第43話 恐怖再来
四月七日火曜日
「薄情物」
一学期始業式の朝、教室に入っていったら、女子グループから離れて席に着こうとした麻衣からの最初の一言だった。
四日前の麻衣からの“バカ”メールに謝りのメールを送ったが
図書館に来なかったことを根に持っているようだ。
「ごめん、時間がなかったんだよ」
椅子に座っている麻衣の前席に座りながら、片手で拝むように軽く頭を下げる。
「謝りメール来るまで待ってた」
アヒル
夕方に謝りメール送ってたが、それまで待ってた?
「えっ、マジ? それは悪かった。ごめん。えっと、今度何かおごるぞ」
麻衣の両手をつかんで、素直に頭を下げて謝った。
「よろしい。今日の昼はファミレスね。私を接待するように」
「へへっ、お嬢様。お休憩の接待ならいくらでもやりますぜ」
「お休憩? ……バカ、スケベ、ヘンタイ、学校で話すな」
彼女は周りを見渡してから静かに罵倒してくれた。
「ああっ、悪い。でも図書館では読みたい本あったんだろ?」
「うん。巫女さんデキレース読破しちゃった」
「六巻も読んだのか。面白かった?」
「途中まで良かった、あとは惰性だったけど良いと思う」
「ふふーん」
俺が鼻を鳴らすと、麻衣は不審げな目で見つめた。
「それであのあと、不審なことは何もなかったんだな?」
「もう大丈夫そうかな。昨日も何も起こらなかったし、ちょっと嬉しい」
「いい兆候だ……俺は疲れたけど」
「忍には感謝してるよ」
彼女は神妙に顔を前後させた。
「態度で表して欲しいものだ」
「じゃあ、目を瞑って」
「何で?」
「いいから」
またかよと軽く目をつむると、すぐ唇に感触があり目を開けると人指し指がしばらく当たっていた。
「同じことを」
「いいじゃん、ここ教室だし、これくらいなら」
麻衣は戻した人指し指を眺めてから、自分の口にあてがう。
指で押された唇が少し上下に動き、濡れた部分が淡く光って誘われてる気がしてくる。
「おっ、おい」
俺が他の生徒が気になって、周りを見渡すが誰も注目してなかった。
あおられると思ったが、雅治はまだ登校してなく椎名は読書中でホッとする。
「見たか。私の感謝」
「見た。けど間接キスだよな? 前の……学園祭の帰りと同じだろ?」
「だってここ学校だよ。同級生いるよ」
不機嫌に話す麻衣。
その濡れた唇を意識したら、体の芯が温かくなり頬がどんどん紅潮していくのを感じた。
「じゃ次は、この前行けなかった、あ・そ・こで仕切りなおし」
俺は彼女の顔に近づけ小声で言ってみた。
「あっ、あそこ……。うっ、うん」
小さい声で肯定の言葉を聞く。
ラブホの予約をしたと思って差し支えないよな?
これは俺得!
幸福の時間が終わり、始業式で全校生徒が講堂に集まった。
進級して実感はあったが、三年としての実感はなく二年の延長であった。
だが、新一年生の新品の服とたどたどしく歩くグループ風景を見ていると、最上級生になったのか?
