なぜ


 意味もたぬ羅列のしき鱗雲



 鱗雲は、「鰯雲」の傍題。

 この雲が出ると鰯が集まるといい、そこから「鰯雲」という名がついたともいわれる。

 また、魚の鱗のようにも見える小さな雲片の集まりであることから、「鱗雲」、鯖の背の模様に似ていることから「鯖雲」とも呼ばれる。秋の季語。

 




 晴れた秋空は、雲が美しい。

 どの季節よりも繊細な表情の雲が、白く淡く、空を飾る。



 そんな日の夕方近く。

 空を見上げながら、静かな道をゆっくり歩いた。

 髪を後ろへ緩く靡かせる風が、何とも心地よい。



 鱗雲が出ている。

 何気なく眺めているうちに、何だか不思議な気持ちになった。



 ——あの鱗雲は、なぜ空のあの場所に伸びているのか。

 あの鱗は、なぜあの位置に、あの形に並んでいるのだろう。



 考えても、答えはない。

 当然だ。空に浮かぶ雲が意味や理由のある形をしていたら、その方がよほど不自然だ。




 人間は、すぐに理由を知りたがる。

「なぜ」と考えたがる。


 人間の社会の発達は、この「なぜ」があったからだと言ってもいいだろう。



 しかし——ひとつひとつのことに明確な理由や意味が付属しているのは、人間の社会の中だけのことだ。

 その他の自然界の物事は、理由も、意味も必要としない。

 それはただの「現象」だ。



 私たち人間の身の上に起こる出来事も、多くは「現象」や「偶然」だ。

 それに、人間が「運命」という名前をつけたに過ぎない。



「運命」と呼べば、重く、悲しいものに思えるが——

 それを、「現象」や「偶然」の連なりと捉えてみれば——どこか身体の力がふっと抜ける気がする。

 動かし難い定めに縛られているわけでも、閉じ込められているわけでもない。もっと自然で、単純なものだ。



 そう考えてみれば——

 人生を、もっとやわらかに眺めてみてもいい。

 もっと、自分の心と身体を、自由に動かしてみてもいい。——そんな気がしてくる。




 頬を撫でる風も、空を桃色に染める夕焼けも、鱗雲も。

 そこには意味も理由もないけれど——だからこそ、どこまでも優しい。

「なぜ」「どうして」と、詰め寄っては来ない。




「なぜ」と問うことをやめてしまえば——もしかしたら、何かがもう少し楽になるのかもしれない。











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