温かい挨拶
挨拶の笑みの深さに
「春日」は「春の日」の傍題。
「春の日」は、春の日光と一日を指す場合がある。前者は明るく暖かい春の日差し、後者はのどかで長い一日を表現する。
「春日」は、春の季語。
春の日差しの特徴は、その柔らかな陰影にある気がする。
光と陰のコントラストが、何とも淡く優しい。
光の当たる部分は、柔らかく輝くように——その陰になる部分も、穏やかな陰の色に。
光の部分と陰の部分の境界が、その対象の質感を細やかに伝えてくる。
光と、陰。
それは、対極にあるものではなく——分離し難い一体。
そして、春の光は、それらを心地よく調和させる軽やかさと静謐を持ち合わせている気がする。
先日外出した際、道ですれ違ったある女性に「こんにちは」と挨拶された。
とても丁寧な笑みの、心のこもった挨拶だ。
春の日差しを受けた、柔らかく美しい笑顔。
その笑顔が嬉しく、私も思わず大きく微笑んで挨拶をする。
無条件に、温かく幸せな気持ちに包まれた。
そんな思いの中で、考える。
——今のは、誰だったろう。
顔は覚えているのだが。
そういえば、だいぶ前に挨拶程度の会話をした、近くに住む奥さん——だったような気がする。
私の方はこんなふうに定かな記憶も薄らいでしまったのに——彼女は私に、温かな挨拶をして行き過ぎた。
もし彼女が私に声をかけなければ、私は当然のように他人顔で彼女の横を通り過ぎたはずだ。
自分の閉ざした心がはっきり見えた気がして、チクリと悔やまれる。
いい挨拶は、私の中でとても大切な位置を占めている。
そうありたい、と思うものの中で最も上にあるものの一つが、気持ちの良い挨拶のできる心を持つこと。
それは、強く輝く憧れにも似ている。
そうして強く憧れながらも——挨拶というのは、とても難しい。
声をかけて、もしも何も返されなかったら。素っ気なく無視されたら——そんなひんやりとした気まずさを、どうしても咄嗟に考えてしまう。
しかも、すれ違う瞬間というのは、本当に一瞬だ。そのチャンスが通り過ぎてしまえば、もう追いかけて呼び止めることもできない。
微かな躊躇いに足を取られ、目標にはなかなか近づけないままの自分自身を思い知らされることもしばしばだ。
恐らく——あの女性は、たとえわずかな関わりだったとしても、出会ったすべての人に心のこもった挨拶をできる人なのだろう。
キラキラするような笑顔で。はっきりと聞き取れる温かい声で。
その行為は、相手の心にはもちろん、自分自身にもたくさんの幸せをもたらしていることだろう。
きっと彼女の周りは、いつも温かな何かで包まれている。
疑う余地なく、素直にそう思える。
あの女性が、羨ましく思えた。
ごく自然に、周囲のものに対してそういう接し方のできる、その柔らかな心が。
あの人の心に、自分もなりたい。——そう強烈に思った。
相手が誰だとか、どのくらい親しいとか——そういう理由づけは、きっと必要ない。
相手が自分をはっきり記憶しているかどうかも、恐らく関係ない。
見覚えのある顔。心を交わし合った記憶のある顔。
そんな顔に出会ったら、何も考えずにとびきりの挨拶をしたらいい。
それは間違いなく、相手と自分自身の心を、無条件に温める。
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