8分間の夏


 卵茹でまた八分の夏行きぬ



 俳句においては、2016年は5月5日(立夏)〜8月6日(立秋の前日)の期間が夏。

8月7日の立秋以降は秋となり、秋の季語を詠む。

なお、立秋は年により、8月7日の年と8日の年がある。



 夏。輝く光に満ちた、一年で最も明るい季節だ。

 その強烈な太陽は、沈んだと思うとあっという間に戻ってきて、再び空を我が物顔に渡っていく。

 そのせいだろうか。夏は切れ目なくひとつに繋がって、息つく暇もなく駆け抜けていってしまう季節——そんな感じがする。




 ——8月の、ある明るい朝。空気にはまだ僅かに涼やかさが残っている。

 軽い朝食を取るため、卵を茹でた。

 鍋に水を1センチ程張り、そこへ卵を並べて蓋をし、火にかける。沸騰したら中火にして5分、その後火を止め蓋をしたまま3分放置。合計8分間だ。

 卵を水にとってしばらく冷やす。剥いた時に薄皮がへばりつかず、つるりと剥ける方法だ。


 卵を火にかけてから、コーヒーメーカーに豆と水をセットしてスイッチを入れ、トーストを準備する。トマトとレタスを洗って、皿にざっと盛る。


 窓の外では、朝の風に吹かれて、夏の木々の深い緑がざわざわと輝く。

 8月になると、どことなく風の気配が寂しくなるのは気のせいだろうか。



 卵の茹で上がりを知らせるタイマーが鳴った。

 手を動かしながらあれこれと取り留めなく揺れ動いていた意識は、その音にふと立ち止まる。


 ——今、8分間が過ぎたんだ。


 8分間というのは、長いのだろうか。それとも、短いのだろうか。

 いろんなことができる気もするし、あっという間だった気もする。



 時間の感覚なんて、とても曖昧だ。その時の状況によって、驚くほど伸び縮みする。

 好きな女の子とおしゃべりをする1時間は1分間に感じるし、熱いストーブの上に手を置く1分間は1時間に感じる。それが「相対性」だ——アインシュタインは、そう言った。

 時間とは、時計の針の動きではなく、自分の感じる長さこそ真理なのだ、と。




 でも——。

 今、8分間の夏が、また過ぎていってしまった。

 ——それだけは、間違いのないことだ。




 ある夏の朝、決して止めることのできない時間の流れの中で、ふと心が立ち止まった記憶だ。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る