第34話 異変

 三月二十六日 木曜日


 よく日、携帯電話の着信音で目が覚めた。

 麻衣からだと慌てて起きて、携帯電話を手に取ると佐野雅治の名前が液晶に映し出される。

 彼女からじゃなくてがっかりだが、朝に雅治からの連絡は珍しい。


「ほーい」


 おざなりな声を携帯にかけながら、柱時計に目をやると九時を回っていた。


『寝てた?』

「起きてるよ」

『眠そうな声だぞ?』

「朝から男の声を聞くかと思ったら、力も抜けるわ。それで何だよ?」

『あっ、ああ。その……』

「んっ?」


 雅治が言いよどむので、何かあったのかと聞こえてくる音に集中する。


『ええっとな、浅間がおかしい』


 麻衣が?


『椎名から、彼女と一緒にいるから迎えに来てくれと連絡があった』

「いろいろ端折り過ぎてわからんぞ」

『変な物が見えて怖いとかで、椎名の家に飛び込んできたらしい。怯えてるってことで呼ばれた』

「怯えるような変なものって何だ? 幽霊か?」


 嫌な胸騒ぎが全身を覆い、持っている携帯電話が重くなる。


『んーっ、その類のモノなのかな。俺もわからんから直接本人に聞けばいいよ』

「そっか。わかった」

『じゃあ、待ち合わせ場所なんだけど』

 





 マウンテンバイクにまたがり、チェックのパーカに野球帽子で着飾った雅治とコンビ二で合流。

 俺は椎名の住んでる団地の番地や裏道も知らないので、愛用のさびついた折りたたみ自転車に乗って雅治の後ろについて行く。

 しかし、やけに低速で進むのは俺に気を使ってか? 

