愚かな自分を抱きしめる
小春日のそよぎに涙拭はれぬ
「小春日」は、「小春」の傍題。小春は陰暦十月の異称。
「小春日和」は、立冬以降の春のように暖かい晴れた日のこと。俳句においては、「小春」「小春日」は、この小春日和の意味を含む。冬の季語。
悲しい時。打ち拉がれている時。
自分自身の情けない部分が丸出しになる。
何をしていても、自分に優しくする気になれない。
空を仰いで涙を流しても、何の答えも帰ってこない。
暖かな冬の陽射しと静かにそよぐ風が、黙って涙を拭ってくれているようで——また新たな涙がこみ上げる。
きっと誰にでもある、そんな果てしなく悲しい時間。
振り切ろうとして振りきれるものではない、苦しい時間。
でも———
そんなどうしようもない時間を嘆き、自らを嘆き、自分自身を打ちのめしたとして——その先に、自分の望む自分がいるだろうか。
人は、もともと不完全だ。
常に完全でありたいなどと思うことが、そもそも愚かなのかもしれない。
それならば。
それでいい。それでもいい。
そのどうしようもない自分も、受け入れてみよう——
時には、情けない自分がいたっていい。
大嫌いな自分がいたっていい。
きっと——
そんな愚かな自分自身を憎む「自分」は、もうすでに、精一杯頑張っているから。
その苦しみは、きれいごとでは済まない自分自身の生に、必死に立ち向かっている証拠だから。
必死で、崩れそうで、情けない。そんな自分。
本当に馬鹿で、どうしようもない——
その仕方のない愚かさを、認めてやる。
しょうもない自分自身を、抱きしめる。
よろよろとする自分の肩を包み、支えながら、一歩一歩ゆっくりと歩く。
——今は、できるだけ、そうしてやりたい。
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