何気ない時間
夕空を仰ぐサーファー春の海
「春の海」は、春の季語。
波の荒かった冷たい冬の海は、春になると凪いで穏やかな表情を見せる。麗らかな日差しを受けて、その色も明るく、生命の満ちる気配が漂う。
先日、実家の近くの海を見てきた。九十九里の海だ。
薄曇りで日差しも弱く、肌寒い夕方だったが、何人ものサーファーが波間に漂っている。
少し強い風に吹かれながら、堤防を歩く。
目の前に広がる淡くきらめく海と、雲の奥に鈍く光る太陽を眺めた。
サーファーたちの小さな姿をしばらく見ていると、なかなかうまく波に乗っている。
厚い上着を着込んで腕組みなどしながら、その様子を見るだけの私たちにはわからない楽しみが、そこにはあるんだろう——そんなことを思うと、少し羨ましい。
そのうち、他にすることもなくなり——何ということもないその空と海の風景を、スマホに数枚納めた。
数日後、スマホの写真データを見ていると、その時の海が出てきた。
何をしたわけでもない、ほぼ暇つぶしのような時間だったから、それを撮ったことすら忘れていたが——
改めて見るその写真は、あの何気ない海辺の風景を懐かしく蘇らせた。
夕方の、淡いオレンジから紫へ移り変わるような空のグラデーション。
全てのものが次第に影と同化していく中、浜に打ち寄せる水面だけが、夕日を反射して輝く。
少し荒く鳴っていた波の音。
浜辺の大きな風景を切り取った写真の隅に、ボードを抱えたサーファーの影が一つ、写り込んでいる。
少し俯いて……でもどこか満ち足りたような、小さな姿。
あんなに、何でもないはずの時間が——こんなにも懐かしく、愛おしいものになって、瞼に戻ってくる。
忘れかけていたこの数枚の写真には、そんなかけがえのないものが詰まっていた。
何気ない瞬間に、幸せを感じる。そんな瞬間こそを、愛おしく思う。
人間の心は、割とそんなふうにできているのかもしれない。
そこにあるのは、美しい絶景でも、特別な人物でもない。
本当になんでもない場面だからこそありありと蘇ってくる、その時に感じていた思い。愛おしさや、懐かしさ。
写真に限ったことではなく——
何の変哲もない時間こそが——時を経るほどに私たちの心の中で輝き、温もりを失わない宝物になるのかもしれない。
こうして過ごしている、ごく平凡な毎日。
あの日の海のように——この一瞬一瞬も、できるだけたくさん切り取って、何らかの形に留めておきたい。
かけがえのない時間たちを、何度も振り返れるように。
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