第28話 対決
十一月二日 日曜日
瞬きした後に、真っ白になり暗闇が訪れた。
「うっ。いっ痛」
……後頭部に激痛。
ハンマーで殴られてるような痛みが、間を置いてやってくる。
草上の特殊警棒で袋叩きされたあとだ。
頭を抑えた手に、ねっとりとねばりつく嫌な感触が……。
くうっ、ズギズギする。
これは、
まずった。
痛みを視野に入れてなかった。
……ま、麻由姉?
麻由姉?
いない?
まさか、一緒に来れなかったのか?
「うっ……」
俺の中に入れなかった?
後頭部のダメージが影響してるのか?
くそっ、これじゃ何も変わりないじゃないか。
ここは、どこなんだ。
痛み我慢しながら、ゆっくり手を周りに触る。
シート?
車の中か……思い出した。
後部座席に俺が……いや、草上が俺を押し込んだんだ。
ううっ、頭が割れそうだ。
運転席に石田、助手席に草上がいるはず。
目を開けてシートの間を見据える。
窓から車が夜の中を移動していることがわかった。
「おやっ、お客さんが起きたようですね」
「もうしばらくの辛抱ですよ」
前席の二人が語りかけたが、やはり石田と草上だ。
「っ……」
「声も出ないようだ」
「それはそうですよ。一撃を狙いましたが、眠ってくれなかったもので、少々汗をかきました」
「そっ、そうですか」
眉をひそめたように返事をする石田。
「くっ……ううっ」
話そうと思っても言葉が出ない。
「動かないでくださいよ。もっと酷くなりたくなければ」
「その傷じゃ、もう動けませんよ」
「そうですね。座席シートの汚れの方が気になってきました」
助手席の草上は、俺の肩を押しやって下のブルーシートをめくってチェックする。
何言ってやがる。
……くそっ。
「……くううっ」
速く思いを描いて……麻衣のところへ。
うっ……。
いつつっ。
駄目だ……やはり痛みで長く集中できない。
何とかならないのか、こんなときに麻由姉がいなくなるなんて。
彼女は、もう戻れないのか?
――んっ?
ぼやけた車上に麻衣が見えた。
目を凝らすと、後席のシート上の空間に半透明に丸まって浮かんでいる。
狭い車内なので、体のあちこちが天井やシートに重なり埋まってもいる。
ゆ、幽霊?
その麻衣の幽霊が体の丸みを解いて、体を動かしジェスチャを始めた。
だが何をしているのか、よくわからない。
……そして何となく違和感。
そうだ、いつもの制服と違う陽上高校の制服だからだ。
「まっ、麻由……姉?」
彼女はうなずく。
あっ、これって、俺が麻衣の幽霊さんになったときの状態に似てる。
俺が麻由姉を思ったから、彼女がやってこれたんだ。
やはり零の聖域辺りに飛ばされてたのか。
――通じた!!
また彼女はうなずく。
俺の零感応の念話は彼女に通じているようだ。
麻衣のときは映像のみのコンタクトだったが、能力の違いか?
だが、麻由姉が現れたおかげで焦りが収まり、痛みもいくぶん和らいだ気がした。
彼女はあごに手を置き、上を見上げて目を細める。
一方通行で会話がうまく成立しない。
「うっ……つつ」
――麻由姉、怪我の痛みがひどくて、麻衣にアクセスする力が出せないんだ。だから、麻衣を麻由姉に任せるから行ってもらえないか。
首を振る彼女。
あっ、麻由姉は
取り込みと送り出しでの能力が違うから……無理なのか。
麻由姉は両手を使って円を描いて、手を交差させている。
――代わるってこと? 俺と?
彼女はうなずく。
――そうか、麻衣にアクセスする集中力が取れる。けど、麻由姉は俺の肉体の痛みを背負うことになる。
また彼女はうなずく。
――よくない。それに入れ替わり方なんて知らないし……。
彼女は俺に指を向け自分にも向けた後、両手で大きく頭の上に円を描く。
そこから腕を下ろしながら体を小さくしていった。
――二人で小さくなる? いや。初めて麻由姉と一緒に戻ったときのイメージだ。
忘れていた。心を無にして祈ってみることなんだ。
そうすれば、また彼女が戻ってくる。
うなずく彼女。
――わかった。長い集中は無理だけど……何とかやってみる。
無心になって……うっ。
俺は麻由姉になった……つもりで。
俺は……思い、念じ、祈る。
――いたたっ。駄目だ。集中は無理か。
『だから、代わるってば!』
――えっ?
