AIと創造


 イヤホンの奥の潮風夏のはて



「夏の果」は、夏の季語。夏の終わりを名残惜しく思う心情を表す。

 立秋(2020年の立秋は8月7日)以降は、俳句に於いても秋の季語を詠むが、実際にはまだこの季語の似つかわしい時期だと感じ、この句を詠んだ。




 今年の夏は、本当に何もない夏だった。

 祭も、海も。夏らしいイベントは全てなくなり、夏を楽しもうという気力すら大きく削がれた、あまりにも寂しい夏だった。



 気づけば、そんな深い虚しさを癒してくれる音を探している。



 イヤホンから脳へ。

 今日も、どっぷりと浸るほどに音を満たす。



 窓から海鳴りの音が流れ込んでくるような、静かな和音。

 やがてそれは幾重にも重い音を重ね、巨大な波の威力を圧倒的に伝えてくる。

 そして、深い海から岸辺へ上がった後のように潮の匂いを運ぶ、穏やかな旋律。


 作曲家がその思いを余すところなく詰め込み、できる限りの音を使って表現した「海」が、目の前に広がる。

 耳の奥から脳に立ち上がるその映像は、どこにも行けずに小さく座り込んだ私を、深く輝く海へと誘う。



 人間の想像力と、創造力。


 情熱を込めて何かを思い描き、創り出す喜び。

 その情熱を全身で受け止める喜び。

 それらのものに打ち震える高揚は、生きている喜びを感じるために欠かせない要素なのだと。

 こんなどん底の時間にいるからこそ、痛いほどに感じる。






 AIによる創作物が、人気を集めているらしい。


 小説、音楽、芸術。分野を限らず人工知能はその能力を発揮し、最近はAIの描いた絵画が高額で買い取られることもあるそうだ。



 そんなAIの飛躍的な進歩は、他でもなく研究者達の飽くなき探求心の賜物なのだろう。



 ——しかし。

 AIを創作の分野に踏み込ませることは、そもそもどういう意味を持つのだろう。

「創作する欲求」を持たない人工知能に、レベルの高い作品を作らせる。そのことに、一体どれだけの意味があるのだろうか。




 創作物というのは、「必要に迫られて」生み出されるものではない。

 音楽や芸術作品、文芸作品。そのどれも、「それがなければ命を維持できない」という性質のものではない。

 それらがもし一切存在しないとしても、人間は大きな支障なく生きることができる。


 けれど、それらが人間と切り離せない位置にあるのは、なぜか。


 それは、それらの作品を生み出す過程にある「創造する喜び」が、人間の心を強烈に突き動かすからではないだろうか。

 創造するために作り手が発する、凄まじい熱量。

 そして、創作する際に注がれたその熱量が、受け取る側の心をも強烈に揺さぶる。

 そこに行き交う「情熱」こそが、創作物の存在する意味なのではないかという気がする。



 優れたクリエイター達のスキルをインプットし、それを繋ぎ合わせるように作品を作るAI。

 そういう技術によってどんな優れた作品を生み出したとしても、AIが作ったものは「創造物」ではなく、単なる「製品」でしかないのではないか。

 そこに「情熱」が通わない限り。



 そう考えると、AIを創作の分野で活用する、というのは、甚だしく不自然で滑稽なことに思えてならない。



 もともと創作の欲求を持たないAIに、クリエイター達の卓越した作品を真似たものを「製造」させ、やがてそれが生身の人間の創作物を超えていくとすれば——そこに生まれる意味とは、一体何だろう。

 出来上がったものは、隙のない質の高さを誇るのかもしれないが——「情熱」の一切通わないそれは、果たして、「面白い」だろうか?

 そうして完成した「優れた製品」を鑑賞して、人間は果たして本当の満足を得られるのだろうか。


 制作の過程で、創った者の想いや汗、魂のようなものが込められていないならば、それはただの文字の羅列であり、無意味な音であり、物体だ。

 それに心を揺さぶられてしまうとすれば——私達は、AIの作る「偽物」に、まんまと騙されている。

 私にはそんな気がしてならない。



 仮に、AIの「高品質」な作品が人気を博する時代が来るとすれば。

 作品が売れることで得をするのは、いったい誰か。

 それは、そのAIの開発者と、作品の販売元だけだ。

 つまり、ごく一部の「創作とは無縁」の人間たちが、金銭的に大きく儲ける。

 AIによる作品が存在する意味は、ただそれだけだ。

 創造する喜びなどは、「不要のもの」として一切端折られる。



 ハイレベルな作品を製造することでただ機械的に金を生むだけのAIたちに人気を掻っ攫われ、自分の創作物の無意味さを見せつけられる人間とは、一体何なのか。


 そこまでAIに屈し、踏みにじられていいのか。

 ——そういう事態を、許していいのだろうか。



 情熱を注いで創作に打ち込む喜び。

 作者の込めたその魂に触れ、心を震わす喜び。

 そんな人間の根源的な喜びを、AIはあまりにも安易に乗っ取ろうとしている気がしてならない。



 人件費削減。効率化。そういうものを追求すれば、人間を雇うより明らかに有益であるAI。

 利益の追求をやめられない、利益追求にしか興味のない人間。そういう逃れがたい思考回路を優先した結果、人間から「働く喜び」を奪おうとしているAI。

 人間自身が生み出し、発達させ、とうとう人間界の侵略を始めたAIに、人間は「創造の喜び」すらも奪われてしまうのだろうか。



 人間の生きる意味や喜びを、これ以上奪わないでくれ。

 人間の世界にズカズカと踏み込み人間の幸せを次々と奪っていくAIと、その生みの親である人間達に向けて、心からそう叫びたい。





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