第29話 終章

 また、闇だ。

 ……暗闇、暗闇。ここは? 

 あの、回帰の世界? 

 零の聖域か。

 痛みや疲れ、寒気、睡魔から解放されて妙に落ち着いた気分だ。

 回帰の世界なら、また麻由姉に会えないだろうか? 

 んっ? 

 声が聞こえた。


『……でしょ?』

 ――えっ?

『忍ね? そうでしょ』

 ――ああっ。麻由姉? 麻由姉だ。よかった。回帰で消滅してしまったと思っていたよ。


 麻由姉の透明なイメージが暗闇に浮かび上がった。

 陽上高校の制服でショートカットの髪だ。

 俺も竜芽学園の制服で現れている。


『忍も、またここに来たってことはしくじったの?』

 ――来たってことは、そうかもしれない。でも、麻衣は助けられたから充実はしてる。草上も逝っちまった。その辺にいるんじゃないか?

『やだ。止めてよ。知らないわ』


 麻由姉のイメージが暗闇を見渡す。


 ――こうして思い出すと現れるんだった。もう忘れよう。思い出さないというか、消えろでいいのか。

『そうだね。別のこと考えよう。私が忍の体の中で苦しんでたとき、白巫女がアクセスしてきたんだよ』

 ――聞いた。キツかったよね。ごめん。

『ううん。私こそ役に立たなくてごめん。でも、なんとか最後に忍に会えてよかったわ。私、待ってたのよ』

 ――最後って何だよ。

『だから、これで終わり。今度こそ回帰するみたい。何度か吸い込まれそうになっているの。心残りが消えたからかな』

 ――そんな、これから成仏する幽霊みたいな冗談、言わないでくれよ。

『私はその霊みたいなモノだし。ふふっ』

 ――麻由姉、俺を残して行くのかよ。ひでえよ。

『貴方には体があるんだから、早く戻ることね』

 ――戻る?

『また、何とかなるよ。もう一度戻りなさい。戻れば妹に、生きてる麻衣ッチに会えるのよ』

 ――あっ、ああ。

『忍に会えて本当よかった。妹をよろしく。そして、ありがとう』と麻由姉の全体イメージは暗闇に少しづつ溶けていった。

 ――麻由姉? ……麻由姉?


 そして、真の闇になり、麻由姉のイメージも声も聞こえなくなった。

 永遠に。



 ***



――麻衣の始末日記――


 救急車が来たときは、忍は息をしていなかったのですが、救急車内で電極パットのAEDと人工呼吸を試みてもらって一命は取り留めました。

 でも低酸素脳症になって、意識のない状態に陥ってしまいました。

 小出さん、安曇野さんの通報もあり警察のパトカーも続々駆けつけてくれて、すぐ私と危なかった忍は保護されました。

 サークルメンバーも発見、一人死亡、他の三人は失神していたそうです。

 なぜかは知りません。

 それと、一緒にいた巫女……白咲さんはいなくなっていたので、警察に話しませんでした。

 彼女のことは、直感で話すべきじゃないと感じたからです。


 そして、主要メンバー四人から過去の行方不明者二人と私の姉、麻由姉さんのことも自供したそうです。

 彼らは、詐欺、わいせつ誘拐、監禁、殺人、死体遺棄で裁判で懲役刑を受けることになりました。

 安曇野さんも出頭して、今までの経緯を話されたようです。

 小出さんの雑誌【 怒!】から、H大“T-トレイン”サークルの事件が細かく報道されると、マスコミが騒ぎ出しTVにも報道されました。


  草上 二十二才  被疑者死亡のまま書類送検。

  中条 二十一才  懲役十五年

  松野(少年A)   懲役四年

  寺越(少年B)   懲役二年

  その他 二名    不定期刑


 また、婦女暴行罪で別のメンバー三名が検挙されました。

 そんな最中、草上の親である野党議員(元大臣)が、息子の釈明会見のときに化け物が見えると暴れだし、取材陣にその醜悪さを映像で全国中継された事件がありました。

 それは当然マスコミの格好の餌食にされ、完全に議員生命は絶たれたようです。

 マスコミは私のところにも、たくさんやって来ましたが、取材拒否をしました。

 『十七歳美少女姉妹が狙われた真相』とか、『みだらな男たちを駆り立てた美少女姉妹、十七歳の魅力』とか恥かしげもなく報道してたからです。

 小出さんとその関係者は別でしたが。


 そして私は、忍の意識回復を待つ日々が続いています。

 十一月が終わり、期末試験が終わり、冬休みになっても起きてこない忍。

 そして初詣の神社で、彼が目醒めるのを願ってきました。

 年が変わっても、彼の寝ている病室へ私は見舞いに行きます。

 私の願いが届いたか確認に行くために……。



  ***



 俺は静寂に包まれた暗闇の中、動きが取れなくなって落ち込んでいた。

 ……どうすれば戻れるんだろう。

 戻ろうと祈るが己の体内に戻れない。

 また、あの苦しい痛みが戻ってきそうで怖くもある。

 あるのは闇、ただ暗闇だけ。

 いつまでこの暗黒に存在するのだろう。

 回帰しない俺は、やはり戻れる体がまだ存在していると思っていいだろうか?