幽霊の彼女は目の前から消えていた。
――麻由姉?
『もーっ、回帰の世界でおろおろしちゃったよ。祈って戻ってこれたと思ったら会話できないし、焦ったわ』
――おっ、お帰り。
『ただいまって、悠長にしてられないのよね。早速に代わるよ』
――でも……。
『麻衣のところへ行くんでしょ? 私じゃ、行けないのよ』
――ごめん。お願いするよ」
『痛みは覚悟の上だから』
後ろから誰かに密着されたような感覚に襲われた後、自分の中に何かが流れ込んできた。
水が引くように痛みが消えて、体の実感が無くなった……彼女と交代したのだ。
『くううっ』
――麻由姉。
『うっ……大丈夫……って言える……ものじゃないね』
――すぐ戻ってくるから。
『ええ……きっ、期待してる』
んっ……気持ちを意識上の持っていく。
問題なく集中できる。
よし、やれる。
暗闇の中、意識を空っぽにして……無……無……無。
麻衣を思い浮かべる。
ワゴンにさらわれた彼女を。
闇から光を感じると白いスクリーン状になり、その中に何かの形がぼやけて浮き上がってきた。
形は奥行きを持ち出して、瞬時に周りに広がり現実の世界が目の前に現れた
黒い壁?
いや低い天井に脇に座席のシート。
上を向いてるのは麻衣目線か?
彼女にリンクできた?
狭い空間、ワゴンの中だ。
まだ移動中か?
運転席に一人。
麻衣は仰向けにされてる?
背もたれが倒されて、席がベッド状態だ。
うん?
手……いくつかの手。
麻衣の目線が乱れてる。
「やっ。やめ……」
「やっぱいい胸してるな」
上から中条と松野がのぞいてる。
彼女の体にさわっているのか?
くそっ、好き勝手なことを。
すぐ袋叩きにしてやる。
俺はイメージする。
――あっ。
麻衣目線で松野の顔がアップになって、暗闇。
目をつぶった?
『忍が……』
――えっ?
『助けに行くって言ったのに』
麻衣だ。
これは麻衣の……心?
心の声?
初めてだ。
それも俺を呼んでる。
『助けに……きてよォ』
携帯で送ったメールを信じて……念じてる。
『助けてよ。忍』
彼女に応えて、声のイメージを聞こえた方に念話で返す。
――任せな。
『えっ? ……忍! 忍なの!?』
彼女に応えたかったが、ここで会話して長引かすより助けることに集中しよう。
麻由姉も待っている。
予定してたイメージ思考にもう一度実行する。
イメージを変えて麻衣から松野を思い起こし、やつにリンクして乗り移る。
場面が変わり、松野の目から車内の状況を確認。
アクセスに成功。
シートに押さえつけられてる麻衣が映った。
服が乱れて、涙で頬を濡らし目をつぶっている彼女……唇が切れてる。
――松野ーっ!!
「えっ? 何だ? 誰?」
ストレートに俺の声が、松野に届いたようで意外と繋がるらしい。
俺はその勢いで、松野に恐怖イメージを送りつける。
麻衣が恐怖の象徴になるように。
「んんっ……ん?」
松野の目を通して、麻衣が沢山のミミズや芋虫の集合体に変わっていた。
彼女を押さえつけていた手にも、ヌメって白く小さなミミズみたいな幼虫がまとわりつき、そのまま何十匹も松野の皮膚の中に入り込む。
「うあああああああああああっ」
松野は絶叫して麻衣から離れ、虫の入った腕をかきむしっている。
「ど、どうした?」
隣にいた中条さえひるんだ。
麻衣も目を開けて怯えている。
「松野?」
運転手も驚いて振り返る。
「うおああっ、と、止めろーっ」
かきむしっていた腕からまた何匹も飛び出して、松野の足や肩、頬などに飛び散り、また皮膚に血を噴出して潜り込む。
――俺の送り込んだイメージよりひどい。こんなグロテスクなものどこから拾ってきたんだ?
