自分の力で
脱ぎ履きも歩くも楽しブーツの子
ブーツは、防寒用の長靴。最近はファッションの一部として季節に関わらず履かれるようになった。しかし、特に寒い時期に暖かく足元を包むブーツには、冬ならではの趣がある。冬の季語。
子供は、ある時期になると、なんでも自分でやりたがるようになる。
服を自分で着る。ボタンを自分ではめる。自分で靴を履く。
面倒で難しい作業を、どんなに時間がかかっても「自分でやりたい」と主張する。
これは、成長過程の中でとても喜ばしい変化だ。
自分でやる。自分で自分の問題を解決する。
幼い子供の時代に、「自立」の意識はもうしっかりと確立していく。
これは、人間だけでなく、全ての動物が生きていくために不可欠な本能なのだろう。
ただ、人間が他の生物と大きく異なる点は——本能以外の「心」の苦しみや悩みにも、向き合わなければならないことだ。
Heaven helps those who help themselves.
(天は自ら助くる者を助く)
高校の英語の授業で、このことわざを学んだ。
深く心に刺さるような感覚があった。
天は、自分自身を救おうと努力する者を救う。
いくら天に願っても、自分自身で立ち上がる気のない者は救われることがない——そういうことだ。
このことわざは、真実をずばり言い切っている。
甘さや柔らかさのない、現実と真実のみでできているフレーズ。
それでも——突き放すような冷たさではなく、力強く背を押してくれるような不思議な優しさを湛えた言葉だ。
その通りなのだろう。
足に力を込めて立つ意欲のない者の両脇を支えて立たせてやっても、自力で歩き出すはずがなく——手を離せば、へなへなとまた元の場所に座り込むだけだ。それでは神も救いようがない。
人の心にも、全く同じことが言えるのだと思う。
自分では何もせず、ただ誰かに救ってもらうことを待つ。
それはきっと、自分自身を一層惨めにするだけなのかもしれない。
待てば待つほど、救われない自分自身の惨めさに浸される。
努力なしには出られるはずのない穴の底に座り込み、頭上に見える空をただ仰ぐ。
いくら嘆いても、空は一向に近くならず——ただ無意味な絶望感を深めるだけだ。
どんな小さなアクションでもいい。
一つ、行動を起こしてみる。
行動を起こせば、必ず何かが動き出す。自分が動こうと思った瞬間、天は何かしらのロープを投げる。
——今まで見えなかったロープが眼に映るようになる、と言ってもいいかもしれない。
「助けてくれ」と大声を出して協力を求めるのも大事だ。
誰にも迷惑をかけまいと独りで抱え込んでも、結局自分の思考の範囲内からは出られないからだ。
真摯に道を模索する姿を見れば、手を差し伸べる協力者も現れる。
きっと、世界が変わるような明るい手がかりを引き寄せられるはずだ。
どうしても力が湧かないならば——暫くもがくのをやめて、穴の底でゴロンと横になり、しばし疲れを癒すのもいい。
でも——疲れが癒えたと思ったら、ゆっくり立ち上がりたい。
寝そべったまま全てを投げ出してしまう前に、何かもっといいやり方が必ずあるはずだ。
転んでも、穴に落ちても——ゆっくりでいいから、自分で起きる。自分の力で立ち上がる。
格好悪くていい。もがいて騒いで、助けを求めていい。
自分を救うために、自分で何かしらの行動を起こすこと。
きっとそれが、自分自身を明るい場所へ連れて行く唯一の方法だ。
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