多少の実感を持ったところで、その一年のグループの一つから声をかけられる。
「よっ、忍ちゃん。これからよろしく」
耳障りな音声が木霊した。
気のせいだろうと無視を決めたが、声の主であるツインテールがお供を引き連れて俺に近寄ってきた。
「何なのよ。無視決めてちゃって」
竜芽学園の制服を着た彩水と直人だ。
「君たちは誰かな?」
軽く流そうとしたが、
「お前、触るぞ、コラッ」
彩水が腕に触れてきたので一歩下がる。
「わっ、冗談だ。って言うよりなぜここにいる? それが驚きだ。てっきり白咲のいる陽上高校かと思ってたぞ」
いや、こいつが高校に進学すること自体、思ってなかった。
「なんで白咲たちの後輩に甘んじなければいけない。あそこ県立だし」
最後に本音を吐露する彩水。
「俺の後輩になりたかったのか? よしよしそれなら認めてやろう」
「何言ってるの。いじられ役でしょ?」
腕を組んで尊大に構える。とんだ一年が来たものだ。
雨の日の今日は朝から暗く、講堂の蛍光灯の光のほうが明るい状態なほどである。
三年は一二年の後列につき、俺たちのクラスは壁沿いに男女二列ずつに並んだ。
麻衣は俺の三人ほど前に立った。
だが、その後ろの椎名がしきりに麻衣に何かいっている。
少し気になる。
開式の言葉を教頭が話し出したとき、それは起こった。
麻衣が頭を下げ震えていることに気づく。
隣の生徒が、小声で何か聞いているようだがわからない。
後ろの椎名も横に来て様子をうかがったあと。
「先生、浅間さん具合悪そうです」
壁に待機していた担任の島田に報告した。
「んっ、浅間? どうした」
島田は麻衣の場所まで行って、彼女の肩に手をかける。
「ゆっ、幽霊。いやーっ!」
突然悲鳴を上げ、体を震わせる。
そして、すぐ後ろに飛ぶようにあとずさると、後ろの女子生徒が押されて数人が倒される。
静かな講堂に緊張が走り、生徒たちの目が麻衣に注がれ空気が凍りついたように感じた。
「いやだ。いやいや」
彼女は腕を空間に振り回し始めたので、周りの生徒が円を描くように遠巻きになる。
生徒たちから驚きが上がり、講堂は騒然とする。
複数の職員が駆け寄って麻衣を取り押さえようとするが、荒れ狂って両手を振り回して近寄らせない。
「いーっ」
麻衣は奇声を上げると、教師からまた離れるように俺の前に跳び退いてきた。
彼女の体を後ろから抱きとめて、近くの生徒たち数名と一緒に床に転倒する。
「いっ、いたい、いたい」
暴れる麻衣の両腕を、後ろから手を回して運よく押さえられた。
「いいぞ、広瀬捕まえててくれ」
担任の島田が指示をよこしたが、暴れて手に負えない。
すぐ島田や他の教員が抑え始めた。
「誰か養護教諭の山本さん呼んできてくれ!」
麻衣を無我夢中で抑えていると、視界が変わったことに気づく。
――何!?
講堂全体が真っ赤に染まった光景が眼に入る。
赤い液体が天上から蛍光灯を伝って、沢山音を立てて落ちてきていた。
上から押さえている島田は、顔が上半分食われた様に無くなっていて、上半身鮮血まみれで光沢を発している。
猫ぐらいの大きさの白く滑った物体が、麻衣の足や周りに沢山うごめいていた。
「目だ。目を閉じろ」
と彼女に声をかけた。
「変なの取りついてる。駄目ーっ! いやあっーっ」
目を閉じたが彼女は絶叫する。
幻覚は収まらず、俺の眼前には得体の知れない生き物がうごめき周りに群がっている。
これは自分の目で彼女の幻覚を体現している。
腕を通して彼女との接触で感応している?
フラメモの変異、亜種?
匂いもしている。
他の教員たちは、麻衣を抑えるのに集中して特異な行動はしていない。
見えてない。
足元には同じ物が湧き出て麻衣の体に飛び移って、嫌なおぞましい臭気を放ち吐きそうになる。
これは現実じゃない。
幻のはず。
麻衣には、腕や足に巨大な
そのつど麻衣が苦しみもがいて転げ回ると、抑えている顔の崩れた教師たちを弾き飛ばす。
恐怖と痛みで意外な力を発揮している。
「いたーいいっ」
二度目の絶叫。
『
いつかの白咲の言葉が急を告げる。この幻覚は彼女に本当の五感作用を起こさせている?
「麻衣見るな」
言葉をかけるが、もう何も意味をなさなかった。
「ううっがはっ」
喘ぐ麻衣の胸や腹に、白い
鮮血の一部が俺の顔にかかり冷たい感触と鉄のにおいを味わう。
激しかった彼女の動きは電池が切れたかのように動かなくなった。
同時に蛭たちが消え、えぐり出されてた腹部は制服の状態に戻り、講堂に静寂が訪れた。
麻衣が幻覚で死んだ状態になっていた。
まさか本当に死んだんじゃ?
