手放せないもの


 トマトてふ甘き太陽齧りけり



「トマト」は、ナス科の一年草。6月ごろにやや房状の黄色い花をつけ、その実は種類によって形や色、大きさが異なる。

「トマト」は、夏の季語。




 トマトは、私の大好物だ。

 一年中店頭に並ぶし、毎日食べても文句はない位、好きである。


 けれど、この野菜が一番美味しくなるのは、断然夏だ。

 今頃からのトマトは、これまでの季節とは味の濃さが全く違う。

 酸味も、甘みも、瑞々しさも。ずっしりとした重みも、艶やかな赤い色も。

 全ての要素の濃さと強さを一気に増して滴るその実は、夏の太陽のエネルギーをそのまま球体に詰め込んだようだ。


 これほど、季節の美味しさを鮮烈に反映する野菜はないかもしれない——そんなことを思いつつ、新鮮なその実を頬張る。






 飽きる。

 人間は、飽きる生き物だ。


 好きな食べ物も、ずっと食べ続ければ、飽きてくる。

 幸せな暮らしも、当たり前になりすぎると、どこか退屈になってくる。


 そう考えると、人間はなかなか傲慢な生き物だ。

 好きなはずのものも、大切なはずのものも——目の前に溢れ返れば、なぜか魅力が薄まって見えたりする。



 そんな私達にも、中には長く付き合えるものが存在する。

 ——結局それは、とても限られた数しか残らないような気もするが。

 言い方を変えれば——人は誰もが、ずっと手放さずに持ち続ける「長い付き合いのもの」が、何かしらあるのかもしれない。



 それは、人によりさまざまだろう。


 私自身について言えば……

 例えば——トマト。

 その濃い酸味と甘みは、私の体内に明るいエネルギーを注いでくれる。


 それに、コーヒーと、お酒。

 色々な意味で、決して手放せない。


 J.S.バッハの"G線上のアリア"。

 "Say it"、これはジョン・コルトレーンのジャズの名曲。


 椎名誠の旅ものエッセイ。

 疲れた時に開いて深呼吸する、京都の庭園の写真集。

 時間を忘れて見入ってしまう、ミュシャの画集。



 手放すことができない、そんなものたち。

「ツボ」というやつだろうか。自分の心の微妙な凸凹に、ぴったりとはまる。

 そんな感覚の、不思議に心地よいものたち。


 それらのどこが、そんなに好きなのか。

 理由を聞かれたら、きっと語り尽くすのに何時間もかかるだろう。





 そして、今、私にとって最も手放せないこと。

 それは——言葉を綴ること。



 これは、その他の何よりも、特別だ。


 与えられて楽しむ事とは違い——自分の内側から、湧き出すものだから。



 綴り終えても、また生まれてくる。

 達成感を味わい切らないうちに、新しいものが頭をもたげる。

 何か中毒にも似た——抜け出すことのできない、不思議な魔力を持つもの。




 それでも時折、自分の中が急にすうすうと空になったような、何も湧き起こらない感覚が訪れる。

 そんな時は——熱を持った何かが去っていったような寂しさに、為す術もなく吹かれるしかない。



 けれど——

 時が経つと、またふと湧き出すものがある。

 とりあえず、今のところは。




 この抑え難い欲求は、何なのか。

 自分に問うても、明確な答えは返ってこない。

 

 それでも——

 綴りたい何かが湧き出す間は——綴っていきたい。

 自分の中に生まれる何かに、言葉という形を与えたい。



 不思議な衝動の意味を、うまく説明はできなくても——

 この楽しさと、難しさに向き合うことのできる今の自分を、幸せに思う。





 そして——

 言葉を綴るそのことが、末長く、自分にとって手放せないものの一つとなりますように。


 そんなことを、漠然と願う。





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