陽射しの下

 

 眩しさといふまなざしや秋茜



 秋茜あきあかねは、「蜻蛉とんぼ」の傍題。トンボは種類が多く、晩春から晩秋までいろいろな種類を目にすることができる。他にも「やんま」、「赤蜻蛉」、「麦藁とんぼ」、「塩辛とんぼ」などの傍題がある。いずれも秋の季語。




 先日、近くの公園へ散策に出かけた。

 秋晴れの爽やかな風の中、家族連れや子ども達の声が、明るく空へ吸い込まれていく。



 柔らかな陽射しの下にいる時のひとの眼は、優しく見える。

 少し眩しげな眼差しが、どこかはにかむような表情を思わせる。



 室内でお互いの目を見ながら交わす会話は、どこか緊張感がつきまとう。

 瞳や表情の細かな変化から相手の心の動きを読み取り、その状況に即した言葉を選び——そんな、駆け引きにも似た心理がどこかで働いている。


 外で会話を交わすときのひとの眼には、そんな緊張感が漂わない。

 空の下という広さや明るさが、心の小さな動きを大目に見てくれる——そんな優しさがある気がする。




 かつて、叶わないひとを好きになった。



「好きだ」と思う気持ちは、「叶う」とか「叶わない」とかいう条件とは無関係だ。

 実際の具体的行動に出ない限り、「いい」とか「わるい」でもない。


 ——この感情だけは、自分自身を含めて、誰にも制限をかけることなどできない。




 そのひとと、昼間一緒に外を出歩くなど、想像すらできないことだった。


 でも——一度でいいから、陽射しの下のその人を見てみたいと思った。



 明るい空の下では、どんな風に見えるんだろう。

 どんな眼差しで自分を見るだろう。笑ったら、どんな感じだろう。

 いつも快活だけれど——太陽の下だったら、もっと無邪気な少年みたいに笑うのかもしれない。


 そう思えば思う程、陽射しの中の彼に会いたくて——悲しかった。

 明るい空の下、当たり前のように彼と笑い合うひとが、羨ましかった。




 そのまま——何一つ叶うことのないまま、そのひととは離れた。




 思いが叶わないという現実は、悲しいけれど——

 叶わなかったからこそ、いつまでもそのままの輝きや切なさを失わずに、思いは心に残っていくのかもしれない。





 陽射しの中の優しいまなざしに出会うと、ふっとあのひとを思い出す。


 見ることのできなかったあのひとが側にいるような、やわらかな気持ちに包まれる。








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