第6話 隣の管理人
学校を出た俺たちは、ファーストフードで昼食をとりながら、今日の反省会をして別れる。
俺はひどく疲れてたので、まっすぐマンションに帰った。
入り口の階段を上がっていると、携帯電話を指で操作しながら降りてくる人がいた。
黄色のフレアスカートから魅力的な太ももが見えて、マゼンタのジャケットに白のブラウスを着こなしている。
ここを見なさいと、胸が大きく主張しているのは今更である。
さらさらのセミロングヘアーに整った顔立ち。
夢香さんが、また歩きながらメール打ってる。
俺の隣に住んでいる、管理人代理の萩原夢香さん。
俺の部屋の持ち主の姪っ子で、年が近いから俺の部屋の管理を任されているのだが……。
「夢香さん」
「よっしゃーっ」
彼女を呼んだら、目の前に携帯電話が飛んできて額に食らう。
脳に衝撃が走り、目の前が一瞬暗くなる。
「えっ? えっ? あっ! ご、ご、ごめんなさい!!」
夢香さんが混乱しながら頭を下げて謝ってきたが、ふらついた俺の身体にぶつかり二歩も三歩もよろけて歩道まで下がってしまう。
「倒れるじゃないですか。じゃなくて……な、何でケータイ持ったまま顔面パンチを食らわすかな」
体制を立て直して彼女に抗議する。
「ああっ、あれっ? 忍君!?」
「そうです。あたたっ」
俺は額に手を当てて言った。
「ごめーん。ケータイのデジカメで顔を撮って送ろうと思って腕伸ばしたら……へへへっ」
「夢香さん」
「どのへん当たったのかな」
彼女が俺の顔面をのぞき、痛みの部分に指を乗せてくる。
そして軽く額を何度もなでて、彼女の柔らかい指の感触が頭痛と耳鳴りを発動させた。
やばっ、フラメモか?
「あ、あのォ」
「うーん、ちょっと赤くなってるかも」
夢香さんの指が、呪文のように俺を惑わす。
額に映像が浮き出て、それをぼんやり眺める……いかんと思いながらも。
男性を前に食事をしているシーンが出てきた。
映像は本人の見ている視野なので、フレーム内には夢香さんの体の一部も入って見えてくる。
手や腕が見えたり、足が見えたりという具合に。
この映像にも彼女の腕部分など見えている。
それは今着ている私服と同じだから、最近の記憶かな?
……カレシ?
ショートカットで、さっぱりした品のいい男である。
でも、どこかで見たような。
「ああっ、そうだ! 忍君、濡れたタオルで冷やそう。部屋に来て」
「そんな大げさな、いいです」
またフラメモで視ちまった。
午前中の占いでやりすぎているのに、俺の性か……止められない。
「駄目よ、ここ、額がはれてるよ」
「ほらっ、ねっ。やっぱり、冷やそうよ。来て」
「でも夢香さん出かけるんじゃ?」
「大丈夫。約束してたわけじゃないから」
そう言った夢香さんは、俺の手を取って階段を上りだした。
「お、おじゃまします」
俺は夢香さんの家に入る。
部屋は三部屋もあり、俺が借りてる角の一部屋と全然広さが違う。
父親と二人暮らしなので土曜の午後は誰もいない。
「さっさっ、ソファにかけて横になっていいよ」
言われるままに腰掛けると、夢香さんは洗面台でタオルを濡らして駆け戻ってきた。
「タオル当てて、あっ」
急いだせいか、絨毯の隅に足を取られた夢香さんの足元から何かが飛んできた。
それは俺の顔面に直撃すると、手に落ちて収まる。
「ぃたああっ?」
思わず声を上げて顔を抑える。
「あっ、忍君の顔に命中?」
「な、なんでこんなのが飛んでくるんですか?」
俺はスリッパを持ち上げて、彼女に見せる。
「ご、ごめん。足引っ掛けちゃって、その反動で飛んだみたい」
スリッパを凶器に変えるとは、今日の夢香さん炸裂しすぎ。
「痛くなかった? ごめんね、えへへへっ。とりあえず、この濡れタオルで冷やしてみて」
「あーっ、ありがとう」
タオルを触ると嫌な予感がした。
彼女が見ているので、そのまま額にタオルを当てるとポカポカと温かかった。
いや熱いぞ。
打撲のはじめは冷やさないか?
最近朝は寒くなってたから、お湯を使ってたんだろう。
だから、急いで行動するから思考が追いついてないんじゃないか?
