正しくありたい


 空を陽を見よと雲雀ひばりに誘はれぬ



「雲雀」は、スズメ目ヒバリ科の留鳥。スズメよりひと回り大きく、体は茶色。草間の地上に枯れ草などで皿形の巣を作る。巣から飛び立つ時は鳴きながら真っ直ぐに上昇し、ある地点まで登ると急速に降下してくる。春の野に空高く朗らかに囀るその姿は広く親しまれる。

「雲雀」は、春の季語。





 先日、花見に出かけた。

 まだ風は少しひんやりとするが、外は春の日差しに満ちている。

 自転車を漕いで桜の咲く場所へ向かうその道のりも、なんとも言えず心地よい。



 コンビニで飲み物を買おうと、自転車を降りた。

 大きな通りに建つ店の裏手には、ぽっかりと大きな空き地が広がっていた。

 思わぬのんびりとした景色に一息ついているうちに、絶えず小さな囀りが耳に届いてくることに気づいた。



 ——雲雀だ。



 おしゃべりでもするように楽しげに囀りながら空高く上昇していく、可愛らしい春の鳥。

 どこで鳴いているのだろう。

 思わず空を仰ぎ、広い視界の中にその小さな姿を探した。



 いた。

 青い空の高みに、黒い点のような姿が忙しなく羽ばたいている。


 太陽の眩しさに手をかざしながら、一生懸命に歌い続けるその姿を見つめた。



 軽やかに歌いながら、空高く登る。


 なんて羨ましい鳥だろう。



 ふと、そんなことを思った。







「正しくありたい」。


 恐らく、多くの人が、そう思いながら日々を歩いている。

 何よりも自分の人生を心地よいものにするために、これは欠かすことができない信念だ。



 けれど——

「正しくありたい」の捉え方を、間違えてはいけない。

 そんな気がする。



 正しくありたい。

 それは、「誤ってはいけない」という意味ではない。


 不完全な自分自身を認めつつも、まっすぐ前を向く。

 私は、そんな風に歩きたい。

 


「正しくありたい」と、「誤ってはいけない」は、似ているようで、全く違う。



「誤ってはいけない」——つまり、自分自身の誤りを許さない。

 この姿勢はきっと、自分を深い苦しみに追い込んでいくだけだ。

 



 そもそも、「正しい」とは何か。

「誤り」とは何か。


 自分の「正しい」が、ほかの全ての人の「正しい」と一致するかどうかなど、わからない。

 むしろ、それぞれに結構大きなずれがある気さえする。

 そして、その逆も同じだ。

 自分の「誤り」は、他の人から見たらさしたる誤りではない——そういうことだって、大いに起こりうるのだ。

 人間の脳内の定規じょうぎなど、どこまでも不確かで、曖昧だ。



 そして、誰の心の中にも、淀んだ泥沼が必ずある。

 醜い泥沼を抱えていない人間など、恐らくただの一人も存在しない。



 そんなふうに曖昧で、奥底にどろりとした醜さを沈めた心を抱えているのに。

 「誤ってはいけない」などという感覚を自分に強制するとしたら……


 それは、自分を地獄へ追い込むのと同じことだ。




 もしも、自分自身に「誤り」を認めないとしたら。

 自分の言動の全てに完璧を求め始めたならば——どうなるか。


 自分の中のどす黒いものが、何かの拍子に目の前にちらつく度に、自分自身に嫌悪し、怯え、絶望せずにいられないはずだ。

 そんなおぞましい自分など、絶対に存在してはいけないのに。

 そう頭を抱え、自分自身を追い詰め——

 決して切り離すことのできない自分自身の影から、一生逃げ回らなければならなくなるだろう。




「誤ってはいけない」——これは、自らを強迫観念に陥れる呪文だ。

 そう思えば思うほど、自分自身の愚かさ、醜さを認められない。自分自身の存在が、嫌でたまらない。


 捉え方を間違えば、人間の心の中には、そういう地獄が容易に口を開けてしまう気がする。





「誤ってはいけない」のではない。


「正しくありたい」。

 ——心の中で、真摯にそう願う。常にそう努力する。

 きっと、それだけでいい。



 そんなにもがき苦しまなくてもいい。

 自分の中の、愚かな自分、醜い自分を、許してあげていい。



 決して浄化することのできないそんな沼を心に抱え——

 それでも、「正しくありたい」と必死に願いながら、日々を這うように歩く。

 きっとそれだけで、私達は既に充分正しい。



 だから——

 自分の中の嫌なもの、醜いものを、忌むべきものとして追いやろうとするよりも……

 それはそれとして、自分の一部と受け入れてやれるならば……きっと、その方がいい。




 醜く愚かな自分を、許す。

 そう思った瞬間、自分自身がふっと楽になる。

 自分の存在そのものを許されたような、穏やかな幸福感に包まれる。




 自分の中の泥沼を見つめ、認め——美しさも醜さも含めた自分の存在を、丸ごと受け入れ、愛する。


 ——そうできるならば。


 結局それが、自分自身に与えてやれる一番の幸福なのかもしれない。






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