 そのゆっくりが落ち着かず、自然と横にならび先に進んでしまう。


「忍。その道左」

「おっ?」


 行き過ぎたのでUターンして引き返す。

 道の角で止まっている雅治の顔が、皮肉っぽい笑いを浮かべてる。

 それを無視して角を先に曲がると、雅治が横について話しかける。


「浅間が気になるか?」

「……別に」


 雅治の冷やかしに釣られないように言葉を控える。


「あっ、そこの道路横断するよ」


 信号待ちになり止まる。

 今日は暖かな日差しのせいか、ペダルをこいでるうちに汗ばんできたので、コットンのジャケットを脱ぐと雅治がまた話しかける。


「まあ俺は、昨日のサスペンスドラマの新人の子が気になるんだがな」


 俺がまどろんで見ていた夢のとき、テレビで放送していたドラマの話だが、行き先が気になって会話に相槌を打つだけになっいると話題を変えてきた。


「浅間はミステリークラブに入っているけど、何か関係あるのかな? たとえば、心霊スポットとかに首突っ込んでるとか」

「どうだろう。そのクラブ自体あまり知らないから」


 信号が青になり、ペダルをこぎながら言葉を付け足す。


「ホームズ好きの雅治こそ、入部していそうだが?」

「結成当時は推理小説愛好家の集まりだったらしいよ。それなら入ってたけど今は心霊写真や超常現象、パワースポットとかを調べて提示し合うのに変わったんだね」

「時代の流れか?」

「この数年ホラーやスピリチュアルブームだったからね」


 彼女がその手の流行に乗って、クラブを決めたわけじゃないことは俺は知っている。

 だが雅治に、俺が幽霊になって麻衣にストーカーしてたなど話せるわけがない。






 いくつもの白いコンクリートの集合住宅を過ぎたあと、雅治は駐輪場に自転車を置いた。


「4階だ」

「ここエレベーターは?」


 俺の質問に階段がの入り口に向かう雅治は、首を左右に振る。


「ないよ。古い団地だからね」

「椎名は四階まで毎日上り下りしてるのか?」

「そうでしょ。飛び降りたり、飛び上がったりしてなきゃ」

「は、はっ」


 苦笑いしながら階段を上がり始めると、周りの雰囲気に違和感を覚えた。

 椎名の自宅へは初めてなのだが、なぜか見覚えがある。

 薄暗い空間とクリーム色のコンクリート。

 背中に冷や汗が浮き上がってくる。

 踊り場に来て心臓の鼓動が早くなる。

 空間を見上げて確信すると、足元の何かを蹴ってしまう。


「あっ!」


 それは壁に当たり、大きな音を立てて空間を振動させる。

 雅治が嫌な顔をして振り返る。 


「シーッ、ここは静かにしないと。椎名にうるさく言われるぞ」


 床に転がるブリキのバケツを見て、いよいよ現実味を帯びてきた。

 昨日のうたた寝中に見た夢のシーン。

 その場所だ。






 玄関ドア横のインターホンの呼び音で、すぐ椎名瞳が出てきた。

 デニムのジャケットにジーンズ姿の彼女は、普段着が初めてのせいか新鮮なイメージを受ける。


「おまたせーっ」

「チッス」

 元気な雅治と後方の俺も軽く挨拶。


「おっ、来たね。じゃあ今から出るよ。麻衣も準備して」

「んーっ、いいのか?」


 思ってたほど深刻でないので尋ねてみた。


「あっ、うん。今はもう……ねっ」

「じゃあ、どこかで食べない? 俺、朝食ってなくてな」


 そう雅治が続ける。


「そうね。もう昼だし、ファミレス行こうか」


 彼女は振り向いて、後ろに声をかけると麻衣が出てきた。

 だが、小声で返事をするが覇気がない。

 ブルゾンのシャツとデニムのショートパンツスタイル姿の彼女は、昨日のスタイルのままだ。


「ハロー、思ったより元気じゃん。なっ、忍」

「ああっ」


 返事をするが、目の前まで出てきた麻衣の顔は少し青ざめて見えた。

 彼女たちを先頭に俺と雅治が続いて階段を下りると、さきほど蹴ったブリキのバケツの前で麻衣が立ち止まり眺めている。

 俺は後ろから椎名に聞いてみた。


「何でこんなの落ちてるんだ?」

「どこかの部屋のゴミ箱用でしょ。誰か蹴って階段まで落としたんじゃない?」

「さっき、忍が蹴っていました」

「おい。チクるな」

「よしてよ、すぐ管理人に苦情が行くから、ここうるさいのよ」

「ちょっと、当たっただけだよ」

「昨日来るとき……蹴ったよ」


 麻衣がぼそりと言ったことが、俺の背中に寒いものを感じさせた。


「えーっ、麻衣も? 気をつけてよ」

「二人してやることが同じとはな」


 雅治たちの会話より、蹴ったときの音の犯人が麻衣だと意識が行って、夢で見たことの確認をしたくなった。


「えっと、急いで……階段駆け上らなかった?」

「うっ、うん」

「昨日はいつごろ、椎名のところへ?」

「いつ頃だったかしら?」


 麻衣は椎名に目を向けると、椎名が肩を怒らせて話しに加わる。


「夜の九時過ぎてたわよ」

「ゴメーン」

「まあ、話し相手ができて良かったけどね」

「親は良かったのか?」


 と俺は余計な心配をして聞いた。


「うちの親は個人タクシーで夜遅いのよ」

「一人暮らしの忍のところへも行けたのに、なぜに椎名のところへ行ったのかな?」


 椎名の話に雅治が質問したが、即座に麻衣は言葉を返す。


「瞳の家が近かっただけよ」

「なぜ即答するかなーっ」

「事実でしょ」


 椎名の威嚇モードに雅治は両手を上げる。

 そんなやり取りを聞きながら階段を下りる。

 昨日見た夢のよくわからないモヤモヤが、解消されていた。

 彼女の強烈なインパクトの体験が、俺の夢の中に記憶の断片として入ってきて追随体験した? 

 フラメモの逆バージョンか!? 

 だけど、なぜ?



