身の内の安らぎ

 

 耳を手に包めば眠し十一月



「立冬」(2016年は11月7日)以降は、俳句の上では冬になり、冬の季語を詠む。

11月はまだ寒さも本格的でなく、天候も安定して穏やかな日が続く。

「十一月」は、冬の季語。




 最近寒くなってきた。手足の指先など、身体の末端から寒さが忍び寄ってくる。


 

 マフラーや手袋は、もちろん欠かせない防寒具だ。しかし、耳を覆うかどうかで、温かさは随分違う気がする。


 耳を覆うと、想像よりずっと全身が温もる。

 イヤーマフなどをつけたりするとよくわかるが、なんとも言えない心地よい安らかさに包まれる。


 耳を覆った時の心地よさを、よく分析してみると——温かさだけでなく、外界の音が少しだけ遠くなることも、安らぎに繋がっているような気がする。



 布団の中で物音が気になって眠れないような時は、布団に潜り、耳を両手で塞いでみる。

 すると、音が完全にシャットアウトされたわけでなくても、いつしか心が溶けるように穏やかな眠りに落ちている。


 両耳の程よい圧迫感と、音の遠のく安らかさ——この「耳を覆う心地よさ」は、私の中では結構特別な感覚だ。


 



 寒さが本格的になってくる十一月。

 机で本を読むうちに、いつしか部屋は夕暮れの中に薄暗く、窓際はひんやりと冷え込んできた。


 闇になるまでは、まだ少し時間がある。

 本を閉じ、椅子の上で膝を抱え、丸まってみた。

 自分の体温で、さっきより少し温かい。


 目を閉じて、自分の頭を抱くように手で両耳を覆ってみる。

 掌が耳を包む温もりと安心感が、脳を包み——やがて身体を包む。

 薄ら寒い室内のはずなのに——心地よい安らぎに、とろとろと眠りたくなる。



 もう少しだけ、この静かな安らかさの中にいよう。

 また忙しい時間がやってくるまでの、わずかな——穏やかなひととき。




 人は、時間のある限り、情報を求めて生きている。

 確かに情報は欠かせないものだ。そして、悲しい知らせや残酷なニュースにも、目をそらして生きることはできない。



 でも——時には、耳を塞ぎ目を閉じて、情報から遠ざかってみるのもいい。

 自分の身の内の温かさや静けさを、心ゆくまで味わってみてもいい。



 ——そこには、思わぬ甘い安らぎがあるはずだ。






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