摩擦、抵抗


 マスクてふ白さに笑みの呑み込まれ



「マスク」は、冬の季語。

 鼻と口を覆い、風邪の予防をしたり、寒さや乾燥から喉と鼻を守る。




 マスク。風邪などの流行しやすいこの時期には手放せないものである。


 それをかけると、顔のうちで出ている部分は、ただ目だけになる。



 病気の感染防止のためには欠かせないものなのだから、仕方がない。

 けれど……

 白い四角で覆われたその大きさの分だけ、細やかな感情を読み取ることは難しくなる。

 ——まるでその人の心から、隔てられたかのように。

 


 今言った言葉に、相手の目は微かに笑っただろうか……本当に、そういう判断でいいのだろうか。

 そんなことが気になり、思い通りの言葉を続けることが一瞬ためらわれる。



 独特の息苦しさも手伝い——

 マスクの時期の会話は、どこか曖昧で、無気力だ。







 摩擦。抵抗。


 どちらも、物と物とが触れ合うことで起こる。

 あまり優しいイメージの言葉ではない。

 どちらかといえば、できるだけ取り除きたいもの、という感覚を抱きがちだ。



 滑らかでスムーズに動くことは、ギシギシと滞るよりも確かに多くの面で好都合なはずだ。


 

 でも……

 逆に言えば、これらは物同士が触れ合わなければ起こらない、とも言える。

 触れ合うから、摩擦が起こる。抵抗が生まれる。

 何かが触れ合う場所には、摩擦や抵抗というのは必然的に生まれるものなのだろう。




 人と人との触れ合いも、きっとそうだ。


 人との関わり。

 できれば、相手と衝突したくない。食い違いを起こしたくない。反発されたくない。

 ほぼ全ての人が、そう思うだろう。



 でも……そう願うこと自体が、既に間違いなのかもしれない。



 摩擦や抵抗は——誰かと触れ合おうとする時には、必ず発生してしまうものなのではないだろうか。

 物理的なそれと同じように。




 人は、一人一人違う。

 顔も、心も、脳も——他人と自分が全く一致することなど、絶対にありえない。


 そんな、全てが自分と違う誰かと一緒にいるのだから。

 考え方の違いやぶつかり合い……そんなものが生まれるのは、当たり前だ。

 むしろ、それらが起こらない方が不自然だろう。


 そうであれば。

 人との関わりの中で生まれる居心地の悪さや、行き違い、多少の不快感は——きっと、お互いが触れ合っている証拠。

 そういうことなのかもしれない。




 外部からの摩擦も、抵抗も一切ない状態——それは、「ひとり」だ。

 自分の心を乱すものの存在しないその状態は、確かに居心地がよく、安らかだろう。


 けれど——

 人間は、朝起きてから夜眠るまで完全にひとりきりでは、きっと生き続けることができない。

 正常に生きるためには、人との関わりは、必ずどこかで持っていなければいけない。

 ——そんな気がする。




 摩擦や抵抗は、触れ合うからこそ起こるもの。——そう思うと、そんな居心地の悪さや気まずさも、何か愛おしいものに思えてくる。

 自分が自分でいる限り、相手との間のそれを完全に取り除くことなどできないし……取り除けない現実を、悲しむ必要もない。


 そこからお互いを少しでも理解し合い、発生するストレスを軽くできるならば——こんなに素晴らしいことはない。


 

 そんな風に思えば、人づき合いは少しだけ楽になるのかもしれない。







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