 ***



 徒歩五分のファミリーレストランへ、四人連れ立って入る。

 店内は込み始めてるようで熱気があった。

 店員に案内されて隅のテーブルに椎名、麻衣とコーナーソファに座り、テーブルを挟んで椅子に座りかけると雅治にソファへ追いやられる。

 彼女の隣へ行けとの合図らしい。

 要らぬ気配りだが、椎名もコーナーソファを移動していた。

 座って麻衣を見ると、沈黙して宙を見つめてるだけで、昨日の恐怖がまだ尾を引いているようだ。

 ジャケットを横に置くと、やっと俺に気づいてから、彼女もブルゾンのシャツを脱ぐ。

 軽食のオーダー後、麻衣に情況を聞いてみた。


「いったいどこで幽霊見たんだ?」

「自宅の部屋と私の団地の入り口だって」


 椎名が話すと雅治が驚く。


「団地の入り口って、今降りてきたところか?」

「うん」

「もしかして、幽霊に後ろをつけられた?」

「やっぱりそうかな。あっ、幽霊って言うか、もっと別な何か怖いモノよ」

「はっきりとは見てない?」

「少しだけ……」


 そう言って麻衣は言葉を濁らせる。

 オーダーした定食ランチやサンドイッチなどが、届いたので会話は中断。

 俺は団地の入り口の追随体験が気になって、能力を使うことを躊躇せず麻衣のブルゾンにそっと手をつけてフラメモを試みた。

 病み上がりの能力の不安定さはもうないから、インパクトのある出来事は視れるはず。

 のぞき見になるが、彼女も許してくれるだろう。

 いくつものボケた映像が視え出し、同時に耳鳴りと軽い頭痛も始まる。

 その中に色彩がグレーっぽい暗い画面を見つける。

 だが他と違ってぼやけた感じでなく、はっきりとした映像なので、最新のやつと思い注意する。

 瞬間にファミレスの店内が、八畳ほどの部屋に変わる。


 ――なんだ? 今までと違う現象に緊張して体に力が入った。


 この淡いブラウンの壁、窓際の学習机と隣に小さい化粧台。

 その上はノートパソコンに占領されている……麻衣の部屋だ。

 横を向いても部屋は続いている。

 先ほどの映像が立体化して、中に入りこんだような感じだ。

 他のみんなは? 

 と意識を向けると、ファミレスの空間が麻衣の部屋に二重写しになってすぐ現れた。

 フラメモが進化した? 

 俺はどうなったんだ? 

 別々の二つの世界を同時に体験している感じだ。

 その影響か、もやもやしていた額の中央付近が熱を帯びてきた。

 続けるかどうか決めあぐねていると、雅治がパスタに粉チーズをかけながら続きを催促する。


「で、どんなことがあったの?」

「私も細かい情況知りたいわ。始めから聞かせて」


 と椎名が続けるた。


「えーとっ……初めは昨日の午後。用があった帰りかな。自転車に乗ってから何かに見られてる感じがしだしたの」

「それって、俺と別れたあとか?」


 ちょっと驚いて、麻衣に声をかける。


「うん」

「何、あんた達昨日会ってたの?」

「ちょっとね」

「ああっ、はは」


 麻衣と俺は言葉を濁して笑う。


「デートか? あやしーな」


 雅治の半眼の目に、何でもねえと言おうとしたら椎名に遮られる。


「とにかく、続けて」

「う、うん。それで、自転車を降りるとはっきりと背中に誰かに見られている視線を感じたわ。肩が硬直してくるような強いもで、怖くて振り返られなくて走って家に入ったわ。ただそれからしばらく夕食の準備手伝ってた頃は、何もなかったんだけどね。中でものぞかれているような違和感は残ってて……食後に自室に戻ってから酷くなったの」


 麻衣が話しだすと、周りの部屋全体が横方向にゆっくり移動し始める。

 集中して視ることに決めると、ベッドが近づき横に回転して目線が体半分ほど下がる。

 これは映像の記録者が動き出してベッドに腰掛けた?

