第二部 浅間麻衣編

第11話 消えた時間

 十月二十七日 月曜日


 すずめの鳴き声。

 今日はやけにうるさく感じる。

 んんっ……。

 もうっ、朝か。

 ベッドから起きようと上半身を上げる。

 その瞬間、頭部に激しい痛みが襲う。


「てっ、あいてて」


 あれっ。

 ここは? 

 あれ? 

 おおっ? 

 なんで俺、床で寝てたんだ? 

 それも机の下なんかに潜り込んで。

 えっ、どうしてだ? 

 移動して潜り込んだ覚えもない、俺どうしたんだ? 

 これって……夢遊病? 

 でも、なんで机の下なんだ? 

 それにまるで隠れてるようじゃないか。


「えっ?」


 隠れてる? 

 誰から? 

 逃げてた?

 薄ら寒いものを感じてきた。

 そして最初は小さく、やがて鋭く大きくなってくる耳鳴り。

 頭痛も発症すると、体がふらついたように思えた。


「うっ」


 めまいか? 

 耳鳴りの高音部分が激しくなり、意識にイメージが湧き出てくる。

 これは夢? 

 微かに夢を見てたような。

 何の夢だったか思い出せないが、確かに夢を見てた! 

 それもとても嫌な夢だ!

 脳裏に、階段を上がって行く映像がうっすら見えてくる。

 それは急いで駆け上がっているように感じた。

 突然硬い何かが壁に当たる音。

 階段に響き渡る。

 なんだ? 

 何かがいる? 

 怖い。

 それはひどく恐ろしいモノ。

 それから逃げて?


 恐怖。

 不安。

 恐怖、不安。

 恐怖、不安、恐怖、不安。

 自分の心臓の鼓動が大きく跳ねだして、血管が膨張し中の血が濁流しているようだ。

 止まれ、止まれ。

 止まれ。

 止まれ。

 止まれ。


 はあっ。

 はあっ……。

 落ち着いてきた。

 なんだ……何か思い出そうとしたせいか? 

 急に冷や汗が……。

 わからない。

 何なのか、何だったのか、思い出せない。

 昨日の疲れで、嫌な夢をみただけだろう。

 忘れよう。

 そうだ、忘れる。

 忘れるんだ。

 何も考えないで、いつものことをするんだ。

 顔を洗い、服に着替え、朝食を取って時計を見ると、九時五分。

 ……さてと。






 大きな古時計の着信音メロディとともに、携帯電話が光ったのですぐ手に取る。

 

「は、はい」

『あっ、忍?』

「何だーっ、麻衣か」

何だ・・は、ぶしつけね』

「あ、ああ。ちょっと起きたばかりでな。はははっ」

『もーっ、おはよう。九時よ寝ぼ助さん。ところで、昨日の忘れ物バッグなんだけど、ごめんね』

「いやあ、持って帰っただけたけど、気になってた?」


 俺はローテーブルに置いてあった、カーキ色のハンドバッグを持ち上げながら話す。


『そんなことないけど、一応プレゼントとしてもらった物だから』

「そ、そうだな」

『取りに行ってもいい?』

「いいけど、どっかで落ち合うか?」

『じゃあ、中学前のファミレス、お昼一緒に食べよ。前に約束してたし』

「いいね」

『それじゃ十二時ファミレスで』

「ああっ」


 携帯電話を切ってバッグを床に置いて立ち上がる。

 寝起きのわからないことは、麻衣と会って忘れよう。

 どうせ、夢なんだろうし。

 さてと、出かけるまで二時間以上あるな。

 麻衣と会う前に、白咲から借りて学園祭で使った水晶返すか? 

 いや、その前に夢香さんに落としていったイヤリングを渡さなきゃ。

 誰に会いに行くかな? 

 ああっ。

 学園祭の振替休日はうちの学校だけだった。

 白咲と夢香さんは、同じ高校で普通登校だよ。

 やっぱり麻衣と会ったあとになるか。

 えーと、麻衣に会ったらバッグを渡して食事して、それから午後は、あいつ暇してるよな? 

 公園にでも誘ってみるか? 

 休日に麻衣と二人っきりなんて、久しぶりだな。

 期待に胸が膨らむ。

 やっぱり俺、麻衣が好きなんだ。

 はあっ。

 だが……何か落ち着かない。

 振替休日でも月曜の朝って、落ち着かないな。

 いや、これって、やっぱり夢のせいじゃ? 

 胸騒ぎを感じるような気分。


「あっ」


 足に置いてあったバッグが当る。

 昨日バス停前で見つけたシチュエーションだな。

 あのときこれを持て違和感を感じて……。

 もしかして、今朝の悪夢と関係はないだろうか? 

