穏やかな場所


 そよぐもの動かざるもの春の墓



 俳句の上での「春」は、二十四節気の「立春」から「立夏」の前日(2017年の立春は2月4日、立夏は5月5日)までの期間を指す。太陽暦の上ではほぼ2〜4月に当たる。

 寒さが少しずつ過ぎ去り、柔らかな陽射しが巡ってくる季節だ。






 墓地は、いつも静かな場所だ。

 瑞々しい花が手向けられ、水の気配がして、線香の心静まる香りが漂う。



 今は、墓地にも色々な種類がある。

 屋内に作られ、現代的な扉や照明がつき、お参りもスマートに行えるような霊園もあるようだ。


 その形はどう変わっても——花を供え、墓前で静かに手を合わせる者の思いは、永遠に変わることはないだろう。




 墓地には、幽霊といったこの世のものではない不気味さを連想することも多い。


 しかし——私は、それは違うような気がする。




 墓地は、人生の全てのことを終えた人々が眠る場所だ。

 そこは、痛みも苦しみもすでに過ぎ去った人が、静かに、永く眠るために行き着く場所。



 陽射しが注ぎ、木々の葉が風に鳴り、鳥の声が響く。


 どんな嵐が訪れても——そこに眠る人々には、もう何の苦しみも起こらない。



 墓地にあるのは、そんな静けさと穏やかさだ。





 もしも、人間の恨みや憎しみが姿形を得て彷徨う場所が、本当にあるとしたら——

 そこは恐らく、生きている人間の住む場所だ。


 自分自身の利益しか頭になく。人を陥れ、嘲笑い——

 そんな、目を背けたくなるような泥沼が渦巻いているのは、私たち人間がひしめいて生きる、この街だ。


 残酷な記憶を、死後さえも忘れることのできない人が、仮にいたならば——

 その思いは、墓地ではなく——生きながら苦しみもがかなければならなかった、その場所を彷徨うだろう。



 死後にすら手放すことのできない苦しみ。

 そのようなものがあるのか——

 それはきっと、誰にもわからない。



 生きている間の全てのことは、一切洗い流され——真っ白な無に還る。

 そうであればと、心から願う。





 そして、きっと——

 墓地は、恐れを抱く場所ではない。



 むしろ、この世界のどこよりも、穏やかで安らかな場所なのではないか——




 早春の墓地で、静かな風に吹かれ——そんなことを思う。









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