うむ。
今日こそ意見を言ってあげねば……夢香さんの欠点を。
「夢香さん! そのドタバタ感、何とかした方がよくないですか?」
「もうーっ、ドタバタなんてしてませんよ。いーですか忍君。今日のはたまたま。たまたまです」
彼女は両腕を腰に当て仁王立ちして、俺に諭すように言い切った。
「そうですか?」
「そうです。たまたまなんです」
今度は俺のひざに手を突き、顔を近づけて抗議してきた。
「じっ、じゃあ、そう言うことで……いいです。はい」
彼女に意見してそそっかしさを直させるなんて、俺にはまだ無理だった。
「なーんか、含みのある返事ね。で、どう? まだ痛い?」
「ええっ。痛みはもうないし、温かくて気持ちいいです」
「よかった♪ うん? あれっ?」
夢香さんはやっと気づいたのか、俺の持っているタオルに触る。
「あっ、ごめん。冷やしてなかった」
そう言ってから、俺のタオルを持ってまた洗面台に駆けていった。
夢香さんのことを残念美人と、人は言うんだろうな。
その慌て者が冷やしてくれたタオルは、額の腫れた熱の部分を心地よい冷たさに落ち着かせた。
「本当にごめんね……私、入り込むと周り見えなくなっちゃうみたいで」
「まったくです」
「おや? 忍君は、一言多いみたいね」
そう言った彼女は、俺の座っているソファのうしろから、スリーパーホールドを首にかけてきた。
父親譲りのプロレス好きで、三角筋好きな彼女の物真似行為である。
彼女の右胸のふくらみの祝福が、左頭上に降りた。
「首絞めてる、首絞めてる。嬉しい、じゃなくて苦しい……夢香さん。ごめん」
その間に耳鳴りがしてきて、いくつもの映像が空中に現れた。
「うむ、うむ。素直でよろしい」
「はあっ……で、さっきの写メは誰に送ろうとしてたんですか?」
現れた映像を無視して会話に集中すると、フラメモは霧散した。
「ひ・み・つ♪」
「夢香さんのカレシでしょ?」
「違うわよ、メル友。……男の人だけど」
彼女が俺の横に座ったとき、一瞬顔が曇ったような……カレシネタはまずいのか?
ちょっと気になるので、突っ込んでみよう。
「やっぱりーっ。あやしぃなーっ。管理人さん、白状しましょう」
俺は立ち上がって、能力が出ないように意識して彼女の肩を二度叩く。
「か、管理人代理ですが、肩を叩くなんて……な、生意気です」
「隠さなくてもいいじゃないですか」
「隠してなんてないよ」
「実は二人連れのとき、目撃してたんです」
先ほどのぞいてしまったことを、実際に見たこととして話してみた。
「まさかーっ、見てたの?」
「そうです、一緒に食事なんかしたりしているところをばっちりとのぞき、じゃなくて、見ました」
夢香さんが一瞬黙った。
そう思ったら、俺の脚に両足を絡めてきた。
フレアスカートから太もも全体が露になり、きわどい。
それに目を奪われると、周りが回転して倒れていた。
「わーっ、夢香さんが、足引っ掛けたーっ。外で見かけると制裁が待ってるんですか?」
「ごちゃごちゃと見苦しいです。ただのはぐらかしだから気にしないで。だいたい君は……んっ」
はぐらかしの制裁に突っ込もうと立ち上がった俺は、薄ら笑いを浮かべている夢香さんに躊躇する。
「むふふ。忍君、焼いてる?」
「えっ? えっ、ま、まさか。はははっ。これもはぐらかしですか?」
「はぐらかしじゃありません。……そう。なーんだ。つまらない。それじゃあ話題変えます。ゴホン……今月の忍君の家賃、まだ入ってないよ。また、使い込んだんでしょう!?」
突然、面倒な話題を返されて一歩下がる。
「あっ! いっけねえ。忘れてた」
「忘れてただけ?」
腕組みして俺を見上げてくる彼女は、凛々しい。
だが、胸の谷間も強調されて目が泳いでしまう。
「へっ、へい。そうです。月曜にはちゃんと年貢は納めますのでお許しを」
俺は腰を折り曲げて、懇願のポーズを取る。
「ははっ、何の真似よ。とにかく納めておいてね。あっ、そうだ。ごめんごめん、せっかく来たんだからゆっくりしていってよ。お茶だすから」
「いえ、もう大丈夫だよ。まだやることあるんで。あっ、タオルどうも」
俺は立ち上がった彼女に、手で制してタオルを返すと、そのまま玄関に向かう。
「やることって?」
夢香さんがうしろから聞いてきた。
「明日に備えて知識をつけとかないといけないんで、これから読書です」
昼食の反省会で、占いの本をちゃんと熟読してくるように言われていた。
だが、読むかはわからない。
「読書? 明日って?」
「学園祭ですよ。今日もあったんですが、占いをするので完成度を上げたいとかで」
「竜芽学園の学園祭か、占いは面白そうね。ねーっ、もしかして忍君が占いとかやるの?」
「正解です」
「へーっ、ふーっ、ほーっ」
片手で髪をかき上げながら、驚いた声を上げる夢香さん。
「な、何ですか?」
「ねぇ、私も占ってもらえるのかしら?」
夢香さんを占って変なこと言えば、後でプロレス技かけられそうで美味しい、じゃなくて怖い。
「何、その間は?」
