高速の乗り物


 旅先の雲思ひゐる小正月



「小正月」は、1月14日の夜から15日にかけて祝われる正月。満月の日を正月として祝った古い時代の名残で、餅をついたり団子を作って祝う習慣が残っている。新年の季語。




 正月が過ぎた。

 1月になると、日差しは急に黄味が強くなり、明るく朗らかになる気がする。


 12月末から、ほんの十日ほどしか違わないはずなのに——

 月をまたいだ途端、春はもうすぐという輝きに満ちるのは不思議だ。

 それとも、自分の心がそう見せるのだろうか。



 そんな、明るい窓の外を見る。

 静かな風が木々を通り過ぎ、葉は光を受けて小刻みに輝く。

 穏やかな表情の雲が、淡い青色の空を行く。



 流れる。

 風も、雲も、時間も。

 立ち止まることも、逆戻りすることもなく。



 どんなことも、あっという間にやってきて、瞬く間に終わってしまう。

 次に来るものも、また一瞬で目の前を過ぎ去っていく。


 それはまるで、スピードの速い乗り物の窓から景色を眺めるようだ。



 ——いや、比喩ではなく。

 私たちは本当に、高速の乗り物に乗っているような生を歩んでいるのかもしれない。


 そう考えると——

 今動いていくその一秒が、どんな重みを持つものかを思わずにいられない。




 流れる時を何となく眺めるだけでは——

 何も残せないまま、自分の時間は消えて無くなっていく。


 貯めておくことも、引き留めることもできないこの一瞬。

 自分には、何ができるだろう。

 生きていることを感じられる何かを、手にしたい。

 自分が生きていることを、何かの形にしたい。



 今すぐに、形にならなくても。

 少しずつでいい。

 大切な時間を使って、自分にとって大切なものを作ってみたい。

「自分自身を形に残した」と言える、何か。



 それを叶えるために、自分は何をしたいのか。何をしたらいいのか。

 今までは、漠然としてよくわからなかったが——


 今は、以前よりも少しだけわかった気がする。


 少なくとも、こうして日々の思いを綴ることは——

「かけがえのない自分の時間を使って、自分自身を形にしている」と言えるのかもしれない、と。




 10年前は、そんなことを考える心の余裕などなかった。

 自分自身が生きることだけで、いっぱいいっぱいだった。



 今は——

 自分自身を、少し道端から眺められる自分がいる。




 若いばかりがいいわけじゃない。

 時を経るほど、大切で素敵なたくさんのことに気づいていく。



 いい歳を、重ねたい。——そんなことを、時々思う。










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