島田が最初に動き、麻衣の涙で濡れた顔に手を当てると、つぶやいた。
「息をしている。気絶したようだ」
俺は安堵して麻衣を床に置き、尻餅をつきながら濡れた顔に手をかけるが血痕は消えていた。
講堂は三年の辺りを中心に喧騒は続いたが、麻衣が担架で運び出されると、始業式は再開される。
原因不明の発作から失神した麻衣は、到着した救急車で中央病院に運ばれていった。
始業式が閉幕して教室に戻ると自習になり、生徒同士が麻衣の出来事を思いのまま語りだした。
「前々からおかしな子だった」
「完全に精神が病んでて終わってる」
「脳に異常があったんだぜ」
「いいや、あれ絶対薬中毒でやくざと寝たとか噂本当だったな」
「もう来て欲しくない」
「気持ち悪かった」
いろいろと耳に入ってくると、一年前に経験した思い出が呼び覚まされて、冷や汗が出ていたたまれなくなった。
「何かから逃げる感じだったよな」
「やっぱり、例の幽霊が見えてたのかしら?」
俺の席に来た雅治と椎名が心配し意見を述べ合っているが、会話に加わる気分ではなかった。
「……俺、行くところできた」
「行くところって、これからか?」
雅治が胡散臭げに聞き返す。
「早退するから、担任に具合が悪くなったと言っといてくれ」
「どこへ? まさか病院?」
「いや……柳都大学」
「何で? 麻衣のことと関係があるの?」
こんどは椎名が驚いて質問する。
「わからない。けど、大学の知り合いが何か知っているような気がして」
「でも、今から行っても向こうも入学式か授業してるわよ」
「呼び出してもらう」
「辞めなさい。父兄でもないのに、追い返されるだけよ」
父兄?
兄弟で呼び出せるか?
「落ち着けよ。熱くなってないか?」
「とにかく、座っている気分じゃないから、行ってみる」
教室にいたくなかったので、二人の制止を振り切り鞄を持って外に出た。
***
小雨の中、傘をさして校門を出ながら、谷崎さんの大学へ行く前に電話で話しをと思うが携帯番号を知らない。
すぐ
プライベートとか言って封印していたがもういいだろう。
一人での行使は“T-トレイン”の草上たち以来になるが、今でもやれるだろうか?
谷崎さんを頭にイメージして、フラメモのように額の前に映像が出てくるのを待つと、程なく眼下に雨の降る窓を見てる向きで
雨の中を歩いていたのに、いきなり建物の中に入った気分にさせる。
歩くのは危険なので立ち止まって、
ここはどこだろう。止まっていた
人ともすれ違うが大学の中だろうか?
でもこの
場所が見当もつかないし、身の回りがわからないと誰だか不安になる。
これは知っている場所じゃないと使えないな。
しばらく視ていたが、椅子に座ってこげ茶のバッグから、文庫本を取り出して開いた。
すると動きが止まってしまい、動きがなくなったのであきらめることにした。
友達の夢香さんに携帯電話をかけて聞いてみるが、留守電サービスに繋がってしまう。
夢香さんの話だと入学式だけで、あとは部活巡りするとか言ってたから、すぐ繋がると期待してたんだが駄目か。
待っていたバスが来たので乗り込んで後ろの席に座る。
まだ午前なので客はまばらだった。
次は奥の手として、白咲へ
念話である。
授業中で迷惑かけるが彼女の全体像を頭に映像化させ何度か呼んでみる……。
が、返事はない。
あれ出ない?
もう一度やり直すが……出ない。
白咲から
これは何かやり方があるのか、俺に能力がなくて彼女からの一方通行だったのかもしれない。
念話はあきらめて、陽上高校へ直接押しかけることにする。
バスを降り雨の中、自宅マンションに戻り着替えてから、休み時間帯の見当をつけて向かうことにした。
くたびれた自転車に乗り、傘をさして白咲の高校へ向かう。
進むだけなので、余裕ができると頭に疑問が湧き上がった。
麻衣との接触で瞬間的に映像を同期して視たのも気になったが、あんな幻影を視せれる人間がいる恐ろしさ。
それを起こせる人物を谷崎さんしか知らないこと。
それもあの凄惨な世界を麻衣に視せる意味は何だ?