 あり得る。

 すぐ腰を下ろし、フラメモを試みるため目を閉じて集中。

 額あたりに軽いうずきを感じ、その場がスクリーンとなり映像がいくつかぼやけて現れる。

 その見たいモノに意識を向けると唐突に始まる。

 映像は誰かの目線で撮った動画の記録のような物、それをのぞいてる感じ。

 フェンス。

 その向こうに真っ青な空と夏の雲。

 昨日見た映像がはっきり視えた。

 それになぜか懐かしいのだが、俺の記憶にない風景。

 それとも夢で見た風景か?


「うっ」


 まただ。

 この頭痛と耳鳴り。

 ああっ、フェンスの映像も消えちまった。

 あれっ、強烈な耳鳴りとめまい。

 周りが真っ白に見え出して、意識もぼやけて睡魔のような……。

 うっ……。






 空間内での人のざわめきが耳に入ってきた。


「んっ?」


 周りの騒音に思わず目を開けると、本棚が目の前に広がりひざ元の台には本が平済み。

 そして手には、バッグでなく本を開いてる……立ち読み? 

 をしている俺。


 ――ええーっ!! 


 ここはどこだ? 

 書店? 

 覚えがある。

 そうだ。

 ここは近くのショッピングモールの書店だ。

 部屋にいたのに、いきなり本屋に!? 


 ――ええーっ!? 


 何で!? 

 どうして!? 

 俺が!?

 そろそろと立ち読みを止め、書物を置く。

 その本のタイトルは『深層心理学』。

 著者はユング。


「んっ?」


 前の通路を見知った人物が横切っていった。

 白咲。

 でも今は学校行ってるはずだし、人違い? 

 彼女がいたと思った場所に行くが、もう見えない。

 勘違いかもしれない。

 それより状況がわからない。

 ゆっくりと歩いてそのまま外に出てみる。

 よく知ってるショッピングモールだ。

 駐車場に車が点在している。

 空は快晴。

 太陽はもう真上に来ている。

 スラックスのポケットに携帯電話を確認。

 しまってあったので取り出して時間と日付を確認してみる。

 十月二十七日 月曜日 十二時五分で昼だ、ってことは。

 部屋にいた時間から、つい先ほど本屋にいた時間までの記憶が……ない。

 これはいったい? 

 思い出せない。

 冗談じゃないぞ。

 まるで突然起こった時間移動だ。

 馬鹿言え、ありえないって。

 じゃあ、なんだ? 

 記憶喪失? 


「気味が悪い」


 何で? 

 さっきまでは、あっ。

 フラメモ!? 

 バッグをのぞいた後から記憶が飛んでる。

 俺の能力がおかしくなってるんだ! 

 病院へ。

 いやいやいや、駄目だ。

 能力のフラメモの説明をすることになる。

 それは駄目だ。

 気が違ったと、全然別の症状と認識されてしまうぞ。

 これは自分で解決しないと。

 今日はまず予定をキャンセルするか。

 ……って、おい! 

 麻衣との約束十二時だった!! 

 もう、来てるよ。

 キャンセルできねー! 

 まずい! 

 ファミレスに行かないと。

 んっ? 

 何か引っかかる。なんだっけ? 

 麻衣と会ってバッグを渡して食事を……。


「がぁっ!!」


 バッグ持ってない!! 

 バッグを渡すための約束なのに。

 部屋へ引き返せーっ!! 

 足は自宅のマンションに向かって走り出したが、間に合わない。

 麻衣怒らすとやばいよ。

 やば、やば!! 

 ああっ、携帯携帯。

 遅れるって言わないと。

 携帯電話を引っぱり出して、彼女の通信ボタンを押す。






 二年前まで登校していた中学校、その前に立っているファミリーレストランに息を弾ませて入る。

 ウエイトレスに待ち合わせだと告げて、テーブル席がある通路を歩く。

 すぐ鋭い視線に気づきそちらに顔を向けると、麻衣が渋い顔をして俺を見ていた。


「今、何時?」


 駆けよると彼女は怖い質問をしてきた。


「十二時四十分です。はい」

「おかしいな? 十二時って約束だったハズだけど?」


 目が釣り上がってる。

 危険。

 危険。

 焦りながら前に座る。


「携帯で話したとおりで。ワリィ」

「約束より四十分も待たされてさーっ、わたしいーっ、お腹ペコペコ。どうしようーっ」

「んんっ。おごる」

「えっ? 何っかな?」

「昼、おごるよ」

「うふっ、ゴチになります。でも、ありがとうは言わないよ」


 食べないで待っていたのは、おごらせるためか? 