 目の前にピンク色で装丁した文庫本が、移動してきてページをめくりだす。

 手振れのないカメラになったような錯覚がしてくる。


「部屋が急に冷えてきたような感じになって……隙間がないか調べてたら」


 麻衣の語りと連動しているように目線が上がりカーテンが近づき、生地が両サイドに閉じると暗い闇を映す窓が現れる。

 記録者は隙間のチェックをしながら、椅子にかけてあるブルゾンのシャツを引き寄せる。


「天井からカサカサと音が聞こえて……」

「ねずみ?」


 椎名が聞く。


「わからない。驚いて下りて父親に何かいるって訴えて部屋に来てもらったけど」

「音はもう聞こえてなかったわけね」

「そう。でもしばらくして、また聞こえてきたの。それももっと広範囲に音がして、人が天上にいるような感じだった」

「何だろう?」


 パスタを食べるのを止めて聞き入る雅治。


「もう一度父親に来て天井を外して見てもらったけど、何もなし。逆にホラー小説か映画の見すぎだと叱られちゃって」

「親に信用してもらえなかった?」

「うん」

「それで家を飛び出したの?」

「まだ続きがあって……親が下りてからしばらくして、突然机の上の小型ラジオが鳴り出したの。おまけに蛍光灯が切れて真暗に……」


 彼女は言葉を切る。

 だが記憶の映像の情況は動いていた。

 上から何かが連続で落ちてきて思わず凝視する。

 大量の液体が絨毯を濡らしたようで、それは朱に染まっている。

 記録者は、その場から一歩下がり目線を上に向けると、天井隅の板が開いて青白い顔がこちらをのぞいていた。

 頭の一部が裂けてめくれあがった肉片から白い骨が見え、たれてる長い髪に傷口から液体が伝わり下へ落ちている。

 現実以上に細部までわかってくる。

 まるで至近距離でライトを当てて見ているように、きわめて明瞭なのだ。

 意識した場所が拡大されて視れていて、肉眼で外にあるものをのぞいているわけでないことを直感できる。

 髪の間から見開いた目が、こちらを刺すように焦点を合わせてくる。

 眼球の血管が激しく波打ってるように見え、心拍音まで感じられるようだ。

 顔の一部が浮き上がって何かが移動している。

 皮膚があちこち破け透明な液体がにじみ出ていて、それが男女の区別をつかなくしていた。


「……その暗闇から、顔が出て私を見ていたわ」

「それは怖い」


 雅治は食事を休めているが、椎名は定食ランチのご飯を黙々と食べてる。


「その…幻覚だったかもしれないけど」

「それで?」


 俺は続きを催促すると、麻衣がおずおずと話し続ける。


「廊下へ飛び出ると、部屋から粘ついたような嫌な足音が聞こえ始めて……」


 レストラン内部に流れている軽音楽にまざるように、耳障りな音が聞こえた気がした。


「急いで一階に下りると電気が通っていて明るいの」


 記録者はリビングをのぞく。

 そこに両親がテレビを見ていたが何も変わった様子はない。

 振り返り暗い階段を見上げると、自室の明かりは灯っていた。


「仕方なく部屋に戻ってみると元どおりだったけど……」


 映像はドアを拠点に部屋の状態を左右に動きながら映し、さきほどカーテンを開けた窓に止まる。

 外の暗がりに何かが動いていた。


「誰かが窓越しからのぞいてたの」


 突然部屋が瞬時にスクロールし廊下が現れる。

 一階に下りてリビングに移動するが、両親はいなかった。


「驚いて、いたたまれなくなって外に飛び出たわけ」


 そう言って一息つく麻衣。

 椎名と雅治は顔を見合わせ思案しだす。


「リビングに両親がいなかったのは、庭に不審者とか居て見にでていたとか?」


 雅治が推測する。


「まあ、両親ともに席を立っていただけかもしれないし」


 俺が言うと椎名が問う。


「外に出たとき、家の周りに注意した?」

「怖くてそんな余裕なかったわ。振り返るのも嫌だったし」

「うん、それで私を頼ったのね」

「しばらく部屋に戻る気が起きなくて……ごめん」

「そこから、つけられたわけか」


 腕組みをして思考する雅治。


「んっ……たぶん」


 映像は途切れた、と思ったら別の薄暗い路地が現れる。


「しばらく路地を歩いていたら、また、部屋で聞いた粘ついた足音が後ろから聞こえたのよ。周りには人がいる気配はないのに」

「突然足首が何か粘ついたものに触れられて……」

「えっ?」

