そばにいてほしい人


 さらさらと闇遠ざけて夏至の空



 夏至は、二十四気の一つ。陽暦6月21日ごろにあたる。2017年の夏至も、6月21日である。

 北半球では昼間が最も長い日だが、日本は梅雨の最中であり、その日の長さを味わえないことも多い。

「夏至」は、夏の季語。




 今日は、夏至だ。

 あいにくの悪天候ではあるが。


 最近、どんどん日が長くなる喜びを身体のどこかで感じていた気がする。

 今日を境に、昼がまた夜に侵食されていくと思うと、少し寂しい気持ちにもなる。



 夏の空。

 夕方、いつまでも緩やかに明るい空。


 夜を遠ざけるように——私たちを、闇からさり気なく逃すかのように。



 それは、形も音も持たず、気づかないほどに密やかだけれど——

 闇に怯える私たちの心を支え、力強く前に向けてくれる。



 遠ざかることなく——いつまでも、そばにいてほしい。

 夏は、そんな季節だ。






 そばにいたい人。

 そばにいてほしい人。


 そういう人がいる。



 離れがたい強さで、気持ちを掴まれる。

 そういう何かを持っている人がいる。



 どうやら、容姿やお金ではない。

 惹かれる人に共通する、目に見える特徴というものも見つからない。



 ならば、一体何に惹きつけられるのか。

 


 考えてみる。



 例えば——

 私が惹きつけられてやまない人の一人。


 私が風邪を引いたりした時にかかる、小さな内科。

 そこのおじさん先生。


 彼は、背が低い。

 丸顔でちょび髭で、頭もつるっと薄くて丸い。

 メガネも丸い。

 ——少なくとも、人目を引く魅力的な容姿ではない。


 声の調子も、どことなくぶっきらぼうで、無愛想だ。



 ——それでも、彼からはいつも、心を掴むたまらない魅力が溢れている。


 ……どこで、なぜそう感じるのだろう。



 ——診断結果の説明の細やかさ。

 患者の不安な気持ちを考えた穏やかな話し方、言葉の選び方。

 ちょっとした笑いを挟む場所の優しさ、センスの良さ。


 恐らく、そんな部分だ。

 決して目立ちはしないけれど……何よりも、大切な部分だ。



 先生の机の周囲の壁には、診察を受けた子供たちの「せんせいへ」という微笑ましい似顔絵や手紙が、いくつも貼られている。



 小児科もやっているその病院は、子供の急な体調不良に極力対応できるよう、お盆の時期には休診をしない。

 毎年8月の終わり、どの病院も通常診療に戻った頃に、ひっそりと休みになる。



 その先生のところへ、診察ではなく、お茶菓子を持っておしゃべりに行きたい。

 時々本気で、そんなことを思う。




 飾り付けた言葉などではない。

 見栄えのいい行動でもない。


 はっきりと形や音になってはいなくても。

 そこにあるのは——その人から滲み出るように、周囲の人へ発信している、何か。

 自分自身のことなど眼中にないかのように、関わり合う相手のことを思う、温もりのある思い。


 目には見えないのに——その人から溢れ出ていることをはっきりと感じる、不思議なもの。




 仕方なく、渋々——ではなく。

 スタンドプレーでも格好をつけるのでもなく。


 ただ、相手のことを思う。



 そんな難しいことを、当たり前のように。

 自分の生き方として、そうできる人。




 外見や表面的な条件、年齢や性別——そんなものに、一切関わりなく。

 なんとも言えない不思議な力で、人の心を惹きつけて離さない。

 そばにいてほしい人。

 どれだけ年を経ても、暖かく心に残り続ける人。



 ——そういう人の秘密は、そこにあるのかもしれない。





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