「い、いいえ……はい、来てもらえば嬉しいかな。はははっ」
「へーっ。そっかぁ明日見に行こうかしら」
「いいですけど、俺占いの真似事してるんで、案内はできないですよ」
「その忍君の占いを見に行くからいいの」
「はははっ。それじゃ夢香さん、明日のために帰ります」
「そっか、そのための読書か。じゃあ引き止めても悪いね」
玄関での立ち話を切り上げて、自分の部屋へ戻った。
夕食後は疲れが出て、占い本も読むのもそこそこに、睡魔に抗えず眠りについた。
***
夢香さんとの初めての出会いは、今日と同じで印象的だった。
入道雲が出ていた暑い昼下がりの、マンションの一室。
汗をかきながら、引っ越しの荷物を解いてる最中にチャイムが鳴った。
まだ表札つけてないのだが、誰だろうと思い急いで出る。
ドアを開けると短パンでエプロン姿の快活そうな美少女が、片手にノートみたいな物を携えて玄関前に立っていた。
「こんにちは。隣の萩原、萩原夢香です」
「どーも、広瀬です。後でうかがおうと思ってたんです」
「忍君だよね」
「はい」
「部屋のことは、私に聞いていいよ一学年上だけなんだけど、管理人代理として簡単なことは任されているからね」
「そうですか、よろしくお願いします」
この部屋の所有者の家族が、管理人になっているのは知っていたが、歳の近い子が来るとは思わなかった。
「荷物は、この玄関の椅子で最後のようね?」
「ええっ、ほぼ運び終わりましたので」
動きを止めたせいか、暑く汗が服についてうっとうしいので、半袖の袖を肩までめくり上げる。
その仕草を夢香さんは目を輝かせて見つめているので、何かツボにはまったようだ。
これはもしかして、上腕二頭筋好き?
俺は体育系じゃないし、体つきは普通だがら、三角筋好き?
逆の半袖の袖も上げきると、無言で見つめ続ける夢香さん。
当りのようだ。
わかりやすい。
玄関の椅子を俺がゆっくり持ち上げると、夢香さんは我に帰ったように話し出す。
「じゃあ、手伝うことはないのか。ふーん。物は少なそうだから、スッキリした部屋になりそうね。でもこの部屋、収納する押入れないから工夫した方がいいよ」
夢香さんは俺に断ってサンダルを脱ぎ廊下へ上がり、訳知り顔で部屋家具の使い方を話し始めた。
「そうそう、バスタブの中折ドアの調子悪いでしょ?」
「そうです。開けるのが硬くて、少し力が必要になりますね」
そう言うと、バスタブの二枚折りの扉に目をやる。
「コツがあるのよ」
「コツって?」
「おまかせーっ♪」
彼女はバスタブの折りたたみ戸の前に行く。
意外と長身で俺に近い目線で話してくる。
「これね」
ちなみに俺の身長は170センチメートルちょいだから、数センチ低い感じの彼女。
「このドアは、こうして……うーん」
「こうして、下から上げるようにすると、力を入れずに開閉できちゃうよ」
そう話しながら夢香さんがドアを動かしたら、上で音がした。
「あら?」
「中折ドアの上部先端の爪がレールから外れましたね」
状況を彼女に説明した。
「あっ、ははははっ。どうしたのかな」
外れたドアを一生懸命はめようとするが、上手くいかない。
「あれーっ」
「あの、もういいですよ。荷物の整理しないと」
「そっ、そう? ごめんね。……おかしいな」
夢香さんは、ドアを揺すりながら離れる。
その瞬間、下部先端の爪もレールから外れて、ドアは彼女の頭にぶつかる。
「あっはははっ。下も完全に外れちゃった」
「そうですね。何か小さな部品の一部も落ちてきましたよ」
俺は下に落ちた部品を持ち上げてから、外れた中折ドアを支えている夢香さんと一緒にドアを壁に置く。
「すぐ業者連れて直しに来るから、それまで我慢して」
夢香さんが両手を合わせて頼み込む。
「は、はい」
「へへっ。じゃ、また後で」
焦りながら出て行こうとするのが、よくわかる人だ。
「あっ、いけない、これ渡すんだった」
「えっ?」
ポケットから探し出した小さい物を渡された。
「合鍵よ」
「ああっ」
「それと一階にある喫茶店」
「あ、あのショコラって言う?」
「そう。あそこね、このビル内ならデリバリーしてくれるから、使ってみるといいよ」
「へーっ、それは重宝しそう」
「はい、これメニュー」
手に携えていたメニューブックを渡される。
「あっ、どうも」
「もしかして、私がデリバリーしに来るかも。ふふっ」
「ええっ?」
「そこでバイトさせてもらうことあるんだ」
「ああ、そうなんですか」
一瞬別のこと考えた俺は……バカ?
「じゃあ、何かあったら知らせてね♪」
そう言って出て行った。
俺には姉はいないが、姉みたいで世話好きで騒がしい人だ。
行動が自爆気味だけど。
髪が綺麗だし、胸も大きいし、いいところに越してきたのかな……むふふふっ。
などと当時は思っていたが、残念美人のドジっ子破壊力をこの三ヶ月叩き込まれるとは思いもしなかった。
だが悪い気がしないのは、なぜだろう。
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