「そっ、それは……」


 記録者の目は、足元に集中する。

 足首にどす黒い朱に染まった手がしっかり握られていた。

 それは暗がりから異常に長い腕が伸びて来ていて、根元に長い髪の顔が見え隠れしている。

 映像が激しく上下に変化し、その場から跳ねたように移動する。

 一緒に鈍い粘ついた音が、はっきり聞き取れるのがわかった。

 聴覚の記録も拾って聞いてるようだ。


「飛びのいたら、暗がりに何かいたのに……すぐ見えなくなって」

「何だったの?」

「ひ、人が隠れてたような感じかしら」

「ふーん」

「その場を飛び出したら触れられた足首が痺れるような痛みがあるのに気づいたけど、とにかく知り合いのところへと思って走り続けたわ」

「だから、一番近くで信用のおける椎名の家へ向かうことにしたの。時間が遅いので怒られるのは覚悟でね」

「しっかり怒らしてもらいましたよ」

「あーっ、ごめん」

「椎名、怒るとこえーからな」


 小声で雅治が俺に話す。


「うむ、それは全力で同意する」

「ふん」


 椎名に聞こえてたのか、鼻を鳴らせて俺たちを威嚇するように見る。


「それで、さっき団地入り口で話した霊を見て、近づいてきたから階段を駆け上がったわ」

「追っかけてくる霊ってやだな」

「瞳に会ってから二人で一階入り口まで降りて調べたけど、もう何も異常はなかったの」


 映像がいくつかの路地を入れ替わり見せた後、先ほどの団地の入り口に変わる。


『はあっ、はあっ』


 走ってきたようで、麻衣の声が漏れ聞こえる。

 後ろの茂みから音がして、振り返ると暗がりの草むらに人の影が見えた。

 そう思うと、回りの街灯が一斉に消えて闇夜になる。

 周りが見えない状態のなか、その人物だけしっかり見え出す。

 頭の一部が裂けた青白い顔だけ浮き上がっていた。

 ゆっくり近寄ってくるが、引きずってる右足のひざが裂け骨が飛び出している。

 そこから黒いものが素足の指先までに流れ落ち、歩くたびにクチャッ……クチャッと粘っこく鳴る。

 ここで制服姿の全体像がわかり、その瞬間ある人物が連想された。

 映像が後ろにに回って薄暗い階段を映すと、身長が低くなって座り込んだ音がする。

 しばらく何も起こらず静かになってたので、記憶映像が途切れたか? 

 意識を集中しなおす。

 すると心臓の鼓動がはっきり聞こえだす。

 早鐘のようだ。


『……瞳……もう駄目。誰でもいいから……助けて。誰か……助けて……し、忍……』


 これは麻衣の声?

 後ろから素足に朱を浸した足音が止まると、上からのぞくように皮膚のはがれた顔が現れ、長髪が前面に広がるように落ちてきた。

 顔の浮き上がりは無くなっているが、見た目はわからない。

 でも……これは、麻衣だ。

 中学時代の彼女だ。

 記録者が突然転げるように前に跳ねて起き上がり、薄暗い階段を駆け上がっていく。

 心臓の早い鼓動音と足音が同じように聞こえ、画面は上へ上へと急がせる。

 瞬間、バランスを崩し床に平伏したと同時に、雷のような音が響きわたる。

 音元を見るとブリキのバケツが倒れていた。

 暗かった階段は蛍光灯が点灯して、階段の下も明るく不気味な音は止んでいた。






「私は、変質者の類だと思う。まあ、途中不明なところはあるけどね」


 ご飯を挟んだ箸を止めて椎名は断定すると、雅治がパスタをフォークに巻きながら同意する。


「うん、俺もそう思う……話が飲み込めないところは、恐怖で混乱してたときなんだし」

「混乱はしてたけど、暗闇に何かがいたのは確かよ」


 麻衣は注文したコーンスープ一品のみ前にして、元気なく事実と主張する。


「さっき、幽霊に触られた足が痛んだっていってたけど?」


 気になったことを質問しながら、麻衣のブルゾンから手を放す。


「うん、あざになってた」

「えっ!」


 俺と雅治が驚き、同時にテーブルの下の足に目をやる。

 

「走っているときにぶつけたと思うわ」


 椎名が咳きをしてから、さり気なく幽霊の現実化を却下して俺に振る。


「忍君はどう思う?」

「……んっ」


 額の熱が消えていくのを片手で確認しながら考える。

 普通にあり得ないモノを見たのはわかった。

 俺と同じフラメモな能力が発動して、何かの記憶を体験したように視える。

 でも、追ってきた何かが本人だとすれば……無意識の投影? 