 暗闇で長時間隔離する実験があって、参加する人は二日もすると根を上げて出てくるという。

 一ヶ月過ごした人物がいたが、出てきたときは精神を病んで、精神病患者として入院する結果となった話がある。

 それが本当かどうか別にして、仮にここから抜けても俺は正気でいられるのだろうか? 

 今はまだ大丈夫そうだが。

 下界を見ようにも、知り合いの人たちの心をイメージしても反応はない。

 麻衣はどうしているだろう。

 会いたいのに会えない。

 戻る方法……この零の聖域なら、白咲と連絡が取れそうだと思ったができていない。

 彼女には迷惑かけっぱなしだな。

 それから、何ヶ月もたってたら家賃を溜め込んでしまって、夢香さんが困ってるかもしれない。

 いや、部屋を追い出されてるかも……。

 本当に帰る方法はないのか。

 麻由姉がいなくなって、どの位たったのだろう。

 かなりの年月が経ってるようにも感じるし、数時間程度にも思われる。

 この闇が、すべての感覚を麻痺させているようだ。


『てっ』

 ――うん? 


 今、声が……人の声が聞こえた。


『てーっ。おちてーっ』


 思念か? 


 ――きみは誰だい?

『……?』

 ――誰? 思念を送ってくれるきみは、誰?

『しーねん? あたしーっ?』


 子供の声だ。

 それも小さい童女に聞こえる。

 気が付くと暗闇から光の点が現れて、波打つように点灯していた。


 ――そう、きみだ。

『あたしはね。まな」

 ――まな? 女の子かな?

『うん、そだよ。でも……パパさんじゃないの?』

 ――えっ、パパさん? この子の父親かな。

『うん……パパさんですか?』

 ――パパ? ……俺が? いやいや、結婚とかしてないし。

『……ちがうの?』

 ――俺は、一人だけど……お兄さんがいいかな。

『お兄さん? ……パパさんじゃないお兄さん? パパさんお兄さんだ』

 ――パパさんお兄さん? 続けなくていいよ。お兄さんだからね。まなちゃん。

『うーん。お兄さんじゃないよ。やっぱりパパさんだよ。それともパパさんお兄さんがよいの?』

 ――まなちゃんごめん。お兄さんには、言っていることがよくわからないな。

『いいいの。とにかく、早く起ちてね……ママもまなもまっちぇるんだよ。そして、そしてね、レモンティ、いっちょにのもうね』

 ――起きる? ちょっと待って……君は? ん? ……どこだ? まなちゃん? まな?


 暗闇に光っていた点が消えたら、周りの暗闇が一斉に晴れた。

 懐かしい光の空間が周りを覆いつくして、いろいろな物体が認識できるようになっている。

 白いカーテンに白い壁。

 ここは病室? 

 ベッドに人が寝てる……目線がかなり低く誰かまでわからない。

 まなちゃん目線で下界を視ているようだ。

 病室のドアの開く音。


『ママ、ママ』


 目線の主が振り返る。






『見つけました!』


 それは唐突に聞こえてきて、まなちゃん目線がバーストを起こしたように発光して暗闇になった。

 強く大きな意思が、元の静寂な暗黒に引き戻したようだ。


『広瀬さん、見つけました!』


 懐かしい声で伝わってきたので安堵する。

 その人物を思い浮かべると暗闇の中で透明にイメージされて、俺自身も着ていた私服姿でイメージされてきた。

 初めて麻由姉と会ったときと同じだ。


『探しましたよ』


 いつものミニスカートにポニーテールの白咲が、そこにいた。


 ――おおっ、白咲。会いたかった。嬉しいぞ。

『強い思念を感じてアクセスしたのは正解でした』


 白咲のイメージ姿が俺の腕を取って胸に寄せる。

 手を握られている感触はないが、胸の心拍数が上がったような気がした。


 ――強い思念って俺が出してたのか? 

