、広瀬になりきって出てこないといけないかしら」

『ふふっ、そうなりますね』

「一つ重要なこと、聞いていい?」

『はい?』

「栞は?」

『……わかりません。私が最後に入れ替わったとき……成功したかどうかまでは』

「手紙の通りね」

『そうかと思います』


 また手紙の話だ。

 これは聞かねばならない。

 俺から交代はできないのだろうか?


 ――要。交代できないか?


 と声をかけてみたら、気持ちのいい水の中から、突然外に引っ張り出された感じがした。

 目の前に竹宮女医。


「あれ……」


 居眠りしていて目が覚めたような状態になっていた。


「要どうしたの?」

「いえ、俺です」

「ああっ、変わったのね。広瀬君の言ってた要の存在は確認したわ」

「あれ、質問形式だけなんですか? また、脳波測定器で電極装備するのかと思ってましたから」

「それはこれからね。たっぷりやるから覚悟してなさい」

「あっ、やっぱりそうなりますか」

「どういうことかわかったので、解離性同一性障害の人格があると定めて、対峙していくことにします」

「えっ? 解離性……って、俺の人格が分かれたのと違うと言ってたのに、どうして?」


 俺はソファから前のめりになり、女医に詰め寄った。


「勘違いしないでね。病名は便宜上のものだから、広瀬君の病名は解離性同一性障害で通します。これは栞、要でもしてきたことだから」

「でも、要は俺の分身ではないし、解離性何とかは……あまり言われたくないです」


 含み笑いをする女医は、ソファに落ち着いて足を組んだ。


「病名は最後まで覚えなさい。……その解離性同一性障害は、先進化された医学で最近の精神医学名ね。少し前なら多重人格障害の心理学。それじゃあ、昔ならどういう風に言われてたと思う?」


 突然振られて俺は宙を見て考える。


「昔ですか? えーっ、なんだ? 狐憑きかな」

「そうね。狐憑き障害。民間信仰で出てくる名だね。一つの思想よね? 多重人格障害は心理学思想、解離性同一性障害も医学思想。最近は脳科学思想から、複数の人格者は脳の中の記憶と関係がある海馬に障害を持った人となっているわ。近々新しい病名が出て来るのではないかしら。納得してしまうでしょう? そうなのかもしれないわ。でもこれは、最新脳科学の思想内に入っているからよ。これ、その思想内から出てみれば、全部レッテル張りだってわかるでしょ? その思想中に入ればその病名は本当のこととして定着して、信じるのよ」

「あっ」

「うーん、よく、わかんない」


 うしろに立つ鈴がうなりだした。


「理解できない、わからないのはその思想内から抜け出せていない証拠ね。思想が圧倒的に信頼のおけるものと考えている、それが事実となっていくものよ。今回のあなたのように、複数の人格者は眼前といつの時代にも存在しているわ。わかって理解したうえで、あえてその思想中の通念を使っていればいいわけ」

「はあっ」


 栞や要たちも入れ替わりを多重人格者として説明してくれていたな。


「この話をしたのは、広瀬君の医師としての診断が解離性同一性障害。違うといってもそういうことよ。他にある病名は精神病くらいだからね」

「では零の聖域、希教道の思想として、要の意識が俺の中に来たのも、それも事実。でいいんですね?」

「そうよ。……もちろん治療としての話は別問題だけどね。いろいろ調べさせてもらうわ」


 うん? 治療じゃなく、観察になるんじゃないか……少しモルモット化が不安。

 栞たちもこのことで、女医を苦手にしていたのでは?

 あっ、そういえば、栞の手紙。


「さきほど、話題に上がっていた手紙は何ですか?」

「広瀬君は、まだ知ってはいないのね」


 俺は知らないと、両手を挙げて首を横に振った。


「……昨夜、センターでの栞の荷物を整理してたら、出てきたのよ。置手紙がね」


 女医はソファから立ち上がって、奥の書斎机に向かった。


「えっ、それは栞からの手紙?」


 俺はソファから立ち上がると、女医が座っているように手でジェスチャーした。

 彼女は書斎机の引き出しから、手紙を一通取り出して俺の前に差し出した。

 それをゆっくり封の空いた手紙を受け取る。

 白い封筒には、『みんなへ』と書かれていた。


「これ、開けても?」

「ええ、私と、和夫さん……当主は読んだわ。広瀬君にも読んでいて欲しい」

「わかりました。読まさせてもらいます」


 封を開けて中の紙を取り出すと、栞の書かれた文字が目に入る。

   





 この手紙を受け取った頃には、私は死んでいるでしょう。

 時空移フライトを使って、色々と延命の努力はしてみました。

 でも、無理でした。

 宿業なのだと、受け入れました。

 脳腫瘍の余命ではなく、突発的な何かになり、それは道場の火災後に起きると予想しています。

 その死は、私の死でありますが、要の死となるでしょう。


 私こと栞は、先のない未来が来たら時空移フライトをする予定です。


  彼女かなめとの日記交換から、時空移フライトが使える私に、過去に戻るよう進めたのは要なのです。

 だが、彼女かなめ時空移フライトができないのは、知っているかと思います。

 なので、体の寿命と一緒に去るのが彼女かなめの役目だと私に言いました。

 要が使ったチャンスを、今度は私が使ってみるべきだとの主張です。

 私なのに、私より達観して、なおも命を惜しまない彼女かなめに嫉妬してしまいました。

 そんな彼女の後押しがあって、これは私、私たちの宿業と受け止めて、最後の賭けに出ることに決めました。


 要がやってきて、過去を改ざん、おかげで私は三年寿命が延びたことになりました。

 私は過去の栞と、今回の倍以上生きて、もうひとりの忍君を頼りにやり直して見せます。

 でも、賭けは賭けでもあります。

 この時空移フライトで死んでしまうかもしれません。

 また過去の私に戻っても、脳腫瘍が再発する確立も十分あります。

 それでも少しでも生き延びる確立があるなら、賭けてみようと決断しました。

 成功してみせます。

 要の意志を継ぐためにも。


 能力者狩りを恐れて彼女かなめは、時間軸から移動しました。

 私もマスコミバッシングも能力者狩りのない、安心のある世界で静かに暮らしたかったのです。

 異能力が一般の人に危害のないものとして認知され、人々のためになる、喜ばれるような力として必要とされ、オリンピックの種目の一つとして能力保持者がスポーツ選手で協議に参加できるような、そんな角が立たないように、この地に暮らせたらいいと思ってました。

 異能を持った私と要の宿願の未来です。


 追伸 個別な手紙をそれぞれの方に書きましたので、そちらもどうかお読みください。






 これは栞が時空移フライトを使い過去へ、やり直すための告白文。

 栞が過去へ生き伸びていたことに、安堵して喜んだ。

 もう一度、繰り返して私の命を永らえてみると、運命に抗おうとしている栞がそこにいた。

 いつも事後に報告する栞は悪い奴だと、歪んだ文字を見ながら思った。

 最近泣いてばかりいるが、これはうれし涙でどんどん流していい涙かな。

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