 それも恐怖の投影みたいにも思える。

 幻視扱いで心が病んでる結論になるが、昨日の墓参りした彼女からは余りにも唐突すぎる。

 あとはまやかしイミテーションが頭をかすめるが、幻覚を見せる相手など思いつかない。

 じゃあ、今言えるのは……。


「俺は彼女の話。受け入れるよ」


 そう告げると、こちらを向く麻衣の暗い顔は生気が注してきた。


「うん、その理由は?」


 意味ありげに椎名は聞いてくる。


「えっと……見た見ない、この世にいるいない、信じる信じない、そこからいろんな考えや見方が出てくるけど、麻衣が見て感じた恐怖は本物だろ? それは事実だから」

「それはわかるよ」


 がっかりした顔で椎名は話を続ける。


「でも、それだけじゃ原因が明確じゃないから、麻衣への対処のしようがないわ」

「また変質者か幽霊が現れるかどうかってことか? 出るかな?」


 麻衣に目をやると、そっぽを向かれた。


「知らないわよ」

「じゃあ、その変質者か幽霊に心あたりは?」

「全然ない。考えもつかない」


 うつむいて小声で話す麻衣。


「だったら、なるべく複数で行動して様子見じゃね? ……部屋に戻るのが不安なら、椎名に泊まってもらうとか」

「そうね。不安なら、私が行って何なのか見極めてやるわ」

「うれしー、ありがとう……でもいいよ。今夜は一人で様子見してみる」


 俺と椎名の意見に、麻衣は笑って答えるが元気はない。


「部屋にいてもケータイを放さず持ってたらいいよ」

「そうする」

「今は浅間ちゃんも落ち着いてるし、それでいいんじゃね?」


 パスタを食べるのに夢中な雅治が口を挟む。


「じゃあ、忍君が理解してるようだから、後は任せていいのかしら」

「えっ、俺が? 何で」

「ちょっと…あによ、その態度」


 鋭い視線の麻衣ににらまれる。

 さっきの映像の霊とダブルでこれは怖い。


「……でも、何をすればいいんだよ?」

「忍はなるべく麻衣と一緒の方がいいな」


 フォークをこちらに指しながら話す雅治に、椎名が続けた。


「そうね、不信な人物の見定め役が必要。仮にまた現れて特定できたら警察に通報よ」


 麻衣といられるのは、やぶさかじゃないが……まあっ、うん。


「ただ、特定できないモノだったら?」


 俺が口にすると一瞬静かになるが、椎名がゆっくり話し出す。


「麻衣の話をそのまま受け止めると心霊関係でしょ? そちらに求める手立てって私たちにないわ」


 俺は一瞬、白咲と希教道を思い浮かべてしまった。

 でも椎名は病院とか思ってるんじゃないだろうか。


「ネットとか書物なら、探せば何か似た記述とかあるんじゃない?」


 雅治がまともな返しをしてくれた。


「ああっ、そうね。それなら図書館とか調べるのも手かも」

「私、帰ったらネットで調べてみる」


 元気を出す麻衣。


「では、あらためて浅間ちゃんは、忍が責任を持って守るってことで決まりだな」

「たえず一緒ってわけにいかないだろ」

「連絡の取り合いすればいいじゃない。何かあったら駆けつけてさ」

「んんっ……」


 しぶしぶ返事をすると、麻衣がこちらを上目使いでうかがう。

 真面目に対処するつもりがあるのか、値踏みしている。

 根負けして、麻衣の私設警備員になることに決めた。


「ところで、麻衣は今ケータイ持ってるのか?」

「持ってない。昨日部屋から飛び出したから、何もないよ」

「じゃ、これから戻るか?」

「うん。そうしたい」


 異能の遠隔視で麻衣をのぞけるが、プライベートな監視になるし見続けるのも難しい。

 携帯電話で状況を知れるのが現状だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る