裕福な家の猫
飼ひ猫と野良の並びて日向ぼこ
冬は暖かい日向が恋しくなる。陽射しの当たる場所で昼の心地よいひとときを楽しむ人や動物の様子は、いかにも冬らしい趣がある。「日向ぼこ」は、冬の季語。
何か別のものに生まれ変わるとしたら、何がいい?
子供の頃、遊び半分でよくこんな会話をした気がする。
小さな頃は、鳥になりたかった。
自分だけの力で、好きな時に好きなだけ空を飛べる鳥が、羨ましかった。
——「羨ましい」という表現は、少し違うかもしれない。
純粋に、鳥になりたいと思った。
今は——猫になりたい。
裕福な家で大切に飼われる、猫。
なんという打算的な希望なのだろう。自分でも笑えてしまう。
鳥になりたいと願う幼い頃の心の方が、よほど清々しく輝いている。
でも、あながち間違いでもないと思う。
何不自由ない暮らし。飼い主から深く愛され、その膝に丸くなれば喜ばれ、何気ない仕草が彼らを癒し、微笑ませ——
そこに存在する、ただそれだけで、周囲が幸せになる。
これほどwin-winな関係が成立する充実した生が、他にあるだろうか?
でも、そんな恵まれた猫たちも、「自分は幸せだにゃ」とは、決して呟かない。
そして、それを見ている野良猫も、「ケッあいつが羨ましいぜ」とは思わない。
そもそも彼らは、自分の運不運や幸不幸、そんなことを考える必要がないのだから。
自分自身の生を思い悩む苦しみを持たない。
——これは、人間以外の全ての生き物が享受する「幸福」だ。
この幸福は、残念ながら人間には与えられなかった。
優秀な脳を得た人間という生物は、なかなか苦労性だ。
人間にとって、楽しみだけを感じて生きるのは、不可能だ。
でも、楽しさや喜びをクローズアップして受け止める考え方を持つことは、おそらく可能だ。
なんだかあくせくとした毎日で、疲れを感じたら——ちょっと猫になってしまうのもいい。
恵まれた猫じゃなくてもいいのだ。
暖かい部屋でみかんでも食べて好きなことをする。
なーんにも考えずにゴロゴロする。
そして、「あー気持ちいいにゃん」とか言ってみる。
完全に猫化はできなくても——きっと、心のどこかが、少しだけ猫になれるはずだ。
これもそんなに悪くない——そう思えるはずだ。
悪くない。
そう思える時間を少しでも増やすことができたら——間違いなく、人生は今までよりずっと楽しくなる。
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