つまみ食い
茄子揚げて水と油の美味を成す
「茄子」は、ナス科の一年草。実は紫紺や紫黒のものがある。煮付け、汁物、油炒め、漬物等、その用途は広い。
「茄子」は、夏の季語。
ナスは、夏野菜の代表とも言えるだろう。
油ととても相性が良く、ナスの揚げ浸しやからりと揚げた天ぷらなどは、夏の最高の味わいではないだろうか。
その成分は、約94%が水分だという。本来ならば相性の悪い「水と油」の組み合わせのはずなのだが——これほどに幸せな美味を生み出すのだから、水と油もあながち不仲だとは言えないんじゃないだろうか。
そんな奇妙なことを思いながら、ナスの天ぷらを揚げる夏の夕べである。
子供の頃、できたての天ぷらをつまみ食いするのが大好きだった。
母に見つかり、「一つだけよ!」と固く言い渡され、「えへへっ」とか言いながら口に運ぶ、サクサク熱々の美味しさ。
この幸せは、どれだけ時間が経っても忘れられない。
つまみ食いで口に入れるものは、とにかく美味しい。
そう感じる人は、少なくないのではないだろうか。
キッチンで母の目を盗みつつ、指でちょいっとつまんでパクリと頬張る。
「こら、行儀悪い!」と小言を言われながら、その出来立ての美味しさを存分に味わう。
それは、食卓で綺麗にお皿に並んだものを行儀よく箸で食べるよりも、なぜか遥かに美味だ。
つまみ食いの美味しさ。
どうして、こんなにも特別な味わいがあるのだろう。
あれこれ考えて、ふと思い至った。
それは、つまみ食いが、「本当はしてはいけないこと」だからではないだろうか。
本当は、やってはいけないこと。
見つかったら、きっと注意され、
もしかしたら失敗するかも、咎められるかも——そんな危険に手を伸ばす、ちょっとしたスリル。
そういう状況をかいくぐって目的のものを手に入れた喜び、得難いそれを味わう幸せ。
そこには、無意識にそんな心理が働くのかもしれない。
その味には、自ずとたまらない旨味が加わる。
そう考えてみると、それはつまみ食い以外にも、日常のいろいろなことに当てはまるかもしれない。
例えば——
目覚ましが鳴ってから、あと3分間枕に頭を戻す幸せ。
健康や美容を気にしつつも、「今日だけ!」と思いながら口にする揚げ物や酒、スイーツの美味しさ。
恋人のいる異性、家庭のある異性——許されないはずの相手に、抑え難くときめく恋心の甘さ。
これは、人間の
得難いから、ますます欲しい。
その危うさを知っているから、一層手を伸ばしたくなる。
「本当はいけないもの」を手に入れた時の幸せは、たまらなく甘美だ。
人間の心とは、なんとも天邪鬼なものだ。
ただ——
それに手を伸ばすなら、万一失敗した時の先に待っているものも、ちゃんと見定めていなければならないだろう。
3分のつもりが、うっかり1時間も寝過ごした。
「今日だけ」がつい連日になり、その結果が正直に体に現れた。
奪った裏には「奪われた側」がいること。愛おしい相手を奪われるその悲しみは計り知れないということ。
自分達の行いによりその人たちへ与えた不幸を、その後一生背負い、償わなければならなくなるとしたら——
もしも、そういう事態に陥った時。
「自分は後悔しない」と、果たして言い切れるだろうか。
おかずをつまんで、母親に「ダメよ!」と小言を受ける程度なら、それは純粋に幸せの範疇だ。
だが——
「本当はいけないこと」にも、ことの大きさ、深刻さの度合いがある。
そして人間は、「それはダメだ」と思えば思うほど強く惹きつけられ、僅かな隙間から漏れ出すその甘美な味に吸い寄せられるように手を伸ばしてしまう生き物だ。
その部分は、心しておくべきなのかもしれない。
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