谷崎さんだとしたら、弓道ができなくなったことは逆恨みに過ぎないのだから、もう一度会って問いたださなければ。
陽上高校に着いて自転車を降りるが校門は閉まっていた。
裏口に回ると車が出入りできる門を見つけ踏み込む。
降り止まぬ雨のせいか、誰にも呼び止められず構内に入れた。
前回の弓道の試合で歩き回ったお陰で、迷うことはなく屋根のある渡り廊下に入り周りをうかがいながら傘を閉じる。
そこで休み時間のチャイムがなり、校舎の入り口から生徒の声が一斉に木霊してくる。
ちょうど良かった。
渡り廊下に出てくる生徒はいないので、校舎の方へ歩むと声をかけられた。
「何してんの? 忍さん」
前を見上げると、有田純子が目を丸くして立っていた。
「あっ、うん。ちょっとね。白咲に」
思わぬ人物に会って頭をかく。
「要はいるけど、どうしたの?」
「うちの高校でトラブルがあって、えっと、能力系のことで知りたいことがあるんだ」
「わかった。要の教室すぐそこだから、呼んでくる」
トラブルと聞いて彼女はすぐ駆け出していった。
しばらくすると、純子が白咲を連れて戻ってきて俺に質問してくる。
「それで何の話?」
「あとで話すから、今は二人にさせて」
白咲が純子を制するので、俺もまた頭をかいてしまう。
「えーっ。ずるい。もうっ」
口を尖らせて後ろへ下がる純子。
「それで広瀬さん」
「ああっ、まずは突然にごめん。休み時間内に済ますよ。麻衣が内の始業式で錯乱起こして病院に運ばれたんだ」
口に手を当てて目を細める白咲。
「俺も暴れる彼女を取り押さえたとき視えたんだけど、幽霊を通り越して死霊や異形の物とか、悪夢のような幻覚が講堂を覆っていた。これって俺や白咲のような
「谷崎先輩を気にしてたのは、浅間さんとのかかわりでしたか」
白咲はスレンダーな体を落胆したように小さくする。
「今度ははっきり関係性を聞いてみたくて、居場所知りたいんだ。ケータイ番号知らない?」
「番号知りませんけど、今日は大学でしょ。でも校内にいるか、わかりませんね。入学式だから帰ったかもしれませんし」
雨の降る上空を眺めながら話す白咲を見て、やはり駄目かと考え込んでしまった。
他の知り合いとなると夢香さんだが……。
「あとは夢香さんだけど、彼女も麻衣と同じくおかしい感じなんだよな。ゾンビ見たとか言ってたし」
「萩原さんもですか?」
「あっ、ああ。それと関係あるか不明だけど、谷崎さんはゴタゴタするからカレシと別れなさいって、知ってた風に忠告してたんだよな」
「先輩がそんなことを……ゴタゴタってトラブルですか?」
「その彼氏、金田先輩って言って前にバイト先で知り合ったんだけど、どうも夢香さんと他の女性を二股かけてるらしくてね」
「金田? ……そう言うことですか」
白咲は何かを理解したようだが、険のこもった話し方だったので少し驚く。
「萩原さんのゴタゴタは大丈夫だと思います」
「そうなの? 麻衣とは別口でいいのかな?」
「谷崎先輩の忠告に関してはそうでしょう」
何となく夢香さんは大丈夫らしいが、俺の知らない話題なので別の質問をしてみる。
「……じゃあ、能力のことだ。
「あれは……まだ未知数だから」
何か歯切れの悪いのは知らないからか。
それでは他に詳しい人はと考えて、すぐ竹宮女医を思いついたので聞いてみる。
「んっ、どうかしら。女医に聞いてみないことには」
「今どこにいるかな?」
「昼間はリハビリセンターですよ」
「ああっ、そんなこと言ってたな。……よし。これから行ってみるよ」
「これから? それでは私と一緒に行きませんか?」
「うん。ありがとう。でも、一人で行くよ。白咲はもう一授業あるだろ? 俺に合わせてサボることもないから」
「そうですか」
と肩を落とす白咲。
「お昼は? センターに食堂ありますよ。女医に言えば定食とか食べさせてもらえます」
「今はあまりお腹に入りそうもない気がするんだ、途中でサンドイッチでも買って……公園あったね? そこで軽く食べて行くよ」
「森林公園ですね。綺麗なところです」
白咲との話が終わり、後ろを振り返ると純子が柱に寄りかかり携帯電話をいじっていた。
「そうだ。白咲のケータイ番号聞いていい?」
麻衣も白咲のこと知っているから、あれこれ言うまい。
「あっ、ケータイ? はい。もちろんいいですよ」
急に明るくなった彼女から教えてくれた番号を登録し、お礼を言って白咲たちと別れた。
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