男の子の声


 子らの歌余韻消えゆく春の雪



 春の雪は、冬の雪と違って溶けやすく、降るそばから消えて積もることがないため、淡雪ともいう。だが、時に春の大雪がもたらされることもある。

「春の雪」は、春の季語。




 早春は、子供たちの合唱がよく聞かれる季節だ。

 別れの会、卒業式など……そこには淡い寂しさと切なさが混じり合う。

 ピアノの伴奏と併せて体育館などに反響するその音は、この季節ならではの感慨を伴い、否応なく胸を揺さぶる。


 澄み切った声で歌う子供たちの合唱。

 ひたすらに心を込めて放つ歌声は——聴くものの胸にひしひしと迫る。

 透明でまっすぐな感情が、とめどなく溢れてくる。


 それは体育館の広い空間を震わせ、美しい余韻を引いて消えていく。



 最後の一音が消えていく瞬間まで——その声は、深く心を揺さぶる。






 濁りのない透明感を持った、子供の声。

 それはまるで澄んだ水のように、ストレスを感じさせずに耳へ滑り込んでくる。


 そこには、単に声帯の状態だけでなく、心の姿も反映されている気がする。


 純粋で、無邪気で。

 嘘やごまかし、建前や本音、表と裏——そのようなものを、まだ知らない心。

 悪いものを悪いと感じ、ひたすら真っ直ぐに歩もうとする、その心。



 その心が発する声。

 不純物の混じらない美しさを湛えているのは当然であり——同時にそれは、その時期にしか持ち得ない美しさだとも言える。

 



 成長に伴い、女性は気づかないうちに、少しずつ声を変えていく。

 しかし——男性は、そうやって付き合ってきた声と、ある日訣別しなければならない。





 ジブリ作品「耳をすませば」の天沢聖司の声を演じたのは、俳優の高橋一生だという。

 最近そのことを知り、驚いた。その声からは、彼の顔は全く想像できなかったからだ。

 それもそのはず。聖司の声は、彼の変声期直前の声なのだそうだ。



 男性は、変声期を境に、これほど全く違う声を使うようになる。


 そして——聖司のあの声は、もうどこにも存在しない。





 男の子の声は——一体どこへ行くのだろう。



 この世に生まれ、泣き、やがて言葉を話し——親を呼び、友の名を覚え。

 心を声にして伝えることを学ぶ。

 人生の中で最も大切な時代に自分自身を形作った、愛おしい響き。



 それなのに——

 その声はどうして、ある時すっぱりと、持ち主から綺麗に奪われてしまうのだろう。

 確かにあったはずのその声は——なぜその片鱗すら残さず、消えてしまうのだろう。




 少しずつ変わっていくか、それとも急に変わってしまうのか。

 ——男女の違いは、それだけのはずなのだが。




 男の子がある日手放さなければならない、無垢に澄んだ声。


 時が来れば、春の雪のように消えてしまうその声が——無性に切なく響く。






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