情報化
渾身の「あ」の一画目入学子
「入学子」は、「入学」の傍題。春の季語。
小学校から大学、専門学校等の入学式は概ね四月上旬に行なわれる。特に、真新しい服と大きなランドセルで小学校の門をくぐる新入生の姿は、ひときわ新鮮で印象深い。
四月。明るいスタートの季節だ。
小学校へ入学したばかりの日のそわそわと落ち着かない心を、今も覚えている。
新しい教室、新しい友や先生の顔。
新しい紙の匂いのする教科書やノート。
まだどれも同じ高さの、綺麗に削った鉛筆。
入学して、まず最初に習うものは、五十音の最初の文字である「あ」だろう。
全てが輝くような春の教室で、新入生は皆一心に鉛筆を握り、全力で「あ」を一文字一文字綴っていく。
人生になくてはならない文字との長い付き合いが、ここから始まる。
ロゼッタ・ストーン。1799年、エジプトのロゼッタで発掘された石版だ。
紀元前196年のプトレマイオス5世による勅令を、古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字、ギリシア文字という3種の文字で記した石碑の一部である。
その石碑の発見により、ヒエログリフが解読され、やがて他のエジプト語の翻訳にもつながっていった。
この貴重な「文献」の大きな長所は、石という硬く丈夫な素材に、消えないようしっかりと文字が刻まれていた点ではないだろうか。
何百年、何千年という時を経過しても消えずに残り、後世の研究者が誰でもダイレクトに目にすることができる——そんな、この上なく原始的でシンプルな伝達手段が用いられていたことは、ここでとても大きな意味を持ったのではないかと思う。
現在、情報化が著しいスピードで進んでいる。
ペーパーレス化、という言葉も既に耳に馴染んだ言葉だ。
だが、紙に記録し、紙で保存するのが当たり前な時代を過ごしてきた私などには、この「情報化」は、どこか頼りなく、心許ないものに思える。
データは、すべて情報機器の中だ。または、USBやSDなど様々な記憶媒体の中に詰め込まれる。
現物を手に取り、確認できるという状況には置かれていない。
コンピュータを通して情報を開ける、というワンクッションは、いつ、どんな時代でも誰にでも確認できる、というイメージからは非常に遠い。
仮に——コンピュータが破壊された、媒体が破壊された……そんな事態が起これば、その中の情報は再生が不可能になる。
パスワードなどが設定されていれば、パスワードが失われることでその情報にはカギがかかったままになる。
もしも、どんな手段でも取り出せなくなったら——その情報は、もはや永久に失われたのと同じことだ。
形のない状態で保管されているということは……場合によっては、全てがあっという間に完全に消失する事態も起こりかねない。
——どうしても、そんな気がしてしまう。
そして——
美しい文字で綴った文章や手紙を残す、などという文化も、もはや不要のものとみなされたような、なんとも寂しい気持ちになる。
いずれ文字は、機械の中に情報を残すためだけに、ただキーで打ち込まれるだけの道具になってしまうのかもしれない。
——こんなことを漠然と危惧し、また嘆いたとしても……情報化の波は、恐らく決して止まることはない。
形を与えずに、情報を処理する。
そのことにより、生活はよりスムーズに、簡便化される。紙などの消費を減らし、様々なコストを軽減できる。
そこにあるたくさんのメリットを手放して時代を逆戻りすることは、もう不可能だ。
だが——
丈夫な紙に、消えない墨やインクで心を込めて文字を綴る。
木片に、石に、一文字づつ文字を刻む。
そんな、昔ながらの記録方法は、人間という生き物の真剣に生きたその息遣いを感じさせてくれる。
そして——
そんなシンプルな形を与えられた情報ほど、長い年月を経てある日ひょっこり発見され、失われた時代の豊かさを解き明かす鍵になってくれそうな——そんな気がしてならない。
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