キス


 春雨に倦みて二度目のキスをする



「春雨」は、春の季語。

 春雨には、静かで艶なもの、しっとりと情のこまやかなものという雰囲気が漂う。春ならではの、柔らかな艶やかさである。




 

 キスは、とても不思議な行為だと思う。

 なぜ、好きだと思う相手と唇を合わせるのか?



 動物には、信頼の証明や、親愛の情を伝える手段として、口と口で接する行動が多くみられるそうだ。

 親から子への餌の口移しの行為や、猿の仲直りの時の行為など。


 しかし、それが人間の愛情表現に結びついた理由は、明確には説明できないという。


 そんな曖昧さのあるせいだろうか。

 キスがどれだけの重みを持つかは、文化によって大きく異なる。キスという習慣のない国も多いという。


 また、お互いの抱く「気持ち」のあり方でも、その意味は全く異なってくる。



 私たちの身の回りにあるキスを見るだけでも、それはとても面白い。


 例えば——極端な例は、芸人などが「持ちネタ」として行うキスだ。

 これは、あくまで「仕事」の一環である。

 そして……芸人に限らず、仕事としてのキスは、少なからず存在する。

 誰といくら交わしても、そこには何も生じず——愛や恋といった感情とは、ほぼ無関係だ。


 または、幼い頃にふざけ半分でしちゃったようなキス。

 これも、単純な戯れや遊びの一部だったはずだ。


 それらのキスは、したからといって特に深い意味は生じない。

 どれほどの想いがそこにあったかは、交わした当事者にしかわからないことなのだが……

 その二人の世界が大きく変わるほどの力は、まず持っていないはずだ。



 お互いが、深く想い合う。

 そう簡単には触れてはいけないという思いを抱きつつ、触れ合わずにはいられない。

 そういう感情が伴って初めて、キスは最大の意味を持つ。

 その条件が整った途端——キスという境目は、一度越えたら戻れない「一線」へと変貌する。


 なんという違いの大きさだろう。

 何度しても、何の変化も起きないキスがある一方で——元の場所へは戻れないという覚悟を抱かせるほどに、かけがえのない大切な思いを交わし合うキスがある。


 その違いは——それを交わすふたりの「感情」だけなのだ。




 そして——

 互いの想いを確かめるためにキスをする二人は、この上なく美しい。


 当然、鼻が邪魔だから——お互い、鼻がぶつからないように顔を少し傾け合う。

 そうして交差する顔の微妙な角度と、静かに閉じられた瞼。

 それらが、限りなく優しく近づき——唇が柔らかく重なり合う。

 繊細に触れ合うその感触を、一瞬も逃さず味わい、確かめ合うように。


 人間同士が行う行為で、これ以上に想いの溢れる美しい瞬間は他にはない。

 ——私は、そう感じる。




 キスを交わす。

 それをするふたりの「感情」次第で、0から100へ意味合いが変化する——これほど不思議で、魅惑的な行為は、他にはないのではないだろうか。








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