『今はもうしませんね。広瀬さんの思念だと思ったんですが……』

 ――今までもいろいろ試していたけど、誰にもアクセスできなかったんだ。まなって女の子と遭遇するまでは。

『まな? どこかから女の子拾ってきたんですか? また同居させるんですか?』


 白咲のイメージが震えだしている。

 なぜか動揺している白咲に、拾ってねえと突っ込みを入れたくなった。


 ――もしもし白咲ちゃん、大きな誤解があるようだね。まなって子はもうリンクが切れたようでわからなくなったし、前の麻由姉のような事態は例外だぞ? それより俺の体は一体どうなってるか教えて欲しい。

『はい、ごめんなさい。そうですね。えっと……』


 白咲は草上たちの事件のあらましから、今の俺の状況を話してくれた。


『それで広瀬さんは植物人間状態で二ヶ月過ぎてます。私の方から何度もアクセスしたんですが、繋がらなくて今日まで来てしまいました』

 ――そっか、俺の体まだあるんだな。それを聞いて安心したよ。俺も散々戻るように念じて試みたんだが上手くいかなかったんだよ。

『怪我の方は回復に向かっているようですから、戻れないのは体の不調より精神かもしれないです。無意識的に戻りたくないような邪念はありませんでしたか?』

 ――まあ、あの怪我の痛みを思い出すと、戻ろうと念じても尻込みして思いが分散してしまうことが何度もあったな。戻れないのは無意識に痛みを怖がっているのが原因か?

『痛みですか……広瀬さんの思念が弱かったことが納得できました。戻れるまでこの聖域で彷徨い続けるより、私と一緒に戻ってみてはどうですか?』

 ――ありがとう。そうなると俺が麻由姉の状態になることだな。白咲の目線で現状を見れば、ぼやけてる戻る意思もしっかりできるかもしれないな。うん。ついていくよ。

『じゃあ、今の私のイメージを保ったまま、一緒に行く意思を持ってください』


 白咲は身振りで、俺の腕をしっかりつかんで離さないようにと示した。

 イメージと割り切り、開いてる手を彼女の腕に回して握り締める。

 そして白咲のイメージを強く念じると、暗闇が光の世界に変わりだした。


 ――んっ、まぶしい。


 光が白くぼけた物に変わりだして、白いカーテンとはっきりと認識されるようになる。

 生地の糸の縦横の縫い目まで明瞭に見えて、感動が満ちてきた。

 カーテンから白い壁も見え、壁紙の模様も感知された。

 目線が動くと、前にはベッドがあり白いシーツに包まった人が寝ている。

 俺だ。

 顔はかなりやせていて、自分じゃないみたいに思えた。

 口や鼻に酸素吸入器の装置が据え付けられていることもなく、自力でゆっくり呼吸している。

 ベッドのシーツから出てる手に、目線の主の柔らかい指が絡まっている。

 反対側の腕も、シーツから出て注射針がついて点滴が施されている。

 目線情報から、ここは個室でベッドの前で白咲は、一人座って俺の片手を握り締め見つめている構図だ。


『広瀬さん、来てますね?』


 白咲が思念で声をかけてきた。


 ――ああっ、物が見える。俺も見える。見えるぞ! 戻ってこれた。白咲、ありがとう。ありがとう。ありがとう。

『お、落ち着いてください。まだ戻れてないんですよ』

 ――う、うん。そうだな……それでこの映像は白咲のものでいいのかい? 

『はい。今私が見ているのを見ているのは 遠隔視(オブザーバー)って言う広瀬さんの能力です。見えているのなら、じかにイメージできて戻れる可能性は大きいです。戻れませんか?』

 ――自分を見ながらなんて、かなりシュールな気分なんだが……。まずは試しにやってみるよ。






 俺はベッドに横になっている、もうひとりの自分を見据えながら戻ることを切望した。

 ……静かなときが過ぎたが、俺は変わりなかった。

 もう一度やる。

 だが、やはり無理だった。


 ――何も起きず戻れてない。やっかいな状態になってきたかな。

『駄目ですか? んーっ、どうしましょう。何か手はないでしょうか……あっ、手!』


 白咲はシーツから出た俺の抜け殻の片手を摩り始めた。


『広瀬さんの手、温かいです。いつでも戻れるし激しい痛みも起きないんですよ。もう一度思考してみてください』


 今度は俺の腕を持ち上げて、小さな胸に押しつけた。

 彼女目線で、赤いリボンに紺のスクールセーターだってことに気づく。

 後輩らしく学生服で来てくれたらしい。

 だが、彼女の胸の軽いふくらみが身近に見え羞恥心を覚えていると、そのセーター越しに俺の手を自らの胸のふくらみに上下左右に触らせた。

 こ、この子は何て大胆な。

 先ほどは暗闇でのイメージだったのであまり気にかけなかったが、リアルでやってきたら、む、む、胸の感触が伝わるだろ。

 これってもしや。


 ――白咲ちゃーん。何を嬉しいことしてくれてるかな? 

