野良猫と幸せ
自らに満たされている猫の秋
俳句の上では、「秋」は立秋(2016年は8月7日)〜立冬(2016年は11月7日)の前日まで。この期間は秋の季語を詠む。
家の庭に、ガーデン用の白い椅子がある。
毎日我が家の庭へ
その様子を、さっきからずっと見ている。
彼(オス)は、毛繕いが非常にマメだ。
去年の春に生まれた、育ち盛りの若者である。模様は白黒。
他のどこかの家でも餌をもらっているのだろう。健康的な肉付きで、毛並みにもつやがある。
そんなきちんとした見かけと裏腹に、ちょっと、というかかなりの天然ボケキャラだ。
いくら追い返されても、すっかり忘れたように数時間後には戻ってくる。
そして、警戒や恨みを湛えたことのない無邪気な瞳で、いつでも足元にすり寄って来る。
去年の春、母親に連れられて庭へやってきたまだ赤ちゃんの彼に、時々ミルクを与えた。ここへ毎日来る原因はそれだろう。
身のこなしも、いつまでたってもどこか子どもっぽく、小さな子猫が身体を弾ませるようにぴょこぴょこと走る。なんだか憎めないヤツなのだ。
そんなおっとりとしてどこか抜けたキャラのせいか、近くに縄張りを持つ身体の大きなオスに時々ケンカを売られ、よくフェンスの上で震えている。
その彼が、白い椅子の上で、さっきからずっと毛繕いをしている。
毛繕いついでに、空に手をピンと伸ばし、仰向けになってごろんごろん左右に転がる。そのまま手が触れた肘掛けを掴み、ガシガシと戯れ付く。あまり暴れるから、椅子から頭が落ちそうだ。もはや意味不明である。
——それが、何とも幸せそうなのだ。
潤沢な餌もない。ともすれば追い払われる。大きなオスにケンカを売られる。
充分な幸せを誰かから与えられることなんて、ほとんどないはずだ。
なのに——
彼は幸せそうだ。
何の疑いも持たず、彼は椅子の上にいる心地よさに満たされている。
その幸せは——明らかに、彼自身が創り出している。
彼が、彼自身の心を満たしている。
自分自身に満たされるほど、心穏やかで幸せなことはないだろう。
他の何も必要とせず——自分の存在そのものが、自分を安らがせてくれるのだから。
自分で、自分の中に幸せを生む——それは結局、「自分はこれでいい」という思いに満たされる幸福感なのかもしれない。
そんなことを、天然キャラの野良猫に教わっている私である。
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