「うわわーっ」
松野は両手を振りほどきながら、前の席に飛び込む。
ヌメっと白い液を吐く蜂の模造品のような昆虫が、追いかけてまとわりつき噛む。
松野はそれには気にも留めずに、皮膚に入りこんでうねっている幼虫をボックスに腕ごと叩きつける。
「わわっ、松野! ばかやろぉ」
運転席の相棒は、暴れまわる松野にハンドルを取られ蛇行運転の末停止した。
ワゴンが止まるや彼は、ドアを開けて歩道に転げるように飛び出た。
「ぐあああああっ」
地面にはいつくばる松野。
――かなり効いてるぞ。
「あああっ、誰か、何とかしてくれよ」
松野が振り返り助けを求めるが、外に出て様子を見てる中条は近寄ってこない。
「どうしたんだ? 逝っちまってるぜ」
「夕方やった、アンパンのせいかな?」
松野の相方が言ったが、運転席に待機して降りてこない。
「お前ら、まだそんなことやってるのか?」
次は運転手……たしか寺越だった。
車の運転席から降りてもらおう。
同じやり方で寺越にアクセスして乗り換えてみる。
地面を叩きつける映像が、車内の映像に変わる。
麻衣がスライドドアに寄りかかって、体を丸めて震えてるのが視えた。
――こいつ、麻衣を見張ってやがる。
寺越にも、恐怖心を送りつける。
「うっ、うわっ」
寺越の目線は麻衣の体から膿が大量に湧きだし、巨大な脳髄に変化して行くのを目撃した。
脳髄は大量の白い幼虫に変化して、飛び散り寺越にいくつも付着する。
顔にかかったものを手で払い退けるが、その手先も白い分泌物を流し始めて驚く。
溶けた皮膚の中から白い幼虫が見えて動き出す。
「ふぐぐううえ」
吐きそうな声を上げて、腕を大きく上下に振り仰ぎ、天井やシート、ハンドルにぶつけてうめく。
たちまちドアを開け、車外に飛び出る。
そのまま地面にへたり込み、手を地面に叩きながらうめいて嘔吐する。
――うっ。俺も気分悪くなってきた。
よし、あと一人、中条にイメージしてシフトを開始する。
すぐアクセスできて目線映像の立ち位置が変わった。
「おおいっ? お前もかよ」
寺越も地面にはいつくばるのに、中条は呆れる。
「そろいもそろって馬鹿どもが、しっかりしろよ」
――よし、後は中条を。
中条目線が途切れて暗闇……暗闇と静寂。
えええっ?
どうしたんだ?
もう少しで、麻衣を救出できるのにどうなったんだ?
すぐ意識が遠くなって……遠く……。
***
「いっ、つつぅ」
思い出したかのように、後頭部に痛みが戻ってきた。
苦痛が……激しい痛みで息まで止まりそうな感じ。
痛みに耐えるだけで、何もかんがえられない。
苦しみで息が絶え絶えになり、意識がどこかに持っていかれそうになる。
めまいがして、吐き気から嘔吐。
嘔吐。
「わっ、きたねぇ。吐きやがった」
背後から声は中条、じゃない……石田だ。
俺は咳き込みながら痛みに我慢する。
「あ~あっ、座席シート汚しっちまったよ」
「やってくれましたか? 仕方ない、この車は廃車ですね。……石田は、続けて重石を探してください」
草上の声も聞こえる。
――吐いたら意識が定まってきて、周りに集中する。もしかして、戻ってきた? じゃあ、麻由姉は?
ううっ……麻由姉?
麻由姉?
麻由姉が……また消えた。
車はいつの間にか止まっている……外は埠頭らしい。
潮の香りがする……重石とか言ってるし。
――これって、かなり……まずい? いや……それより、もう一度麻衣のところに戻らないと。
あれだと中条が残っていて麻衣が一人で逃げられない。
吐いたら……いくぶん痛みも引いた感じがする。
やたら、寒くなってはいるが。
今なら集中できる。
『何のんきなこと言っているんですか?』
「えっ?」
麻由姉?
いやっ、今の心に響く声は。
――白咲!
車の前方で石田の悲鳴と走る音。
運転席の側で何かが倒れた音に車が振動した。
「どうした、石田」
草上の声と足音。
「ううっ、あっ、誰だ?」
草上が詰問したが、苦痛の声をもらす。
――何が起きた? 近くのドア越しに誰かが倒れたようだが……。
「わっ、わかった」
草上が誰かと話しているようだ。
倒れたのは石田か?
