恋と愛の関係


 夫婦めおとてふ味の酒あり春の宵



「春の宵」は、夕暮れの後、夜がまだ更けないころを指す。明るく艶めいた空気の中に、そこはかとない感傷を伴う。

 春の季語。




 春の宵。


 小さな明かりを灯した居間で、夫婦二人きり、静かに酒を酌み交わす。



 長年連れ添ってきた。

 喧嘩もした。

 様々な出来事に一緒に向き合い、悩み、笑った。



 小さかった子供達も、皆巣立った。



 今は、こうして向き合って座っても——

 互いに、目新しい言葉を探す必要もない。



 互いが側にいることを、ただ静かに感じ合う。


 それが、今の二人の時間の過ごし方だ。






 恋と、愛。

「恋愛」という言葉に、誰もがときめくように……それは一見、とても近い関係にある。


 何となく考えると……

 最初に恋心が芽生え、それがやがて、愛に育つ。

 そんな過程を経るような気がする。


 恋は、自分自身の相手への想いを満たしたい、という強烈な欲求。

 愛は、相手を幸せにしたいと願う気持ち。

 お互いへの恋心が満たされる幸福感を経て、相手の幸せを願う境地に行き着く……というひとつの道筋が、そこにあるのかもしれない。



 けれど……

 恋心は、愛へ行き着くまでに必ずなければならないものだろうか。


 ……そうとは言い切れない。

 そんな気がする。




 相手への愛情が生まれる原因のひとつに、その相手から「深く愛されること」があると思う。

 深く愛されることで、愛してくれるその人への愛情が生まれる。

 そして、そのまま長く、深く愛されるならば……やがて確かな愛情が、そこに育つ。

 ——例えそこに、相手に焦がれる思いが存在しないとしても。




 日本には、お見合い結婚、という伝統的な方法がある。

 互いの親や知り合いから紹介された初対面の相手ととりあえず数度会ってみて、波長やフィーリング、その他の諸事情等に特に問題がなければ、その段階で結婚を決める方法だ。


 お互い、それは正式に成り立つ方法の一つだと理解しているから、違和感なく受け入れるものの……もしもそんな方法が文化としてなかったら、それアリか!?と仰天するような、ある意味理解し難い手段かもしれない。


 その驚きを呼び起こす大きな原因のひとつは……

 知り合って間もない異性と、惹かれ合うという感情をさほど重要視せずに身体の関係を持つことになる……その部分ではないだろうか。



 まだよく知りもしない相手と、自分を全て明け渡すに等しい行為をする。

 どう扱われるか、どう触れられるのか……そんなことは、見当すらつかないまま。

 ——そこには、なかなかに大きな恐怖感が存在するような気がしてならない。



 だが……

 成人すれば、人は結婚するもの。そして結婚すれば、子供を産むのは当然。

 ——古い暗黙の決まり事に従うように、焦がれるような思いの仲介を経ずに淡々と子を為すための行為を行う……そういう難しい状況をも、人は受け入れることができる。



 かつては、この方法で結ばれた夫婦がたくさんいた。

 そして、多くは幸せな生活をしっかりと築き、素敵な老夫婦になっていたりする。

 結婚し、愛情を育て、家庭を築くとは、こういうものだ。……そんな感覚が古くから存在するからこそ、受け入れられ、成り立ってきた方法ではあるのかもしれない。



 けれど……

 よく考えれば、とても不思議だ。


 熱烈な恋に落ち、心も身体も互いに求め合い、募る想いを叶えたはずなのに、そこから先の愛を育てられない二人もいれば……顔も知らずに会い、不都合がないという理由だけで結ばれ、末永い幸せを手に入れる二人もいる。



 つまり——

 こういうことが、言えないだろうか。


 愛を育てる時に、恋心は、必ずしも必要ではない。

 言い換えるなら……

 もしも、最初の段階で相手の恋心は得られていないとしても——誠実な愛情を相手へ注ぎ続けるならば、やがては相手の愛を得ることができるかもしれない……ということだ。



 それほどに愛したい相手が見つかった人は、それだけで幸せであり……それほどに愛されるその人もまた、この上なく幸せだ。




 恋を経ない愛。

 それは、とても興味深く——単純に型にはめて説明することのできない、奥深いものである気がする。





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