性別の差別
春雷を生みたる雲を探しけり
「春雷」は、春に鳴る雷のこと。
夏の雷とは違って激しくはなく、一つ二つ響いて鳴り止むことが多い。
「春雷」は、春の季語。
春。
遠くの空で、雷が鳴る。
新たな生命の動きを感じさせる、静かに潤いの満ちたその音。
けれど——
その昏い雲の中で何が起こっているのか、私たちは知らない。
何もないはずの空気に轟音を発生させるそのエネルギーが、どれだけ激しい勢いで雲の中を動き、渦巻いているのか。
そこに起こっているドラマを、私たちは知らない。
私たちの気付かぬ場所で、形のないものが激しく渦を巻き——抑えようもない力で新たなものが生まれ、溢れ出す。
その痛み、苦しみを——私たちは、もっと深く知っていてもいい。
どんな理由でも、特定の子を仲間はずれにするのは、やめよう。
誰かの陰口を言うのは、やめよう。
誰もが、幼稚園など集団行動が始まるごく初期に学び、当たり前のこととして心に刻んでいることだ。
でも——人は時に、それをすっかり忘れてしまうことがある。
男と女がペアになれば、二人の間に子供が生まれる可能性が生ずる。
ただ、それだけだ。
——それだけでしょう?
たったそれだけのことに、なぜ人間は「男女ペア」にこれほどまでに固執するのだろう。
その固執ぶりは、むしろおかしみさえある。
同性のペアは、受け入れ難い。そういう思いを抱く人を、批判するわけではない。
世の中には、さまざまな考え方が存在するからだ。
けれど——その思いは、表面化させなくてもいいはずだ。
「自分には理解し難いことだが」と、それぞれの心の奥でそっと呟くだけで済むはずだ。
例えば。
白い帽子の集団の中に混じった赤い帽子の子が、仲間外れにされ、いじめられているとしたら……あなたは、どう思うだろうか。
そんな理不尽な差別は間違っている、と、その集団を即座に非難するはずだ。
けれど——
「男女ペア以外は受け入れられない」、と声に出す姿勢は、それと全く同じではないかと思う。
それは、白い帽子の中に混じった赤い帽子の子を、理由もなく「あいつ変だぞ」と声に出して攻撃することと、全く変わらない。
赤い帽子の子は、何も悪いことはしていない。危害を加えるのでも、周囲に迷惑をかけるのでもない。
ただ、「帽子が赤い」それだけなのに。
——いや。
帽子の色の差別よりも、もっとたちが悪い。
その人の胸に灯った「愛情」を否定し、蔑む。
それは、その人にとっての「宝物」を蔑む行為に等しい。
愛という、何にも代えられない宝物を、「あいつの宝物はみんなと違う。おかしいし、気持ち悪い」と指を差されたとしたら——自分自身が、そういう立場に立たされたとしたら。
一体、どう感じるのか。
誰かにとってのかけがえのない愛情を、自分が理解できないからと貶し、蔑む権利は、誰にもない。
他人の気持ちを推し量る。
とてもシンプルだが、これができない。
そして、これができないことを周囲は黙認し、ともすれば流され、同調さえする。社会は、そんな方向へいつも力なく流れるばかり。
——そんな気がしてならない。
自分の幸せを大切に思うのと同じ気持ちで、他人の幸せを静かに見守る。
せめてこれくらいのことは、できなければいけないのではないだろうか。
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