うつっ……首動かしたら、神経に花火が炸裂したような痛みが上半身に走った。
そこに運転席のドアが開き閉まる音。エンジンがかかり動き出した。
どうやら運転席に座った草上がドアを閉め、車を走らせたようだ。
石田はどうした?
置き去りか?
体の状態を少し起こすと、助手席からポニーテールと後頭部が少し見えた。
運転席に向かって光る長い物が見える。
刀?
日本刀か。
「お前か、松野の後輩や興信所の社員に、刃物を投げつけるイカれたことをした女ってのは?」
「人のこと言えて?」
白咲の声。
「ふん、まさかつけられてたとはな」
――白咲か?
『危ないところでした。今、草上に武器をちらつかせて運転させています』
彼女から
――そうか……助かった。でもよくわかったな?
『麻由さんに……彼女に呼ばれたんです』
――麻由姉に?
『私も日曜日の広瀬さんが気になっていたもので、イメージしていたんですが』
――俺の中の麻由姉に気づいて?
『ええっ、コンタクトすると広瀬さんを助けてくれと。わかっているでしょう? 体の出血がひどいことを。麻由さんは、居続けられなくなって、広瀬さんの中から消滅したようです』
――えっ?
『体がもう衰弱しているんです。生命力が……麻由さんが消滅するぐらい落ちてるんですよ。この会話だって……口で話せないから零の聖域を通して心に呼びかけているんです』
――麻由姉が……消滅。
まさか。
いやっ、きっとまだ零の聖域あたりに……。
『これから草上を使って広瀬さんを病院に送ります』
――いや、それは駄目だ。すぐにでも麻衣を助けないと。
『麻衣さんは、今は監禁されてるだけで大丈夫です』
――いや、だから危ないんだ。
『広瀬さんも危ない状態なんですよ』
――駄目だよ。草上は知ってるはずだから、連中の行き先に車を回してくれ。
『いいえ病院が先です』
――駄目だって、行き先は捕まった麻衣の居場所に行ってくれ。
『彼女を助けに行くのなら、私はもう手助けはいたしませんよ』
――ひどい女だな。
『わ、私は、貴方の自殺の幇助などお断りします』
――俺は約束したんだ。麻衣を……彼女を助けると。
『選択を誤ると二人とも死ぬことになります』
――お願いだ……俺の体より、彼女の命なんだ。
『躊躇しないんですね』
――当たり前だ。
『自己犠牲は彼女の為にもならないと思います』
――自己犠牲? ……そんなんじゃない。ここで降りたら、俺は一生駄目な男で終わってしまう。
『残された者の気持ちは考えられないのですか?』
――彼女は……きっと大丈夫、だから……生きてて欲しい。
『だから……向かうのですか」
――ああっ。俺の前から、麻衣をあの麻由姉のようには……絶対させたくないんだ。大丈夫。俺はそんな……簡単に死なないよ……だから。
「草上さん、行き先変更してください。拉致した行き先に車を回して……彼からの要望よ」
「はあっ? 虫の息ですが? いつ会話を?」
草上は
「行き先になる場所はどこ?」
「僕が質問してるんですが?」
「余計な詮索は止めて、私の質問に答えて」
白咲が声を低くして言った。
「はあっ……この先の敷地にある倒産して放置された工場内の事務所。そこが合流予定でしてね」
「そう」
――白咲……ありがとう。
『様態が変容すれば、すぐ病院へ引き返します』
「どうでもいいが、顔に近づけてる物騒なもの閉まってくれると嬉しいんだがね」
草上はフレンドリーに白咲に頼んだ。
「運転に専念して」
「わかりましたよ。でも、もうあの嬢ちゃんは残念ながら……。お姉さんと同じ目に合ってるはずですよ」
――何? どういうことだ? うっ、つっ。
『大丈夫?』
――ああっ……。会話を続けさせてくれ。
「何が言いたいのかしら?」
白咲が話をうながすと、運転しながら草上が答える。
「連中には好きにしていいと伝えてましたから」
「遠まわしな言い方ね」
「じゃあ、レイプって言えばいいですか?」
「……ゾンビ。これからは、貴方たちのことゾンビって思うことにするわ」白咲が軽蔑を込めて言い捨てた。
「ご自由に。……しかし姉妹で同じ目に遭うとは、好まれるってのは得なのか不幸なのか。クククッ」
――姉妹って……麻由姉がレイプされてた?