『えっと、痛みを凌駕するのは、これが手っ取り早いかなって。広瀬さんも男の子なんだし、どうです、戻りたくなってません?』


 悪びれず続ける彼女。

 俺の指を一本づつ開いて、胸を鷲づかみにさせている。

 十分戻りたいと思念を送ろうとしたら……。

 白咲目線が途切れた。


 ――あれ、また暗闇。回帰の世界へ戻った? 


 いや、暗いが零の聖域ほどでない。

 闇ではなく片側から薄っすら光の入ったような暗さだ。

 そして匂い。

 消毒液の匂い。

 空気の匂い、シーツの肌触り、温かさを感じる。

 腕の感触が戻っていて、白咲の柔らかい胸の弾力が指先から伝わり、心拍が急上昇するのを感じた。

 帰ってきた? 

 戻れた? 

 違和感はあるが首の痛みもない。

 だが力は入らず、口もまぶたも閉じたままで上手く開けない。

 匂いと肌の感触だけは伝わってるのだが。

 話さないで会話するように、思念を白咲に伝えてみる。


 ――すごい。戻れた。ようだけど……。

『ホントですか。じ、じゃあ、私の胸で?』


 喜び落ち着かない彼女。

 インパクトはあった。

 だが白咲の胸は、麻衣のふっくらな胸や、夢香さんの谷間が見えて存在をアピールする大きさではないが、つつしみ深い落ち着きがそそらされる。

 貧乳の魅力? と妄想。 


『人の善意を踏みにじる不快なイメージを感じたんですが、心当たりはないですか?』

 ――あっ、いや、そんなことないぞ。その……本当に助かったよ。でも体に戻ったけど身体が動かせないんだ。

『そうですか。しばらく動いてなかったから、感覚が戻ってないのでは?』


 彼女に言われて、もう一度試してみる。


 ――駄目だ。上手く行かないが何となく頑張れば、動かせるような予感はする。


 体に入り込めて、室温や匂いを感じてるせいだろう。

 呼吸はしていたのだから、意識がなくなって使わなくなった筋肉が弛緩したのかな。


『駄目ですか。うーん。でも、少し安堵しました。みんな心配してたんですよ』

 ――家族とか来てたのかな?

『お母さんが来ていましたよ。一ヶ月ほどは、毎日午前中に顔を出してたらしいです。最近は減りましたけど、心配してます』


 フラメモで実家を追い出されてから、家族のことは考えたくないのが本音だ。

 だが病院の手続きとか着替えに費用とかあっただろうから、感謝しなきゃ罰が当るよな。

 そういえば、白咲に触っているのにフラメモが発動しないな。

 麻由姉がいなくなったせいか、白咲が何か細工しているか、あるいは怪我で異能が解けたか?






 そこに病室のドアがノックされ誰か入ってきたので、白咲は俺の手をシーツに急いで押し戻してきた。

 感触は感じてたので終わるのは残念。


「あっ、白咲さん来てたんですか?」


 第二の声が俺の耳に入ってきた。

 夢香さんだ。


「萩原さん、こんにちは。そろそろ目を覚ますんじゃないかと待機してました」

「ふふっ、だといいね。お正月だし、勉強の息抜きでのぞきにきました」


 ――えっ、正月? そっか、二ヶ月たったと言ってたな。でも、意外な組み合わせの二人だが、前にカフェショコラに白咲が来るって言ってたから、その辺りで会話してたのだろうな。