 別にいいんだが、機嫌を少し直した麻衣は、ウエイトレスに食事を注文する。

 デザートまでつけて。

 彼女の装いは、紺のブイネックセーターにジーンズで、やけに地味目でちょっとがっかり。

 俺も着古しのパーカーで人のことは言えないんだが。


「ねえっ。忍クゥン」

「はい。なんで御座いましょう?」

「へへっ、午後空いてる?」

「あっ、ああっ。空いてるけど」

「本当? やったーっ」


 彼女からの誘いは何かありそうな気が……面倒なことにならねばいいが。


「つきあって欲しいんだ」


 記憶が飛んだ原因がはっきりしないから、すぐ別れて帰るつもりだったが、彼女の機嫌を直さないと。

 うん。

 まずいことになったら、具合が悪いとか言って別れればいいだろう。

 問題のハンドバッグを彼女に渡し食事をすませてから、俺たちは市内十番街へ行くためバスに乗り込んだ。



 ***



「“T-トレイン”って言うH大の旅行サークルらしいんだけど」


 バスの最後尾に二人で座り、経緯を麻衣が話す。

 車内の客は、月曜の昼過ぎだからか人数が少ない。


「でも、これから旅行に行くわけじゃないだろ?」

「うん、そこの主催パーティらしくて、松野先輩の知り合いが入ってるところなんだって」

「松野先輩って?」


 麻衣が持っていた、例のハンドバッグを持ち上げてきたので納得する。


「先輩に昨日しつこく誘われて。ついね、行くって言っちゃったの」

「ついって、断ればいいものを」

「だから、このバッグ渡されて断りにくかったの。それで、一緒に来てもらえばって……ねっ!」

「へーっ。で、俺?」


 首を縦に振る麻衣。


「えーっと。うーん。もしかして」


 ああっ、あれっ。

 これって恋人宣言? 

 そんなわけないか。


「あっ。ば、ばか。ふ、ふりよ、ふり」

「そっ、そうだよな」


 恋人のふりをすればいいってことか?


「でも……」


 俺マジなんだ。

 なーんて、今更ハズくて言えないよな。


「えっ? 何か言った?」

「いやっ、なんでもない。ははっ」


 くそっ。

 赤面してきたじゃねえか。


「その、そこで今日は何するんだ?」

「ああっ。ええっと、ストレンジツアーのメンバー顔合わせを兼ねての昼食会パーティだって」

「それだったら、食わないほうが良かったんじゃ……いや、会費とかないのか?」

「聞いてないから、大丈夫よ。挨拶してちょっと入ったら帰るつもり。時間も二時半に終わるって行ってたしね」

「うむ」


 松野に恩を着せられたくなかったから、それで俺に昼飯たかったのか。

 いやいや、それは俺のせいだった。

 もしかして、地味な服も関係してるのかな?


「あと、そのツアー自体は不思議な場所巡りの旅行らしいわ」

「ツアーに行くのか?」

「ううん、興味あるけど……松野先輩と一緒ってのは」


 それはそうだろう。

 しかし、興味はあるのか? 

 クラブといい……。


「前から、気になってたんだが、麻衣は何でミステリークラブなわけ? 陸上でマラソンとかじゃなくて」

「陸上は……もう、辞めたの」

「あっ、そっか……ごめん」


 まずーっ。

 中学三年のとき、彼女の右ひざがスポーツ傷害になって医師に長期の休養を言われてたんだ。

 マラソンは麻衣の地雷だった。

 踏んだかな?


「いいけど。私、話してなかったね」

「ええっと。その、ミステリークラブって、雅治みたいな探偵推理小説ファンってことかな?」

「ううん。違うの。そのクラブの中はいくつかにわかれていて、推理物もあるよ。私は超常現象とかのグループで、調べて提示し合うの。幽霊ってなんだろうって、知りたかったの。でも怖いものは嫌だよ」

「へーっ。麻衣がその手のに興味あるなんて知らなかった」


 中学の頃は、そんなことなかったのにな。


「その……えっと。見たから!」

「んっ、見た? 何を? まさか幽霊?」

「うん、幽霊さん」


 幽霊もさん・・付けされると可愛くなるな。

 麻衣らしい。


「それで、自分が見たものが何なのか調べて、納得したくてね」


 幽霊か。

 ちょっと違うが、俺のフラメモ能力知ったら身体検査されそうだな。

 そう思っていると、麻衣は不自然にバス内の天井に目を向けて黙る。

 天井と彼女を交互に見てみるが、何も変わったことはない。

 だが、彼女はある一点をじっと見つめる。

 誰もいない空間なのに。


「麻衣? どうした」

「あっ。うん、へへっ。ごめん。何でもないよ」


 今のは、何だったんだ? 

 幽霊の話で、俺を怖がらせているんじゃないか?  

 ……って言うか、麻衣は怖がりをさっき表明してたのに。


「そんなの見て怖くないのか?」

「今はもう。……そういえば幽霊さん、忍に似てたりして」

「よせよ。俺は生霊じゃねえ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る