「そして失踪するとか」
「何ですって!」
「おっと失礼、姉の方は自殺でしたね」
――麻由姉が……嘘だ。信じられるか。
『落ち着いて、動揺させて隙を突いて逃げる気です』
「姉の麻由さんにそんな話はないわ」
「ははっ……まあ、レイプされてすぐ自殺なら、誰も知らないですよね?」
「その手の証拠なんてすぐわかるわ」
「揉み消しなんてのもありますよ。面倒はさけるでしょう? 自殺だったんだし」
「揉み消しですって? どこまでも自己中心な」
白咲も怒りと動揺を隠せなくなってきた。
ありえる。
草上の親父は議員で警察上部に顔が利くんだ。
――くそっ、くそっ、麻由姉を……なんて連中だ。
***
車は小高い丘を下りながらカーブを切って徐行を始める。
暗く街頭のない広場の先に、白い二階建ての小さな建物の手前に車は止まる。
一階の奥の窓に小さな明かりが漏れている。
丘の反対は林になっていて、周りからの光は皆無だった。
「着きましたが、どうします?」
薄笑いを込めて話す草上に、白咲が命令する。
「ゆっくり降りて」
――ちょっと待ってくれ。
『えっ?』
「待って、まだ降りないで」
白咲が草上に言った。
「どっちなんです?」
約束したんだ。うっ……俺は麻衣を救けだすと。
無理を承知で、精神力を振り絞って、草上にイメージを送ってみる。
今は、ハンマーで殴られてるような苦痛はなく無理が効く。
ふうううう……。
だが、目から涙が零れて喘いでしまう。
麻衣を救う。
だから集中を。
……集中。
精神力は続いて、草上にアクセスできた。
そして、考えていた
体を起こしシートに座る。
痛みが麻痺したのか感覚がなくなったのか動かせた。
ゆっくり目を開いて草上を見る。
「なんだ? まだ動く元気があるのですね? あれっ……この声?」
草上は自分に変調があったことに気づく。
『能力を使うなら私がやります』
――いや。俺がやりたいんだ。やらせてくれ。
『……そっ、そうですか』
俺の念話に白咲が寂しそうに答えた。
「何これは?」
草上の声が女の声になる。
「バックミラーで……顔を確認しろ」
俺の言葉で草上は鏡を見て驚愕する。
「女顔。この顔は……浅間に。えっ? ありえない。私は?」
完全に、麻衣の容姿に自らをとらえたようだ。声も言葉も麻衣になっている。
いや、麻由姉なのかもしれないが、服は麻衣と洋館で対峙したときのデニムシャツにミニスカートに変わっていた。
「状況は飲み込めたかしら?」
隣の白咲が麻衣に代わった草上に言った。
ただ白咲には俺はイメージを送ってないから草上のままなのだが、察して草上目線を視たのか、理解しているようだ。
「あれ、私? えっ?」
服に触って体をチェックしている麻衣になった草上。
教室で聞いた死刑執行後に生延びて別人として出所した話が、ここで役立ってきた。
「何でスカートなの……ええっ?」
「直接、麻衣を助けようと思ったけど……。麻由姉のレイプ話で考えが変わったよ……このやり方が効率いい。いやこれしかないんだ」
俺はシートにもたれながら、つぶやくように話した。
「な、何ですって?」
麻衣になった草上が驚く。
「彼女たちの身になって気持ちを味わうといいわ」
白咲も不快そうに言った。
「嘘よ。こんなの夢に決まってる。あっ。その刀で最初腕を切られたけど、何か幻覚剤を塗ってたのね」
「動かないで」
白咲が切れ長の刃物を麻衣になった草上の顔に向ける。
それを見て動きを止める草上だが、手足を見て呆然とする。
その草上に、ぎりぎり聞こえる声で続けて話す。
「いままでの出来事を……警察に懺悔すると約束すれば……体は戻れる」
「そ、そんなこと、できない!!」
草上が麻衣として言った。
「じゃあ、話さず黙って……殺されるか?」
「何ですって!?」
「自分で……決めろ」
それを聞いて憮然とする草上。
『私は何をしたらいいんですか?』
――建物から連中が出てきたら、彼を麻衣のまま解放して……白咲は逃げてくれ。
『そう言うことですか』
――たの……むよ。
『あの……駄目と言われても、バックアップは取らしてもらいます』