「どこの大学受けるんですか?」

「柳都大だよ」


 夢香さんの声の方向から金属音がしたので、折りたたみの椅子に座ったようだ。


「ああっ、私も行きたい大学です。受かるといいですね」

「ええっ、気がかりがあると中々集中もできなくって……まだ起きないの? 起きなさい」


 俺の左耳の近くで、夢香さんが話しかけた。

 吐息がかかり反応したいが体は変わらない。


「植物状態でも、耳は聞こえていたという話がありますから、今の聞こえてますよ。そうですよね、広瀬さん、目を開けてください」


 白咲も右耳に話しかけて吐息をかけてきた。


 ――白咲。さっきから遊んでるだろ。

『広瀬さんへの好意でやってます。遊びだなんて失礼です』


 白咲は俺の引っ込めた腕に手を伸ばして、病衣越しにつねってきた。

 いっ、痛い。

 痛みを感じる。

 だが無防備な俺に手をかけないでくれ。


「聞こえているかな。じゃあ、起きないとスリーパーフォールドお見舞いしちゃうぞーっ」


 今度は夢香さんが乗ってきた。

 本当にやりそうで怖い。


「何ですか、そのスリーパーっていうのは?」


 白咲がプロレス音痴を暴露した。


「忍君にはよくかけてるんですよ。裸締めって言って、こう後ろから首を絞めてやるのよ」


 何か実演交じりのことをやっているようだ。

 見たいのに目が重くて開かない。

 突然、筒が抜けたような音がした。


「ああっ、ウェットティッシュ」

「全部出ちゃった」


 両側の女子が立ち上がり、あたふたしだした。

 夢香さんが、また何かやったようだ。

 ウェットティッシュのボトルタイプ本体を頭代わりにして、中身が飛び出たってところか? 

 が、あえて見るのはよそう。

 うん。

 周りが落ち着いた頃、病室の扉がノックされ


「おじゃまします」


 の声で、麻衣が入ってきた。


「あっ、夢香さんも白咲さんも来てたんだ」

「麻衣ちゃん、こんちーっ」

「こんにちは、浅間さん」


 三人それぞれが挨拶しだした。


 ――いつの間にか麻衣も仲間入りか?


「忍……君の様子はどうです?」

「変わりないかな」


 そう夢香さんが答える。

 椅子を引く音が響いたので、麻衣が折りたたみの椅子を出して座ったのかと想像してると、頭上から気だるい声が落ちてきた。


「忍君、今日も起きないの?」

「今、白咲さんと耳は聞こえてるんじゃないかって話してたのよ」

「それじゃ耳元に起きるように説得したら、変化あるかしら」


 麻衣がのってくると、白咲側の俺の腕が引き出され握り締められる。

 また手が彼女の胸に当たった。


「広瀬さん起きて、また一緒に弓道しましょう」


 白咲が俺の耳元でささやき吐息がかかると、他の二人が鼻息交じりで沈黙した。


 ――だから白咲ーっ。

『じゃあ、本当に目を覚ましてください』


 真面目な思念が送り返された。


「忍君。目を覚ませーっ。そして私をもう一度遊園地に連れてって」


 突然、頬をつままれ痛み出す。

 だがまぶたが開くことはない。

 他の二人が張り詰めた沈黙を守った。


 ――いたたた、まっ、麻衣か?


「忍くーん。起きなさい。私が酔っ払ったら、また背負ってもらわないと」


 夢香さんが俺の反対の腕を持ち上げて握って、耳元に話しかけてきた。

 そっちの腕は点滴の針が刺さってるから……。

 夢香さんもつながりに気づいて腕は下ろしてくれたが、針はもう抜けたあとだっだ。

 そしてまた、他の二人が張り詰めた空間を増幅していた。

 でも抜けた針に誰も気づいてない。

 おい、お前ら。


『広瀬さんが目を覚まさないから、みんな不安で心配なんですよ。だからワザと明るく振舞っているんですから、早く起きて私たちを安心させてください』

 ――そう言われてもな。


 とにかく目が開かないか、少しでも動けるようにまた何度か試みる。


 ――合図ぐらいの動きは出ないか。


 もう一度まぶたに力を込めてみると反応した。


「あっ、動いた」

「本当だ。まぶたがピクッとしたよ」


 白咲が声を出し、夢香さんがあとを続けた。


「先生呼ばないと」


 麻衣の声と折りたたみ椅子が床に転がる音が、同時に聞こえてきた。


「看護師さん呼ぶスイッチあったよ。その辺」

「どこどこ」

「今押したから来るよ」


 何かいろいろ倒れたり落ちたりする音が続く。


「あっ、また動いた。忍……君が生き返った」

「まぶたが開こうとしてる」

「口が震えてる。何か言いたそうだわ」

「やったーっ」

「うんうん」

「忍く……広瀬さん。動けた。おめでとう」


 ――あっ、まぶしい……光だ。目線が白くなり、光りだす。


 そして俺の目覚めの一言は、


「か・し・ま・し・い」


 だった。






――――――――――――――――――――――――――――――――

ここで第二部「浅間麻衣編」は終了です。読んでいただきありがとうございます。

次回から一話挟んで、第三部「白咲要編」が始まります。

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