――ありがとう……。じゃあ、行って……くる。
白咲がこちらに顔を向けて、悲しく微笑んでる。
俺は車から降りゆっくり歩き出す。
明かりが漏れる建物の前には、見覚えのあるグレーのワゴン車が静々と止まっていた。
ワゴン車の横を通り抜けて、ふらふらの体を倒れないように前かがみで前進する。
麻衣に近づくため。
だが、歩くのはやはり地獄だった。
痛みはフル稼働して首の傷口を熱く直撃してくる。
体は寒く震えが止まらない。めまいで方向が狂いそうだ。
建物の裏に回るため、迂回しながら、一歩また一歩、ゆっくり前に進む。
建物の窓は開いてあるのがいくつもあったので入りやすい場所を探して裏に回る。
すぐ鍵のかかってない裏口を見つけて、簡単に入ることができた。
中の廊下は暗いので、慎重に歩みながら光のある方向に手探りで進む。
「うっ、ううっ……」
小さな嗚咽の声が聞こえた。
麻衣の声だ。
まだ生きている。
間に合った。
すぐ中に入って行きたい衝動を抑える。
「お前も押さえろよ」
中条の声。
「ううっ……」
「だから、……止しましょう」
今度は弱気の松野の声がした。
「欲しがってた女だろ? 今さら尻込みすんなよ」
「この女に触るのは……俺はもういいッス」
「それなら、俺がいただくぜ」
くそっ、中条だけ正常のままだ。
俺は、部屋の中にいる三人に入り込むため目を閉じる。
すぐ意識の集中。
喘ぎながら呼吸を何とか整える。
まずは中条からイメージすると暗闇に映像は浮かぶ。
わかりつらいが麻衣が倒れてる。
中条の視線の世界だ。
すぐ草上が麻衣に見えるイメージを、プログラムウイルスとして進入させておく。
続けて松野、寺越と同じことを繰り返す。
集中が途切れがちになり、やつらの視線の世界も途切れるが、続けてやり遂げられた。
仕上げは三人に部屋から出てもらう行動を送りつける。
イメージは天変地異。
震度七クラスだけど、地面を揺らせないから体が揺れてるイメージで、雰囲気はドアが揺れたりしてくる感じ?
三人に一気に送れないのをもどかしく思いながら、一人一人にイメージを送った。
……このやり方は初めてだけど、反応は?
部屋からの声が一瞬静かになる。
来た?
「うわわわっ」
「揺れてる。わわっ」
「地鳴りがーっ。地震か!?」
騒いでる?
扉が引かれる音と次々に慌てた足音が外に消えていく。
成功だ。
荒い呼吸を吐きながら、俺は裏のドアを開けて暗がりから明るい部屋にゆっくり入る。
「麻衣」
「……えっ?」
「麻衣……こっちだ。すぐここを……出るんだ」
「忍だ。忍」
駆け寄ってきた彼女の服は乱れ所々破けていたが、元気のようだ。
「け、怪我してる。ひどい怪我よ」
麻衣は俺の首もとを見て、両手を口にあてる。
「連中が戻ってくる前に……裏から」
部屋から暗がりの廊下に入ったところで、表から声。
「草上さん」
「戻ってたのか?」
――えっ? 今、草上って言ったぞ。
「今地震があったすョ」
と松野の声。
微かに聞こえる外の会話は、危険を予感している。
連中の目からは草上は麻衣に変わってない?
怪我のせいで中条たちに
地震は届いてたんだが……。
今は原因はいい。
急いで集中。
中条にアクセス……できない。
もう一度。
――うっ。駄目だ、焦って集中できない。
失敗だ。
今捕まれば、麻衣の死亡フラグになるかも。
この場から逃げ延びるしかない。
「麻衣ここから出る」
「忍……血がひどいことに」
動転している麻衣。
「いっ、いいから」
麻衣の手を取って、来た道を引き返す。
彼女を取り返したことで、精神力が全てを凌駕していた。
お陰で来たときの重病人とは思えないほどに、踵を返せた。
裏口から外に出て表道路へと足を進めるが、やはり傷口に負担はかかる。
また、火鉢を当てられたような熱い痛みとめまいが襲ってきた。
「あっ、忍」
ふらついた俺の体を受け止める麻衣。
「大丈夫?」
「す、少しでも連中から離れなければ……」
前に進もうとするが足がもつれ、彼女の肩に寄りかかる。
「いいよ、私の肩に捕まって」
す、少し、もたついてしまったが、連中は?
追っては来ない?
振り返り小さくなった白い建物を眺めるが、変化はない。
大丈夫か?
安心していいのか? 安堵の吐息をもらす。
「ふうっ……はあっ……麻衣」
俺は肩を借りてる麻衣に、抱きつき抱きしめる。
彼女の息遣い、胸や背中の感触で安堵する。
「連れ出せたのですね」
暗がりから白咲が出てきた。
「えっ、巫女……さん?」
俺を抱いていた麻衣がゆっくり離れる。
「ああっ、白咲。草上の取り替えは失敗した、逃げるよ」
俺は林らしい方面に体を動かすと、白咲が止める。
「いえ、予定どおりに進みましたよ。草上を車から出してから、広瀬さんが描いてた展開にならなかったので、そこは私が修正しておきました」
「じゃあ草上は?」
「連中に彼女と認識され、建物の中に連れ戻されて行きました」
「そうか……俺の力不足だったのにフォロー、ありがとう」
――じゃあ……やり終えた?
「えっ? 忍?」
ゆっくり麻衣に寄りかかり、肘が地面に着く。
「ご、ごめん……疲れて……」
力が抜け落ち、そのまま痛みをこらえて横たわり目を閉じる。
「忍? ……やだ」
麻衣も横に座り俺の片手を握り締める。
「だ、大丈夫ですか?」
白咲も隣に座り声をかけてくる。
薄目を開けると二人が顔を近づかせていた。
「白咲さん? この怪我は連中なの?」
「はい」
「すぐ救急車を。これ……やっ、やばいよ」
「もう、呼んでます、警察も」
白咲は麻衣に顔を向けず、俺を見たまま微動だにしない。
「そ、そう。……じゃ、すぐ来てくれるのね?」
「後は願うだけです」
「何で……こんなことってないわ」
麻衣は俺の顔をのぞき込む。
「俺も……無防備だったんだ。……だから麻衣……遅くなってごめん」
草上に殴打されてからの出来事が、思い起こされる。
ずいぶん遠回りをしたものだ。
「何言ってるの……こんな怪我して……うっ、うっ」
「ごめん……」
「もう謝らなくていいよ」
「いやっ……。麻由姉の弔い合戦も兼ねてたから……でも、もう麻由姉は」
「麻由姉? お姉ちゃんの?」
「うんっ……麻衣の救出は麻由姉との共同戦線だったんだ」
「お姉ちゃん? ……よくわかんないけど」
「そうだね。ごめん……話すには時間がいるかな」
「うん。今度……聞かせて」
『あっ。……広瀬さん』
白咲が
――んっ?
『彼……草上が浅間さんのまま。今、連中の手に……』
――自らの意思で、それを選んだってこと?
『黙ったままで、私には語りかけてくることはなかったです』
――そうか……。白咲には、ひどい仕事させちゃったね……ごめん。
『この位……いいんです』
そうか、これで俺の見た麻衣の死が、彼の死で収まったと思っていいんだな。
「……ありがとう」
白咲に顔を向けて言葉にして伝えた。
「いいえ、いいんです」
彼女も口頭で返した。
「ねえ……ぐすっ……ワゴンの中へ助けに来てくれたのは忍でしょ?」
「ああ、あれ。信じる?」
「声が聞こえたから……空耳じゃない。あれは忍の声だったよ」
「そっか……あれは、麻由姉とね……一緒に頑張ったんだ。……上手く行かなかったけど」
「ううん……そんなこと無い。嬉しかったよ、ありがとう」
遠くでパトロールカーと救急車のサイレンの音が重なって聞こえてきた。
「麻衣……白咲。俺……ちょっと……寝かせてもらっていいかな。……眠いんだ」
麻衣が俺の手を両手で握り締めてる。
暖かい。
「うっ……忍」
「ごめんな……麻衣。……少しだけ……寝る……よ」
「……行かないよね?」
「忍?」
「忍……ちょっと。やだよ……忍……うっ。置いてかないで……うっ」
麻衣の嗚咽とサイレン音が、睡魔の途中に長く響いた。
『忍君』
白咲の心の声も最後に聞こえた。
俺を名前で呼ぶ白咲が、何か懐かしく心地よかった。
そして、それを最後に何も聞こえなくなっていった。
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